兄弟抄  建治二年四月  五五歳

 

第一章 法華経は仏法の真髄

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 (それ)法華経と申すは八万法蔵の肝心、十二部経の骨髄なり。三世の諸仏は此の経を師として正覚を成じ、十方の仏陀は一乗を眼目(げんもく)として衆生を引導し給ふ。今現に経蔵に入って此を見るに、後漢(ごかん)永平(えいへい)より(とう)の末に至るまで、渡れる所の一切経論に二本あり。所謂旧訳(くやく)の経は五千四十八巻なり。新訳の経は七千三百九十九巻なり。彼の一切経は皆各々分々に随って我第一なりとなの(名乗)れり。然るに法華経と彼の経々とを引き合はせて之を見るに勝劣天地なり、高下雲泥なり。彼の経々は衆星の如く、法華経は月の如し。彼の経々は灯炬(とうこ)星月の如く、法華経は大日輪の如し。此は総なり。
   法華経というのは、八万法蔵の肝心であり、十二部経の骨髄である。三世の諸仏は、法華経を師として正覚を成就し、十方世界の仏は、一乗仏である法華経を眼目として、衆生を導いたのである。今、現実に経蔵に入って一切経を見てみると、中国に仏法が渡った後漢の永平年間から唐の末にいたるまでの約八百五十年間に、中国に渡って来た一切経論に二本ある。いわゆる羅什釈等の旧釈の経は五千四十八巻であり、玄奘等の新訳の経は七千三百九十九巻である。それらの一切経はそれぞれ分云々に随って「われこそ第一なり」と名乗りを上げてる。しかるに、法華経とそれらの経々を引き比べてみると、その勝劣は天地の差であり、高下は雲泥の相違である。それらの経云は多くの星のようなものであり、法華経は月のようなものである。また、かの経々は燈炬や星月の光のようなものであり、法華経は太陽のようなものである。これは、法華経と諸経とを総じて比較した場合である。

 

第二章 三千塵点劫を挙げて生命の流転を説く

 別して経文に入って此を見奉れば二十の大事あり。第一第二の大事は三千塵点劫(じんでんごう)、五百塵点劫と申す二つの法門なり。其の三千塵点と申すは第三の巻化城喩品(けじょうゆほん)と申す処に出でて候。此の三千大千世界を(まっ)して(ちり)となし、
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東方に向かって千の三千大千世界を過ぎて一(じん)を下し、又千の三千大千世界を過ぎて一塵を下し、此くの如く三千大千世界の塵を下し()てぬ。さてかえって、下せる三千大千世界と下さヾる三千大千世界をともにおし()ふさ()ねて又塵となし、此の諸の塵を()なら()()きて一塵を一劫として、()尽くしては又始め又始め、かくのごとく上の諸の塵の尽くし経たるを三千塵点とは申すなり。今三周の声聞と申して舎利弗(しゃりほつ)迦葉(かしょう)阿難(あなん)羅云(らうん)なんど申す人々は、過去遠々劫(おんのんごう)三千塵点劫のそのかみ、大通智勝仏と申せし仏の、第十六の王子にてをはせし菩薩ましましき。かの菩薩より法華経習ひけるが、悪縁にすかされて法華経を()つる心つきにけり。かくして或は華厳経へ()ち、或は般若(はんにゃ)経へをち、或は大集経へをち、或は涅槃(ねはん)経へをち、或は大日経、或は深密(じんみつ)経、或は観経(かんぎょう)等へをち、或は阿含小乗経へをちなんどしけるほどに、次第に堕ちゆきて後には人天の善根、後に悪にをちぬ。かくのごとく堕ちゆく程に三千塵点劫が間、多分は無間地獄、少分は七大地獄、たまたまには一百余の地獄、まれには餓鬼・畜生・修羅なんどに生まれ、大塵点劫なんどを経て人天には生まれ候ひけり。
   次に、別して法華経の経文についてみるならば、一切経より勝れた二十の大事な法門がある。そのなかで、第一、第二の大事は三千塵点劫、五百塵点劫という二つの法門である。その三千塵点劫という法門は第三の巻・化城喩品というところに出ている。この三千大千世界をすりつぶして微塵となし、東の方に向かって、千の三千大千世界を過ぎてその一つの塵を落とし、また千の三千大千世界を過ぎて一つの塵を落とし、このようにして三千大千世界の塵をことごとく落とし果たした。さて、その後、塵を落とした三千大千世界と、落とさない三千大千世界とを一緒に束ねて塵となし、この諸の塵をもって並べて一塵を一劫として経尽くしては、また同じように始め、終わればまた始めるというように劫を重ねていき、このようにして以上の無数の塵の数だけの劫を尽くしたとき、これを三千塵点劫というのである。
 今、三周の声聞といって舎利弗・迦葉・阿難・羅云(羅睺羅)などという人は、過去遠々劫の三千塵点劫のその昔に大通智勝仏という仏の十六番の王子である菩薩(釈尊)がおられた。三周の声聞たちはその菩薩より法華経を習ったのであるが、途中、悪縁にだまされて法華経を捨てる心を起こしてしまった。このようにしてあるいは華厳経へ堕ちあるいは般若経に堕ち、あるいは大集経へ堕ち、あるいは涅槃経に堕ち、あるいは大日経、あるいは深密経、あるいは観無量義経へ堕ち、あるいは小阿含経へ堕ちるなどしているうちに次第に堕ちていって、後には人界・天界の善根に堕ち、さらには、地獄・餓鬼・畜生・修羅の四悪趣に堕ちてしまったのである。このようにして堕ちていくうちに、三千塵点劫の間、多くの無間地獄に生じ、少しは他の七大地獄に生じ、ときたまは一百余の地獄、まれには餓鬼・畜生・修羅などに生まれ、大塵点劫などの長い期間を過ぎてまた人界・天界にうまれたのである。

 

