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(★834㌻) 釈子日蓮述 夫仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし。過去の大通智勝仏は出世し給ひて十小劫が間一経も説き給はず。経に云はく「一坐十小劫」と。又云はく「仏時未だ至らずと知ろしめして請ひを受けて黙然として坐したまへり」等云云。今の教主釈尊は四十余年の程、法華経を説き給はず。経に云はく「説時未だ至らざるが故なり」云云。 |
一体、仏法を修学するの道は、必ずまず時を習わなければならない。このことを三世の諸仏について考えてみるならば、過去三千塵点劫の昔に出世した大通智勝仏は、出世してから十小劫の間、一経も説かなかった。このことを、法華経化城喩品第七には「一坐十小劫」と説いてある。また「仏は法を説くべき時が、いまだ来ていないことを知っていたから、説法を請い願われても黙然として坐していた」等と説かれている。今の教主釈尊は、成道してから四十余年の間、出世の本懐たる法華経を説かなかった。このことを法華経方便品第二には「説く時がいまだ来ていなかったから、真実の無上道たる法華経を説かなかった」といっている。 |
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| 老子は母の胎に処して八十年、弥勒菩薩は兜率の内院に篭らせ給ひて五十六億七千万歳をまち給うべし。彼の時鳥は春ををくり、鶏鳥は暁をまつ。畜生すらなをかくのごとし。何に況んや、仏法を修行せんに時を糾さざるべしや。 |
外道の法でも、老子は母の胎に八十年いて時を待ったという。次に未来仏たる弥勒菩薩は兜率の内院にこもり、五十六億七千万歳の間、出世の時を待っているといわれる。 彼の時鳥は、春の終わろうとする初夏を待って鳴き、鷄鳥は暁を待って鳴く、畜生すらこのように時を違えないのであるから、まして仏法を修行しようとする者が、時を糺明しないでよいだろうか。必ず時というものを、はっきりと認識してかからなければならないのである。 |
| 寂滅道場の砌には十方の諸仏示現し、一切の大菩薩集会し給ひ、梵・帝・四天は衣をひるがへし、竜神八部は掌を合はせ、凡夫大根性の者は耳をそばだて、生身得忍の諸菩薩・解脱月等請をなし給ひしかども、世尊は二乗作仏・久遠実成をば名字をかくし、即身成仏・一念三千の肝心其の義を宣べ給はず。 | 釈迦仏が最初成道して華厳経を説法した寂滅道場の時には、十方の諸仏が示現し、いっさいの大菩薩はその会座に来集せられ、大梵天・帝釈天・四天王は衣をひるがえして集まり、竜神・八部宗は掌を合わせて仏を礼拝し、凡夫、大根性の者は耳をそばだてて仏の説法を聞かんと欲し、無生忍を証した生身得忍の諸菩薩・解脱月菩薩が墾ろに説法を請うている。このような華厳経の会座においてさえ、仏は法華経の肝心たる二乗作仏・久遠実成をば隠してその名字すら説かなかった。また即身成仏・一念三千の法門は、じつに一代仏教の肝要であり、極理であるが、華厳経にはその義を説き明かさなったのである。 | |
| 此等は偏にこれ機は有りしかども時の来たらざればのべさせ給はず。経に云はく「説時未だ至らざるが故なり」等云云。 | このように爾前四十余年の諸経では、上根上機の衆生があったけれども、いまだ法華経を説くべき時がこなかったので、述べなかったのである。ゆえに方便品第二では「説く時いまら至らざるゆえ」と説いているのである。 | |
| 霊山会上の砌には閻浮第一の不孝の人たりし阿闍世大王座につらなり、一代謗法の提婆達多には天王如来と名をさづけ、五障の竜女は蛇身をあらためずして仏になる。 | さて、いよいよ霊鷲山において法華経を説くことにあたっては、父の頻婆沙羅王を殺して世界第一の不幸者となった阿闍世王も、その会座に連なり、一生の間、謗法を犯しつづけた提婆達多には天王如来の記を授けられ、女人として罪深い五障の竜女は、蛇の身を改めないで畜生のままで即身成仏の現証を示した。 | |
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決定性の成仏は燋れる種の花さき果なり、久遠実成は百歳の叟二十五の子となれるかとうたがふ。一念三千は九界即仏界、仏界即九界と談ず。されば此の経の一字は如意宝珠なり。 (★835㌻) 一句は諸仏の種子となる。 |
決定性の二乗は、永遠に二乗の境地から抜け出ることができないはずだったのに、その二乗すら成仏すると説かれたことは、あたかも燋れる種がふたたび芽を出して華が咲き果がなったようなものであり、また、本門へ入って久遠実成を説く時は百歳の老人が二十五の若者の子供になったかと疑わしめた。すなわち老人とみられた地涌の大菩薩たちを、実は釈尊が五百塵点劫のその昔に成道して已来教化してきたのであると説いた。 しかして、一念三千は九界即仏界・仏界即九界と説いて本有常住の十界互具を説き明かした。されば、この法華経の迹門も、本門も爾前経に対すれば、その一字が如意宝珠である。 法華経の一句は諸仏の種子となっている。 |
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| 此等は機の熟不熟はさておきぬ、時の至れるゆへなり。経に云はく「今正しく是其の時なり、決定して大乗を説く」等云云。 |
このように爾前四十余年と法華経八年が相違するのは、衆生の機根の熟・不熟はさておいて、時のいたるゆえである。法華経方便品第二に「今正しくこれその時なる、決定して大乗を説く」と説いているのは、この意である。 |
| 問うて云はく、機にあらざるに大法を授けられば、愚人は定めて誹謗をなして悪道に堕つるならば、豈説く者の罪にあらずや。答へて云はく、人路をつくる、路に迷ふ者あり、作る者の罪となるべしや。良医薬を病人にあたう、病人嫌ひて服せずして死せば、良医の失となるか。 |
問う。大法を聞くべき機根でないものが、いきなり大法を授けられるならば、愚人は定めて誹謗し、そのために悪道へ堕ちるならば、それこそ説くものの罪ではないのか。 答う。ある人が大衆の便利をはかって路を作った。その路に迷うものがあるからといって、路を作るものの罪だといえるだろうか。良医があって、大良薬を病人にあたえた時に、病人は薬を嫌って服しないで死んだならば、それが良医の過失となるであろうか。 |
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尋ねて云はく、法華経の第二に云はく「無智の人の中にして此の経を説くこと莫れ」と。同じき第四に云はく「分布して妄りに人に授与すべからず」と。同じき第五に云はく「此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり、諸経の中に於て最も其の上に在り、長夜に守護して妄りに宣説せざれ」等云云。此等の経文は機にあらずば説かざれというかいかん。 |
尋ねていわく、法華経の第二巻、譬喩品第三には「無智の人のなかにおいて、この経を説いてはならない」とあり、同じく法華経の第四巻、法師品第十には「この経を分布して妄りに授与してはならない」と。また同じく法華経の第五、安楽行品第十四には「この法華経は諸仏如来の秘密の蔵であり、諸経の中において、もっともその上にあり。ゆえに長夜に守護して妄りに宣説してはならない」とある。このように説いてあるのは、相手が法華経を聞く機根でなければ説いてはならないということではないか。どうであろうか。 | |
| 今反詰して云はく、不軽品に云はく「而も是の言を作さく、我深く汝等を敬ふ等云云。四衆の中に瞋恚を生じ心不浄なる者有り。悪口罵詈して言はく、是の無智の比丘」と。又云はく「衆人或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云。勧持品に云はく「諸の無智の人の悪口罵詈等し、及び刀杖を加ふる者有らん」云云。此等の経文は悪口罵詈乃至打擲すれどもととかれて候は、説く人の失となりけるか。 |
今その疑問に対して反詰していわく。同じく、法華経の不軽品には「不軽菩薩が会う人ごとに我れ深く汝を敬うと礼拝した。これに対し四衆の中には不軽菩薩に対して瞋恚を生じ、心が不浄な者があり、不軽を悪口罵詈して無智の比丘だといい、又衆人は杖木瓦石をもって不軽菩薩を打ち迫害した」とあり、また勧持品には「仏の滅後に、この経を弘めるならば、多くの無智の人が悪口罵詈等し、および刀杖を加えて迫害する者があるであろう」と説かれている。これらの経文は悪口罵詈され刀や杖で打ち斬られても強いて法を説けといっている。相手が信じないからといって、どうして説法者の失となるであろうか。 |
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| 求めて云はく、此の両説は水火なり。いかんが心うべき。答へて云はく、天台云はく「時に適ふのみ」と。章安云はく「取捨宣しきを得て一向にすべからず」等云云。釈の心は、或時は謗じぬべきにはしばらくとかず、或時は謗ずとも強ひて説くべし、或時は一機は信ずべくとも万機謗ずべくばとくべからず、或時は万機一同に謗ずとも強ひて説くべし。 |
求めていう。その両説は水火のごとく相容れないものであるが、どのようにこれを心得ていたらよいのであろうか。 答えていう。天台は「時に適うのみ」といって、摂受を行ずるか折伏を行ずるかは、時代によって異なると説き、章安は「取捨宜しきを得て、一向にしてはならない」といっている。すなわち、この釈の心は、ある時は謗ずるならば、しばらく説かないでいる。ある時はどんなに誹謗しても強いて説き聞かせる。またある時は、わずかに一機が信じても、万機が謗るならば説いてはならない。ある時は万機が一同に謗っても強いて説くべきである。このように摂受と折伏とは、時によって異なるとの意である。 |
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| 初成道の時は法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵・文殊・普賢・弥勒・解脱月等の大菩薩、梵・帝・四天等の凡夫大根性の者かずをしらず。鹿野苑の苑には倶隣等の五人、迦葉等の二百五十人、舎利弗等の二百五十人、八万の諸天、方等大会の儀式には世尊の慈父の浄飯大王ねんごろに恋せさせ給ひしかば、 | さて、釈尊の初成道・華厳経の説法の時には、法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵・文殊・普賢・弥勒・解脱月等の大菩薩を初めとして、梵天・帝釈・四天王等の諸天や、凡夫・大根性の者が数知れず集まっていた。また阿含経を説いた鹿野苑の苑には、倶鄰等の五人の比丘・迦葉等の二百五十人・舎利弗等の二百五十人・八万の諸天が集まってきた。またついで説かれた方等大会の儀式には、釈迦牟尼世尊の慈父たる浄飯大王が、ねんごろに仏を恋い慕われたので、 | |
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(★836㌻) 仏宮に入らせ給ひて観仏三昧経をとかせ給ひ、悲母の御ために忉利天に九十日が間篭らせ給ひしには摩耶経をとかせ給ふ。慈父悲母なんどにはいかなる秘法か惜しませ給ふべき。なれども法華経をば説かせ給はず。せんずるところ機にはよらず、時いたらざればいかにもとかせ給はぬにや。 |
仏は王宮にお入りになったが、観仏三昧経を御説きになっている。また悲母のためには、忉利天に九十日の間こもらせたまいて、摩耶経をお説きになった。自分の慈父・悲母のためならば、どんな大法をも惜しむわけないであろう。しかれども、法華経をお説きにならなかったのである。 結局のところ、爾前経の間は、大菩薩や声聞や諸天や両親にさえ、法華経を説かなかったということは、仏の説法というものが、衆生の機根によって差別されるのではなくて、法華経を説くべき時がいまだかなかったゆえである。 |
| 問うて云はく、何なる時にか小乗権経をとき、何なる時にか法華経を説くべきや。答へて云はく、十信の菩薩より等覚の大士にいたるまで、時と機とをば相知りがたき事なり。何に況んや我等は凡夫なり。いかでか時機をしるべき。求めて云はく、すこしも知る事あるべからざるか。答へて云はく、仏眼をかって時機をかんがへよ。仏日を用て国をてらせ。 |
問うていう。仏教は時によるというが、しからば、どのような時に小乗教や権大乗を説き、どのような時に法華経を説くのであるか。 答えていう。下は十信の菩薩から上は等覚の大菩薩にいたるまで、時と機とをば知り難いのである。ましてわれらは凡夫であるから、どうして時機を知ることができようか。 問うていう。少しも知ることができないのか。 答えていう。仏眼たる経文を借りて時機をかんがえよ。衆生の闇をはっきりと照らす仏日を用いて国土を照らしてみよ。そうすれば、はっきりわかることである。 |
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| 問うて云はく、其の心如何。答へて云はく、大集経に大覚世尊、月蔵菩薩に対して未来の時を定め給えり。所謂我が滅度の後の五百歳の中には解脱堅固、次の五百年には禅定堅固已上一千年、次の五百年には読誦多聞堅固、次の五百年には多造塔寺堅固已上二千年、次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん等云云。此の五の五百歳、二千五百余年に人々の料簡さまざまなり。 |
問うていう。それはどういう意味なのか。 答えていう。釈迦仏は大集経において月蔵菩薩に対して未来の時を定めている。それによれば釈迦滅度の日から最初の五百年は解脱堅固であって、仏教を修行しては皆よく解脱することができる。 次の第二の五百年は禅定堅固であって、修行しては盛んに禅定に入る時代となる。已上一千年である。次に第三の五百年は読誦多聞堅固であって、経典をよく読み誦し多く聞くことが盛んとなる。次に第四の五百年は多造搭寺堅固であって、多くの塔寺を盛んに造立する時代となる。已上二千年である。さて次に第五の五百年はわが仏法の中において闘諍言訟が盛となり、闘諍に明け暮れ善法である白法が隠没してしまうであろうと予言している。ところがこの第五の五百年・二千五百余年について人々の料簡がさまざまである。 |
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| 漢土の道綽禅師が云はく、正像二千、四箇の五百歳には小乗と大乗との白法盛んなるべし。末法に入っては彼等の白法皆消滅して、浄土の法門念仏の白法を修行せん人計り生死をはなるべし。 | 中国の道綽禅師がいうには正像二千年・四箇の五百歳には小乗と大乗の白法が盛んに流通するが、末法に入っては彼等の白法が皆消滅して浄土の法門たる念仏の白法を修行する人ばかりが生死が離れるであろう。 | |
| 日本国の法然が料簡して云はく、今日本国に流布する法華経・華厳経並びに大日経・諸の小乗経、天台・真言・律等の諸宗は、大集経の記文の正像二千年の白法なり。末法に入っては彼等の白法は皆滅尽すべし。設ひ行ずる人ありとも一人も生死をはなるべからず。 |
日本の法然が料簡していうには、今、日本国に流布するところの法華経・華厳経を初め大日経や諸の小乗教、天台・真言・律等の諸宗は大集経の予言に記された正像二千年の白法である。 末法に入っては彼等の白法は皆滅尽するであろう。たとえ行ずる人はあっても一人も生死を離れることはできない。 |
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| 十住毘婆沙論と曇鸞法師の難行道、道綽の未有一人得者、善導の千中無一これなり。彼等の白法隠没の次には浄土の三部経・弥陀称名の一行計り大白法として出現すべし。此を行ぜん人々はいかなる悪人愚人なりとも、十即十生・百即百生、唯浄土の一門のみ有って通入すべき路なりとはこれなり。 |
竜樹菩薩の十住毘婆沙論と曇鸞法師の言っている難行道というのがこれであり、道綽は念仏以外の教えではいまだ一人も得者する者がないといい、善導が千人の中に一人も成仏できないといっているのもこの意である。 彼等の白法が隠没して終わった次には浄土の三部経・阿弥陀の名号を称えるわが念仏の一行ばかりが大白法として出現するのである。 これを修行する人々はいかなる悪人・愚人であっても、十即十生・百即百生であって、ことごとく極楽浄土へ往生することができる。すなわち浄土の一門のみあって路に通入すべしというのである。 |
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されば後世を願はん人々は叡山・東寺・園城・七大寺等の日本一州の諸寺諸山の御帰依をとゞめて、彼の寺山によせをける田畠郡郷を奪いとて念仏堂につけば、 (★837㌻) 決定往生南無阿弥陀仏とすゝめければ、我が朝一同に其の義になりて今に五十余年なり。 |
されば後世を願う人々は、比叡山、東寺、石山寺、七大寺等の日本一州の諸寺や諸山の御帰依をやめてさらに彼の寺山に寄進した田畠郡郷を奪い取り念仏堂へ寄進するならば 決定往生疑いなし。ただひたすら南無阿弥陀仏と唱えよとすすめたのである。我が日本国は一同に其の義に染まって今に五十余年となる。 |
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| 日蓮此等の悪義を難じやぶる事は事ふり候ひぬ。彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳当世なる事は疑ひなし。但し彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の、一閻浮提の内に八万の国あり、其の国々に八万の王あり、王々ごとに臣下並びに万民までも、今日本国に弥陀称名を四衆の口々に唱ふるがごとく、広宣流布せさせ給ふべきなり。 |
日蓮はまた立宗以来この念仏の悪義を難じ破りつづけて年月を経ている。彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳であり、今日・当世であることには疑いがない。 ただし彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる寿量品文底の南無妙法蓮華経こそ大白法として広宣流布する。 一閻浮提の内に八万の国があり其の国々に八万の王がありこれらの王が全部・また王の臣下・万民までも、ことごとく今日本国に弥陀の称名を口々に唱うるごとく南無妙法蓮華経が広宣流布するのである。 |
