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(★954㌻) 謹上 南条殿御返事 橘三郎殿・太郎 |
芋頭(里芋)、河のり、それにわさび等をお送り下さり、人々の厚い御志、たしかに承りました。 (貴方がたの御供養はちょうど)親鳥が卵をあたため、親牛が子牛をなめるようなものである。 さて、衣服は身を包み、食物は命をつなぐものである。それゆえ、法華経を山中で読み修行する人を手厚く供養されるのは、釈迦仏を供養申し上げ、法華経の命をつぐこととおなじではなかろうか。妙荘厳王は三聖を山中にやしなひて沙羅樹王仏となり、檀王は阿私仙人を供養して釈迦仏とならせ給ふ。 とすれば、(法華経を)読み書くことをしなくても、読み書く人を供養するならば、成仏することは疑いない。経に「是の人仏道に於て決定して疑ひ有ること無けん」と説かれている。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。 建治二年三月十八日 日蓮 花押 謹上 南条殿御返事 橘三郎殿、太郎大夫殿にも、この一紙にて申し上げることは恐れ入るが、返す返す伯耆房から、読んで聞かせてほしい。 |