第三章 法華謗法の罪を説く

 されば法華経の第二の巻に云はく「常に地獄に処すること園観に遊ぶが如く余の悪道に在ること己が舎宅の如し」等云云。十悪をつくる人は等活・黒縄(こくじょう)なんど申す地獄に堕ちて、五百生或は一千歳を()、五逆をつくる人は無間地獄に堕ちて、一中劫を経て後は又かへり生ず。いかなる事にや候らん。法華経を()つる人は、すつる時はさしも父母を殺すなんどのやうに、をびた()ヾしくは()へ候はねども、無間地獄に堕ちては多劫を()候。(たと)ひ父母を一人二人十人百人千人万人十万人百万人億万人なんど殺して候とも、いかんが三千塵点劫をば経候べき。一仏二仏十仏百仏干仏万仏乃至億万仏を殺したりとも、いかんが五百塵点劫をば経候べき。しかるに法華経を()て候ひけるつみ()によりて三周の声聞(しょうもん)が三千塵点劫を経、諸大菩薩の五百塵点劫を経候ひけることをびた()だしくをぼ()へ候。     それ故、法華経第二の巻、譬喩品には「常に地獄に居ることは、あたかも園観に遊んでいるようにあたりまえとなり、また、他の餓鬼、地獄、畜生、修羅の悪道がわが家のようになってしまう」等と。十悪を犯した者は、等活地獄、黒縄地獄などという地獄に堕ちて五百生、あるいは一千歳を経る。五逆罪を作った人は無間地獄に堕ちて一中劫もの長い期間を過ぎて後、また人界に生まれてくる。ところがいかなる事であろうか、法華経を捨てる人は、退転する時は、それほど父母等を殺すことのように重大な罪とは思わないけれども、最も重い無間地獄に堕ちて多劫を過ごすのである。
 たとえ父母を一人・二人・十人・百人・千人・万人・十万人・百万人・億万人等の人を殺したとしても、どうして地獄に堕ちて三千塵点劫という長い間を過ぎることがあろうか。また、一仏・二仏・十仏・百仏・千仏・万仏、そして億万仏を殺したとしても、どうして無間地獄に堕ちて五百塵点劫を過ぎることがあろうか。ところが法華経を捨てた罪によって、三周の声聞が三千塵点劫を経、諸大菩薩が五百塵点劫を経たことは重大なことに思われる。 
 せん()ずるところは(くぶし)()て虚空を打つはくぶしいた()からず、石を打つはくぶしいたし。悪人を殺すは罪あさし、
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善人を殺すは罪ふか()し。或は他人を殺すはをもって泥を打つがごとし。父母を殺すはもて石を打つがごとし。鹿を()うる犬は頭()れず、師子を吠うる犬は(はらわた)くさ()る。日月をのむ修羅は頭七分にわれ、仏を打ちし提婆は大地われて入りにき。所対によりて罪の軽重はありけるなり。
   結局、たとえば拳をもって虚空を打てば拳は痛くない。石を打てば拳は痛い。悪人を殺すのは罪が浅く、善人を殺すのは罪が深い。或は他人を殺すのは拳で泥を打つようなものである。父母を殺すのは拳で石を打つようなものである。鹿を吠える犬は頭が割れることはない。師子を吠える犬は腸が腐る。日月を呑む修羅は頭が七分にわれ、仏を打った題婆達多は大地がわれて無間地獄に入った。このように罪を犯した所対によって罪の軽重は異なるのである。
 さればこの法華経は一切の諸仏の眼目、教主釈尊の本師なり。一字一点も()つる人あれば千万の父母を殺せる罪にも()ぎ、十方の仏の身より血を出だす罪にも()へて候ひけるゆへ()に三五の塵点をば()候ひけるなり。此の法華経はさてをきたてまつりぬ。
 又此の経を経のごとくに()く人に()ふことが難きにて候。(たと)ひ一眼の亀は浮木には値ふとも、はちす()いと()をもって須弥山(しゅみせん)をば虚空に()くとも、法華経を経のごとく説く人に()ひがたし。
   それゆえにこの法華経は一切の眼目であり、教主釈尊の本師である。よって、この法華経の一字一点でも捨てる人がれば、その人は千万の父母を殺した罪よりも重罪であり、十方の仏の身から血を出す罪にも超えているゆえに、三千塵点劫、五百塵点劫もの長い間、悪道において過ごしたのである。この法華経については、しばらく置く。
 またこの経を経文の如く説く人に値うことは難しいのである。たとえ一眼の亀が栴檀の浮木に値うことがあっても、蓮の糸で須弥山を虚空に懸けることができても、法華経を経文の如く説く人には値いがたい。

 