| 問うて云はく、其の証文如何。答へて云はく、法華経の第七に云はく「我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶せしむること無けん」等云云。経文は大集経の白法隠没の次の時をとかせ給ふに、広宣流布と云云。 |
問うていう。第五の五百歳白法隠没の次には、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経が広宣流布するという経文はどこにあるのか。 答えていう。法華経の第七薬王品には「我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して、閻浮提に於て断絶することがないであろう」と。このように経文には大集経の白法隠没の次の時を示して広宣流布といっている。 |
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| 同第六の巻に云はく「悪世末法の時、能く是の経を持たん者は」等云云。又第五の巻に云はく「後の末世の法滅せんと欲する時に於て」等。又第四の巻に云はく「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し、況んや滅度の後をや」と。又第五の卷に云はく「一切世間に怨多くして信じ難し」と。又第七の巻に第五の五百歳闘諍堅固の時を説いて云はく「悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等其の便りを得るなり」と。大集経に云はく「我が法の中に於て闘諍言訟せん」等云云。法華経の第五に云はく「悪世の中の比丘」。又云はく「或は阿蘭若に有り」等云云。又云はく「悪鬼其の身に入る」等云云。 |
同第六の巻分別功徳品には「悪世末法の時能く是の経を持つ者」とある。 また第五の巻安楽行品には「後の末世の法が滅せんとする時」とある。 また第四の巻法師品には「而も此の法華経は如来の現在にすらなお怨嫉が多いいわんや滅度の後には、さらに大怨嫉が競い起こるであろう」と。 また第五の巻安楽行品には「一切世間に怨が多くて信じ難い」と。 また第七の巻薬王品第二十三には、第五の五百歳・闘諍堅固の世相を説いていわく「悪魔や魔民や諸の天竜・夜叉・鳩槃荼等が其の便を得て悩ますであろう」と。 大集経にいわく「我が仏法の中に於て互いに闘諍言訟するであろう」と。 法華経の第五勧持品には「悪世の中の比丘」とか「或は閑静の処に居て悪事をたくらむ」とか、「悪鬼が其の身に入って正法の行者に迫害を加えるであろう」等と、末法の世相を説いている。 |
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| 文の心は第五の五百歳の時、悪鬼の身に入れる大僧等国中に充満せん。其の時に智人一人出現せん。彼の悪鬼の入れる大僧等、時の王臣・万民等を語らひて、悪口罵詈、杖木瓦礫、流罪死罪に行なはん時、釈迦・多宝・十方の諸仏、地涌の大菩薩らに仰せつけ、大菩薩は梵・帝・日月・四天等に申しくだされ、其の時天変地夭盛んなるべし。国主等其のいさめを用ひずば、隣国にをほせつけて彼々の国々の悪王悪比丘等をせめらるゝならば、前代未聞の大闘諍一閻浮提に起こるべし。 |
さて、これらの諸文の意は、次のような次第を説いているのである。すなわち、第一に勘持品に示すごとく、第五の五百歳の時・白法穏没の時、悪鬼がその身に入ったところの高僧名僧が出現する。 第二にその時に智人が一人出現出現する。これは「悪世末法の時能く此の経を持つ者」に当たり、すなわち地涌の菩薩である。 第三に、彼の悪鬼の身に入る大僧等が、時の王臣・万民等を語らいて、一人の智人を悪口罵詈し杖木瓦礫を加え流罪死罪に行なうであろうと。これすなわち「況や滅度の後をや」に当たる。 第四に、その時は釈迦・多宝・十方の諸仏が地涌の大菩薩に仰せつけ大菩薩はまた梵帝・日月・四天等に申し下されて、その謗法を責めるから天変・地夭が盛んに起こるであろう。それでも国主等が其のいさめを用いないで謗る法をつづけるならば、隣国に仰せつけてを彼彼の国国の悪王・悪比丘等をせめらるるならば、前代未聞の大闘諍が一閻浮提に起こるであろう。これすなわち大集経の「闘諍堅固」の文にあたる。 |
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其の時日月所照の四天下の一切衆生、或は国ををしみ、或は身ををしむゆへに、一切の仏菩薩にいのりをかくともしるしなくば、彼のにくみつる一の小僧を信じて、無量の大僧等、八万の大王等、一切の万民、 (★838㌻) 皆頭を地につけ掌を合はせて一同に南無妙法蓮華経ととなうべし。 |
第五に、その時に日月所照の四天下の一切衆生は、この大闘争に襲われて、あるいはわが身を惜しむゆえに、一切の仏菩薩にいのりをかけるとも、一向にそのしるしがなく、ますます不幸のどん底に沈むならば、ついに彼の憎んでいた一の小僧を信じて、無量の大僧・八万の大王・一切の万民等ことごとく頭を地につけ、掌を合せて一同に南無妙法蓮華経と唱うるであろう。すなわち「後の五百歳広宣流布」の文意である。 | |
| 例せば神力品の十神力の時、十方世界の一切衆生一人もなく娑婆世界に向かって大音声をはなちて、南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と一同にさけびしがごとし。 | 例せば神力品の十神力の時、十方世界の一切衆生が、一人も残らず娑婆世界に向って大音声をはなち、南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と一同に叫んだのと同じである。 |
| 問うて云はく、経文は分明に候。天台・妙楽・伝教等の未来記の言はありや。答へて云はく、汝が不審逆さまなり。釈を引かん時こそ経論はいかにとは不審せられたれ。経文に分明ならば釈を尋ぬべからず。さて釈の文、経に相違せば経をすてゝ釈につくべきか如何。 |
問う。末法に三大秘法が広宣流布するとの経文は、実に分明であることがわかった。それでは天台・妙楽・伝教等の未来を予言したことばがあるかどうか。 答う。汝の疑問は反対である。釈を引いて話を進めた時には、経論にそのようなことが、説かれているかどうかを反論するのが当然であるけれども、経文に分明であるならば、いまさら釈を尋ねる必要はないのである。もし釈を尋ね、釈の文が経文と相違した場合に、経を捨てて釈につくかどうか。決局、仏法はどこまでも経文を基本とすべきである。 |
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| 彼云はく、道理至極せり。しかれども凡夫の習ひ、経は遠し釈は近し。近き釈分明ならば、いますこし信心をますべし。今云はく、汝が不審ねんごろなれば少々釈をいだすべし。 | 彼がさらに質問していうには、なるほど経文を基となすというその道理は至極の道理である。しかし凡夫の習いとして、経は幽玄の奥義を明かしているから解することが容易でないけれども、釈はその経文を解釈したものであるから、もっと身近かである。その身近かの釈が分明になるならば、もう少し信心を増すことができるであろう。どうか説いて欲しい。今答えていう。汝の不審はなかなか、ねんごろであるから、少々釈を出して聞かせよう。 | |
| 天台大師云はく「後の五百歳遠く妙道に沾はん」と。妙楽大師云はく「末法の初め冥利無きにあらず」と。伝教大師云はく「正像稍過ぎ已はって末法太だ近きに有り、法華一乗の機今正しく是其の時なり。何を以て知ることを得ん。安楽行品に云はく、末世法滅の時なり」と。 |
天台大師いわく「後の五百歳、すなわち末法の始めから遠く尽未来際にいたるまで三大秘法の妙法が流布し一切衆生が即身成仏するであろう」と。 妙楽大師いわく「末法の初めは直達正観の南無妙法蓮華経が流布して下種の大利益を得るであろう」と。 伝教大師いわく「正像二千年はほとんど過ぎおわって末法がはなはだ近づいている。法華一乗の機は今正しくこれその時であり、一切衆生はことごとく即身成仏する時期である。何をもってこれを知ることができるかといえば、安楽行品に法華経流布の時代を末法法滅の時と予言しているからである」と。 |
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| 又云はく「代を語れば則ち像の終はり末の初め、地を尋ぬれば唐の東・羯の西、人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり、経に云はく、猶多怨嫉況滅度後と、此の言良に以有るなり」云々。 |
またいわく「法華経流布の時代は像法の終わり末法の初めであり、その流布する国土は中国の東、カムチャッカの西、すなわち日本であり、その時代の衆生は五濁が強盛な闘諍堅固の時である。法華経法師品第十に、如来の現在すら猶怨嫉が多く況や滅度の後をやと予言している語は、実に深い理由のある言葉である」と。 |
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| 夫釈尊の出世は住劫第九の減、人寿百歳の時なり。百歳と十歳との中間在世五十年滅後二千年と一万年となり。其の中間に法華経の流布の時二度あるべし。所謂在世の八年、滅後には末法の始めの五百年なり。 | 釈尊の出世は住劫第九の減、人間の平均寿命が百歳の時であった。この百歳から百年に一歳を減じて人寿の十歳にいたるまでの間というものは、釈尊の在世五十年と滅後正法像法の二千年と末法一万年とに区別される。その中間に法華経流布の時が二度ある。いわゆる釈尊在世に法華経を説いた八年間と、滅後には末法の初めの五百年の二度である。 | |
| 而るに天台・妙楽・伝教等は進んでは在世法華の御時にももれさせ給ひぬ。退いては滅後末法の時にも生まれさせ給はず。中間なる事をなげかせ給ひて末法の始めをこひさせ給ふ御筆なり。 | しかるに天台・妙楽・伝教等の人たちはそれ以前の釈迦在世の法華経説法の時に生まれあわないし、またより滅後末法の時にも生まれあわないので、その中間に自分が生まれたことをなげき末法の始めを恋い慕ってこのように書いているのである。 | |
| 例せば阿私陀仙人が悉達太子の生まれさせ給ひしを見て悲しんで云はく、現生には九十にあまれり、太子の成道を見るべからず、後生には無色界に生まれて五十年の説法の座にもつらなるべからず、正像末にも生まるべからずとなげきしがごとし。 | このように自分の生まれた時が、すでに聖人の在世と前後して終わったことを歎いた例としては、阿私陀仙人は悉達太子の生まれたのを見て悲しんでうには、自分は現在九十余歳になり、太子が仏道を成ずるまで生きておれないし、また後生には無色界に生まれてこられないので、まったく仏の説法に縁をもつことができないと、歎いたようなものである。 | |
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道心あらん人々は此を見きゝて悦ばせ給へ。正像二千年の大王よりも、後世ををもはん人々は、末法の今の民にてこそあるべけれ。此を信ぜざらんや。彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱ふる癩人とはなるべし。 |
道を求めようと願う心のある人々はこの事実を見聞して悦びたまえ。正像二千年の大王と生まれるよりは、後世の成仏を念願する人は、末法の今の万民であり、無智の大衆であった方が、即身成仏の機会を与えられているのである。どうして、これを信じないでいられようか。 彼の天台の座主として、像法時代の仏法の最高権威者であった者よりも、末法において南無妙法蓮華経と唱える癩病人となるべきである。 |
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(★839㌻) 梁の武帝の願に云はく「寧ろ提婆達多となて無間地獄には沈むとも、欝頭羅弗とはならじ」云云。 |
梁の武帝の発願の文には「寧ろ提婆達多となって無間地獄に沈むとも、法華経に遭って即身成仏できることを喜ぶか、たとえ天界に生まれるとも欝頭羅弗外道のように成仏できないことを欲しない」とある。 |
| 問うて云はく、竜樹・天親等の論師の中に此の義ありや。答へて云はく、竜樹・天親等は内心には存ぜさせ給ふとはいえども、言には此の義を宣べ給はず。求めて云はく、いかなる故にか宣べ給はざるや。答へて云はく、多くの故あり。一には彼の時には機なし、二には時なし、三には迹化なれば付嘱せられ給はず。 |
問うていう。経文ならびに天台・伝教の未来記によって、末法に三大秘法が広宣流布するとの意は明らかになったが、竜樹・天親の論師の中に、この義が明らかかどうか。答えていう。竜樹・天親は内心にはそのことを知ってはいたが、言葉にはこの義を宣べていない。 求めていう。いかなる理由によって宣べ給わないのか。答えていう。多くの理由があり、竜樹・天親の時代には、一には機なく、二には時なく、三には迹化の菩薩であるから、法華経の付属を受けておらないからである。 |
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| 求めて云はく、願はくは此の事よくよくきかんとをもう。答へて云はく、夫仏の滅後二月十六日よりは正法の始めなり。迦葉尊者仏の付嘱をうけて二十年、次に阿難尊者二十年、次に商那和修二十年、次に優婆崛多二十年、次に提多迦二十年、已上一百年が間は但小乗経の法門をのみ弘通して、諸大乗経は名字もなし。何に況んや法華経をひろむべしや。 |
求めていう。願わくは、それらの事情をよくよく聞きたいと思う。 答えていう。仏の滅後二月十六日から正法時代の始めである。 まず迦葉尊者が仏の付嘱をうけて二十年、次に阿難尊者が二十年、次に商那和修が二十年、次に優婆崛多が二十年、次に提多迦が二十年、以上、百年の間は但小乗経の法門をのみを弘通して、諸大乗経はその名字すらいい出すものがなかった。まして実大乗教の法華経がひろめられるわけがなかった。 |
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| 次には弥遮迦・仏陀難提・仏駄密多・脇比丘・富那奢等の四・五人、前の五百余年が間は大乗経の法門少々出来せしかども、とりたてゝ弘通し給はず、但小乗経を面としてやみぬ。已上大集経の先の五百年、解脱堅固の時なり。 |
次に仏滅後百年から五百年の間には、弥遮迦、仏陀難提、仏駄密多、脇比丘、富那奢等の四、五人が、それぞれ正法を弘通したが、この期間は大乗経の法門が少々あらわれてきたけれども、とり立てて弘通することがなく、ただ小乗教を面として諸国に流布させていた。 以上、五百年は大集経の第一の五百歳、解脱堅固の時代である。 |
| 正法の後の六百年已後一千年が前、其の中間に馬鳴菩薩・毘羅尊者・竜樹菩薩・提婆菩薩・羅・尊者・僧伽難提・僧伽耶奢・鳩摩羅駄・闍夜那・盤陀・摩奴羅・鶴勒夜那・師子等の十余人の人々、始めには外道の家に入り、次には小乗経をきわめ、後には諸大乗経をもて諸小乗経をさんざんに破し失ひ給ひき。 | 正法の後六百年以後一千年までの五百年間は、馬鳴菩薩・毘羅尊者・竜樹菩薩・提婆菩薩・羅喉尊者・僧伽難提・僧伽耶奢・鳩摩羅駄・闍夜那・盤陀・摩奴羅・鶴勒夜那・師子等の十余人の人々が、始めは外道を学び、次に小乗経をきわめて、後には諸大乗経をもて諸小乗経をさんざんに打ち破っている。 | |
| 此等の大士等は諸大乗経をもって諸小乗経をば破せさせ給ひしかども、諸大乗経と法華経の勝劣をば分明にかゝせ給はず。設ひ勝劣をすこしかゝせ給ひたるやうなれども、本迹の十妙・二乗作仏・久遠実成・已今当の妙・百界千如・一念三千の肝要の法門は分明ならず。 |
しかし、これらの諸大菩薩たちは、大乗経をもつて小乗経を破ったけれども、諸大乗経と法華経の勝劣は分明に説いてはいない。 すなわち、大小相対をたてたのみで、権実の相対は立てなかった。たとえ少しは権実の勝劣を書いているようではあっても、法華経の肝要たる本迹の十妙・迹門の二乗作仏・本門の久遠実成・已今当最為第一の妙・百界千如・一念三千等の法門は分明に説いていない。 |
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| 但或は指をもって月をさすがごとくし、或は文にあたりてひとはし計りかゝせ給ひて、化道の始終・師弟の遠近・得道の有無はすべて一分もみへず。此等は正法の後の五百年、大集経の禅定堅固の時にあたれり。 |
単にあるいは指をもって月を指すごとくし、あるいは文に当たってその一端書いているのみで、化導の始終・師弟の遠近・法華経の即身成仏・爾前教の無得道はすべて一分も説いていない。 此等は正法の後の五百年で、大集経の禅定堅固に当たる時代であった。 |
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正法一千年の後は月氏に仏法充満せしかども、或は小をもて大を破し、或は権経をもって実教を隠没し、仏法さまざまに乱れしかば得道の人やうやく少なく、 (★840㌻) 仏法につけて悪道に堕つる者かずをしらず。 |
正法時代一千年を過ぎた後には、インドに仏法が充満していたけれども、あるいは小乗をもって大乗を破り、あるいは権経をもって実経を隠没し、仏法がさまざまに乱れたので、得道する者は漸く少なくなり、仏法によって悪道に堕ちる者が数知れず多くなった。 | |
| 正法一千年の後、像法に入って一十五年と申せしに、仏法東に流れて漢土に入りにき。像法の前五百年の内、始めの一百余年が間は漢土の道士と月氏の仏法と諍論していまだ事定まらず。設ひ定まりたりしかども仏法を信ずる人の心いまだふかゝらず。 | 正法一千年すぎて、像法時代に入って十五年目に、仏法が東に流伝して漢土へわたってきた。像法の前五百年の内、初めの百年の間は、中国の道士とインドの仏法との諍論が激しく戦われていて、いまだいずれが真実か決定しかねていた。たとえ仏法が真実であると決定しても、これを信ずる人の心がいまだ深くなかった。 | |
| 而るに仏法の中に大小・権実・顕密をわかつならば、聖教一同ならざる故、疑ひをこりて、かへりて外典とともなう者もありぬべし。これらのをそれあるかのゆへに摩騰・竺蘭は自らは知って而も大小を分かたず、権実をいはずしてやみぬ。 |
こういう状態であったから、仏法の中にも大乗小乗の別、権経実経の別、顕教密教の区別があるなどと立て分けるならば、同じ仏教の中にも相違があるので疑いを起してかえって仏教を捨てて外道につく者が出てくる。 このような恐れがあったから、最初に仏教を流伝した摩騰、竺蘭は自分では知っていたけれども、大小とか権実の立て分けは何もいわないでいた。 |
