上野殿御書  建治元年八月一八日  五四歳

別名『祇園精舎御書』

 

(★902㌻)
 (わざ)と御使ひ有り難く候。(それ)については()(かた)(づく)りの由目出度(めでた)くこそ候へ。(いつ)か参り候ひて移徙(わたまし)申し候はゞや。
  一、棟札(むなふだ)の事承り候。書き候ひて此の(ほう)()公に(まい)らせ候。此の経文は()(だつ)長者()(おん)(しょう)(じゃ)を造りき。然るに(いか)なる因縁(いんねん)にやよりけん、須達長者七度まで火災にあひ候時、長者此の由を仏に問ひ奉る。仏答へて曰はく、汝が眷属(けんぞく)貪欲深き故に此の火災の難起こるなり。長者申さく、さて()かん()して此の火災の難をふせ()ぎ申すべきや。
 
 わざわざお使いの人をよこされたことをありがたく思う。その使いの報告では、館を建てられるとのこと。めでたいことである。何かお伺いして、新築落成のお祝いを申し上げたいと思っている。
 一つに棟札のことについては承知した。書いて、この伯耆公に持たせてある。この経文は次のようないわれがある。須達長者は祇園精舎を造った人である。ところが、どういう因縁によるのであろうか。須達長者は七度まで火災にあったことがある。その時、長者がこのわけを仏に質問した。仏は答えて「あなたの一族は貪欲が深いが故に、この火災の難が起こるのである」と仰せられた。長者は「はてさて、どうのようにしてこの火災の難を防ぐことができるのでしょうか」と問うた。
 仏の(たま)はく、(たつ)()の方より瑞相あるべし。汝精進して彼の方に向かへ。彼方より光さゝば鬼神三人来たりて云はん。南海に鳥あり、鳴忿(めいふん)と名づく。此の鳥の住処に火災なし。又此の鳥一つの(もん)を唱ふべし。其の文に云はく「(しょう)(じゅ)(てん)(じゅう)(てん)()(りょう)(びん)()(しょう)(あい)(みん)(しゅ)(じょう)(しゃ)()(とう)(こん)(きょう)(らい)」云云。此の文を唱へんには、必ず三十万里が内には火災をこらじと、此の三人の鬼神かくの如く告ぐべきなり云云。    仏のいわく「南東の方から兆があるであろう。あなたは、ひたすら身を清め心を慎んで、その方向に向かいなさい。その方向から光が射すならば、鬼神が三人やって来ていうであろう。すなわち、南海に、ある鳥がいる。鳴忿と名づけられている。この鳥の住む所に火災はない。また、この鳥は一つの文を唱えるであろう。その文は『諸聖の主で天中の天よ、迦陵頻伽声の声をもって衆生を哀れみ情けをかける者よ、我等は今、尊敬礼拝する』等というものである。この文を唱えるときには、必ず三十万里の内には火災が起こらない、と。この三人の鬼神は、このように告げるであろう」と仰せられた。 
 須達、仏の仰せの如くせしかば少しもちがはず候ひき。其の後火災なきと見えて候。これに依りて滅後末代にいたるまで、此の経文を書きて火災をやめ候。今以てかくの如くなるべく候。返す返す信じ給ふべき経文なり。是は法華経の第三の巻()(じょう)()品に説かれて候。(くわ)しくは此の御房に申し含めて候。恐々謹言。
  八月十八日    日蓮 花押
 上野殿御返事
   須達長者が仏の仰せのとおりしたところ、少しも違うことはなかった。その後、火災はなかったと記されている。このことによって釈尊滅後、末代にいたるまで、この経文を書いて火災を防止したのである。今の場合でも、同様になるであろう。くれぐれも信ずべき経文である。これは法華経の第三巻の化城喩品第七に説かれている。詳しくは、この御房に言い含めてある。
  八月十八日    日蓮 花押
 上野殿御返事