第四章 悪知識ににより本心を失うを明かす

 されば慈恩大師と申せし人は、玄奘(げんじょう)三蔵の御弟子太宗(たいそう)皇帝の御師なり。梵漢を(そら)()かべ、一切経を胸にたゝ()へ、仏舎利を筆のさき()より()らし、牙より光を放ち給ひし聖人なり。時の人も日月のごとく恭敬(くぎょう)し、後の人も眼目とこそ渇仰(かつごう)せしかども、伝教大師これを()め給ふには「法華経を()むと雖も還って法華の心を(ころ)す」等云云。言ふは彼の人の心には法華経を()むと()もへども、理の()すところは法華経をころす人になりぬ。善無畏三蔵は月支国うぢゃうな(烏仗那)国の国王なり。位を()て出家して天竺五十余の国を修行して顕密二道をきわ()め、後には漢土にわたりて玄宗(げんそう)皇帝の御師となる。尸那(しな)日本の真言師、誰か此の人のなが()れにあらざる。かゝるたうと()き人なれども一時に頓死して閻魔(えんま)()めにあわせ給ふ。いかなりけるゆへ()とも人しら()ず。    それ故、慈恩大師という人は玄奘三蔵の弟子であり、唐の太宗皇帝の師である。梵語・漢語の書を空にうかべ、一切経を胸に湛え、仏舎利の筆のさきから雨の如く降らし、説法の時は牙から光を放った聖人である。当時の人も慈恩大師を日月の如く恭敬し、後世の人も眼目として渇仰したが、伝教大師はこの慈恩大師を責めて「法華経を讃めるといえども、還って法華の心を死す」等と破折した。この言葉の意味は慈恩大師は、自分では法華経を讃えていると思っているが、善無畏三蔵は月氏の鳥仗那国の国王である。位をすてて出家してインドの五十余の国々を修行して顕教・密教の二道をきわめ、のちには漢土に渡って玄宗皇帝の師となった人である。中国・日本の真言師は、誰一人この善無畏三蔵の流れを汲んでいないものはいない。このような尊い人ではあるが、ある時に頓死(急死)して閻魔の責めに会ったのである。なぜこのように急死して、閻魔の責めにあったのか、その理由を誰も知らない。
 日蓮此をかんが()へたるに、本は法華経の行者なりしが、大日経を見て法華経にまさ()れりといゐしゆえなり。されば舎利弗・目連(もくれん)等が三五の塵点劫を経しことは十悪五逆の罪にもあらず、謀反(むほん)八虐(はちぎゃく)(とが)にてもあらず。但悪知識に値ひて法華経の信心をやぶりて権経にうつりしゆへなり。天台大師釈して云はく「若し悪友に値へば則ち本心を失ふ」云云。本心と申すは法華経を信ずる心なり。
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失ふと申すは法華経の信心を引きかへて余経へうつる心なり。されば経文に云はく「(しか)良薬(ろうやく)を与ふるに(しか)()へて服せず」等云云。天台の云はく「其の心を失ふ者は良薬を与ふと雖も而も肯へて服せず。生死に流浪して他国に逃逝(じょうぜい)す」云云。されば法華経を信ずる人のをそ()るべきものは、賊人・強盗・夜打・虎狼(ころう)・師子等よりも、当時の蒙古の()めよりも法華経の行者をなや()ます人々なり。
   日蓮これを考えてみたところ、善無畏三蔵はもともと法華経の行者であったが、大日経を見て、法華経より勝れるといったことがその原因である。したがって舎利弗・目連等の二乗が悪道に堕して、三千塵点。五百塵点の長期を経たことは、十悪や五逆の罪でもなく、謀叛・八虐の反逆でもなく、ただ悪知識に値って、法華経の信心を破って権経に移ったゆえである。
 天台大師が解釈していわく「もし悪友に値えば本心を失ってしまう」と。この文の本心というのは法華経を信ずる心である。
 失うというのは法華経の信心を翻って、余経へ移る心である。それゆえ法華経の寿量品にいわく「然も良薬を与えるのに、肯て服さない」等と。この経文を天台は「法華経を信ずる心を失う者は、良薬を与えても、服することなく、生死の苦しみのなかに流浪し、他国へ逃げていく」と釈している。
 それゆえ、法華経を信ずる人が、畏れなかればならないものは、賊人、強盗、夜打ち、虎狼、師子等よりも、現在の蒙古の責めよりも、法華経の行者の修行を妨げ悩ます人々である。
 此の世界は第六天の魔王の所領なり。一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属(けんぞく)なり。六道の中に二十五有と申すろう()かま()へて一切衆生を入るゝのみならず、妻子(めこ)と申すほだし()をうち、父母主君と申すあみ()そら()にはり、(とん)(じん)()の酒を()ませて仏性の本心をたぼら()かす。但あく()さかな()のみをすゝめて三悪道の大地に伏臥(ふくが)せしむ。たまたま善の心あれば障碍(しょうげ)をなす。法華経を信ずる人をばいかにもして悪へ堕とさんとをも()うに、叶はざればやうやくすか()さんがために相似せる華厳経へ()としつ、杜順(とじゅん)智儼(ちごん)・法蔵・澄観等これなり。又般若経へをとしつ、嘉祥(かじょう)僧詮(そうせん)等これなり。又深密経へ堕としつ、玄奘(げんじょう)・慈恩此なり。又大日経へ堕としつ、善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等これなり。又禅宗へ堕としつ、達磨・慧可等是なり。又観経(かんぎょう)へすかしをとす悪友は、善導・法然是なり。此は第六天の魔王が智者の身に入って善人をたぼらかすなり。法華経第五の巻に「悪鬼其の身に入る」と説かれて候は是なり。設ひ等覚の菩薩なれども元品の無明と申す大悪鬼身に入って、法華経と申す妙覚の功徳を(ささ)へ候なり。何に(いわ)んや其の已下(いげ)の人々にをいてをや。
   われわれの住む娑婆世界は、第六天の魔王の眷属である。魔王は六道のなかに二十五有という牢を構えて、一切衆生を入れるばかりでなく妻子という絆を打ち、父母主君という網を空にはり、貧瞋癡の酒をのませて、一切衆生の仏性の本心をたぼらかす。そして、悪の肴ばかりをすすめて三悪道の大地に伏臥させる。衆生にたまたまの善心があれば邪魔をするのである。
法華経を信ずる人をなんとしても悪道へ堕とそうと思うが叶わないので、だんだんにだまそうとしてまず法華経に相似する華厳経に堕とした。杜順・智儼・法蔵・澄観等がこれである。また次に般若経へだまし堕とす悪友は嘉祥・僧詮等である。また深密経へだまし堕とす悪友は玄奘・慈恩である。また大日経へだまし堕とす悪友は善無畏.金剛智・不空・弘法・慈覚・智証である。また禅宗へだまし堕とす悪友は達磨・慧可等である。また観無量寿経へだまし堕とす悪友は善導・法然である。これは第六天の魔王がこれらの智者の身に入って、法華経を信ずる善人をだますのである。法華経第五の巻・勧持品に「悪鬼が其の身に入る」と説かれているのはこのことである。
 たとえ等覚の菩薩であっても、元品の無明という大悪鬼がその身に入って、法華経という妙覚の功徳を妨げるのである。まして、それ以下の人々においては、なおさらのことである。
 又第六天の魔王或は妻子の身に入って親や夫をたぼらかし、或は国王の身に入って法華経の行者ををど()し、或は父母の身に入って孝養の子を()むる事あり。悉達太子は位を捨てんとし給ひしかば羅睺羅(らごら)はらまれてをはしませしを、浄飯王(じょうぼんのう)此の子生まれて後出家し給へといさ()められしかば、魔が王子ををさ()へて六年なり。舍利弗は昔禅多羅仏(ぜんたらぶつ)と申せし仏の末世に、菩薩の行を立てゝ六十劫を経たりき。
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既に四十劫ちかづきしかば百劫にてあるべかりしを、第六天の魔王、菩薩の行の成ぜん事をあぶ()なしとや思ひけん、婆羅門となりて眼を乞ひしかば相違なく()らせたりしかども、其れより退する心()()て舍利弗は無量劫が間無間地獄に堕ちたりしぞかし。大荘厳仏(だいしょうごんぶつ)の末の六百八十億の檀那等は、苦岸(くがん)等の四比丘にたぼらかされて、普事比丘を(あだ)みてこそ大地微塵劫(みじんこう)が間、無間地獄を()しぞかし。師子(しし)音王仏(おんのうぶつ)の末の男女等は、勝意比丘と申せし持戒の僧をたのみて喜根比丘を笑ふてこそ、無量劫が間地獄に堕ちつれ。
   また、第六天の魔王があるいは妻子の身に入って親や夫をたぼらかし、あるいは国王の身に入って法華経の行者をおどし、あるいは父母の身に入って孝養の子を責めたりするのである。
 悉達太子は国王になるべき位を捨てようとされたので、妃が羅喉羅を孕んでいたのを父の浄飯王は「子が生まれてから出家しなさい」と諫められたところ、魔はこれをさいわいと子の生まれるのを六年間おさえた。
 舎利弗は、昔禅多羅仏といった仏の未世の菩薩に行を立てて、六十劫を経た。あと四十劫で百劫になるまで近づいたのを、大六天の魔王が、その菩薩の行が成就するのではないかと危ぶんだのであろう。婆羅門となって舎利弗の眼を乞うたところ、舎利弗は乞われたまま眼を取らせたけれども、それによって退転する心がでてきて、舎利弗は無量劫の間、無間地獄に堕ちたのである。
 大荘厳仏の末法の六百八十億の檀那等は、苦岸等の四比丘にだまされて普事比丘を怨んだゆえに大地微塵劫の間、無間地獄を経たのである。師子音王仏の末法の男女等は勝意比丘という持戒の僧を信じて、正法を弘める喜根比丘をあざ笑った故に無量劫の間、地獄に堕ちたのである。

 