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| 其の後、魏・晋・宋・斉・梁の五代が間仏法の内に大小・権実・顕密をあらそひし程に、いづれこそ道理ともきこえずして、上一人より下万民にいたるまで不審すくなからず。 | その後.・魏・晋・斉・宋・梁の五代の間、仏法の中で大小・権実・顕密をがたがいに争ったところ、おのおのの流派を生ずるばかりで、いずれが正当だとも決定することができないので、上一人より下万民にいたるまで仏法に対して不審の念が多くなった。 | |
| 南三北七と申して仏法十流にわかれぬ。所謂南には三時・四時・五時、北には五時・半満・四宗・五宗・六宗・二宗の大乗・一音等、各々義を立てゝ辺執水火なり。しかれども大綱は一同なり。所謂一代聖教の中には華厳経第一、涅槃経第二、法華経第三なり。法華経は阿含・般若・浄名・思益等の経々に対すれば真実なり、了義経・正見なり。しかりといえども涅槃経に対すれば無常教・不了義経・邪見の経等云云。 |
この間に南三・北七といって仏法が十派に分裂していた。すなわち南には三時・四時・五時とそれぞれの教判を立てる三派が生まれ、北には五時・半満・四宗・五宗・六宗・二宗の大乗・一音等それぞれの判教のもとに流義をたて、たがいに辺執して、その主張も水火のごとく相容れないものであった。 しかれどもこれらの十派の主張する大綱は同じであった。 すなわち一代聖教の中には華厳経第一、涅槃経第二、法華経第三と立てた。 法華経は阿含や般若や浄名や思益等の経々に相対すれば真実であり了義経であり、正見であるけれども、涅槃経に対すれば無常経・不了義経・邪見の経であるといい、さらに涅槃よりも華厳が勝ちれていると主張していた。 |
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| 漢より四百余年の末、五百年に入って陳隋二代に智顗と申す小僧一人あり。後には天台智者大師と号したてまつる。南北の邪義をやぶりて一代聖教の中には法華経第一、涅槃経第二、華厳経は第三なり等云云。此れ像法の前の五百歳、大集経の読誦多聞堅固の時にあひあたれり。 |
漢の時代から四百余年の末五百年に入って陳隋二代にわたるころ、智顗と申す小僧があった。後には天台智者大師と号したてまつった。 この天台大師は、五時八教をたて、南北十派の邪義を破って、一代聖教の中には法華経第一、涅槃経第二、華厳経第三と立て、釈迦仏出世の本懐たる法華経を広宣流布した。 これは像法の前半五百年のことであり、大集経の読誦多聞堅固の時に当たる時代であった。 |
| 像法の後の五百歳は唐の始め太宗皇帝の御宇に玄奘三蔵、月支に入って十九年が間、百三十箇国の寺塔を見聞して多くの論師に値ひたてまつりて、八万聖教十二部経の淵底を習ひきわめしに、其の中に二宗あり、所謂法相宗・三論宗なり。 | 像法時代の後半の五百年について述べよう。中国では唐の初めであり、太宗皇帝の時であった。玄奘三蔵は貞観三年に出発してインドの大旅行にたち、十九年(十七年説もあり)が間、百三十箇国の寺塔を見聞して多くの論師に値いたてまつり、八万聖教・十二部経といわれる一代仏教の奥底をきわめた。そのなかに法相宗と三論宗という大乗の二宗があった。 | |
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此の二宗の中に法相大乗は遠くは弥勒・無著、近くは戒賢論師に伝へて、漢土にかへりて太宗皇帝にさづけさせ給ふ。此の宗の心は、仏教は機に随ふべし、一乗の機のためには三乗方便・一乗真実なり、 (★841㌻) 所謂法華経等なり、三乗の機のためには三乗真実・一乗方便、所謂深密経・勝鬘経等此なり。 |
この二宗の中で法相大乗宗というのは、遠くは弥勒菩薩が降臨して説いた法を無著菩薩がひろめたといわれ、当時は戒賢論師にまで伝えられていた。 玄奘三蔵は戒賢論師からこの法相宗を習い伝えて中国へ帰り太宗皇帝にさづけたのである。 この法相宗の精神は、仏教は衆生の機根に従うべきであるという。ゆえにすぐ成仏できる一乗の機根の衆生には、三乗の説法が方便であって、一乗の説法が真実である。これは法華経等である。これとは逆に三乗の機根の衆生のためには、三乗の説法が真実であり、一乗の説法は方便である。これは深密経・勝鬘経等である。 |
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| 天台智者等は此の旨を弁へず等云云。而も太宗は賢王なり。当時名を一天にひゞかすのみならず、三皇にもこえ五帝にも勝れたるよし四海にひゞき、漢土を手ににぎるのみならず、高昌・高麗等の一千八百余国をなびかし、内外を極めたる王ときこえし賢王の第一の御帰依の僧なり。天台宗の学者の中にも頚をさしいだす人一人もなし。而れば法華経の実義すでに一国に隠没しぬ。 |
天台智者大師はこの旨をわきまえないで、法華経のみが即身成仏・真実得道の経典であるといっているが、天台は誤りである等の議論を立てているのが法相宗である。 しかも太宗皇帝は賢王である。当時はその名を天下にひびかすのみならず、三皇・五帝よりも勝れているとたたえられて、その名は四海に鳴りひびいていた。 中国全土を平定したのみか、西はインドとの国境である高昌まで、東の方は高麗までの一千八百余国をなびかし、その勢威は内外に仰がれた賢王であった。 玄奘三蔵は実にこの王の帰依を受けていたのである。ゆえに天台宗の学者の中にも、頭をさしだす人は一人もいない。そして法華経の実義は、すでに一国に隠没してしまった。 |
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| 同じき太宗の太子高宗、高宗の継母則天皇后の御宇に法蔵法師と云ふ者あり。法相宗に天台宗のをそわるゝところを見て、前に天台の御時せめられし華厳経を取り出だして、一代の中には華厳第一、法華第二、涅槃第三と立てけり。 |
同じく、この太宗の太子の高宗および高宗の継母である則天皇后の時代に法蔵法師という者があった。 天台宗が法相宗に襲われているのを見て、前に天台の時に破られた華厳経を取出して、華厳第一、法華第二、涅槃第三と立てた。 |
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| 太宗第四代玄宗皇帝の御宇、開元四年と同八年に、西天印度より善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵、大日経・金剛頂経・蘇悉地経を持て渡り真言宗を立つ。此の宗の立義に云はく、教に二種あり、一には釈迦の顕教、所謂華厳・法華等。二には大日の密教、所謂大日経等なり。法華経は顕教の第一なり。此の経は大日の密教に対すれば極理は少し同じけれども、事相の印契と真言とはたえてみへず。三密相応せざれば不了義経等云云。 |
太宗の第四代、玄宗皇帝の御時、開元四年八年に西インドから善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵のいわゆる三三蔵が大日経・金剛頂経・蘇悉地経を持ってきて真言宗を立てた。 この宗の立義によれば、教には二種類あって、一には釈迦の顕教であり、いわゆる華厳・法華である。二には大日如来の密教で、いわゆる大日経等である。 法華経は顕教の中では第一ではあるが、大日の密教に対すれば、極理は少し同じであるけれども、事相の印契と真言とは法華経にまったく説かれていない。 ゆえに法華は身・口・意の三密が相応していないから不了義経である。 |
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| 已上法相・華厳・真言の三宗一同に天台法華宗をやぶれども、天台大師程の智人法華宗の中になかりけるかの間、内々はゆはれなき由は存じけれども、天台のごとく公場にして論ぜられざりければ、上国王大臣、下一切の人民にいたるまで、皆仏法に迷ひて衆生の得道みなとゞまりけり。此等は像法の後の五百年の前二百余年が内なり。 |
以上のように、法相・華厳・真言の三宗は一同に天台法華宗を破って各自の邪義を立てたけれども、天台大師ほどの智人が法華宗の中にいなかった。 内々はこれらの邪義はいわれのないものだと知っていたけれども、天台のように公場で論じなかったので、上は国王・大臣より下はいっさいの人民にいたるまで、皆、仏法に迷いて衆生の得道みなとどまってしまった。 これらの事件は像法の後の五百年の初めの二百年、仏滅後千七百年のころであった。 |
| 像法に入って四百余年と申しけるに、百済国より一切経並びに教主釈尊の木像・僧尼等日本国にわたる。漢土の梁の末、陳の始めにあひあたる。日本には神武天王よりは第三十代、欽明天王の御宇なり。 |
像法に入って四百余年過ぎたころ、百済国から一切経および教主釈尊の木像・僧尼等が日本へ渡ってきた。 このころの中国は梁の末で陳の初め、すなわち天台大師の時代であった。日本では神武天皇から第三十代の欽明天皇の御世であった。 |
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| 欽明の御子、用明の太子に上宮王子仏法を弘通し給ふのみならず、並びに法華経・浄名経・勝鬘経を鎮護国家の法と定めさせ給ひぬ。其の後人王第三十七代に孝徳天王の御宇に三論宗・成実宗を観勒僧正百済国よりわたす。 |
欽明の御子・用明天皇の太子に上宮太子(聖徳太子)があって、大いに仏法を弘通する上に法華経・浄名経・勝鬘経を鎮護国家の法と定められた。 その後、第三十七代に孝徳天皇の御世に、三論宗と成実宗を観勒僧正が百済国より渡した。 |
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(★842㌻) 同じき御代に道昭法師漢土より法相宗・倶舎宗をわたす。人王第四十四代元正天王の御宇に天竺より大日経をわたして有りしかども、而も弘通せずして漢土へかへる。此の僧をば善無畏三蔵という。 |
同時代に道昭法師は中国から法相宗と倶舎宗を渡した。 第四十四代の元正天皇の御代には、インドから大日経を持ってきたが、弘通しないで帰った僧がある。それは善無畏三蔵であった。 |
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| 人王第四十五代に聖武天王の御宇に、審祥大徳新羅国より華厳宗をわたして、良弁僧正聖武天王にさづけたてまつりて、東大寺の大仏を立てさせ給えり。同じき御代に大唐の鑑真和尚天台宗と律宗をわたす。其の中に律宗をば弘通し、小乗の戒場を東大寺に建立せしかども、法華宗の事をば名字をも申し出ださせ給はずして入滅し了んぬ。 |
第四十五代聖武天皇の御代に、審祥大徳は、新羅国から華厳宗を渡して良弁僧正・聖武天王に授けて東大寺の大仏を建立した。 同時代に唐から鑒真和尚が天台宗と律宗を渡したが、律宗のみを弘通し、小乗の戒壇を東大寺に建立したけれども、法華宗の事は、名前すら出さないで入滅してしまった。 |
| 其の後人王第五十代、像法八百年に相当たって桓武天王の御宇に最澄と申す小僧出来せり。後には伝教大師と号したてまつる。始めには三論・法相・華厳・倶舎・成実・律の六宗、並びに禅宗等を行表僧正等に習学せさせ給ひし程に、我と立て給へる国昌寺、後には比叡山と号す。 |
日本に仏教が伝来し、奈良六宗ができたが、その後、人王第五十代桓武天皇の御代に最澄が出現した。 釈迦滅後千八百年、末法に入って八百年ごろの人であり、後に伝教大師と号された。最澄は、始めには三論・法相・華厳・倶舎・成実・律の六宗並びに禅宗等を、近江国崇福寺に住する行表僧正に学んでいた。その後、国昌寺(後に比叡山と号す)に住した。 |
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| 此にして六宗の本経本論と宗々の人師の釈とを引き合はせて御らむありしかば、彼の宗々の人師の釈、所依の経論に相違せる事多き上、僻見多々にして信受せん人皆悪道に堕ちぬべしとかんがへさせ給ふ。 | ここで、六宗の本経・本論と後代の人師の解釈とを引きあわせて勉強した結果、六宗の人師の解釈はその宗派の拠り所としている経文や本論に相違していることが多い上、自分勝手の誤った見解が多く、こんな邪宗を信じている人はみな悪道に堕ちると考えられた。 | |
| 其の上法華経の実義は宗々の人々我も得たり我も得たりと自讃ありしかども其の義なし。此を申すならば喧嘩出来すべし。もだして申さずば仏誓にそむきなんと、をもひわづらわせ給ひしかども、終に仏の誡めををそれて桓武皇帝に奏し給ひしかば、帝此の事ををどろかせ給ひて六宗の碩学に召し合はさせ給ふ。彼の学者等始めは慢幢山のごとし、悪心毒蛇のやうなりしかども、終に王の前にしてせめをとされ、六宗七寺一同に御弟子となりぬ。 |
その上にまた法華経の実義を各宗の人々は我も得たりと自分で自分をほめているけれども、法華経の実義などは全然説かれていない。これを最澄が事実のままにいい出すならば、宗教界が大喧嘩になってしまうだろう。 黙って誤りを見過ごしていれば、喧嘩はおこらないけれども、仏の滅後に正法を弘通するとの誓いに反することになる。最澄はこのように思いわずらわれたが、ついに仏の誡めを恐れて、桓武天皇にこのことを奏上した。天皇は今まで正しいと思っていた仏教が邪宗邪義だといわれて驚かれ、奈良六宗の大学者と最澄を召し合わせ討論せしめた。 六宗の学者たちは始めは自分を慢ずる慢幢が山のように高く、悪心が毒蛇のようだったが、ついに王の前で最澄からせめおとされ、六つの宗派の主だった七つの寺が、一つ残らず最澄の弟子となった。 |
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| 例せば漢土の南北の諸師、陳殿にして天台大師にせめをとされて御弟子となりしがごとし。此は是、円定・円慧計りなり。其の上天台大師のいまだせめ給はざりし小乗の別受戒をせめをとし、六宗の八大徳に梵網経の大乗別受戒をさづけ給ふのみならず、法華経の円頓の別受戒を叡山に建立せしかば、延暦円頓の別受戒は日本第一たるのみならず、仏の滅後一千八百余年が間身毒・尸那・一閻浮提にいまだなかりし霊山の大戒日本国に始まる。 |
たとえば、中国の南三北七といわれた十宗の諸師が、陳の国王の宮殿で天台大師にせめおとされ、天台の御弟子となったのと同じである。 しかし天台は、戒・定・慧の三学のうち円定・円慧計ばかりをひろめたのであったが、最澄は天台がまだうちやぶらなかった小乗の別受戒をせめおとし、六宗の八人の大徳に梵網経の大乗別受戒をさずけ、法華経の円頓の別受戒を授けるべき迹門の戒壇を比叡山延暦寺に建立した。 ゆえに比叡山延暦寺の円頓の別受戒は、日本第一であるのみか、釈尊滅後一千八百年間、インドにも中国にも、一閻浮提に、いまだどこにもなかった霊山の大戒、法華の大戒が日本国に始められたのである、 |
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(★843㌻) されば伝教大師は、其の功を論ずれば竜樹・天親にもこえ、天台・妙楽にも勝れてをはします聖人なり。されば日本国の当世の東寺・園城・七大寺・諸国の八宗、浄土・禅宗・律等の諸僧等、誰人か伝教大師の円戒をそむくべき。 |
されば伝教大師の功績を論ずるならば、インドでもっとも有名な竜樹・天親よりもすぐれ、中国の天台・妙楽にも勝れている聖人なのだ。 ゆえに日本国当世の東寺・園城の七大寺はもとより、諸国の八宗・浄土・禅宗・律宗等の諸僧等は、誰人か伝教大師の円戒にそむいてよいのだろうか。 |
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| かの漢土九国の諸僧等は円定・円慧は天台の弟子ににたれども、円頓一同の戒場は漢土になければ、戒にをいては弟子とならぬ者もありけん。この日本国は伝教大師の御弟子にあらざる者は外道なり悪人なり。 |
中国では九国の諸僧等が、円定と円慧ばかりは天台の弟子に似ているが、円頓の戒壇が中国には建てられなかったので、戒においてはかならずしも天台の御弟子でないものがあったであろう。 この日本国は法華経迹門の戒壇が建てられて、ことごとく伝教大師の御弟子となったからには、伝教大師の戒を受けて御弟子とならない僧は、外道であり、悪人である。 |
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| 而れども漢土日本の天台宗と真言の勝劣は大師、心中には存知せさせ給ひけれども、六宗と天台宗とのごとく公場にして勝負なかりけるゆへにや、伝教大師已後には東寺・七寺・園城の諸寺、日本一州一同に、真言宗は天台宗に勝れたりと上一人より下万人にいたるまでをぼしめしをもえり。 |
しかしながら、中国と日本の両国とも、天台宗と真言の勝劣が、だんだん、はっきりしなくなってきた。 伝教大師はこのくらいの勝劣はもとより心の中では御存知であったが、奈良の六宗と天台宗とのごとく公場において勝負をつけなかったためか、伝教大師以後には東寺・七寺・園城の諸寺をはじめ、日本一州一同に真言宗は天台宗に勝れていると、上一人より下万人にいたるまで思っている。 |
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| しかれば天台法華宗は伝教大師の御時計りにぞありける。此の伝教の御時は像法の末、大集経の多造塔寺堅固の時なり。いまだ於我法中・闘諍言訟・白法隠没の時にはあたらず。 |
しかれば天台法華宗は伝教大師の御時ばかりであった。 此の伝教の御時は像法の末であり、大集経の多造塔寺堅固の時であり、いまだ「我が法の中において闘諍言訟して白法隠没せん」と予言されている末法の時代ではなかった。 |
| 今末法に入って二百余歳、大集経の於我法中・闘諍言訟・白法隠没の時にあたれり。仏語まことならば定んで一閻浮提に闘諍起こるべき時節なり。 |
今は末法に入って二百余年になる。大集経に予言されている「我が法の中において闘諍言訟して白法隠没せん」の時にあたっている。 そして仏の予言が真実であるならば、間違いなく一閻浮提に闘諍が起こるべき時節である。 |
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| 伝へ聞く、漢土は三百六十箇国二百六十余州はすでに蒙古国に打ちやぶられぬ。花洛すでにやぶられて、徽宗・欽宗の両帝北蕃にいけどりにせられて、韃靼にして終にかくれさせ給ひぬ。徽宗の孫、高宗皇帝は長安をせめをとされて、田舎の臨安行在府に落ちさせ給ひて、今に数年が間京をみず。 |
