大白法・令和3年9月1日刊(第1060より転載)御書解説(248)―背景と大意

四条金吾殿御返事(991頁)

別名『衆生所遊楽御書』

 一、御述作の由来

 本抄は、建治ニ(1276)年六月二十七日、大聖人様が御年五十三歳の時、身延において(したた)められ、鎌倉の四条金吾頼基(よりもと)に与えられた御消息です。御真蹟は現存しません。

 四条金吾頼基は、北条得宗(とくそう)()の支流、名越(なごえ)家に(つか)えていました。名越家は第二代執権(しっけん)北条義時(よしとlき)の次男朝時(ともとき)()とする家系です。寬元(かんげん)四(1246)年(うるう)四月の宮騒動(みやそうどう)(寛元の政変)に敗れた朝時の嫡男(ちゃくなん)光時(みつとき)の流刑地である伊豆国江馬(えま)の地名をとって江馬殿と言われます。同じく名越家に使えた金吾の父頼員(よりかず)は、建長五(1253)年に亡くなっています。

 金吾の信仰姿勢は実直で、鎌倉における門下の中心的存在です。経済力・教養もあり、佐渡・身延の大聖人様のもとに参詣し御供養の品々を届けられました。本抄を賜った頃は、主君江馬光時に対して折伏を行じたことで冷遇(れいぐう)され、さらに同僚による讒言(ざんげん)等もありました。

 そのような状況の中、世間の留難が押し寄せてこようとも、南無妙法蓮華経と唱え、強盛の信力をもって乗り越えていくよう激励されたのが本抄です。

 なお、翌(建治三)年六月九日、鎌倉の桑ケ谷(くわがやつ)において、大聖人様の弟子・三位房(さんみぼう)と極楽寺良観が庇護(ひご)していた竜象房(りゅうぞうぼう)との間で法論(桑ヶ谷問答)があり、それを片隅で聞いていた金吾でしたが、後日、問答の折に金吾が兵仗を帯び徒党を組んで悪口雑言したとの讒言が、良観の熱心な信者である主君の耳に入り、さらなる窮地に立たされます。そのために所領を没取された金吾でしたが、大聖人様の御教示を固く守り、主君への一層の忠誠心と忍耐をもって信行に励みました。

 すると同年秋頃から弘安にかけて疫病が大流行し、主君・江間光時も罹患(りかん)して容態(ようだい)が悪化しました。医術に長けた金吾は、その治療に当たるよう命じられ、主君を疫病から救ったのです。

 弘安元(1278)年十月には、主君から没収された所領(しょりょう)の回復だけてなく、褒賞(ほうしょう)として新たな領地を加増され、再び強固な主従関係が結ばれました。

 

 二、本抄の大意

 初めに、一切衆生にとって南無妙法蓮華経と唱える以外に遊楽はないと、法華経『寿量品』に説かれた、

 「衆生(しゅじょう)所遊楽(しょゆうらく)(衆生の遊楽する所なり)」(法華経441頁)

との経文を()げられます。そして、それは自受(じじゅう)法楽(ほうらく)のことであると述べられます。

 また、その「衆生」の中に、金吾が漏れることがあろうか、また、「所」とは一閻浮提(いちえんぶだい)を示しており、日本国はその一闘浮提の内にあると仰せられます。

 さらに「遊楽」について、我々の色心(しきしん)()報・正報、共に一念三千の当体であり、自受用身(ゆうしん)の仏である。故に法華経を(たも)つ以外に遊楽はないと、法華経 『薬草喩品』の、

 「現世(げんぜ)安穏(あんのん)後生(ごしょう)善処(ぜんしょ)(現世安穏にして後に善処に生ず)」(同217頁)

との経文をを挙げられます。

 次いで、世間の留難が起こっても取り合ってはならないことを論され、賢人(けんじん)聖人(しょうにん)でもこの難は(のが)れられないと仰せられます。

 そして、ただ女房と酒を飲み()わして、南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。苦を苦と悟り、苦楽共に思い合わせて南無妙法蓮華経と唱えていきなさいと激励され、これこそが自受法楽ではないかと教示されます。

 最後に、いよいよ強盛な信心を貫くよう仰せられ、本抄を終えられています。

 

 三、拝読のポイント

 衆生所遊楽

 本抄において大聖人様は、あらゆる衆生は南無妙法蓮華経と唱えるより(ほか)に遊楽はないと仰せられています。

 遊楽とは遊び楽しむと書く通り、趣味や娯楽に(きょう)じるなど様々な楽しみがありますが、大聖人様はその一番大元である南無妙法蓮華経と唱えることが、真の意味での遊楽であると教示されているのです。