第六章 転重軽受を明かす

 今又日蓮が弟子檀那等は此にあたれり。法華経には「如来の現在すら(なお)怨嫉(おんしつ)多し。況んや滅度の後をや」と。又云はく「一切世間怨多くして信じ難し」と。    今また日蓮の弟子檀那等は、この事にあたっている。法華経の法師品には「如来のおられる時でさえ猶怨嫉が多い、まして滅度の後においてはなおさらのことである」と説かれ、また安楽行品には「一切世間の人は、仏に怨をなすものが多く信じるものがいない」等と説かれている。
 涅槃経に云はく「横さまに死殃(しおう)(かか)らん、呵責(かしゃく)罵辱(めにく)鞭杖(べんじょう)閉繋(へいけい)・飢餓・困苦、是くの如き等の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」等云云。般泥洹(はつないおん)経に云はく「衣服不足にして飲食(おんじき)麁疎(そそ)なり。財を求むるに利あらず。貧賤の家及び邪見の家に生まれ、或は王難及び余の種々の人間の苦報に遭ふ。現世に軽く受くるは()の護法の功徳力に由る故なり」等云云。文の心は、我等過去に正法を行じける者にあだ()をなしてありけるが、今かへりて信受すれば過去に人を(ささ)へつる罪によて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳強盛なれば、未来の大苦をまね()()して少苦に値ふなり。この経文に過去の誹謗によりてやうやう(様様)の果報を()くるなかに、或は貧家に生まれ、或は邪見の家に生まれ、或は王難に値ふ等云云。この中に邪見の家と申すは誹謗正法の父母の家なり。王難等と申すは悪王に生まれあうなり。此の二つの大難は各々の身に当たりてをぼへつべし。過去の謗法の罪の滅せんとて邪見の父母に()められさせ給ふ。又法華経の行者をあだ()む国主にあへり。経文明々たり、経文赫々(かくかく)たり。我が身は過去に謗法の者なりける事疑ひ給ふことなかれ。此を疑って現世の軽苦忍びがたくて、慈父の()めに随ひて存の外に法華経を()つるよしあるならば、我が身地獄に堕つるのみならず、悲母も慈父も大阿鼻地獄に墮ちてともにかな()しまん事疑ひなかるべし。大道心と申すはこれなり。    涅槃経には「横死の殃に罹り呵責を受け、罵られて辱しめられ、鞭や杖で打たれ、監禁され、飢餓、困難を味わう。このような現世の軽い報いを受けることによって未来には地獄に堕ちない」等と説かれている。また般泥洹経にいうには「衣服は不足し飲食は粗末で少ない。財を求めても得られず、貧賎の家および邪見の家に生まれ、或は王難およびその他の種々の人間社会の苦報にあうが、現世に軽く受けるのは、これ仏法を護る功徳力に由る故である」とある。経文の意味は、われわれは、過去において正法を修行していた者に怨をなしたのであるが、今度は反対に自分が正法を信受することになったので、過去に人の修行を妨げた罪によって本当は未来に大地獄に堕ちるところを、今生に正法を行ずる功徳が強盛なので未来の大苦を今生に招きよこして少苦に値うのである。この経文に、過去の謗法によって、さまざまな果法を受けるなかに、あるいは貧しい家に生まれ、あるいは邪見の家に生まれ、あるいは王難に値う等と示されている。このなかに「邪見の家」というのは誹謗正法の家であり「王難等」というのは、悪王の世に生まれあわせることである。この二つの大難は、あなたがたの身にあたって感ずることであろう。過去の謗法の罪を滅しようとして今邪見の父母に責められているのである。また法華経の行者をあだむ国主に生まれあっている。経文には明々であり、赫々である。ゆえにわが身が過去に謗法のものであったことは疑ってはならない。これを疑って現世の軽苦が忍びがたく慈父の責めにあってこれに随い、おもいのほか法華経を捨てることがあれば、自分が地獄に堕ちるばかりでなく、悲母も慈父も大阿鼻地獄に堕ちて、共に悲しむことはうたがいないことである。大道心というのはこのように大目的観にたって信心をまっとうすることをいうのである。

 

第七章 難に当っての信心を示す

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各々随分に法華経を信ぜられつるゆへに過去の重罪を()めいだし給ひて候。たとへば(くろがね)をよくよくきた()へばきず()のあらわるゝがごとし。石はやけ()はい()となる。(こがね)はやけば真金となる。此度こそまことの御信用はあらわれて、法華経の十羅刹も守護せさせ給ふべきにて候らめ。雪山童子の前に現ぜし羅刹は帝釈となり、尸毘(しび)王のはと()毘沙門(びしゃもん)天ぞかし。十羅刹心み給はんがために父母の身に入らせ給ひて()め給ふこともやあるらん。それにつけても心あさ()からん事は後悔あるべし。
 
 あなたがた兄弟は、かなり法華経(御本尊)を信じてきたので、過去世の重罪の果報を現世に責め出しているのである。それは例えば鉄を念入りに鍛えて打てば内部の疵が表面にあらわれてくるようなものでる。石は焼けば灰となるが、金は焼けば真金となる。このたびの難においてこそ、本当の信心があらわれて法華経の十羅刹女もあなたがたを必ず守護するにちがいない。雪山童子の前にあらわれた鬼神は帝釈であり、尸毘王に助けられた鳩は毘沙門天であった。同じく、十羅刹女が、信心を試すために、父母の身に入って、法華経を信ずる人を責めるということもあるであろう。それにつけても信心が弱くては、必ず後悔するにちがいない。
 又前車のくつが()へすは後車のいまし()めぞかし。今の世にはなにとなくとも道心()こりぬべし。此の世のありさま(いと)ふともよも(いと)はれじ。日本の人々定んで大苦に値ひぬと見へて候。眼前の事ぞかし。文永九年二月の十一日にさか()んなりし花の大風に()るゝがごとく、清絹(すずし)の大火に()かるゝがごとくなりしに、世をいと()う人のいかでかなかるらん。文永十一年の十月ゆき(壱岐)つしま(対馬)ふのもの(武者)ども一時に死人となりし事は、いかに人の上とをぼ()すか。当時もかのうて(討手)に向かひたる人々のなげ()き、老ひたるをや()をさな()き子、わか()き妻、めづ()らしかりしすみか(住家)うち()てゝ、よしなき海をまぼ()り、雲の()うればはた()かと疑ひ、つりぶね(釣船)()ゆれば兵船(ひょうせん)かと肝心(きもごころ)()す。日に一二度山えのぼ()り、夜に三四度馬にくら()ををく。現身に修羅道をかん()ぜり。    前車が覆えったのは、後車の誡しめである。今の乱れた世にあっては、これということがなくとも仏道を求める心が起こるのは当然である。この世の有様をみて厭うといっても、よもや厭うことはできない。日本の人々は、定めて大苦に値うことは目に見えており、まさに眼前のことである。文永九年二月十一日には(執権時宗の義兄・時輔が、謀叛を起こして亡びた)盛んであった花が大風に枝を折られるように、また清絹が大火に焼かれるようになったので、どうしてこの世を厭わない人があろうか。また文永十一年の十月(蒙古の襲来)壱岐・対馬の島民が、一時に殺されたことも、どうして他人事と思えようか。当時も蒙古の討伐に向かった人々のなげきは、いかばかりであろう。年老いた親が、幼い子、若い妻、そして大切な住み家をうち捨てて、意味もない海を守り、雲が見えれば、敵の旗かと疑い、釣船が見えれば、蒙古の兵船ではないかと肝を冷やす。日に一、二度は、山に登って見張り、夜には三、四度敵が来たといって馬に鞍をおく。まさに現身に修羅道を感ずる日々である。
 各々の()められさせ給ふ事も、詮ずるところは国主の法華経のかたき()となれるゆへ()なり。国主のかたきとなる事は、持斎(じさい)等・念仏者等・真言師等が謗法より()これり。今度ねう()しくらして法華経の御利生(りしょう)心みさせ給へ。日蓮も又強盛に天に申し上げ候なり。いよいよをづ()る心ねすが(姿)たをはすべからず。定んで女人は心よは()くをはすれば、ごぜん(御前)たちは心ひるが()へりてやをはすらん。がうじやう(強盛)はが(歯噛)みをしてたゆ()む心なかれ。例せば日蓮が平左衛門尉がもとにてうちふるまい(振舞)()ゐしがごとくすこ()しもをづ()る心なかれ。わだ(和田)が子となりしもの、わかさ(若狭)かみ()が子となりしもの、将門(まさかど)貞当(さだとう)が郎従等となりし者、仏になる道にはあらねどもはぢ()をも()へば命()しまぬ習ひなり。なにとなくとも一度の死は一定(いちじょう)なり。いろ()ばし()しくて人にわら()われさせ給ふなよ。    あなたがた兄弟がいま責められていることも、結局は国主が法華経のかたきとなっている故である。国主が法華経の敵となることは、持斎、念仏者、真言師の謗法からおこっているのである。今度、この難を耐え忍びぬいて、法華経の御利生を試してごらんなさい。日蓮もまた、強く諸天にいいましょう。決して怖れる心や姿があってはならない。女性は信心が弱いので、あなたがたの夫人達は、きっとひるがえっていることであろう。だからあなた方は信心強盛に歯をくいしばって難に耐え、たゆむ心があってはならない。例えば日蓮が平左衛門尉の所で、堂々と振舞い、いい切ったように、少しも畏れるような心があってはならない。北条氏との戦さで敗れた和田氏の子、時頼と戦って敗れた若狭守泰村の子、あるいは天慶の乱の平将門の家来、前九年・後三年の役の阿倍貞当の家来となった者は、仏になる道ではなけれども恥を思うゆえに命をおしまなかった。これが武士の習いである。これということがなくても、一度は死ぬことは、しかと定まっている。したがって、卑怯な態度をとって、人に笑われてはならない。