伝え聞くところによれば、中国の三百六十ヵ国・二百六十余州はすでに蒙古の軍勢に打ち破られたという。 また都はすでに破られて徽宗・欽宗の二人の帝は北方の金の軍勢にいけどりにされて韃靼で亡くなられた。 また徽宗の孫高宗皇帝は都の長安をせめおとされて、田舎の臨安行在府へ逃げて、今に数年の間都をみることができないでいる。 |
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| 高麗六百余国も新羅・百済等の諸国等も、皆大蒙古国の皇帝にせめられぬ。今の日本国の壱岐・対馬並びに九国のごとし。 |
また高麗六百余国も新羅や百済の朝鮮半島の諸国もみんな大蒙古国の皇帝に攻められた。 今の日本の壱岐・対馬や九州のようなものである。 |
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| 闘諍堅固の仏語地に堕ちず、あたかもこれ大海のしをの時をたがへざるがごとし。是をもって案ずるに、大集経の白法隠没の時に次いで、法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか。 |
闘諍堅固と予言されている仏語は地におちることなく、あたかも大海の潮が、時を違えることなく満ち干するようなものである。 このようなことから考えてみれば、大集経の白法隠没の時に次いで、法華経の大白法が日本の国をはじめ全世界に広宣流布することも疑いのないことであろう。 |
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| 彼の大集経は仏説の中の権大乗ぞかし。生死をはなるゝ道には、法華経の結縁なき者のためには未顕真実なれども、六道・四生・三世の事を記し給ひけるは寸分もたがわざりけるにや。 |
かの大集経は、仏説の中では権大乗の経である。 生死を離れて成仏する道でもないし、法華経の結縁がない者のには未顕真実の経ではあるけれども六道や四生や三世の事を記し給うている点では、寸分の違いもない。 |
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何に況んや法華経は釈尊は要当説真実となのらせ給ひ、多宝仏は真実なりと御判をそへ、十方の諸仏は広長舌を梵天につけて誠諦と指し示し、 |
まして法華経は釈尊が「要ず当に真実を説くべし」と証明し、多宝仏も「法華経はみなこれ真実なり」と証明し十方の諸仏は広長舌を梵天にまでつけて説法の真実なることを証明している。 |
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(★844㌻) 釈尊は重ねて無虚妄の舌を色究竟に付けさせ給ひて、後五百歳に一切の仏法の滅せん時、上行菩薩に妙法蓮華経の五字をもたしめて謗法一闡提の白癩病の輩の良薬とせんと、梵・帝・日・月・四天・竜神等に仰せつけられし金言虚妄なるべしや。大地は反覆すとも、高山は頽落すとも、春の後に夏は来たらずとも、日は東へかへるとも、月は地に落つるとも此の事は一定なるべし。 |
神力品では釈尊は重ねていう所が虚妄でないとの舌を色究竟天にまでつけて、後の五百歳すなわち末法に一切の仏法が滅してしまう時、上行菩薩に妙法蓮華経の五字を持たしめて、謗法一闡提の白癩病の輩の良薬にしようと説き、梵天・帝釈・日月天・四天・竜神等に妙法五字を守護せよと仰せつけられた金言が、虚妄となるべきはずがあろうか。 大地は反覆して逆さまになり、高山がくずれ落ち、春の後に夏がこなくても、日が逆に東にかえっても、月は地に落ちることがあっても、妙法五字の世界に広宣流布することは間違いのないことである。 |
| 此の事一定ならば、闘諍堅固の時、日本国の王臣と並びに万民等が、仏の御使ひとして南無妙法蓮華経を流布せんとするを、或は罵詈し、或は悪口し、或は流罪し、或は打擲し、弟子眷属等を種々の難にあわする人々いかでか安穏にては候べき。これをば愚癡の者は呪詛すとをもいぬべし。 | このことが決定的であるならば、闘諍堅固の時に日本国の王臣ならびに万民等が、仏の御使いとして南無妙法蓮華経を流布しようとする日蓮を、あるいはののしったり、あるいは悪口をいったり、あるいは流罪にし、あるいは杖で打ち、その弟子や眷属等を種々の難にあわせている人々が、どうして安穏でいられようか。こういうとおろかな人間は罰をうけるように呪っていると思うであろう。 | |
| 法華経をひろむる者は日本の一切衆生の父母なり。章安大師云はく「彼が為に悪を除くは即ち是彼が親なり」等云云。されば日蓮は当帝の父母、念仏者・禅衆・真言師等が師範なり、又主君なり。 |
法華経をひろめる者は、日本国の一切衆生の父母である。 章安大師は「相手のために悪を除いてあげることが相手の人にとっては親の徳である」といっている。 されば、日蓮は日本国中の謗法を除こうとしているのであるから、日本の皇帝の父母であり、念仏者・禅衆・真言師等の師範であり、また主君である。 |
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| 而るを上一人より下万民にいたるまであだをなすをば日月いかでか彼等の頂を照らし給ふべき。地神いかでか彼等の足を戴せ給ふべき。提婆達多は仏を打ちたてまつりしかば、大地揺動して火炎いでにき。檀弥羅王は師子尊者の頭を切りしかば、右の手刀とともに落ちぬ。 |
しかるに、上一人より下万民にいたるまで、日蓮をあだむのだから、日天月天はどうして彼等の頂を安穏に照らしていようか。地神はどうして彼らの足をいただいて安穏な日を送らせようか。 提婆達多は仏を打ちたてまつったので、大地が揺れ動き火炎が現じた。檀弥羅王は、付法蔵第二十四の師子尊者の頸を切ったので、右の手が刀とともに落ちたという。 |
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| 徽宗皇帝は法道が面にかなやきをやきて江南にながせしかば、半年が内にえびすの手にかゝり給ひき。蒙古のせめも又かくのごとくなるべし。設ひ五天のつわものをあつめて、鉄囲山を城とせりともかなうべからず。必ず日本国の一切衆生兵難に値ふべし。 |
宋の第九代の帝である徽宗皇帝は、法道三蔵の顔にかなやきをおして江南に流し、仏法を迫害したので、半年内に北方からせめてきた金の軍隊にとらえられてしまった。 蒙古が日本へ襲来するのも、これと同じである。たとえ五天竺といわれるインド全体の兵を集め、鉄囲山という大きな山を城として防いでも、蒙古の来襲を防げるものではない。 かならず日本国の一切衆生は兵難にあうであろう。 |
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| されば日蓮が法華経の行者にてあるなきかはこれにて見るべし。教主釈尊記して云はく、末代悪世に法華経を弘通するものを悪口罵詈等せん人は、我を一劫が間あだせん者の罪にも百千万億倍すぎたるべしととかせ給へし。 |
されば日蓮が法華経の行者であるかないかは、この現証によって知るべきである。 教主釈尊の説かれた経文によれば「末代悪世に、法華経をひろめる者の悪口をいったり、馬鹿にしたりすれば、仏を一劫の間怨した罪よりも百千万億倍も過ぎる罪をうけるであろう」と予言されている。 |
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| 而るを今の日本国の国主万民等雅意にまかせて、父母宿世の敵よりもいたくにくみ、謀反殺害の者よりもつよくせめぬるは、現身にも大地われて入り、天雷も身をさかざるは不審なり。 |
しかるに、今の日本国の国主や万民は我見のままに父母の敵や宿世からの敵よりも強く日蓮をにくみ、謀反人や人を殺害した者よりも強く日蓮を責めているのに現身にも大地が割れて地獄へもおちず、天雷に身を引き裂かれもしないのは不審である。 |
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日蓮が法華経の行者にてあらざるか。もししからばをゝきになげかし。今生には万人にせめられて片時もやすからず、 (★845㌻) 後生には悪道に堕ちん事あさましとも申すばかりなし。又日蓮法華経の行者ならずば、いかなる者の一乗の持者にてはあるべきぞ。 |
それでは日蓮が法華経の行者ではないのであろうか。 もし、法華経の行者でないとすれば、おおいに、ながかわしいことである。 この世では、万人に責められて片時も安らげることなく、次の世には悪道に堕ちるとするならば、実にあさましい限りである。 また日蓮が法華経の行者でないとするならば、だれが一仏乗の法華経を持っている者といえるだろうか。 |
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| 法然が法華経をなげすてよ、善導が千中無一、道綽が未有一人得者と申すが法華経の行者にて候べきか。又弘法大師の云はく、法華経を行ずるは戯論なりとかゝれたるが法華経の行者なるべきか。 | 法然は「法華経をなげすてよ」といい、善導は「法華経などでは千人に一人も得道するものはいない」といい、道綽は「いまだ一人も得道したものがない」といっているが、こういう念仏の開祖たちが、はたして法華経の行者といえるだろうか。また弘法大師は「法華経を行ずるは戯れの論だ」と説いているが、このような者が法華経の行者といえるだろうか。 | |
| 経文には能持是経、能説此経なんどこそとかれて候へ。よくとくと申すはいかなるぞと申すに、於諸経中最在其上と申して大日経・華厳経・涅槃経・般若経等に法華経はすぐれて候なりと申す者をこそ、経文には法華経の行者とはとかれて候へ。もし経文のごとくならば日本国に仏法わたて七百余年、伝教大師と日蓮とが外は一人も法華経の行者はなきぞかし。 |
経文には「よくこの経を持つ」「よくこの経を説く」などと説かれている。 この経文に「よく説く」といわれているのは、どんなことかといえば、「諸経の中において、この法華経はもっともその上にある」といって、大日経や華厳経や涅槃経や般若経等、あらゆる法華経が勝れているという者をこそ、経文には「法華経の行者なり」と説かれているのである。 もし経文のとおりなら、日本の国に仏法が渡って七百余年になるが、伝教大師と日蓮大聖人以外の者は一人も法華経の行者ではないのである。 |
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| いかにいかにとをもうところに、頭破作七分口則閉塞のなかりけるは道理にて候ひけるなり。此等は浅き罰なり。但一人二人等のことなり。日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。此をそしり此をあだむ人を結構せん人は閻浮第一の大難にあうべし。これは日本国をふりゆるがす正嘉の大地震、一天を罰する文永の大彗星等なり。 |
そこでいろいろ考えてみるに、「頭が七分に割れる」、「口が閉塞する」とうい現証が現れないのはまた道理の通ったことなのである。 そういう罰は浅い罰であって、また一人か二人だけがうけることである。 日蓮は世界第一の法華経の行者である。この日蓮を謗ったり怨んだりする者の味方になるようなものは、世界第一の大難にあうであろう。 この現証が日本国を振りゆるがす正嘉の大地震や一天を罰する文永の大彗星となって現われたのだ。 |
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| 此等をみよ。仏滅後の後、仏法を行ずる者にあだをなすといえども、今のごとくの大難は一度もなきなり。南無妙法蓮華経と一切衆生にすゝめたる人一人もなし。此の徳はたれか一天に眼を合はせ、四海に肩をならぶべきや。 |
これらを見よ、釈尊が入滅してから今日まで、仏法を行ずる者に怨をなしたけれどもこのような大難は一度もなかった。 南無妙法蓮華経と一切衆生に唱え勧めた人が、いまだかって一人もいなかった。 その徳は、だれびとが一天に眼を合せ、四海に肩をならべる者がいるだろうか。いるはずがないのである。 |
| 問うて云はく、竜樹・世親等は法華経の実義をば宣べ給はずや。答へて云はく、宣べ給はず。問うて云はく、何なる教をかのべ給ひし。答へて云はく、華厳・方等・般若・大日経等の権大乗、顕密の諸経をのべさせ給ひて、法華経の法門をば宣べさせ給はず。 |
問うて云う。竜樹・世親(天親のこと)等は法華経の実義を述べられなかったのか。 答えて云う。述べていない。 問うて云う。それではどんな教えを述べられたのか。 答えて云う。華厳・方等・般若・大日経等の権大乗や顕・密の諸経を述べられて法華経の法門はのべていない。 |
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| 問うて云はく、何をもってこれをしるや。答へて云はく、竜樹菩薩の所造の論三十万偈。而れども尽くして漢土日本にわたらざれば其の心しりがたしといえども、漢土にわたれる十住毘婆沙論・中論・大論等をもって天竺の論をも比知して此を知るなり。 |
問うて云う。何をもってそれを知ることができるのか。 答えて云う。竜樹菩薩の造った論は三十万偈に及ぶという。しかし、それが全部は中国・日本に渡ってきていないから、竜樹の心を知ることはできないが、中国にわたった『十住毘婆娑論』『中論』『大論』等をもって、インドに残されているであろうところの論の内容も推しはかることができるのである。 |
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| 疑って云はく、天竺に残れる論のなかに、わたれる論よりも勝れたる論やあるらん。答へて云はく、竜樹菩薩の事は私に申すべからず。仏記し給ふ、我が滅後に竜樹菩薩と申す人南天竺に出づべし。彼の人の所詮は中論という論に有るべしと仏記し給ふ。随って竜樹菩薩の流、天竺に七十家あり。七十人ともに大論師なり。彼の七十家の人々は皆中論を本とす。中論四巻二十七品の肝心は因縁所生法の四句の偈なり。此の四句の偈は華厳・般若等の四教三諦の法門なり。いまだ法華開会の三諦をば宣べ給はず。 |
疑つて云う。インドに残っている論の中に、中国へ渡った論よりも勝れている論があるのではないだろうか。 答えて云う。竜樹菩薩の事は私が勝手な意見を述べる必要はない。釈尊が予言されていうには「我が滅後に竜樹菩薩という人が南インドに出るであろう。この人の究極の法門は、中論という論に有る」と記されている。 したがって竜樹菩薩を祖師とする流派がインドに七十家あり、七十人ともに大論師であるが、彼の七十家の人人は皆『中論』を本としている。『中論』四巻・二十七品の肝心は「因縁所生法」の四句の偈である。この四句の偈は華厳・般若等の四教、三諦の法門であり、いまだ法華に開会された空・仮・中の三諦の法門はのべていない。 |
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| 疑って云はく、汝がごとく料簡せる人ありや。答へて云はく、天台云はく「中論を以て相比すること莫れ」と。又云はく「天親竜樹内鑑冷然にして外は時の宜しきに適ふ」等云云。妙楽云はく「若し破会を論ぜば未だ法華に若かざる故に」云云。従義の云はく「竜樹天親未だ天台に若かず」云云。 |
疑つて云う。汝のように考えていた人があるのか。 答えて云う。天台は「中論などとは比較にならない」といい、また「天親・竜樹は法華の実義を内心では知っていたが、口に出してはいわないで、外面は時の宜しきにかなっていた」といっている。また妙楽は「権経を破り実教に会入することを論ずるならば、法華経には及ばない」といい、従義は「竜樹・天親はいまだ天台に及ばない」等といっている。 |
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(★847㌻) 問うて云はく、唐の末に不空三蔵一巻の論をわたす。其の名を菩提心論となづく。竜猛菩薩の造なり云云。弘法大師云はく「此の論は竜猛千部の中の第一肝心の論」云云。 |
問うて云う。唐の末に不空三蔵が『菩提心論』という一巻の書をインドから渡してきて、これは竜樹菩薩の造ったものだといった。それをうけて弘法大師は『此の論は竜樹が造った千部の論の中で第一の肝心の論だ」といっているがどうか。 |
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| 答へて云はく、此の論一部七丁あり。竜猛の言ならぬ事処々に多し。故に目録にも或は竜猛或は不空と両方なり。いまだ事定まらず。其の上此の論の文は一代を括れる論にもあらず。荒量なる事此多し。 | 答えて云う。この論は一部七丁あって、竜樹のことばでないような内容が処々に多い。ゆえに目録にもあるいは竜樹の作といい、あるいは不空のものだといって、いまだ決定されていない。そのうえ、内容からいっても、この論は釈尊一代を総括した論でもなく、大雑把な見解が多い。 | |
| 先づ唯真言法中の肝心の文あやまりなり。其の故は文証現証ある法華経の即身成仏をばなきになして、文証も現証もあとかたもなき真言の経に即身成仏を立て候。 |
まず肝心の文といわれている「唯真言法の中においてのみ即身成仏する」といっているのが誤りである。 そのゆえは、法華経で即身成仏するとは文証も現証も明らかであるのに、法華経では即身成仏できないものとして、文証も現証もあとかたもない真言の経に即身成仏を立てているからである。 |
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| 又唯という唯の一字は第一のあやまりなり。事のていを見るに不空三蔵の私につくりて候を、時の人にをもくせさせんがために事を竜猛によせたるか。其の上不空三蔵は誤る事かずをほし。所謂法華経の観智の儀軌に、寿量品を阿弥陀仏とかける眼の前の大僻見。陀羅尼品を神力品の次にをける、嘱累品を経末に下せる、此等はいうかひなし。 |
また「唯真言法の中」という「唯」の字が第一の誤りである。こうしたことから見ると不空三蔵が中国で真言宗を弘めるにあたり、自分勝手につくった『菩提心論』を時の人に重要なものだとみせかけるため竜樹の造ったものだといったのであろう。そのうえ不空三蔵には誤りが数多くある。 所謂、法華経の『観智の儀軌』に寿量品の仏を阿弥陀仏だと書いているのは目の前の大僻見ではないか。 それから陀羅尼品第二十六を神力品第二十一の次においたり、属累品第二十二を経の末においたりするような誤りは話にならない。 |
