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(★970㌻) |
帷子一領、塩一駄、油五升、たしかにいただいた。 衣は寒さを防ぎ、また暑さを防ぎ、身を隠し、身を飾るものである。法華経第七の巻薬王品に「如裸者得衣」とある。この意は、裸でいる者が衣を得たようなものであるということで、文の心は、嬉しさを述べたものである。付法蔵の人のなかに、商那和衆という人がいて、衣を着て生まれてこられた。これは前世で仏法に衣を供養した人である。それゆえ法華経には「柔和忍辱衣」等と説かれている。 |
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崑崙山には珠ばかりで石がない。身延の嶽には塩がない。石のないところでは、珠よりも石の方が勝れ、塩のないところでは、塩は米よりも優れている。国王の宝は左右の大臣である。左右の大臣のことを塩梅という。味噌、塩がなければ、生きていくことは難しい。左右の臣がいなければ国は治まらない。油というのは、涅槃経に「風の中に油はない。油の中に風はない」と述べて、風邪を治す第一の薬である。 | |
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かたがたの |
さまざまな品々お送っていただき、そこにあらわれている御志は、言葉でいいつくすことができない。それも結局は故南条殿の法華経の御信用が深かったことがあらわれたものであろうか。王の志を臣がのべ、親の志を子が申しのべるとはこのことである。故殿は嬉しく思っておられるであろう。 |
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昔、筑紫に大橋太郎という大名がいた。大将殿(源頼朝)の御勘気を受けて、鎌倉の由比の浜の土の牢に十二年間押し込められた。召し捕えられて、筑紫を出る時、夫人に向かっていうには、「弓矢とる武士の身となって、主君の御勘気を蒙ることを嘆くのではない。だが御前とは幼いころより親しくしてきたのを、いま離れることは、いいようもなく辛い。 |
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(★971㌻) れん事いうばかりなし。これはさてをきぬ。 |
このことはさておいて、男子でも女子でも、子が一人もいないことが嘆きである。けれども懐妊したと聞いた。女子であろうか、男子であろうか、見届けることができないのは残念なことである。また、その子が一人前となって、父という者がいないのを嘆くだろう。どのようにすべきか、と思うけれども、どうすることもできない」といって、出発した。 |
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かくて月 |
やがて月日が過ぎて、無事に生まれたのは男の子であった。七才の年、山寺に登らせたが、友達となった稚児達は、親なしと笑った。その子は家に帰って母に父のことを尋ねた。母は話すことができなくて、泣くよりほかにしかたがなった。この稚児は「天がなければ雨は降らない。地がなければ草は生えない。たとえ母上はあっても、父上がいなければ人として生まれるはずがない。どうして父上の居所を隠すのですか」と問い詰めたので、母は責められて「あなたが幼かったからいわなかったのです。事情はこうです」と話した。 | |
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此の |
その稚児は泣く泣く「それでは父の形見はないのでしょうか」というと、「これがあります」といって、大橋の先祖の日記、ならびに、腹のなかにいた子に譲った自筆の書状を取り出した。ますます父親が恋しくなって、泣くよりほかになかった。「それでは、いったいどうしたらいいのでしょうか」というと、「父上がここを出発の時は、家来の者も数多く供をしたけれども、御勘気を蒙ったのであるから、皆取り失せてしまいました。その後は、生きておられるのか、また死んでおられるのか、様子を知らせてくれる人もいません」と語ったので、稚児は、うつぶし、泣き、いさめてもいうことを聞き入れなかった。 | |
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母は「あなたを山寺に登らせたことは、父上への孝養のためです。仏前に花をも捧げ、経を一巻なりとも読んで孝養しなさい」と諭したので、稚児は、急ぎ寺に登って、家に帰る心を起さなかった。昼夜に法華経を読んだので、読み通せるようになっただけでなく、そらに覚えるほどになった。 | |
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さて十二の (★972㌻) |
やがて、十二の年に出家をしないで髪をつつみ、どうにか苦心して筑紫を逃げ出して、鎌倉というところへ尋ね着いた。鶴岡八幡宮の御前にまいって、伏し拝んでいうには「八幡大菩薩は日本第十六の王、本地は霊山浄土において、法華経をお説きになった教主釈尊です。衆生の願をかなえられるために、神とお現れになったとお聞きしました。いま、私の願いをかなえてください。 | |
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てさせ給へ。 |
父親は生きているのでしょうか。死んでいるのでしょうか」といって、戌の時(午後八時ごろ)より法華経を読み始めて、寅の時(午前四時ごろ)まで読み続けたので、何ともいえぬ幼い声で宝殿に響きわたり、心にしみわたるようであったので、参詣にきていた人々も、帰ることを忘れてしまった。人々が市のように集まって、見れば幼い人で、法師とも思われず、女人でもなかった。 | |
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をりしも |