 

第八章 伯夷・叔斉の例を引く

(★983㌻)
 あまりにをぼ()つかなく候へば大事のものがたり(物語)一つ申す。白()(しゅく)せい()と申せし者は、胡竹(こちく)国の王の二人の太子なり。父の王弟の叔せいに位をゆづ()り給ひき。父()して後叔せい位に()かざりき。白ひが云はく、位に()き給へ。叔せいが云はく、兄位に()ぎ給へ。白ひが云はく、いかに親の遺言をばたが()へ給ふと申せしかば、親の遺言はさる事なれども、いかんが兄ををきては位には()くべきと辞退せしかば、二人共に父母の国を()てゝ他国へわた()りぬ。周の文王につか()へしほどに、文王(いん)紂王(ちゅうおう)に打たれしかば、武王百ケ日が内いくさ()ををこしき。白ひ・叔せいは武王の馬の口にとりつきていさ()めて云はく、をや()()して後三ケ年が内いくさ()ををこすはあに()不孝にあらずや。武王いか()りて白ひ・叔せいを打たんとせしかば、大公望せい()して打たせざりき。二人は此の王をうと()みてすやう(首陽)と申す山にかく()れゐて、わらび()()りて命を()ぎしかば、麻子(ばし)と申す者()()ひて云はく、いかにこれにはをはするぞ。二人(かみ)(くだん)の事をかた()りしかば、麻子が云はく、さるにてはわらび()は王の物にあらずや。二人()められて爾の時よりわらび()()わず。天は賢人を()て給はぬなら()ひなれば、天、白鹿と現じて乳をもって二人をやし()なき。叔せいが云はく、此の白鹿の乳を()むだにもうまし、まして肉をくわんと()ゐしかば白ひせい()せしかども天これを()ゝて来たらず。二人()へて死にゝき。一生が間賢なりし人も一言に身をほろ()ぼすにや。各々も御心の内は()らず候へばをぼつかなしをぼつかなし。
   余りに心配なので、大事な物語を一つお話し申しあげよう。
 白夷・叔斉という兄弟は胡竹国の王の二人の王子であった。父の王は弟の叔斉に王位をゆずったが、父王の死後叔斉は王位につかなかった。そこで兄の白夷が弟に「王位につきなさい」といった。だが叔斉は「兄さんが位を継いでください」といった。白夷が「どうして親の遺言に反するのか」というと、弟の叔斉は「親の遺言はそうではありますが、どうして兄さんをさしおいて私が王位に即けましょうか」と辞退したので、白夷・叔斉の二人は共に、国を捨てて、他国へ行ってしまった。
 そして、二人は周の文王に仕えた。ところが、その文王は殷の紂王に討たれてしまったので、その子・武王は、父の死後、百か日の間に紂王討伐の軍をおこしたのである。そのとき白夷・叔斉は武王の馬の口にとりついて諫め、「父が死んでのち、三年間の内に軍をおこすのは、親不孝ではありませんか」といった。それを聞いて武王は怒り白夷・叔斉を打ち取ろうとしたが、臣の太公望が、武王を制して打たせなかった。
 白夷・叔斉の二人は、この武王をうとんで、首陽山という山に隠れ、わらびを折ってこれを食べ、命をつないでいた。その山の中で二人が麻子という者にゆき会ったとき、その人が「どうしてここに居るのか」とたずねた。そこで二人は前のような話をしたところが、麻子は「それならば、そのわらびも王の物ではないか」と責めたのである。二人はそのように責められたので、その時から、わらびを食べなくなった。
 天はもともと賢人を見捨てないことになっているので、天は白鹿となって現われ、乳で二人を養ったのである。しかしその白鹿の去ったのちに、叔斉は「この白鹿は乳でさえこれほどうまい。ましてその肉を食べたらどれほどうまいことだろう」といったので、白夷は叔斉を制したが、天は叔斉の一言を聞き、以後二人の前に現われなかった。そのため二人は飢えて死んでしまった。一生の間、賢明であった人も、一言によって身をほろぼすのである。今、難に当たって、あなたがた二人もその心の内が自分(大聖人)には分からないので、非情に心配しております。

 

第九章 真実の孝養を説く

 釈迦如来は太子にてをはせし時、父の浄飯王太子ををし()みたてまつりて出家をゆる()し給わず。四つの門に二千人のつわもの(兵士)をすへてまぼ()らせ給ひしかども、終にをや()の御心をたが()へて家を()でさせ給ひき。一切はをや()に随ふべきにてこそ候へども、仏に()る道は随はぬが孝養の本にて候か。されば心地観経(しんじかんぎょう)には孝養の本を()かせ給ふには「恩を()てゝ無為に入るは真実の報恩の者なり」等云云。言はまことの道に入るには、父母の心に随はずして家を出でて仏になるが、まことの恩をほう()ずるにてはあるなり。    釈迦如来が、太子であられたとき、父の浄飯王は太子を惜しんで出家を許されなかった。そして城の四方の門に二千人の兵士を配置して、守らせたけれども、釈迦如来は、ついに王の心にそむいて、家を出られたのである。いっさいのことは親に随うべきではあるが、成仏の道だけは、親に随わないことが孝養の根本といえるであろう。
 それゆえに、心地観経には孝養の根本を説いて「恩愛の浄心地観経には孝養の情を棄てて無為(仏道)に入る者が、真実の報恩の者である」等といっている。この言葉の真意は、真実の仏道に入るには、父母の心に随わないで、家を出て成仏することが、真実の恩を報ずることになるというのである。
(★984㌻)
世間の法にも、父母の謀反なんどを()こすには随はぬが孝養と()へて候ぞかし。孝経と申す外経(げきょう)()へて候。天台大師も法華経の三昧に入らせ給ひてをはせし時は、父母左右のひざ()に住して仏道を()えんとし給ひしなり。此は天魔の父母のかたち()げん()じて()うるなり。
   世間の道理にも、父母が謀叛をおこすようなときには、随わないのが孝養とされているのである。儒教や孝経という経にそのことが出ている。天台大師も法華経の三昧に入られたときには、父母が、左右の膝に取り付いて、仏道修行を妨げようとしたのである。これは第六天の魔王が、父母の姿を現わして、妨げたのである。