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| さるかと見れば、天台の大乗戒を盗んで代宗皇帝に宣旨を申し五台山の五寺に立てたり。而も又真言の教相には天台宗をすべしといえり。かたがた誑惑の事どもなり。他人の訳ならば用ふる事もありなん。此の人の訳せる経論は信ぜられず。 | そうかと思えば天台の大乗戒を盗んで唐の代宗皇帝に宣旨を申し下して五台山の五寺に立てている。しかも真言の教相判釈には天台の教判を用いるべしといっている。とにかくあれこれと世間を誑惑することばかりである。他の人の訳した経なら用いることはあろうけれども、この人の訳した経論は信じられない。 | |
| 総じて月支より漢土に経論をわたす人、旧訳新訳に一百八十六人なり。羅什三蔵一人を除いてはいずれの人々も誤らざるはなし。其の中に不空三蔵は殊に誤り多き上、誑惑の心顕なり。 | 総じてインドから中国に経論を渡して訳した人は、旧訳と新訳で百八十七人いるが、羅什三蔵一人を除いては、いづれの人々も誤っていないものはない。その中でも不空三蔵は、ことに誤りが多いうえに、偽り惑わそうとする心が顕著である。 | |
| 疑って云はく、何をもって知るぞや、羅什三蔵より外の人々はあやまりなりとは。汝が禅宗・念仏・真言等の七宗を破るのみならず、漢土日本にわたる一切の訳者を用ひざるかいかん。 | 疑つて云う。羅什三蔵より外の人々が誤りだというのは、何をもって知ることができるのか。汝は禅宗・念仏・真言等の七宗を破るのみならず、中国・日本にわたる一切の訳者を用いないというのか。 | |
| 答へて云はく、此の事は余が第一の秘事なり。委細には向かって問ふべし。但しすこし申すべし。羅什三蔵の云はく、我漢土の一切経を見るに皆梵語のごとくならず。いかでか此の事を顕はすべき。但し一つの大願あり。身を不浄になして妻を帯すべし。舌計り清浄になして仏法に妄語せじ。我死せば必ずやくべし。焼かん時、舌焼くるならば我が経をすてよと、常に高座にしてとかせ給ひしなり。 | 答えて云う。此の事は余の第一の秘事である。面と向かって委細に問うがよい。但し今すこし述べよう。羅什三蔵は「自分が中国の一切経を見るのに、みな原本の梵語の経の通りではない。どのようにして、このことをはっきりさせようか。そこでひとつの大願がある。自分の身は妻を帯して不浄だが、舌ばかりは仏法には妄語はしないので、清浄である。自分が死んだら、必ず焼きなさい。その時に舌が焼けるならば自分が訳した経をすてなさい」と、常に高座で説法された。 | |
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上一人より下万民にいたるまで願して云はく、願はくは羅什三蔵より後に死せんと。終に死し給ひて後、 (★848㌻) 焼きたてまつりしかば、不浄の身は皆灰となりぬ。御舌計り火中に青蓮華生ひて其の上にあり。五色の光明を放ちて夜は昼のごとく、昼は日輪の御光をうばい給ひき。さてこそ一切の訳人の経々は軽くなりて、羅什三蔵の訳し給へる経々、殊に法華経は漢土にはやすやすとひろまり候ひしか。 |
それを聞いて、上一人より下万民にいたるまで願っていうには「願くは羅什三蔵より後に死にたいものだ」といっていた。ついに羅什の死なれた時、いわれた通り焼き奉ったが、不浄の身は皆焼けて灰となってしまったが、御舌ばかりは火の中に青蓮華を生じて、其の上にあった。五色の光明を放って夜は昼のごとく輝き、昼は太陽の光を奪うほどであった。このようなことがあればこそ、ほかの人々の訳したいっさいの経々は軽くなり、羅什三蔵の訳された経々、殊に法華経が、やすやすと中国にひろまったのである。 | |
| 疑って云はく、羅什已前はしかるべし。已後の善無畏・不空等は如何。答へて云はく、已後なりとも訳者の舌の焼くるをば誤りありけりとしるべし。されば日本国に法相宗のはやりたりしを伝教大師責めさせ給ひしには、羅什三蔵は舌焼けず、玄奘・慈恩は舌焼けぬとせめさせ給ひしかば、桓武天王は道理とをぼして天台法華宗へはうつらせ給ひしなり。 |
疑っていう。羅什以前はそうかもしれないが、羅什以後の善無畏・不空はどうなのか。 答えて云う。羅什以後だからといっても、訳した人の舌が焼けるのを見て、誤りがあると知らなければならない。されば日本に法相宗が流行していたころ、伝教大師はこれを「羅什三蔵は舌がやけなかったのに、玄奘や慈恩は舌が焼けたではないか」と責められたので、桓武天王は伝教大師のいうのが道理だとおぼしめし、天台法華宗へ移られたのである。 |
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| 涅槃経の第三・第九等をみまいらすれば、我が仏法は月支より他国へわたらんの時、多くの謬誤出来して衆生の得道うすかるべしととかれて候。されば妙楽大師は「並びに進退は人に在り何ぞ聖旨に関はらん」とこそあそばされて候へ。 | 涅槃経の第三・第九等を見れば、釈尊の仏法はインドから他国へ渡る時に、多くの謬誤が発生して、衆生の得道も薄くなるであろうと説かれている。されば妙楽大師は「取捨は、人師のいかんによるのであり、仏の御意には関係ない」といわれているのである。 | |
| 今の人々いかに経のまゝに後世をねがうとも、あやまれる経々のまゝにねがわば得道もあるべからず。しかればとても仏の御とがにはあらじとかゝれて候。仏教を習ふ法には大小・権実・顕密はさてをく、これこそ第一の大事にては候らめ。 |
今の世の人々がいかに経のままに後世を願うとも、過誤のある経文を信じて、願ったところで、得道ができるわけがない。得道ができないからといって、それは仏の過失となるのではないと書かれているのである。仏教を習うには、大小・権実・顕密等の立て分けはさておいて、このことが第一の大事ではないか。 |
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疑って云はく、正法一千年の論師の内心には法華経の実義の顕密の諸経に超過してあるよしはしろしめしながら、外には宣説せずして但権大乗計りを宣べさせ給ふことはしかるべしとわをぼへねども、其の義はすこしきこえ候ひぬ。像法一千年の半ばに天台智者大師出現して、題目の妙法蓮華経の五字を玄義十巻一千枚にかきつくし、文句十巻には始め如是我聞より終はり作礼而去にいたるまで、一字一句に因縁・約教・本迹・観心の四つの釈をならべて又一千枚に尽くし給ふ。已上玄義・文句の二十巻には一切経の心を江河として法華経を大海にたとえ、十方界の仏法の露一も漏らさず、妙法蓮華経の大海に入れさせ給いぬ。其の上天竺の大論の諸義一点ももらさず、漢土南北の十師の義破すべきをばこれをはし、取るべきをば此を用ふ。其の上、止観十巻を注して一代の観門を一念にすべ、十界の依正を三千につゞめたり。此の書の文体は、遠くは月支一千年の間の論師にも超え、 (★849㌻) 近くは尸那五百年の人師の釈にも勝れたり。 |
疑っていう。正法一千年の論師が、内心では、法華経の実義が顕密のあらゆる経々よりもすぐれていることを知ったが、外に向かって宣説することなく、ただ権大乗ばかりをひろめたといことは、どうもそうとは思えないけれども、その義は少しわかってきた。像法一千年の半ばごろには、天台智者大師が出現して、法華経の題目の妙法蓮華経の五字を、玄義十巻一千枚に書きつくし、文句十巻の初めの「是の如く我聞きき」から、経の終わり「礼を作して去るにき」にいたるまで、一字一句に因縁・約教・本迹・観心の四の釈をならべてまた一千枚に書きつくされた。以上の玄義・文句の二十巻には一切経の心を江河にたとえ、法華経を大海にたとえて、十方界の仏法の露を一滴ももらさず、妙法蓮華経の大海に入れて経釈をなさった。その上にインドの大論師の諸義まで一点ももらさず、中国の南北の十師の義も破すべきをば破し、取るべきをば用いられている。其の上に摩訶止観十巻を述べて、釈尊一代の観門を一念に統活し十界の依報、正報を三千に収めつくされた。この書は遠くはインドの一千年の論師に超過し、近くは中国五百年の人師の釈よりも勝れている。 | |
| 故に三論宗の吉蔵大師、南北一百余人の先達と長者らをすゝめて、天台大師の講経を聞かんとする状に云はく「千年の興五百の実復今日に在り、乃至南岳の叡聖天台の明哲、昔は三業住持し、今は二尊紹係す。豈止甘露を震旦に灑ぐのみならん、亦当に法鼓を天竺に震ふべし。生知の妙悟・魏・晋より以来、典籍の風謡実に連類無し。乃至禅衆一百余僧と共に智者大師を奉請す」等云云。終南山の道宣律師、天台大師を讃歎して云はく「法華を照了すること高輝の幽谷に臨むが若く、摩訶衍を説くこと長風の大虚に遊ぶに似たり。仮令文字の師千群万衆あって数彼の妙弁を尋ぬとも能く窮むる者無し、乃至義月を指すに同じ、乃至宗一極に帰す」云云。華厳宗の法蔵法師、天台を讃して云はく「思禅師・智者等の如きは、神異に感通して迹登位に参はる。霊山の聴法憶ひ今に在り」等云云。真言宗の不空三蔵・含光法師等、師弟共に真言宗をすてゝ天台大師に帰伏する物語に云はく、高僧伝に云はく「不空三蔵と親り天竺に遊びたるに、彼に僧有り、問うて曰く、大唐に天台の教迹有り、最も邪正を簡び偏円を暁らむるに堪へたり。能く之を訳して将に此の土に至らしむべきや」等云云。此の物語は含光が妙楽大師にかたり給ひしなり。妙楽大師此の物語を聞いて云はく「豈中国に法を失して之を四維に求むるに非ずや。而も此の方識ること有る者少なし。魯人の如きのみ」等云云。身毒国の中に天台三十巻のごとくなる大論あるならば、南天の僧いかでか漢土の天台の釈をねがうべき。これあに像法の中に法華経の実義顕はれて、南閻浮提に広宣流布するにあらずや。答へて云はく、正法一千年像法の前四百年、已上仏滅後一千四百余年に、いまだ論師の弘通し給はざる一代超過の円定・円慧を漢土に弘通し給ふのみならず、其の声月氏までもきこえぬ。法華経の広宣流布にはにたれども、いまだ円頓の戒壇を立てられず。小乗の威儀をもって円の慧・定に切りつけるは、すこし便りなきににたり。例せば日輪の蝕するがごとし、月輪のかけたるににたり。何にいわうや天台大師の御時は大集経の読誦多聞堅固の時にあひあたて、いまだ広宣流布の時にあらず。 |
ゆえに三論宗の吉蔵大師は南北十派の一百余人の先達や長者らに、天台の経を講ずるのを聞けと勧める状に次のようにいっている「千年の間に聖人が一人出で五百年の間に賢人が一人出るというのは、実に今日のことをいったのである。南岳の叡聖、天台大師の明哲の二人は昔は身・口・意三業に法華経を受持し、今は南岳・天台の二尊と紹継して中国に出現している。ただ単に甘露の法雨を中国にそそぐのみではなく、またまさに法鼓をインドまでひびかせている。生まれながらにして仏法の深妙の理を悟り、魏・晉の時代からこのかた経典の講説の妙なること実に比類すべき者がない。よって禅僧百余人とともに天台智者大師の許に参って講説を請い奉る」と。 また修南山の道宣律師は天台大師を讃歎していわく「法華経のすべての義理に通達しつくしているさまは正午の太陽が深い谷の底までも照らしつくすがごとく、大乗の極理を自在に説くさまは、大風が大空に遊ぶのと似ている。たとえば文字の師が千万人あって天台の妙弁をあつめて検討しても、よくその至極を地究むることはできないであろう。その所詮の妙義は、妙法蓮華の一極に帰している」と。 さらに華厳宗の法蔵大師は天台を讃歎していうには「慧思禅師や智者大師のごときは、自分の心が自然に真理に感通して、その位は初住の菩薩の行動であり、霊鷲山で聞いた説法の思いが今にある」と。 また真言宗の不空三蔵や含光法師等が、師弟共に真言宗をすてて、天台大師に帰伏する物語をに『高僧伝』では、次のように伝えている。「不空三蔵とともにインドの地で遊学中、一人の僧がいて質問するには、中国には天台の教えがあって最も邪正を簡び偏円を暁めるのに傑出しているという。これをよく訳してインドにも伝えるべきではないか」と。この物語は含光が妙楽大師に語ったものである。妙楽大師は、この物語を聞いて「仏教の中心であるインドでは正法がすでに無く、これを四方に求めている。しかもわが国では天台の経観が優れていることを知っているものが少ない。ちょうど、自分の国の孔子の偉大さを知らなかった魯国の人のようなものである」といっている。インドの中に天台の『玄義』『文句』『止観』三十巻のような大論があるならば、インドの僧がどうして中国の天台の釈を乞い願うことがあろうか。そのようなかとは、像法の法華経の実義が顕われて、南閻浮提に広宣流布した証拠ではないのか。 答えて云う。天台大師は正法一千年・像法の前四百年、以上仏滅後・一千四百年の間いまだ論師のひろめたことのない一代超過の円定・円慧を中国に弘通されたたけでなく、その名声はインドまで伝わった。それは法華経の広宣流布には似ているけれども、いまだ法華円頓の戒壇を建てられてはいない。そして小乗の威儀をもつて、円の法華の定慧に切り付けるというのは、すこしたよりないことである。たとえば、太陽が蝕し月がかけているようなものである。まして天台大師の時は、大集経の読誦多聞堅固の時であり、いまだ広宣流布の時代には当たっていないのである。 |
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(★850㌻) 問うて云はく、伝教大師は日本国の士なり。桓武の御宇に出世して欽明より二百余年が間の邪義をなんじやぶり、天台大師の円慧・円定を撰し給ふのみならず、鑑真和尚の弘通せし日本小乗の三処の戒壇をなんじやぶり、叡山に円頓の大乗別受戒を建立せり。此の大事は仏滅後一千八百年が間の身毒・尸那・扶桑乃至一閻浮提第一の奇事なり。内証は竜樹天台等には或は劣るにもや、或は同じくもやあるらん。仏法の人をすべて一法となせる事は、竜樹・天親にもこえ南岳・天台にもすぐれて見えさせ給ふなり。 |
問うて云う。伝教大師は日本国の人である。桓武天皇の時代に出世して、欽明天皇の時代から二百余年の間の邪義を難じ破り、天台大師の円慧・円定をうえに、鑒真和尚が日本に弘通した三ヵ所の小乗戒壇を難じ破り、比叡山に円頓の大乗別受戒を建立した。 この大事は、釈尊滅後一千八百年のあいだ、インド・中国・日本はもとより、世界第一の慶事であった。伝教大師の内証は、竜樹や天台大師に比べてあるいは劣っているか、あるいは同じであろう。しかし、その時代の仏法者をことごとく法華経に統一したということは、竜樹菩薩や天親菩薩にも超え、南岳大師や天台大師よりも、すぐれているようにみえる。 |
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| 総じては如来御入滅の後一千八百年が間、此の二人こそ法華経の行者にてはをはすれ。故に秀句に云はく「経に云はく、若し須弥を接って他方無数の仏土に擲げ置かんも亦未だ為れ難しとせず。乃至若し仏の滅後に悪世の中に於て能く此の経を説かん是則ち為れ難し」等云云。此の経を釈して云はく「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり。浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり。天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」云云。 |
総じては釈迦如来御入滅の後、一千八百年のあいだに、天台大師と伝教大師の二人こそ、法華経の行者にておわすのである。 ゆえに法華秀句に「法華経には、若し須弥山のような大山を接って他方無数の仏国土に投げおくことは、いまだ難しいことではない。しかし仏の滅度の後に悪世によくこの経を説くことは、困難なことである。」と。 この経を釈して、「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判であり、浅きを去って深きに就くは丈夫の心である。天台大師は釈迦に信順し法華宗を中国にひろめ、比叡山の一家は 天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通するのである」とある。 |
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| 釈の心は賢劫第九の減、人寿百歳の時より、如来在世五十年、滅後一千八百余年が中間に、高さ十六万八千由旬六百六十二万里の金山を、有る人五尺の小身の手をもって方一寸二寸等の瓦礫をにぎりて一丁二丁までなぐるがごとく、雀鳥のとぶよりもはやく鉄囲山の外へなぐる者はありとも、法華経を仏のとかせ給ひしやうに説かん人は末法にはまれなるべし。天台大師・伝教大師こそ仏説に相似してとかせ給ひたる人にてをはすれとなり。 |
この文の意は、賢劫第九番目の人寿が減じていくときの平均寿命が百歳の時(釈尊在世)より、釈迦仏の在世五十年と釈尊滅後一千八百余年、すなわち伝教大師が出現するまでの中間に、天台大師、伝教大師の二人だけである。高さ十六万八千由旬・六百六十二万里の金山を、五尺の小身の人があって、一寸四角・二寸四角ほどの瓦礫を握って、一丁・二丁までも投げるような人がいても、雀の飛ぶよりも早くその大きな金山を鉄囲山の外へ投げるものはあっても。法華経を仏が説かれたそのままに説く人は、末法には稀である。天台大師、伝教大師こそ、仏説に相似した説き方をしているのだとの意である。 |
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天竺の論師はいまだ法華経へゆきつき給はず。漢土の天台已前の人師は或はすぎ或はたらず。慈恩・法蔵・善無畏等は東を西といゐ、天を地と申せる人々なり。此等は伝教大師の自讃にはあらず。去ぬる延暦二十一年正月十九日高雄山に桓武皇帝行幸なりて、六宗七大寺の碩徳たる善議・勝猷・奉基・寵忍・賢玉・安福・勤操・修円・慈誥・玄耀・歳光・道証・光証・観敏等の十有余人、最澄法師と召し合はせられて宗論ありしに、或は一言に舌を巻いて二言三言に及ばず。皆一同に頭をかたぶけ、手をあざう。三論の二蔵・三時・三転法輪、 (★851㌻) 法相の三時・五性、華厳宗の四教・五教・根本枝末・六相十玄皆大綱をやぶらる。例せば大屋の棟・梁のをれたるがごとし。十大徳の慢幢も倒れにき。 |
インドの論師たちは、いまだ法華経にはいきつかなかったから、説くわけがない。中国の天台大師以前に人は、あるいは過ぎ、あるいは足らず。法相宗の慈恩・華厳宗の法蔵・真言宗の善無畏等は、東を西といい、天を地というような反対の邪義ばかり立てていた。こういうのも、伝教大師が自分で自分を讃めて言っているのではない。すなわち、去る延暦二十一年(802年)正月十九日、高雄山に桓武天皇が行幸なされ、奈良六宗・七大寺の高僧・博学者と仰がれていた善議・勝猷・奉基・寵忍・賢玉・安福・勤操・修円・慈誥・玄耀・歳光・道証・光証・観敏等の十余人が、最澄法師と召し合せられて宗論をしたのであったが、あるいは一言に舌を巻いて二言三言におよばず、みな一同に頭をかたむけて腕を組んでしまった。三論宗で立てる二蔵・三時・三転法輪、法相宗の三時・五性、華厳宗の四教・五教・根本枝末・六相・十玄等々、みな、その大綱を破られてしまった。たとえば、大きな家の棟梁が折れて崩れるように、十大徳の高慢の幡が倒れた。 | |