 この遊楽は、『寿量品』の自我偈(じがげ)に「衆生所遊楽」と説かれているように、心をゆったりさせ、安穏(あんのん)なる境地を成ずるということです。趣味や娯楽などの一時的・部分的な遊楽では、人生における木当の意味での安穏な境地を成ずることはできません。南無妙法蓮華経の題目を真剣に唱えていくところに、真の安穏なる境地、真実の遊楽があるのです。

 また大聖人様は、遊楽とは自受法楽、すなわち本因下種の妙法の楽しみを目らの身に受ける仏の境地であるとも仰せられています。

 衆生とは、突き詰めれば四条金吾をはじめとする妙法受持の人を指し、所とは日本国を含む一閻浮提のすべての国土をいい、遊楽とは私たち衆生の色心と依正が共に()の一念三千の当体であり、自受用身の仏であることを教示されています。

 正報たる私たちの身体と心、依報たるそれを取り巻く環境もすへて法界の姿(実相)であり、また私たちが生きていく上での様々な出来事も、三世の生命の上から見れば、すべて過去の業因(ごういん)によるものです。

 故に、私たちが御本尊に向かい南無妙法蓮華経を唱えることにより、過去遠々劫(おんのんごう)からの罪障を消減し、妙法の功徳に照らされて、それがそのまま遊楽となり、色心の上に自受法楽の境界が顕現するのです。 

 現世安穏・後生善処

 大聖人様は、本抄において「法華経を待ち奉るよりに遊楽はなし。現世安穏・後生善処とは是なり」と、法華経を待つ以外に遊楽はないと仰せられています。

 ここでいう「法華経」とは、文上の一部八巻二十八品ではなく、南無妙法蓮華経の御本尊のことであり、その倒本尊に向かって唱える題目のことを指します。

 その妙法受持の信仰者に、法蕫経『薬草喩品』の「現世安穏・後生善処 」という即身成仏の功徳が具わるのです。

 現世安穏とは、私たちが今生きている娑婆世界で安穏に過ごすことてあり、後生善処とは、私たちが亡くなった後、善処に生まれる、すなわち成仏するということです。

 『最蓮房御返事』に、

 「法華経の行者は信心に退転無く身に詐親(さしん)無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、(たし)かに後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得」(御書642頁)

と示されているように、すべてを御本尊にお任せして、御金言の通り自行化他の信行に励むならば、現当二世に(わた)ってその境界を入きく開き、後生善処ほか、今生においても災難を(まぬか)れ、寿命を延ばして安穏な人生を送ることができるのです。 

 苦楽共に思い合わせて唱題すべし

 大聖人様は本抄において、苦しい時も楽しい時も、常に南無妙法蓮華経の題目を唱えるよう論されています。そして、個々それそれが宿業として有する様々な難が起こっても、いちいちそれらにとらわれることなく、それを謗法(ほうぼう)罪障消滅の好機ととらえ、題目を唱えて乗り越えるよう仰せです。

 釈尊にも九横(くおう)の大難があり、大聖人様にも「大難四カ度、小難数知れず」と言われ種々の難があったように、賢人や聖人でさえも難に遭うことは逃れられないのであるから、それらに負けることなく、必ず乗り越えるよう激励されています。

 大聖人様は四条金吾に対して、本抄以前の『主君耳入此法門免与同罪事』にも、

 「かまえてかまへて御用心候べし。いよいよにく()む人々ねら()ひ候らん。御さか()もり()夜は一向に止め給へ。只女房と酒うち飲んで、なにの御不足あるべき」(同744頁)

と、用心を(うなが)されたことがありましたが、これらは時に短気で直情(ちょくじょう)径行(けいこう)のある金吾をを(おもんばか)られた御慈悲あふれる御教導と拝されます。

 人生の苦楽は共に仏法の真実の相であり、因縁果報のすべてを妙法と悟り、南無妙法蓮華経と唱えてこそ、何ものにも紛動されない成仏の境界を開くことができるのです。 

 

 四、結  び

 御法主日如上人猊下は、

 「我々は一人でも多くの人に、かくの如き妙法信受の功徳の偉大なること知らしめ、苦悩に(あえ)ぐ多くの人々に対して妙法を下種し、折伏を行じ、もって誓願達成へ向けて全力を傾注していかなければなりません」(大白法9015号)

と御指南されています。

 宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の本年、未来広布へ向け、すべての講員が異体同心の団結をもって自行化他にわたる題目を唱え、また、コロナ禍における、いかなる困難をも乗り越えて、慈悲の折伏を実践し、本年度の折伏誓願目標を完遂してまいりましよう。