 

第十章 故事を引いて兄弟の同心を励ます

 白ひ・すくせいが因縁はさき()()き候ひぬ。又第一の因縁あり。日本国の人王第十六代に王をはしき。応神(おうじん)天王と申す。今の八幡大菩薩これなり。この王の御子(みこ)二人まします。嫡子をば仁徳(にんとく)、次男をば宇治の王子。天王次男の宇治の王子に位をゆづ()り給ひき。王ほうぎょ(崩御)ならせ給ひて後、宇治の王子云はく、兄位に()き給ふべし。兄の云はく、いかにをや()の御ゆづ()りをばもち()ゐさせ給はぬぞ。かくのごとくたが()いにろむ()じて、三ケ年が間位に王をは(御座)せざりき。万民のなげ()()うばかりなし。天下のさい()にてありしほどに、宇治の王子云はく、我()きて有るゆへ()にあに位に()き給はずといって死せ給ひにき。仁徳これをなげ()かせ給ひて、又()しづ()ませ給ひしかば、宇治の王子()かへ()りてやうやうにをほ()()かせ給ひて、又()()らせ給ひぬ。さて仁徳位に()かせ給ひたりしかば国をだ()やかなる上、しんら(新羅)はくさひ(百済)かうらい(高麗)も日本国にしたが()ひて、ねんぐ(年貢)八十そう()そなへけるとこそみへて候へ。    白夷・叔斉の因縁故事は、先に書いた。また、この他にも大切な因縁故事がある。日本国の第十六代に応神天皇という王がいた。今の八幡大菩薩がこの王である。この王に御子が二人あり、嫡子を仁徳、次子を宇治の王子といった。ところが天皇は第二子の宇治の王子に位を譲られたのである。しかし、天皇が崩御されたのち、宇治の王子は「兄君が位につかれるべきである」といった。しかし兄の仁徳は「どうして親の決められた譲位をうけないのか」といって辞退した。このように互いに譲り合って、三年間の間、国位に天皇はいなかったのである。万民の嘆きは、いいようもなく大きく、天下の災禍となってしまった。そのとき宇治の王子は「私が生きているから、兄君が位につかれない」といって、亡くなられたのである。兄の仁徳はこれを嘆かれ、うち沈んでおられたので、宇治の王子が生きかえって、兄が位に即くようにいろいろと言い置かれて、また息をひきとられた。そののち、仁徳が天皇に即かれたので、国内は穏やかになった上、新羅、百済、高句麗も日本国に従って、年貢を八十艘の船にそなえて貢いだと記録にみえている。 
 賢王のなかにも兄弟をだ()やかならぬれい()もあるぞかし。いかなるちぎり()にて兄弟かくはをはするぞ。浄蔵・浄眼の二人の太子の生まれかわりてをはするか、薬王・薬上の二人か。大夫志(たいふのさかん)殿の御をや()の御勘気は()け給ひしかども、ひゃうへ(兵衛)(さかん)殿の事は今度はよもあに()にはつかせ給わじ。さるにてはいよいよ大夫の(さかん)殿のをや()の御不審は、をぼろげにては()りじなんどをも()いて候へば、このわらわ(鶴王)の申し候はまことにてや。御同心と申し候へばあまりのふしぎ(不思議)さに別の御文をまいらせ候。未来までのものがたり(物語)なに()事かこれに()ぎ候べき。    賢王のなかでも、兄弟の仲が穏やかでない例もある。だがどのような契によって、あなた方兄弟はこのように仲がよいのであろうか。淨蔵・浄眼の二人の太子の生まれかわりであろうか。それとも薬王・薬上の二人の生まれかわりであろうか。大夫志殿が父親の勘当を受けられたけれども、兵衛志殿は、今度はよもや兄の側につかれないであろう。そうであれば、ますます大夫志殿に対する父上の不審はつよくなって並み大抵のことでは勘当を許されないであろうと思っていたところが、この鶴王という童子がいっていたことは、本当であろうか。兵衛志殿も兄と同じく信心を貫く決意であるというので、あまりの不思議さに感嘆し、別のお手紙を差し上げました。兄弟二人の信心は未来までの物語として、これ以上のものはないであろう。

 