| 爾の時天子大いに驚かせ給ひて、同二十九日に弘世・国道の両吏を勅使として、重ねて七寺六宗に仰せ下されしかば、各々帰伏の状を載せて云はく「竊かに天台の玄疏を見れば、総じて釈迦一代の経を括りて悉く其の趣を顕はすに通ぜざる所無く、独り諸宗に逾え殊に一道を示す。其の中の所説甚深の妙理なり。七箇の大寺・六宗の学生の昔より未だ聞かざる所、曽て未だ見ざる所なり。三論・法相久年の諍ひ渙焉として氷のごとく釈け、照然として既に明らかに、猶雲霧を披いて三光を見るがごとし。聖徳の弘化より以降、今に二百余年の間、講ずる所の経論其の数多し。彼此理を争へども其の疑未だ解けず。而るに此の最妙の円宗猶未だ闡揚せず。蓋し以て此の間の群生未だ円味に応はざるか。伏して惟れば聖朝久しく如来の付を受け、深く純円の機を結び、一妙の義理始めて乃ち興顕し、六宗の学者初めて至極を悟る。謂ひつべし、此の界の含霊而今而後悉く妙円の船に載せ、早く彼岸に済ることを得ると。乃至善議等牽かれて休運に逢ひ乃ち奇詞を閲す。深期に非ざるよりは何をか聖世に託せんや」等云云。 |
その時に、桓武天皇は大いに驚かれて、同月の二十九日に和気弘世と大伴国道の二人を勅使として、重ねて七寺、六宗にどういうわけかと仰せ下されたので、おのおのは、次のような帰伏の状をたてまつった。「ひそかにに天台大師の『玄義』『文句』『止観』等をみれば、総じて釈迦一代の教を括つて、ことごとく釈尊出世の本懐を顕して通ぜざるところはなく、ただ一つ天台宗のみが諸宗派に超越して殊に一仏乗を示している。その中の所説は甚深の妙理であり、われわれ七大寺、六宗の学僧は昔よりいまだかって聞いたことも見たこともないものである。 三論宗と法相宗が長年にわたって争ってきた法門の食い違いも、たちまちに氷のごとく釈け、照然として明らかになり、雲や霧が開けて、日・月・星の三光を見るように明らかになった。聖徳太子が仏法を弘通されてからこのかた、いまに二百余年のあいだ、講ずる所の経論は、その数が多く、あれこれと理を争っていたが、この疑いはいまだ解けてなかった。 しかるに、伝教大師の説かれるような最妙の円宗は、いまだ世間に弘められていなかった。この間の衆生はいまだ円味を味わう資格がなかったのであろうか。伏して考えてみるのに、日本の天皇は遠く如来の付嘱を受けて深く純円の機を結び、一乗妙法の義理を初めて興顕して、六宗の学者はいま初めて仏法の至極を悟ることができた。 かくて、この世の衆生は、いまより後は、ことごとく妙円の船に乗り、早く成仏得道の彼岸に渡ることができるであろう。 乃至、善議(三論宗)等は宿縁に引かれて良縁に逢うことができ、いまだかって聞いたことのない奥義を拝見することができた。深い宿縁でなければ、どうしてこのような聖代に生まれあうことができようか」といっている。 |
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彼の漢土の嘉祥等は一百余人をあつめて天台大師を聖人と定めたり。今日本の七寺二百余人は伝教大師を聖人とがうしたてまつる。仏滅後二千余年に及んで両国に聖人二人出現せり。其の上、天台大師未弘の円頓の大戒を叡山に建立し給う。此豈に像法の末に法華経広宣流布するにあらずや。答へて云はく、迦葉・阿難等の弘通せざる大法、馬鳴・竜樹・提婆・天親等の弘通せる事、前の難に顕はれたり。又竜樹・天親等の流布し残し給へる大法、天台大師の弘通し給ふ事又難にあらわれぬ。又天台智者大師の弘通し給はざる円頓の大戒、伝教大師の建立せさせ給ふ事又顕然なり。但し詮と不審なる事は、仏は説き尽くし給へども、仏の滅後に迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親乃至天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深秘の正法、経文の面に現前なり。 (★852㌻) 此の深法今末法の始め五五百歳に一閻浮提に広宣流布すべきやの事不審無極なり。 |
彼の中国の嘉祥等は、百余人を集めて天台大師を聖人と定めている。いま日本の七寺の二百余人は伝教大師を聖人と号したてまつっている。ゆえに仏の滅後二千余年におよんで、中国と日本の両国に、聖人が二人出現したのである。そのうえ、天台大師のいまだ弘めなかった法華円頓の大戒を比叡山に建立されたのだから、像法の末に伝教大師によって法華経が広宣流布したといえるのではないか。 答えて云う。迦葉・阿難等の弘通しなかった大法を馬鳴・竜樹・提婆・天親等が弘通したということは、前の問答ではっきりした。また竜樹・天親等の流布し残した大法を、天台大師が弘められたことは、また前の問答ではっきりした。 また天台智者大師の弘通されなかった円頓の大戒を、伝教大師が建立されたことも、はっきりしている。 ただし、ここでもっとも不審に思うことは、釈尊は一切経を説きつくされたが、仏の滅後において迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親・乃至天台・伝教のいまだ弘通されていない最大の深密の正法が、経文の面に現前と説かれている。この最大深密の正法が、いま末法の初めの五五百歳に世界に広宣流布すべきか否かの問題が、もっとも不審きわまりないところである。 |
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問ふ、いかなる秘法ぞ。先づ名をきゝ、次に義をきかんとをもう。此の事もし実事ならば釈尊の二度世に出現し給ふか。上行菩薩の重ねて涌出せるか。いそぎいそぎ慈悲をたれられよ。 |
問う。「最大の深秘の正法、経文の面に現前なり」といわれるが、それはいかなる秘法であるのか。まずその秘法の名を聞き、次にその義を聞きたいと思う。この事がもし事実であるならば、釈尊が二度、この世に出現されたのか、上行菩薩が法華経の湧出品のときと同じようにふたたび湧出されたのか、いそぎいそぎ慈悲を垂れて教えていただきたい。 | |
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彼の玄奘三蔵は六生を経て月氏に入って十九年、法華一乗は方便教、小乗阿含経は真実教。不空三蔵は身毒に返りて寿量品を阿弥陀仏とかゝれたり。此等は東を西という、日を月とあやまてり。身を苦しめてなにかせん、心に染みてようなし。幸ひ我等末法に生まれて一歩をあゆまずして三祇をこえ、頭を虎にかわずして無見頂相をえん。 |
彼の中国の玄奘三蔵は、経典を求めてインドへ入るのに六度も大難にあって死に、七度目に生まれてようやくインドへ渡って、十九年の大旅行のすえ、尋ねあてた結論が、法華一乗は方便であり、小乗の阿含経が真実の教であるということであった。また不空三蔵は中国へ渡ったが、もう一度インドへ帰っって、真実の教を求めた結果、寿量品の仏は阿弥陀仏であるなどという、とんでもないことを書いている。
これは東を西といい、太陽を見て月だと誤っているようなものである。身を苦しめて大旅行をしてみても、心をこめて習ったところで、法の正邪に迷っては、なんにもならないのである。幸いわれらは、末法に生まれて、正法正師にお会いできるならば、一歩も歩む必要がなくて、小乗の菩薩のように三阿僧祇百大劫の修行をしたことになるし、釈尊の薩埵王子時代のように、身を虎に与えなくても、無見頂相とうい成仏の位を得るであろう。 |
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答へて云はく、此の法門を申さん事は経文に候へばやすかるべし。但し此の法門には先づ三つの大事あり。大海は広けれども死骸をとゞめず。大地は厚けれども不孝の者をば載せず。仏法には五逆をたすけ、不幸をばすくう。但し誹謗一闡提の者、持戒にして大智なるをばゆるされず。此の三つのわざわひとは所謂念仏宗と禅宗と真言宗となり。一には念仏宗は日本国に充満して、四衆の口あそびとす。二に禅宗は三衣一鉢の大慢の比丘の四海に充満して、一天の明導とをもへり。三に真言宗は又彼等の二宗にはにるべくもなし。叡山・東寺・七寺・園城、或は官主、或は御室、或は長吏、或は検校なり。かの内侍所の神鏡燼灰となししかども、大日如来の宝印を仏鏡とたのみ、宝剣西海に入りしかども、五大尊をもって国敵を切らんと思へり。此等の堅固の信心は、設ひ劫石はひすらぐともかたぶくべしとはみへず。大地は反覆すとも疑心をこりがたし。 |
答えて云う。この秘密の法門は経文に明らかに説かれているから、教えてあげることは容易である。ただしこの法門については、まず三つの大事がある。大海は広いけれども死骸をとどめておくようなことはない。大地は何よりも厚いけれども、不孝の者をば大地の上にのせておくことはない。仏法では五逆の罪を犯した者でも、不孝の者でも救うことができる。ただし正法を誹謗する一闡提の者と、表面だけ持戒にして第一のような姿をした邪法の徒を許さないのである。
この三つの災いとは、いわゆる念仏宗と禅宗と真言宗である。一に念仏宗は、日本国に充満して、四衆の口あそびになっている。日本国中の人々が念仏ばかり唱えている。二に禅宗は、三衣一鉢という質素な姿をして、心には「見性成仏」などという大慢をおこした僧侶が四海に充満して、天下の指導者だと思っている。三に真言宗は、また彼の念仏や禅の二宗には似るべくもない実害を天下に流している。比叡山、京都の東寺、奈良の七大寺、園城寺等において、管主という比叡山の座主や、あるいは仁和寺の御室や、あるいは園城寺(三井寺)の長吏とか、あるいは高野山、熊野等の検校などという、あらゆる権威のある地位のある名僧たちが、一人残らず真言にかぶれてしまったのである。 かの宮中内侍所の神鏡は、村上天皇の天徳四年に内裏が炎上した際、燼灰となってしまったのを、大日如来の宝印を仏鏡とたのんで、まつることにしているという。また神器のうちの剣は、安徳天皇とともに西海へ沈んでしまったので、真言宗でいうところの五大尊をまつって国敵を切らんといっている。このように、仏教界も宮中も万民にいたるまでも、堅固な真言に対する信心は、たとえ劫石を天衣をもってすりへらしても、信心がぐらつくとは思えない。大地が反覆するとも疑いの心はおきないであろう。 |
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彼の天台大師の南北をせめ給ひし時も此の宗いまだわたらず。此の伝教大師の六宗をしえたげ給ひし時ももれぬ。かたがたの強敵をまぬがれて、かへて大法をかすめ失う。其の上伝教大師の御弟子、慈覚大師此の宗をとりたてゝ叡山の天台宗をかすめをとして、一向真言宗になししかば、此の人には誰の人か敵をなすべき。かゝる僻見のたよりをえて、弘法大師の邪義をもとがむる人もなし。安然和尚すこし弘法を難ぜんとせしかども、只華厳宗のところ計りとがむるににて、かへて法華経をば大日経に対して沈めはてぬ。 (★853㌻) たゞ世間のたて入りの者のごとし。 |
彼の天台大師が中国において、南三北七の十派をせめ落とされた時も、真言宗はまだ中国に渡っていなかった。日本の伝教大師が奈良七宗を破折して、仏教界を統一したにも、真言は破折からもれていた。たびたびの強折からまぬかれているので、かえって邪義を盛んにして法華経の大法をかすめ失おうとしている。 その上、伝教大師の御弟子の慈覚大師は、この真言の邪宗をとり立てて比叡山の天台宗をかすめ落とし、天台宗までも一向に真言宗としてしまったので、この慈覚という権威者に対して誰が敵対できようか。かかる僻見の中におかれて、弘法の邪義をとがめる人もなくなった。安然和尚はすこし弘法を非難したが、ただ華厳を法華にいれかえただけで、かえって法華経を大日経に劣るとしてしまった。この安然のやったことは、世間の仲人のようなものであった。 |
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問うて云はく、此の三宗の謬誤如何。答へて云はく、浄土宗は斉の世に曇鸞法師と申す者あり。本は三論宗の人、竜樹菩薩の十住毘婆沙論を見て難行道・易行道を立てたり。道綽禅師という者あり。唐の世の者、本は涅槃経をかうじけるが、曇鸞法師が浄土にうつる筆を見て、涅槃経をすてゝ浄土にうつて聖道・浄土の二門を立てたり。又道綽が弟子に善導という者あり、雑行・正行を立つ。 |
問うていう。この念仏、禅、真言という三宗はどこが誤っているのか。答えて云う。まず浄土宗について述べよう。浄土宗は中国の斉の世に曇鸞法師という者がいた。もとは三論宗の人であったが、竜樹菩薩の十住毘婆娑論を見て難行道・易行道ということを立てて。念仏を易行道とし、他を難行道とした。次に道綽禅師という者がいた。唐の時代の人で、もとは涅槃経を講じていたが、曇鸞法師が浄土にうつるのを見て、涅槃経をすてて浄土へ移って、聖道・浄土の二門を立てた。また道綽の弟子に善導という者がいて、雑行と正行を立て、念仏だけを正道とした。 |
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日本国に末法に入って二百余年、後鳥羽院の御宇に法然というものあり。一切の道俗をすゝめて云はく、仏法は時機を本とす。法華経・大日経・天台・真言等の八宗九宗、一代の大小顕密権実等の経宗等は、上根上智の正像二千の機のためなり。末法に入っては、いかに功をなして行ずるとも其の益あるべからず。其の上弥陀念仏にまじへて行ずるならば念仏も往生すべからず。此わたくしに申すにはあらず。竜樹菩薩・曇鸞法師は難行道となづけ、道綽は未有一人得道ときらひ、善導は千中無一となづけたり。此等は他宗なれば御不審もあるべし。慧心の先徳にすぎさせ給へる天台真言の智者は末代にをはすべきか。かれ往生要集にかゝれたり。顕密の教法は予が死生をはなるべき法にはあらず。又三論の永観が十因等をみよ。されば法華真言等をすてゝ一向に念仏せば十即十生百即百生とすゝめければ、叡山・東寺・園城・七寺等始めは諍論するやうなれども、往生要集の序の詞、道理かとみへければ、顕真座主落ちさせ給ひて法然が弟子となる。 |
次に日本では末法に入って二百余年になるが、後鳥羽院の時代に法然という者がいて。一切の道俗にすすめていうには、「仏法は時機を本とするのである。法華経・大日経・天台・真言等の八宗、九宗や釈尊一代の大小・顕密・権実等の諸宗等は、上根上智の正像二千年の機のための教えである。そのうえ、これらの諸経、諸宗の修行を念仏に混ぜて同時に修行したなら、念仏の徳も消えて往生ができなくなる。これは自分が勝手にいっているのではなく、竜樹菩薩・曇鸞法師は念仏以外を難行道と名づけ、道綽はいまだ一人も悟りを得たものはいないと嫌い、善導は千人に一人も得道のものはないと定めた。これらは、念仏という他宗派の開祖たちの言であるから、それだけなら疑問もおきるであろう。しかるに、天台真言では、慧心流れの第一の学匠といわれた慧心先徳は末代第一の智者といわれていたが、彼の往生要集には「顕密の教法は、予が死生を離れるべき教法ではない」といっている。また日本の三論宗の永観の往生十因等を見ると、念仏をたたえている。されば法華真言等を捨てて、一向に念仏を唱えるならば、「十即十生・百即百生の功徳がある」とすすめたので、叡山山・東寺・園城寺・奈良の七寺等、はじめは争い論じ合っていたが、結局は、往生要集の序の慧心のことばが道理のように思えて、叡山の顕真座主が念仏の邪義に降伏して法然の弟子となってしまった。 |
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| 其の上設ひ法然が弟子とならぬ人々も、弥陀念仏は他仏ににるべくもなく口ずさみとし、心よせにをもひければ、日本国皆一同に法然房の弟子と見へけり。此の五十年が間、一天四海一人もなく法然が弟子となる。法然が弟子となりぬれば、日本国一人もなく謗法の者となりぬ。譬へば千人の子が一同に一人の親を殺害せば千人共に五逆の者なり。一人阿鼻に堕ちなば余人堕ちざるべしや。 |
そのうえ、たとえ法然の弟子とならない人々も、阿弥陀仏を他仏には比べようもないほど口ずさみ、心をよせたので、日本国はみな一同に法然房の弟子となったようにみえた。この五十年のあいだ、日本国中は一天四海、一人もなく法然の弟子となったのである。法然の弟子となったということは、日本国は一人も残らず謗法の者となったのである。たとえば、千人の子が一諸に一人の親を殺害すれば千人ともに五逆の者となる。一人が阿鼻地獄へおちれば、ほかの人たちもおちないわけがあろうか。 |
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結句は法然流罪をあだみて悪霊となって、我並びに弟子等をとがせし国主・山寺の僧等が身に入って、或は謀反ををこし、或は悪事をなして、 (★854㌻) 皆関東にほろぼされぬ。わづかにのこれる叡山東寺等の諸僧は、俗男俗女にあなづらるゝこと猿猴の人にわらわれ、俘囚が童子に蔑如せらるゝがごとし。 |
結局は、法然が朝廷から流罪されたことを怨んで、悪霊となって、法然並びに法然の弟子に弾圧を加えた国主や、比叡山や、三井寺の僧等の身に入って、あるいは謀反をおこしたり、あるいはは悪事をなさしめたのあろう。そのために、承久の乱がおきて、朝廷や比叡山や三井は、鎌倉幕府に滅ぼされてしまった。わずかに残った比叡山や東寺の僧たちは、人々からあなどられたり、笑いものにされて、猿が見物人に笑われるように、俘囚が子供からさえ、さげすまされたり、馬鹿にされたりするようなものである。これみな、法然の邪義のためである。 |
| 禅宗は又此の便を得て持斉等となって人の眼を迷はかし、たっとげなる気色なれば、いかにひがほうもんをいゐくるへども失ともをぼへず。禅宗と申す宗は教外別伝と申して、釈尊の一切経の外に迦葉尊者にひそかにさゝやかせ給えり。されば禅宗をしらずして一切経を習うものは犬の雷をかむがごとし。猿の月の影をとるににたり云云。此の故に日本国の中に不幸にして父母にすてられ、無礼なる故に主君にかんだうせられ、あるいは若なる法師等の学文にものうき、遊女のものぐるわしき本性に叶へる邪法なるゆへに、皆一同に持斎になりて国の百姓をくらう蝗虫となれり。しかれば天は天眼をいからかし、地神は身をふるう。 |