ちょうど、京の二位殿が御参詣になっていた。人目を忍んでお詣りされたのであるけれども、御経の声の尊いことはいままでにこえて優れていたので、読み終わるまで御聴聞された。そしてお帰りになったが、あまりに名残惜しいので、人をその場につけておき、大将殿にこのようなことがありましたと申されたので、大将殿は稚児を呼ばれて持仏堂で御経を読ませられた。 | |
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さて次の日、又御聴聞ありければ、西の |
さて、次の日、また御経を御聴聞されていると、西の御門で人が騒いだ。「どうしたのか」と聞けば、「今日は囚人が首を斬られるのだ」と大声でいっていた。その時稚児は「ああ、我が親は今まで生きているとはおもえないけれども、やはり人は首を斬られると聞けば、我が身の嘆きの如く思われる」と涙ぐんでしまった。大将殿はそれを不審に思われて、「稚児はいかなる者か、ありのままに申せ」と仰せになったので、稚児は、今までのことを一々に申し上げた。 | |
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お側についていた大名、小名も、簾のうちの女房達も、みな感動し涙を流し袖をしぼったのである。大将殿は、梶原景時を呼び寄せて「大橋の太郎という囚人を連れてまいれ」と仰せになると、梶原は「ただ今、首を斬るために由比ヶ浜に連れていったところです。今はもう、斬ってしまっているかもしれません」と答えたので、この稚児は御前であったけれども、ふしころびながら泣いた。大将殿が「梶原、自ら走っていって、まだ斬っていなかったら、連れてまいれ」と仰せられたので、梶原は急いて由比ヶ浜へ駆けつけていった。いまだ行きつかぬうちに大声で叫んで制止したのは、まさに首を斬ろうとして刀を抜いた時であった。 | |
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さて (★973㌻) |
さて、梶原は大橋の太郎を縄のついたまま連れてきて、大庭にひきすえた。大将殿から「その者をこの稚児に与えなさい」との許しがあったので、稚児は走り下りて縄をといた。大橋の太郎は我が子とも知らず、どういうわけで助かったのかも知らなかった。 | |
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る事ゆへに |
さて、大将殿は、またこの稚児を呼び寄せて、種々のお布施を与え、大橋の太郎を下げ渡しただけではなく、本領をももとのように下された。大将殿が仰せになるには、「法華経の功徳は、昔から様々に伝え聞いていたけれども、自分も身に当たることが二つある。 |
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つには故親父の御 |
一つには、亡き親父(源義朝)の御首を太政入道(平清盛)に斬られて、無念とも何ともいいようがなかったので、いかなる神仏に祈念すべきかと思っていいたところ、走湯山の妙法尼より法華経を読み習って千部を読誦した時、高雄の文覚房が親父の首を持って来て見せたうえ、(平家打倒の挙兵を勧めたので)仇を打つのみならず、日本国の武士の大将となることができた。これは、ひとへに法華経の御利益である。 | |
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二つにはこの |
二つには、この稚児が親を助けたことは不思議である。大橋の太郎というやつは、頼朝はけしからぬ者と思っていた。たとえ許すようにと勅宣が下されようとも、それをお返しして、首を斬ったであろう。あまりの憎さに、十二年まで土の牢に入れておいたが、このような不思議があった。そのため、法華経の御利益というのはありがたいことである。頼朝は武士の大将として、多くの罪が積もっているけれども、法華経を信じ申し上げているので、悪道に堕ちることはないであろう、と思っている」と涙ぐまれた。 |
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今の御心ざし |
今の貴殿の御志を見ると、故南条殿は、親子であるから、いとおしいとは思われていたであろうが、このように法華経をもって自分の供養をしてくれるだろうとは、よもや思わなかったであろう。たとえ、罪があっていかなるところにおられようとも、この御孝養の志を、閻魔大王も、梵天、帝釈までも知っておられるであろう。釈迦仏、法華経もどうして捨てられることがあろうか。かの稚児が父の縄をといたことと、貴殿の御志とは少しも違うものではない。この返事を涙によって書いているのである。 |
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又 (★974㌻) |
また、蒙古が攻めてくるということは、こちらではまだうかがってはいない。蒙古のことを言うと「日蓮房は蒙古国が攻めてくると言えば喜ぶ」と言われているようだが、それはゆわれなき事である。このような事が起こるであろうといったので、仇、敵のように人々は日蓮を責めたのであるが、経文に説かれてあるので、攻めてくるのである。そのようにいわれようとも、いたし方がないことである。 何の罪もない、ただ国を助けたいという者を用いようとしないのである。 | |
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てこそあらざらめ。又法華経の第五の巻をもて日蓮が 後三月廿四日 日蓮 花押 南条殿御返事 |
さらにまた、法華経の第五の巻をもって日蓮の顔を打ったのである。梵天・帝釈はこれを御覧になっていたし、鎌倉の八幡大菩薩も見られた。どんなにしても、今は諌めを聞き入れられない世であるから、このような山中に入ったのである。 あなた方のことも不憫とは思うけれども、助けることは難しいであろう。しかし昼夜に法華経に祈念している。あなたも御信用の上にも、力を惜しまずに祈念されるがよい。あえて、こちらの志が弱いためではない。あなた方の御信心が厚いか薄いかによるのである。結局は、日本国の身分の高い人々は、必ず生け捕りになるだろう。まことにあさましいことである。恐々謹言。 後三月廿四日 日蓮 花押 南条殿御返事 |