第十一章 隠士・烈士の故事を引く

 西域と申す文に()きて候は、月氏に婆羅痆斯(ばらなし)施鹿林(せろくりん)と申すところに(ひとり)隠士(いんし)あり。仙の法を成ぜんとをも()う。すでに瓦礫(がりゃく)を変じて宝となし、人畜(じんちく)の形を()えけれども、いまだ風雲に()て仙宮にはあそ()ばざりけり。
(★985㌻)
此の事を成ぜんがために(ひとり)烈士(れっし)かた()らひ、長刀を()たせて壇の隅に立てゝ息をかくし言を()つ。よひ()よりあした()にいたるまでもの()()わずば仙の法成ずべし。仙を求むる隠士は壇の中に坐して手に長刀を()て口に神呪(しんじゅ)ずう()す。約束して云はく、設ひ死なんとする事ありとも物言ふ事なかれ。烈士云はく、死すとも物()はじ。かくのごとくしてすでに夜中を()ぎて()まさに()けなんとす。いかんがをもひけん、あけんとする時烈士をゝきに声をあげて呼ばはる。すで()に仙の法成ぜず。隠士烈士に云はく、いかに約束をばたが()ふるぞ、くち()惜しき事なりと云ふ。烈士歎いて云はく、少し眠りてありつれば、昔仕へし主人自ら来たりて責めつれども、師の恩厚ければ忍んで物()はず。彼の主人怒って頚を()ねんと云ふ。されど又物()はず。遂に頚を切りつ。中陰(ちゅういん)に趣く我が(しかばね)を見れば惜しく歎かし。されど物()はず。遂に南印度の婆羅門の家に生まれぬ。入胎出胎するに大苦忍びがたし。されど息を出ださず、又物()はず。(すで)冠者(かじゃ)となりて妻をとつ()ぎぬ。又親死しぬ。又子をまう()けたり。かな()しくもあり、よろこ()ばしくもあれども物()はず。此くの如く年六十有五になりぬ。我が妻かた()りて云はく、汝若し物()はずば汝がいとを()しみの子を殺さんと云ふ。時に我思はく、我(すで)に年衰へぬ、此の子を若し殺されなば又子をまう()けがたしと思ひつる程に、声をおこ()すとをも()へばをどろ()きぬと云ひければ、師が云はく、力及ばず、我も汝も魔にたぼらかされぬ。終に此の事成ぜずと云ひければ、烈士大いに歎きけり。我が心よは()くして師の仙の法を成ぜずと云ひければ、隠士が云はく、我が(とが)なり。兼ねて(いまし)めざりける事をと悔ゆ。然れども烈士師の恩を報ぜざりける事を歎きて、遂に思ひ死にしゝぬと()ゝれて候。 
   大唐西域記という本に次のように書いてある。インドの婆羅痆斯国・施鹿林とうところに、一人の隠士がいた。この隠士は仙の法を成就しようと考えていた。すでに瓦礫を変えて宝となし、人畜の形を変える力を持つにいたったのであるが、まだ風雲に乗って仙宮に遊ぶことはできなかった。そこで、このことを成しとげるために、一人の烈士を説いて協力を得、これに長刀を持たせて、壇の隅に立たせ、息をひそめ、言葉を断った。
 宵から次の朝にいたるまで、ものをいわなければ、仙の法を成就することになっている。仙の法を求める隠士は、壇のなかに坐って、手に長刀をとり、口に神呪を誦し、烈士にいうには「たとえ、死ぬようなことがあっても、ものをいってはならない」と。それに応えて烈士は「死んでも、ものをいいません」と誓った。このようにして、すでに夜中を過ぎて、夜がまさに明けようとするとき、なんと思ったのであろうか、烈士は大声をあげて叫んだのである。この一声で、もう仙の法は成就しなかった。そこで隠士は烈士にいった。「どうして約束を違えたのか、残念なことだ」と。
 烈士が嘆いていうには「少し眠っていたら、昔仕えた主人が自らやって来て、私を責めたけれども、隠士の恩が厚いので、忍んでものをいわなかった。そこで、その主人は怒って首をはねるぞと脅した。だがまた、ものをいわなかった。主人は遂に私の首を斬った。中陰に向かう自分の屍を見ると、残念で嘆かわしかった。しかし、ものはいわなかった。次に南インドの婆羅門の家に生まれた。入胎出胎するときの大苦は忍びがたかった。だが息を出さずものもいわなかった。やがて若者となって妻を娶った。また親が死に、さらに子を儲けた。悲しくもあり、悦しくもあったけれども、ものをいわなかった。このようにして、年六十有五になった。わが妻が言った。『あなたが、もしものをいわなければ、あなたの子を殺します』と。そのとき私は思った。“私はすでに年老いた。この子をもし殺されたならば、また子を儲けることは難しい”と思ったので声を発したと思ったら、目を覚ました」と。
 師の隠士は「力が及ばなかった。私もお前も、魔にたぼらかされた。とうとう、事を成ずることができなかった」といったので烈士は大いに嘆いた。そして「私の心が弱かったために、師の仙法を成就することができなかった」といったので、隠士は「私のあやまちである。あらかじめ、誡めておかなかったことが失敗だった」と悔いた。しかし烈士は、師の恩を報ずることができなかったことを嘆いて、遂に思いつめて死んだと書かれている。
 仙の法と申すは漢士には儒家より出で、月氏には外道の法の一分なり。云ふにかひ無き仏教の小乗阿含経にも及ばず、況んや通別円をや。況んや法華経に及ぶべしや。かゝる浅き事だにも成ぜんとすれば四魔競ひて成じがたし。何に況んや法華経の極理南無妙法蓮華経の七字を、始めて持たん日本国の弘通の始めならん人の、
(★986㌻)
弟子檀那とならん人々の大難の来たらん事をば、言をもて尽くし難し。心をもてをしはかるべしや。
   仙の法というのは、漢土の儒家から出ており、インドでは外道の法の一つである。したがって、とるに足らない仏教の小乗阿含経にすら及ばない。まして、通教、別教、円教には及ばない。まして法華経には及ぶべくもない。このような浅いことでさえも、成し遂げようとすれば、四魔が競って成就しがたい。ましてや法華経の極理である南無妙法蓮華経の七字・御本尊を初めて持ち、日本国の弘通の最初の人である日蓮の弟子檀那なる人々に大難がくるだろうことは、言葉でいい尽くしがたい。また心をもっても推し測ることはできない。

 

第十二章 三障四魔出来の原理を明かす

 されば天台大師の摩訶止観と申す文は天台一期の大事、一代聖教の肝心ぞかし。仏法漢土に渡って五百余年、南北の十師、智は日月に(ひと)しく徳は四海に響きしかども、いまだ一代聖教の浅深・勝劣・前後・次第には迷惑してこそ候ひしが、智者大師再び仏教をあき()らめさせ給ふのみならず、妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出だして、三国の一切衆生に(あまね)く与へ給へり。此の法門は漢土に始まるのみならず、月氏の論師までも明かし給はぬ事なり。然れば章安大師の釈に云はく「止観の明静(みょうじょう)なる前代に未だ聞かず」云云。又云はく「天竺の大論すら(なお)其の(たぐい)に非ず」等云云。其の上摩訶止観の第五の巻の一念三千は、今一重立ち入りたる法門ぞかし。此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず。第五の巻に云はく「行解(ぎょうげ)既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる、乃至随ふべからず(おそ)るべからず。之に随へば(まさ)に人をして悪道に向かはしむ、之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ。此の釈に三障と申すは煩悩障・業障・報障なり。煩悩障と申すは貪・瞋・癡等によりて障碍(しょうげ)出来すべし。業障と申すは妻子等によりて障碍出来すべし。報障と申すは国主・父母等によりて障碍出来すべし。又四魔の中に天子魔と申すも是くの如し。今日本国に我も止観を得たり、我も止観を得たりと云ふ人々、誰か三障四魔競へる人あるや。「之に随へば(まさ)に人をして悪道に向かはしむ」と申すは只三悪道のみならず、人天九界を皆悪道とかけり。されば法華経をのぞ()いて華厳・阿含・方等・般若・涅槃・大日経等なり。天台宗を除いて余の七宗の人々は、人を悪道に向かはしむる獄卒(ごくそつ)なり。天台宗の人々の中にも法華経を信ずるやうにて、人を爾前へやるは悪道に人をつか()はす獄卒なり。
   それ故、天台大師の摩訶止観という書は、天台大師一生の大事、釈尊一代聖教の肝心を述べたものである。仏法が漢土に渡って五百余年、当時の南三北七の十師達は、智は日月に等しくたとえられ、徳は四海に響いていたけれども、いまだ一代聖教の浅深・勝劣・前後・次第について迷っていたのを、天台智者大師が五時八教の判釈をもってふたたび仏教を明確にされたばかりでなく、妙法蓮華経の五時の蔵の中から、一念三千の如意宝珠を取り出して、インド・中国・日本の一切衆生に広く与えられたのである。この天台の法門は、漢土に始まるばかりでなく、インドの論師さえ明かさなかったのである。それ故、章安大師は止観を釈していうには「摩訶止観ほど明らかで誤りのない法門は、前代にいまだ聞いたことがない」また「インドの大論も、なおその比較の対象にならない」等といっている。そのうえ、摩訶止観の第五の巻に説かれる一念三千は、今一重立ち入った法門である。故に、この法門を説くならば、必ず魔があらわれるのである。魔が競い起こらないならば、その法が正法であるとはいえない。止観の第五の巻きには「仏法を持ち、行解が進んできたときには、三障四魔が紛然として競い起こる(乃至)だが三障四魔に決して随ってはならない。畏れてはならない。これに随うならば、まさに人を悪道に向かわせる。これを畏れるならば、正法を修行することを妨げる」等と書かれている。止観のこの釈は、日蓮が身にあてはまるばかりでなく、門家一同の明鏡である。謹んで習い伝えて、未来永久に信心修行の糧とすべきである。
 この釈に三障というのは煩悩障・業障・報障のことである。煩悩障というのは、おのおのの生命にある貧・瞋・癡等によって、仏道修行の障礙があらわれるのである。業障というのは、妻や子等が仏道の障礙とあらわれることである。報障というのは、億王や父母等が障礙とあらわれるのである。また四魔のなかで、天子魔というのもこの報障と同様である。今、日本国には、われも止観を体得した、われも止観体得したという人々のうち、誰に一体三障四魔が競い起こっているであろうか。止観のなかに、「三障四魔に随うならば、まさに人を悪道に向かわせる」というのは、ただ三悪道ばかいでなく、人界・天界、そして九界を皆悪道と書かれているのである。それ故、法華経を除いて、華厳・阿含・方等・般若・大日経等は皆、人を悪道に向かわせる法である。天台宗を除いて、ほかの七宗の人々は人を悪道に向かわす獄卒である。だが天台宗の人人の中にも法華経を信ずるようでいて実際は人を爾前の教えへ向かわせる者は人を悪道に行かせる獄卒である。