禅宗はまた。仏教界の混乱や衰微に乗じて「持斎」という、特別に戒律を持っている僧侶の姿をして、人の眼を迷わし、貴げな様子であるから、いかに誤った法門を言い出し、気違いのような邪義をたてても、人々はそれが誤りだと気がつかないでいる。彼らはいう「禅宗と申す宗は、教外別伝と申して、釈尊の一切経の外に迦葉尊者にひそかにその悟りをささやかれたのである。されば、禅宗を知らないで一切経を習う者は、犬が雷にかみつこうとしているようなものであり、猿が月の影を取ろうとしているのに似ている」といっている。 このゆえに、禅宗というのは、日本国の中で親不孝のために父母に捨てられたような、また無礼のため主君に勘当されたような、あるいは若い僧が学問を嫌っているような、遊女がもの狂わしいような本性にかなった邪法なのである。みなこの邪法に染まり、持斎となって、表面ばかり戒律を持っている姿をしているのは、国の百姓を食いつくすイナゴである。しかれば、天は天眼を怒らし、地神は身を降るうから、天変地夭が絶えまなく起こるのである。 |
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真言宗と申すは上の二つのわざわひにはにるべくもなき大僻見なり。あらあら此を申すべし、所謂大唐の玄宗皇帝の御宇に善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵、大日経・金剛頂経・蘇悉地経を月支よりわたす。此の三経の説相分明なり。其の極理を尋ぬれば会二破二の一乗、其の相を論ずれば印と真言と計りなり。尚華厳・般若の三一相対の一乗にも及ばず、天台宗の爾前の別円程もなし。但蔵通二教を面とす。 |
真言宗と申す宗派は、上の念仏、禅という二つの邪宗の災いとは似るべくもない、とんでもない大邪見の宗派である。いま、その大体のことを述べよう。いわゆる大唐の玄宗皇帝の時代に、善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵の三人が、大日経・金剛頂経・蘇悉地経をインドから中国へ渡した。この三経の説くところは明らかである。その極 理は何かといえば、会二破二の一乗である。すなわち、声聞、縁覚の二乗を会し、または二乗を破して、菩薩の一乗をあらわすというのである。またその教の事相を論ずれば、印と真言ばかりである。なお、華厳や般若で説く三一相対の一乗にも及ばない。天台宗で説く爾前の別教や円教ほどの深い法門もない。ただ蔵通の二教を表に説かれているだけである。 |
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而るを善無畏三蔵をもわく、此の経文を顕わにいゐ出だす程ならば、華厳・法相にもをこづかれ、天台宗にもわらわれなん。大事として月支よりは持ち来たりぬ。さてもだせば本意にあらずとやをもひけん。天台宗の中に一行禅師という僻人一人あり。これをかたらひて漢土の法門をかたらせけり。一行阿闍梨うちぬかれて、三論・法相・華厳等をあらあらかたるのみならず、天台宗の立てられけるやうを申しければ、善無畏をもはく、天台宗は天竺にして聞きしにもなをうちすぐれて、かさむべきやうもなかりければ、善無畏は一行をうちぬひて云はく、和僧は漢土にはこざかしき者にてありけり。天台宗は神妙の宗なり。今真言宗の天台宗にかさむところは印と真言と計りなりといゐければ、 (★855㌻) 一行さもやとをもひければ、善無畏三蔵一行にかたて云はく、天台大師の法華経に疏をつくらせ給へるごとく、大日経の疏を造りて真言を弘通せんとをもう。汝かきなんやといゐければ、一行が云はく、やすう候。 |
そこで善無畏三蔵が思うには、この三経をそのまま説き始めたならば、華厳宗や法相宗からもバカにされ、天台宗からもその低級さを笑われるであろう。しかし、インドから大事に持ってきた経典である。黙っていては不本意である、と思ったのであろうか。天台宗の中に一行禅師というひねくれ者が一人いた。そこで善無畏はこの人物に中国の仏教界がどのような経典を立て法門を立てているかを語らせた。一行阿闍梨は、すっかり善無畏にだまされて、三論・法相・華厳等の大体の教えを述べたばかりでなく、天台宗で立てられた教義についても説明した。善無畏は、天台宗はインドで聞いていた以上に勝れていて、自分の持ってきた大日経ではとうていその上へ出られそうもないと思った。そこで善無畏は一行をだましていうには、「貴僧は中国には珍しい賢僧である。天台宗は神妙の宗ではあるが、いま私の持ってきた真言宗は、印と真言があって天台宗よりもさらに勝れているのである」といった。
一行はそれもそうかと思ったようなので善無畏はさらに「天台大師の法華経に疏をつくったように、大日経の疏を作って真言をひろめようと思うが、汝が書いてくれないか」というと、一行は「それは、やさしいことだ」といった。 |
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但しいかやうにかき候べきぞ。天台宗はにくき宗なり。諸宗は我も我もとあらそいをなせども一切に叶はざる事一つあり。所謂法華経の序分に無量義経と申す経をもって、前四十余年の経々をば其の門を打ちふさぎ候ひぬ。法華経の法師品・神力品をもって後の経々をば又ふせがせぬ。肩をならぶ経々をば今説の文をもってせめ候。大日経をば三説の中にはいづくにかをき候べきと問ひければ、爾の時に善無畏三蔵大いに巧んで云はく、大日経に住心品という品あり。無量義経の四十余年の経々を打ちはらうがごとし。 |
そして「ただし、どのように書いたらよいのか。天台宗はにくい宗派であり、諸宗が我も我もと天台宗と争っているが、とてもかなわないことが一つある。それは、いわゆる法華経の序分に無量義経があり、無量義経において「四十余年には未だ真実を顕さず」とあって、法華経以外の一切の経を、権経なり方便なりとしてその門を封じてしまっている。さらに法華経法師品第十には「已に説き今説き当に説かん」の三説の中において、法華経が第一と決定し、神力品第二十一の四句の要法や結要付嘱によっても、法華経以後において、法華経以上の教えは説かれないことが明らかになっている。また法華経と同時に説かれた経典も、今説の中に入れられて、法華経より劣ることが明らかになっている。さて新たに大日経を弘めようと思っても、一体、大日経を已今当の三説のうちのどこへおいたらよいのだろうか」と問うた。ここにおいて善無畏三蔵は、おおいにたくらんでいうには「大日経の序分には住心品という品がある。ちょうど無量義経で四十余年未顕真実といったのと同じに、住心品で成仏の因たる極無自性心を説いていることから、他の一切の経を討ち払ってしまうことになるのである。 |
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大日経の入曼陀羅已下の諸品は漢土にては法華経・大日経とて二本なれども天竺にては一経のごとし。釈迦仏は舎利弗・弥勒に向かって大日経を法華経となづけて、印と真言とをすてゝ但理計りをとけるを、羅什三蔵此をわたす。天台大師此を見る。大日如来は法華経を大日経となづけて金剛薩埵に向かってとかせ給ふ。此を大日経となづく。我まのあたり天竺にしてこれを見る。されば汝がかくべきやうは、大日経と法華経とをば水と乳とのやふに一味となすべし。もししからば大日経は已今当の三説をば皆法華経のごとくうちをとすべし。さて印と真言とは心法の一念三千に荘厳するならば三密相応の秘法なるべし。三密相応する程ならば天台宗は意密なり。真言は甲なる将軍の甲鎧を帯して弓箭を横たへ太刀を腰にはけるがごとし。天台宗は意密計りなれば甲なる将軍の赤裸なるがごとくならんといゐければ、一行阿闍梨は此のやうにかきけり。 |
次には大日経の第二入漫陀羅品以下の諸品は、中国では法華経と大日経というように二本に分かれているが、インドでは一つの経である。釈迦仏は舎利弗や弥勒に向かっては大日経を法華経と名づけ、印と真言を捨てて但理ばかりを説いた。それを羅什三蔵が中国へ渡し、天台大師はそれをみたのである。しかしまた、大日如来は法華経を大日経と名づけて金剛薩埵に向かって説いた。これを大日経といい、自分はインドにおいてこのことをよく見て知っている。されば汝が書くべきことは、大日経と法華経とを、水と乳のように一味とすればよい。そうすれば、大日経は、已今当の三説を皆法華経のように打ち払ってしまうことができるのである。さて、印と真言とは、事相であって、これで心法の一念三千に荘厳するならば、それこそ身・口・意の三密が相応する秘法となる。三密が相応すれば真言が優れ、天台宗は単なる意密だけなので劣ることになる。真言は三密が相応するから、たとえば剛勇なる将軍が甲鎧を帯し、弓箭を横たえ、太刀を腰にはいたようなものである。それに対して天台宗は意密計りなので、剛勇なる将軍が赤裸になっているようなものである」といったので、一行阿闍梨はそのとおりに書いたのである。 |
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漢土三百六十箇国には此の事を知る人なかりけるかのあひだ、始めには勝劣を諍論しけれども、善無畏等は人がらは重し、天台宗の人々は軽かりけり。又天台大師ほどの智ある者もなかりければ、但日々に真言宗になりてさてやみにけり。年ひさしくなればいよいよ真言の誑惑の根ふかくかくれて候ひけり。日本国の伝教大師漢土にわたりて、天台宗をわたし給ひしついでに、真言宗をならべわたす。 (★856㌻) 天台宗を日本の皇帝にさづけ、真言宗を六宗の大徳にならわせ給ふ。但し六宗と天台宗の勝劣は入唐已前に定めさせ給ふ。入唐已後には円頓の戒場を立てう立てじの論か計りなかりけるかのあいだ、敵多くしては戒場の一事成じがたしとやをぼしめしけん、又末法にせめさせんとやをぼしけん、皇帝の御前にしても論ぜさせ給はず。弟子等にもはかばかしくかたらせ給はず。但し依憑集と申す一巻の秘書あり。七宗の人々の天台に落ちたるやうをかゝれて候文なり。かの文の序に真言宗の誑惑一筆みへて候。 |
中国の三百六十ケ国の中で、このからくりを知る者は一人もなかったので、初めは大日と法華の勝劣について論争したが、インドから来た善無畏らは、国王の王子の生まれであったり、また玄宗皇帝にも厚く信用されていたので、みな善無畏を信ずるようになった。天台宗の人々は、身分も軽く、また天台大師ほどの智慧がある者もいなかったので、ただ日々に真言宗に攻め入られるばかりであった。 さて、年久しくなるにしたがって、いよいよ真言の誑惑の根が深く隠れて、容易に世間には気づかれなくなった。日本国の伝教大師は中国へ渡って、天台宗を日本へ渡したついでに、真言宗をも持ってきた。そして天台宗を日本の天皇に授け、真言宗を奈良六宗の高僧たちに習学させた。ただし、六宗と天台宗との勝劣は、唐へ渡る前に公場対決して決定済みであった。唐から帰ってからは、比叡山に迹門の円頓の戒檀を建てるか、建てないかの議論が、果てしなく続いていたので、敵が多くては戒壇建立が成就しがたいと思われたのであろう。あるいは、真言の破折は末法にゆずられたのであろうか。天皇の前でも、六宗を攻めただけで真言を論ぜず、弟子等にも、はっきりしたことはいわれなかった。ただし、天台大師の『依憑集』という一巻の秘書がある。七宗の開祖や名僧が天台に帰伏したことを書いた書物である。この書の序に、真言宗の誑惑を破したところが一ヵ所ある。 |
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弘法大師は同じき延暦年中に御入唐、青竜寺の恵果に値ひ給ひて真言宗をならわせ給へり。御帰朝の後一代の勝劣を判じ給ひけるには、第一真言・第二華厳・第三法華とかゝれて候。此の大師は世間の人々はもってのほかに重んずる人なり。但し仏法の事は申すにをそれあれども、もってのほかにあらき事どもはんべり。 |
弘法大師は、伝教大師と同じく延暦年中に唐に入り、青竜寺の慧果に会って真言宗を習学した。日本へ帰って後に、釈尊一代仏教の勝劣を判じて、第一真言、第二華厳、第三法華と書いた。この弘法大師は、世間の人々がもってのほかに重んじて尊敬している人である。ただし、仏法のことについては、批判するのははばかりがあると思うが、もってのほかに見当はずれの誤りが多いのである。 |
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此の事をあらあらかんがへたるに、漢土にわたらせ給ひては、但真言の事相の印・真言計り習ひつたえて、其の義理をばくはしくもさばくらせ給はざりけるほどに、日本にわたりて後、大いに世間を見れば天台宗もってのほかにかさみたりければ、我が重んずる真言宗ひろめがたかりけるかのゆへに、本日本国にして習ひたりし華厳宗をとりいだして法華経にまされるよしを申しけり。それも常の華厳宗に申すやうに申すならば人信ずまじとやをぼしめしけん。すこしいろをかえて、此は大日経、竜猛菩薩の菩提心論、善無畏等の実義なりと大妄語をひきそへたりけれども、天台宗の人々いたうとがめ申す事なし。 |
これらの事情を、あらあら考えてみると、中国へ渡ってもただ真言の事相の、印と真言などという形式ばかりを習い伝えて、その義理は詳しく思索したり学んだりしなかったのであろう。その程度のことを学んだだけで、日本へ帰ったあと、よくよく世間を見れば、天台宗が伝教大師によって、もってのほかに尊重されていた。これでは、自分が重んずるところの真言宗は広まりそうにない。そこで、その昔日本で習ったことのある華厳宗を取り出して、華厳経は法華経に勝るといい出した。それも、ありふれた華厳宗のいいぶんを繰りかえすのみでは、人々が信じないと思ったのであろうか、少し色を変えて「これは大日経にも、竜猛菩薩の『菩提心論』にもあり、善無畏等のいっているところの実義である」と大妄語をつけ加えて全国にひろめた。けれども、天台宗の人々も、弘法の権威を恐れてか、強くこれをとがめる人はなかった。 |
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問うて云はく、弘法大師の十住心論・秘蔵宝鑰・二教論に云はく「此くの如き乗々自乗に名を得れども後に望めば戯論と作す」と。又云はく「無明の辺域にして明の分位に非ず」と。又云はく「第四熟蘇味なり」と。又云はく「震旦の人師等諍って醍醐を盗みて各自宗に名づく」等云云。此等の釈の心如何。 |
問うて云う。弘法大師の著述たる『十住心論』、『秘蔵宝鑰』、『二教論』には「各宗とも自宗に仏乗を名のっているが、後に出てくる、より高い教えに望めば、前の浅義は戯論となるのである」と。またいわく「法身の大日如来に相対すれば、釈尊も無名の辺域であって、明の分位(悟りの位)ではない」と。またいわく「五味に譬えると法華は第四の熟蘇味の位である」と。またいわく「中国の仏教の学者たちは、争って第五の醍醐味を真言宗から盗み取って、おのおのの自宗に添加している。」等といっているが、これらの釈はどうか。 |
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答へて云はく、予此の釈にをどろひて一切経並びに大日の三部経等をひらきみるに、華厳経と大日経とに対すれば法華経は戯論、六波羅蜜経に対すれば盗人、 (★857㌻) 守護経に対すれば無明の辺域と申す経文は一字一句も候わず。此の事はいとはかなき事なれども、此の三四百余年に日本国のそこばくの智者どもの用ひさせ給へば、定んでゆへあるかとをもひぬべし。しばらくいとやすきひが事をあげて余事のはかなき事をしらすべし。 |
答えていう。自分もこの釈に驚いて一切経ならびに大日の三部経を開いてみたが、華厳経と大日経に対すると法華経が戯論になるとか、六波羅蜜経に対すれば天台宗が盗人になるとか、守護経にあるように釈尊を無明の分際にするなどという経文は一字一句もないのである。このことは、大変に幼稚な邪義であるが、この三・四百年のあいだ、日本国では多くの智者どもが用いてきたので、定めて理由のあることだと思うであろう。そこで、大変にわかりきった彼らのごまかしをあげて、そのほかのことも信ずるに足らないことであることを明らかにしよう。 |
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法華経を醍醐味と称することは陳隋の代なり。六波羅蜜経は唐の半ばに般若三蔵此をわたす。六波羅蜜経の醍醐は陳隋の世にはわたりてあらばこそ、天台大師は真言の醍醐をば盗ませ給わめ。 |
天台大師が法華経を醍醐味といったのは、陳・隋の時代である。六波羅蜜経はその後の唐の時代になってから、般若三蔵がこれを中国へ持ってきたのである。六波羅蜜経の醍醐が、陳・隋代に渡ってきていたならば、天台大師は真言でいうところの、六波羅蜜経の醍醐を盗んで、法華経へつけたということもいえるかもしれない。しかし、事実は天台大師の時代に、真言はなかったのである。どうして盗んだといえるのか。 |
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傍例あり。日本の得一が云はく、天台大師は深密経の三時教をやぶる、三寸の舌をもって五尺の身をたつべしとのゝしりしを、伝教大師此をたゞして云はく、深密経は唐の始め、玄奘三蔵これをわたす。天台は陳隋の人、智者御入滅の後、数箇年あって深密経わたれり。死して已後にわたれる経をばいかでか破し給ふべきとせめさせ給ひて候ひしかば、得一はつまるのみならず、舌八つにさけて死し候ひぬ。 |
ここに同じような例がある。日本の法相宗の僧たる得一は「天台大師は深密経の三時教を破折しているが、これは三寸の舌で五尺の身を誤るものである」といって天台を非難したが、伝教大師はこれに対して「解深密経は唐の初めに玄奘三蔵が持ってきた経典である。ところが天台大師は、その前代の陳・隋の人であるから、大師の死後に伝えられた経を、どうして生前に破折することができようか」と責めたので、得一は返答につまったのみか、舌が八つに裂けて死んでしまったのである。
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これは彼にはにるべくもなき悪口なり。華厳の法蔵・三論の嘉祥・法相の玄奘・天台等乃至南北の諸師、後漢より已下の三蔵人師を皆をさえて盗人とかゝれて候なり。其の上、又法華経を醍醐と称することは天台等の私の言にはあらず。仏涅槃経に法華経を醍醐ととかせ給ひ、天親菩薩は法華経・涅槃経を醍醐とかゝれて候。竜樹菩薩は法華経を妙薬となづけさせ給ふ。 |
弘法が天台大師のことを盗人だといっているのは、得一よりも、さらにひどい悪口である。華厳の法蔵、三論の嘉祥、法相の玄奘、天台大師等、乃至、南北の諸師、後漢に仏法が中国へ渡って以来の三蔵の人師を、みな、ひとからげにして盗人と書いているのである。そのうえ、また、法華経を醍醐であると定めたのは、天台大師の私の言ではない。仏が涅槃経に法華経が醍醐であると説かれている。天親菩薩は法華経と涅槃経を醍醐であると説かれている。また竜樹菩薩は法華経を妙薬であると名づけられている。 |