 

第十三章 兄弟とその夫人たちの信心を激励する

 今二人の人々は隠士と烈士とのごとし。(ひとり)()けなば成ずべからず。(たとえ)へば鳥の二つの羽、人の両眼の如し。
(★987㌻)
又二人の御前達は此の人々の檀那ぞかし。女人となる事は物に随って物を随へる身なり。(おとこ)たの()しくば妻もさか()ふべし。(おとこ)盗人ならば妻も盗人なるべし。是(ひとえ)に今生(ばか)りの事にはあらず、世々(せせ)生々(しょうじょう)に影と身と、(はな)(このみ)と、根と葉との如くにておはするぞかし。木に()む虫は木を()む、水にある魚は水を()らふ。芝()るれば蘭()く、松さか()うれば柏よろこ()ぶ。草木すら是くの如し。比翼(ひよく)と申す鳥は身は一つにて頭二つあり。二つの口より入る物一身を養ふ。ひぼく(比目)と申す魚は一目づつある故に一生が間はな()るゝ事なし。夫と妻とは是くの如し。此の法門のゆへ()には(たと)ひ夫に害せらるゝとも悔ゆる事なかれ。一同して夫の心をいさ()めば竜女(りゅうにょ)が跡をつぎ、末代悪世の女人の成仏の手本と成り給ふべし。此くの如くおはさば設ひいかなる事ありとも、日蓮が二聖・二天・十羅刹・釈迦・多宝に申して順次生(じゅんじしょう)に仏になしたてまつるべし。
   今、宗仲、宗長の兄弟は隠士・烈士二人のようなものです。どちらか一人が欠けるならば、仏道を成就することはできない。譬えば、鳥の二つの羽、人の両眼のようなものです。また二人の夫人たちはこの兄弟の二人にとっては大事な支えです。
 女性というものは物に随って、物を随える身であります。夫が楽しめば、妻も栄えることができ、反対に夫が盗人ならば、妻も盗人となるのです。これはひとえに、今生だけのことではない。世々生々に、影と身と、花と果実と、根と葉のように相添うものなのです。木に住む虫は木を食べる。水中に住む魚は水をのむ。芝が枯れれば蘭が泣き、松がさかえれば柏は悦ぶ。草木でさえ、このように互いに助け合うのです。比翼という鳥は、身は一つで、頭が二つあり、二つの口から別々に入った食物が、同じ一つの身を養う。比目という魚は、雄雌一目づつあるゆえに、一生の間離れることはない。夫と妻とは、このようなものです。この法門(御本尊)のためには、たとえ夫から殺害されるようなことがあっても後悔してはなりません。
 婦人たちが力を合わせて夫の信心を諌めるならば、竜女の跡を継ぎ、悪世末法の女人成仏の手本となられることでしょう。このように、信心強盛であるならば、たとえどのようなことがあろうとも、日蓮が二聖・二天・十羅刹女・釈迦・多宝にいって、あなたが未来順次に生まれるたびに、必ず成仏してさせてあげましょう。
 心の師とはなるとも心を師とせざれとは、六波羅蜜経の文なり。(たと)とひいかなるわづら()はしき事ありとも夢になして、只法華経の事のみさはぐら(思索)せ給ふべし。中にも日蓮が法門は(いにしえ)こそ信じがたかりしが、今は前々()ひをきし事既に()ひぬれば、よし()なく謗ぜし人々も悔ゆる心あるべし。(たと)ひこれより後に信ずる男女ありとも、各々には()へ思ふべからず。始めは信じてありしかども、世間のをそ()ろしさに()つる人々かず()()らず。其の中に返って本より謗ずる人々よりも強盛にそし()る人々又あまた(数多)あり。在世にも善星(ぜんしょう)比丘(びく)等は始めは信じてありしかども、後に()つるのみならず、返って仏をぼう()じ奉りしゆへ()に、仏も叶ひ給はず、無間地獄に()ちにき。
 此の御文は別してひやうへ(兵衛)の志殿へまいらせ候。又大夫志(たいふのさかん)殿の女房・兵衛志(ひょうえのさかん)殿の女房によくよく申し()かせさせ給ふべし、()かせさせ給べし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
 建治二年卯月(うづき)  日           日  蓮 花押
   「心の師とはなっても、自分の心を師とするな」とは六波羅密経の文である。たとえ、どのような煩わしい、苦しいことがあっても、夢のなかのこととして、ただ法華経(御本尊)のことだけを思っていきなさい。中でも日蓮の法門は、以前には、信じ難かったが、今は前々言って置いたことが的中したので、理由もなく誹謗した人々も、悔いる心が起きたのであろう。たとえ、それよりのちに信ずる男女があっても、あなたがたに換えておもうことはできません。始めは信じていたけれども、世間の迫害の恐ろしさに、信仰を捨てた人々は数をしらないほど多い。そのなかには、かえってもとから誹謗していた人々よりも、強情に謗る人々もまた多くおります。釈尊の在世にも、善星比丘は、始めは信じていたけれども、のちに信仰を捨てたばかりでなく、かえって釈迦仏を謗じたゆえに、仏の慈悲をもってしてもいかんともしがたく、無間地獄に堕ちてしまいました。この御手紙は、別して兵衛志殿にあてたものです。また大夫志殿の女房、兵衛志殿の女房にも、よくよくいい聞かせなさい。聞かせなさい。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
  文永十二年四月十六日          日蓮花押