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| されば法華経等を醍醐と申す人盗人ならば、釈迦・多宝・十方の諸仏、竜樹・天親等は盗人にてをはすべきか。弘法の門人等乃至日本の東寺の真言師は如何。自眼の黒白はつたなくして弁へずとも、他の鏡をもって自禍をしれ。此の外法華経を戯論の法とかゝるゝこと、大日経・金剛頂経等にたしかなる経文をいだされよ。設ひ彼々の経々に法華経を戯論ととかれたりとも、訳者の誤る事もあるぞかし。よくよく思慮のあるべかりけるか。孔子は九思一言、周公旦は沐には三にぎり、食には三はかれけり。外書のはかなき世間の浅き事を習ふ人すら智人はかう候ぞかし。いかにかゝるあさましき事はありけるやらん。 | されば法華経等を醍醐であるという人が盗人ならば、釈迦・多宝・十方の諸仏・竜樹・天親等は盗人であられるのか。弘法の弟子たちや日本の東寺の真言師たちは、いくら自分の眼の黒白は拙くして見分けがつかなくとも、他の鏡たる仏法に引き合わせて自ら謗法の禍を知りなさい。このほか、法華経を戯論の法と書かれるのであれば、大日経・金剛頂経等から確かな経文を出せ。たとえ、それらの経々に法華経を戯論と書いてあっても、訳者の誤りということもある。よくよく考えてから、いわなければならないのである。孔子は九たび思って一言出し、周公旦は沐浴するのに、三度も髪を握り、食べる時には三度吐いて、つねに注意を怠らなかったという。外道の書で、はかない世間の浅いことを習う人ですら、智人はこのように慎重にであった。それにもかかわらず、弘法は浅はかにも、仏法の大事中の大事を誤って、法華経を第三戯論などと下してしまったのである。 |
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かゝる僻見の末へなれば彼の伝法院の本願とがうする聖覚房が舎利講の式に云はく「尊高なる者は不二摩訶衍の仏なり。驢牛の三身は車を扶くること能はず。秘奥なる者は両部曼陀羅の教なり。顕乗の四法は履を採るに堪へず」云云。顕乗の四法と申すは法相・三論・華厳・法華の四人、 (★858㌻) 驢牛の三身と申すは法華・華厳・般若・深密経の教主の四仏、此等の仏僧は真言師に対すれば聖覚・弘法の牛飼ひ、履物取者にもたらぬ程の事なりとかいて候。 彼の月氏の大慢婆羅門は生知の博学、顕密二道胸にうかべ、内外の典籍掌ににぎる。されば王臣頭をかたぶけ、万民師範と仰ぐ。あまりの慢心に、世間に尊崇する者は大自在天・婆藪天・那羅延天・大覚世尊、此の四聖なり、我が座の四足にせんと、座の足につくりて坐して法門を申しけり。当時の真言師が釈迦仏等の一切の仏をかきあつめて灌頂する時敷まんだらとするがごとし。禅宗の法師等が云はく、此の宗は仏の頂をふむ大法なりというがごとし。而るを賢愛論師と申せし小僧あり。彼をたゞすべきよし申せしかども、王臣万民これをもちゐず。結句は大慢が弟子等・檀那等に申しつけて、無量の妄語をかまへて悪口打擲せしかども、すこしも命もをしまずのゝしりしかば、帝王賢愛をにくみてつめさせんとし給ひしほどに、かへりて大慢がせめられたりしかば、大王天に仰ぎ地に伏してなげいての給はく、朕はまのあたり此の事をきひて邪見をはらしぬ。先王はいかに此の者にたぼらかされて阿鼻地獄にをはすらんと、賢愛論師の御足にとりつきて悲涙せさせ給ひしかば、賢愛の御計らひとして大慢を驢にのせて五竺に面をさらし給ひければ、いよいよ悪心盛んになりて現身に無間地獄に堕ちぬ。今の世の真言と禅宗等とは此にかわれりや。漢土の三階禅師云はく、教主釈尊の法華経は第一第二階の正像の法門なり。末代のためには我がつくれる普経なり。法華経を今の世に行ぜん者は十方の大阿鼻獄に堕つべし。末法の根機にあたらざるゆへなりと申して、六時の礼懺四時の坐禅、生身の仏のごとくなりしかば、人多く尊みて弟子万余人ありしかども、わづかの小女の法華経をよみしにせめられて、当坐には音を失ひ後には大蛇になりて、そこばくの檀那弟子並びに小女処女等をのみ食らひしなり。今の善導・法然等が千中無一の悪義もこれにて候なり。 (★859㌻) 此等の三つの大事はすでに久しくなり候へば、いやしむべきにはあらねども、申さば信ずる人もやありなん。 |
以上のように、弘法等の邪義邪見を受けついだ末流であるから、彼の新義真言の祖といわれ、伝法院の本願と号する聖覚房覚鑁という人は、舎利供養式の講演の中で次のようにいっている。「尊高なる者は、不二摩訶衍という真言の大日如来である。驢牛の三身ともいうべき法華経等の仏などは、その車を引く資格すらない。秘奥なる教えは、真言の金剛界と胎蔵界の両部の漫陀羅の教えである。法相、三論、華厳、法華のいわゆる顕乗の四法の仏やこれを行じている者は、大日如来や聖覚房や弘法に対するならば、牛飼いか履取りにもおよばないのである」と。顕乗の四法というのは、法相・三論・華厳・法華の四人をさす。驢牛の三身とは、法華、華厳、般若、深密経の教主の釈尊をいう。これらの仏や僧は、真言師に対するれば、聖覚房や弘法の牛飼いか履物取りにもおよばないのであると書いてある。 彼のインドの大慢婆羅門は、生まれながらの博学で、仏教においては顕密の二道に通じているばかりでなく、内道外道ともに、あらゆる書籍を掌ににぎるように通達していた。されば王臣も頭を下げ万人が師範とあおいだのである。しかし、万人からあおがれるあまりに、ついに慢心をおこして、世間の人が尊崇しているものは、大自在天、婆籔天、那羅延天と、釈尊の四人であるところから、これらの四人を自分のすわる座の四本の柱にし、足としてその上にすわって説法とした。それはあたかも、現在の真言師たちが、釈迦仏等の一切の仏をかき集めて、潅頂という真言の儀式を行う時の敷まんだらとしているようなものである。また今の禅宗の法師等がいうには、この宗は仏の頂をふむ大法であるというようなものである。 しかるに賢愛論師という小僧が彼の大慢を糺問するといったが、王臣万民ともにこれを用いなかった。決局は大慢は自分の弟子や檀那にいいつけて、無量の妄語をかまえて賢愛論師の悪口をいったり、打ちすえたりしたが、論師は少しも命をおしむことなく大慢の邪見を責めたので、帝王はかえって賢愛論師をにくみ、問答させて追い詰めようとした。ところが結果は逆に大慢が責められたので、帝王は天をあおぎ地に伏して歎いていうには、「朕は、まのあたりこのことを聞いて邪見を晴らすことができたが、先王は大慢にたぼらかされたまま死んだので、いまは阿鼻地獄にいるであろう」と。賢愛論師の足にとりついて、悲涙にむせんだ。そこで賢愛のはからいとして、大慢を捕えて馬に乗せ、インドじゅうに顔をさらさせて、つれ歩いた。そのため、いよいよ悪心が強盛になって、生きながら無間地獄におちてしまった。今の世の真言や禅宗も、まったくこれと同じではないか。 中国の三階禅師のいうには、「三階の仏法からすれば、釈尊の出世の本懐たる法華経も、第一階、第二階の正像の法門である。第三階の末法に弘められる法門は、自分が作った『普経』でなければならない。されば、法華経を今の世に行ずる者は、十方の大阿鼻獄におちるであろう。末代の根機に法華経は合わないからである」といって、昼三回夜三回の六時の礼拝懺悔や、昼夜を四つに分けた四時の坐禅などを行い、生き仏のように尊敬されていた。弟子も一万余人もできたのであるが、わずかの少女が法華経をもって三階を責めたので、その場で声が出なくなり、後には大蛇になって、多くの自分の弟子檀那や、少女、処女等を飲み食らったのである。今の浄土宗の善導、法然等が、「法華経を行じて千人のうち一人も得道する者がない」などという悪義もこれと同じである。これら念仏、禅、真言などの邪義は、始まってから、すでに年久しくなっているので、賤しむわけではないが、申さねば信ずる人もあると思ってこのようにいうのである。 |
| これよりも百千万億倍信じがたき最大の悪事はんべり。慈覚大師は伝教大師の第三の御弟子なり。しかれども上一人より下万民にいたるまで伝教大師には勝れてをはします人なりとをもえり。此の人真言宗と法華宗の奥義を極めさせ給ひて候が、真言は法華経に勝れたりとかゝせ給へり。而るを叡山三千人の大衆、日本一州の学者等一同帰伏の宗義なり。弘法の門人等は大師の法華経を華厳経に劣るとかゝせ給へるは、我がかたながらも少し強きやうなれども、慈覚大師の釈をもってをもうに、真言宗の法華経に勝れたることは一定なり。日本国にして真言宗を法華経に勝ると立つるをば叡山こそ強がたきなりぬべかりつるに、慈覚をもって三千人の口をふさぎなば真言宗はをもうごとし。されば東寺第一のかたうど、慈覚大師にはすぐべからず。例せば浄土宗・禅宗は余国にてはひろまるとも、日本国にしては延暦寺のゆるされなからんには無辺劫はふとも叶ふまじかりしを、安然和尚と申す叡山第一の古徳、教時諍論と申す文に九宗の勝劣を立てられたるに、第一真言宗・第二禅宗・第三天台法華宗・第四華厳宗等云云。此の大謬釈につひて禅宗は日本国に充満して、すでに亡国とならんとはするなり。法然が念仏宗のはやりて一国を失はんとする因縁は慧心の往生要集の序よりはじまれり。師子の身の中の虫の師子を食らふと、仏の記し給ふはまことなるかなや。 |
これら三宗の邪義よりも、百千万億倍も信じがたい最大の悪事がある。慈覚大師は、伝教大師の第三の弟子であったが、上一人より下万民にいたるまで、慈覚の方が伝教大師より勝れていると思うほどの有名人であった。この慈覚は、真言宗と法華宗の実義を学びつくした結果、真言は法華経より勝れていると書きつけた。そして比叡山三千人の大衆をはじめ、日本国の学者等が、一人残らず、その邪義に帰伏してしまった。弘法の門人たちは、弘法が十住心の教判をたて、法華は第三のけろんで、第一の真言、第二の華厳におよばないといったことについて、自分の師匠ながら少し強すぎるのではないかと思っていた。しかし、慈覚が真言宗は法華経より勝れているといったので、それがもっとも決定的な結論であると思うようになった。 日本国で真言宗を法華経より勝れていると立てる場合に、比叡山こそ強い敵となって真言と戦うべきであるのに、慈覚が真言を取り入れて比叡山の三千人の口をふさいだので、まったく真言宗の思いどうりになっったのである。されば真言の総本山たる東寺の、第一の味方は、慈覚大師である。 たとえば、浄土宗も禅宗も、ほかの国では自由にひろまるとしても、日本の国では、延暦寺の許可がなければ、無量劫を経てもひろまるわけがない時代であった。日本国内は、すべて、法華経に統一されていたのである。しかるに、安然和尚という、叡山第一の古徳が、『教時諍論』という書を作って、九宗の勝劣を立てた中に、第一は真言宗、第二は禅宗、第三は天台法華宗、第四は華厳宗であるとした。この大謬釈によって、禅宗は日本国に充満して、邪法ばかりがひろまって、すでに日本は亡国にならんとしている。 また法然の念仏宗が流行して、一国が失われようとするにいたった因縁は、慧心の『往生要集』の序から始まったのである。このように、諸経中の王たる法華経を信じ、しかも天台座主という絶対の権威の座におりながら、法華経よりも真言が勝れるとか、禅が勝れているとか、念仏でなければ往生ができないなどというのは、もってのほかの叛逆であり仏敵である。「獅子が死んでも、いかなる動物もこれを食べようとしないが、獅子の身中からわきでた虫が獅子の肉を食らってしまう」と仏が記されているが、もっともなことである。 |
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伝教大師は日本国にして十五年が間、天台真言等を自見せさせ給ふ。生知の妙悟にて師なくしてさとらせ給ひしかども、世間の不審をはらさんがために、漢土に亘りて天台真言の二宗を伝へ給ひし時、彼の土の人々はやうやうの義ありしかども、我が心には法華は真言にすぐれたりとをぼしめしゝゆへに、真言宗の宗の名字をば削らせ給ひて、天台宗の止観真言等かゝせ給ふ。十二年の年分得度の者二人ををかせ給ひ、重ねて止観院に法華経・金光明経・仁王経の三部を鎮護国家の三部と定めて宣旨を申し下し、永代日本国の第一の重宝神璽・宝剣・ (★860㌻) 内侍所とあがめさせ給ひき。叡山第一の座主義真和尚・第二の座主円澄大師までは此の義相違なし。第三の慈覚大師御入唐、漢土にわたりて十年が間、顕密二道の勝劣を八箇の大徳にならひつたう。又天台宗の人々広修・維等にならわせ給ひしかども、心の内にをぼしけるは、真言宗は天台宗には勝れたりけり、我が師伝教大師はいまだ此の事をばくはしく習はせ給はざりけり、漢土に久しくもわたらせ給はざりける故に、此の法門はあらうちにみをはしけるやとをぼして、日本国に帰朝し、叡山の東塔止観院の西に総持院と申す大講堂を立て、御本尊は金剛界の大日如来、此の御前にして大日経の善無畏の疏を本として、金剛頂経の疏七巻・蘇悉地経の疏七巻已上十四巻をつくる。此の疏の肝心の釈に云はく「教に二種有り。一は顕示教、謂はく三乗教なり。世俗と勝義と未だ円融せざる故に。二は秘密教、謂はく一乗教なり。世俗と勝義と一体にして融する故に。秘密教の中に亦二種有り。一には理秘密教、諸の華厳・般若・維摩・法華・涅槃等なり。但世俗と勝義との不二を説いて未だ真言密印の事を説かざる故に。二には事理倶密教、謂はく大日経・金剛頂経・蘇悉地経等なり。亦世俗と勝義との不二を説き亦真言密印の事を説く故に」等云云。釈の心は法華経と真言の三部との勝劣を定めさせ給ふに、真言の三部経と法華経とは所詮の理は同じく一念三千の法門なり。しかれども密印と真言等の事法は法華経かけてをはせず。法華経は理秘密、真言の三部経は事理倶密なれば天地雲泥なりとかゝれたり。しかも此の筆は私の釈にはあらず。善無畏三蔵の大日経の疏の心なりとをぼせども、なをなを二宗の勝劣不審にやありけん、はた又他人の疑ひをさんぜんとやをぼしけん。大師慈覚なりの伝に云はく「大師二経の疏を造り、功を成し已畢って心中に独り謂へらく、此の疏、仏意に通ずるや否や。若し仏意に通ぜざれば世に流伝せじ。仍って仏像の前に安置し七日七夜深誠を翹企し祈請を勤修す。五日の五更に至って夢みらく、正午に当たって日輪を仰ぎ見、弓を以て之を射る。其の箭日輪に当たって日輪即ち転動す。夢覚めての後深く仏意に通達せりと悟り、後世に伝ふべしと」等云云。 (★861㌻) 慈覚大師は本朝にしては伝教・弘法の両家を習ひきわめ、異朝にしては八大徳並びに南天の宝月三蔵等に十年が間最大事の秘法をきわめさせ給へる上、二経の疏をつくり了り、重ねて本尊に祈請をなすに、智慧の矢すでに中道の日輪にあたりてうちをどろかせ給ひ、歓喜のあまりに仁明天王に宣旨を申しそへさせ給ひ、天台の座主を真言の官主となし、真言の鎮護国家の三部とて今に四百余年が間、碩学稲麻のごとし渇仰竹葦に同じ。されば桓武・伝教等の日本国建立の寺塔は一宇もなく真言の寺となりぬ。公家も武家も一同に真言師を召して師匠とあをぎ、官をなし寺をあづけたぶ。仏事の木画の開眼供養は八宗一同に大日仏眼の印真言なり。 |
伝教大師は日本国において、十五年の間、天台真言等の仏法の奥義を学ばれた。生まれながらの秀れた智慧で、釈尊一代仏教においては、法華経第一であることを、師匠もなく悟られたのである。延暦二十一年正月十九日には、高野山において、奈良六宗の大徳十余人と時の桓武天皇の面前で討論し、十余人は、ことごとく伝教大師に帰伏し、謝表をたてまつったので、仏教界は法華経に統一されたのである。 しかし、なお世間の人々の疑いを晴らそうとして、延暦二十三年に唐へ渡り、翌二十四年に帰国して、天台、真言の二宗を伝えたのである。当時の中国の仏教界においては。天台と真言の勝劣について、いろいろの義があったが、伝教大師は我が心には法華経は真言に勝れていると思われたので、真言宗という宗の字を削り取り、天台宗の止観、真言と書いたのである。毎年の年分得度者として、二人ずつの者を出家させ、十二年のあいだ勉強させた。一乗止観院、すなわち根本中堂において、法華、金光明、仁王の三部を長講させ、この三部を鎮護国家の三部と定めた。天皇の宣旨を申し下し、永遠に日本国の第一の重宝たる神璽と宝剣と内侍所のいわゆる三種の神器になぞらえて、日本民族の永遠の宝とし、譲りとしたのである。比叡山に戒壇を建立したのは、伝教大師入滅の直後であって、叡山第一代の座主は義真和尚、第二の円澄大師までは、この伝教の精神に相違しなかった。 第三の慈覚大師は、伝教大師と同じように唐へ渡って仏法を学んだが、伝教大師の一年に対し、慈覚は十年の間、顕密二道の勝劣を、八人の高僧から学んだ。また天台宗のことは、広修、維蠲等に修学したけれども、心の中で思っていたことは、真言宗は天台宗より勝れている。わが師伝教大師は、いまだこのことをくわしく学ばないうちに、唐へ渡って、わずか一年で日本に帰ってしまったので、このことをよく知らなかったと思って、日本国へ帰朝した。そして比叡山の東塔、止観院の西に、総持院という大講堂を建て、真言の金剛界の大日如来を本尊とし、この前で大日経の善無畏の疏(大日経疏)に習い、金剛頂経の疏七巻、蘇悉地経の疏七巻、以上合わせて十四巻を著述したのである。 此の疏の肝心の釈にいわく「教には二種類があって、一は顕示教で、いわゆる三乗教である。この教えではまだ世俗諦という一般世間と勝義諦という仏法の理とが円融していないのである。二は秘密教で、いわゆる一乗教である。これは世俗と勝義とが一体になり融合している。秘密教の中にまた二種類ある。一には理秘密の教で、もろもろの華厳・般若・維摩・法華・涅槃等である。これらの経には、ただ世俗と勝義との不二を説いて、いまだ真言と密印の事を説いていない。二には事理倶密の教で、大日経、金剛頂経、蘇悉地経等で、いわゆる真言の三部経がこれである。これには世俗と勝義との不二、一体を説くとともに、また真言と密印の事を説いているので、事理倶密である」と。 この慈覚の解釈の意味は、法華経と真言の三部経との勝劣を定めるのに、真言の三部経は法華経と、所詮の理は同じく一念三千の法門である。しかれども、密印と真言等との事法は、法華経は欠けて無い。ただ法華経は理秘密で理論を明かしたに過ぎないが、真言の三部経は事理倶密であるから、真言のほうが天地雲泥のように勝れている……と書いたのである。しかもこれは自分勝手な意見ではなく、善無畏三蔵の大日経の疏の心であるといった。しかもなお二宗の勝劣に疑問を持っていたのであろうか。はたまた、他人の疑いを晴らそうと思ったのであろうか。慈覚の伝には、次のように書いている。 「慈覚は二経の疏を作り、功を成しおわって、心中ひそかに思うのに、この疏は仏の意にかなうかどうか。もし仏意に通じないならば、世に流布しないよう、伝わらないようにしなければならない。そこで仏像の前に安置し、七日七夜にわたり、心をこめて深い祈りをつくした。すると五日目の五更(夜明けがた)にいたって夢をみた。その夢には、正午の大陽が輝いているのをあおぎ見て、弓をもってこれを射ると、その箭が太陽に命中し、太陽は動転して落ちた。夢がさめてのち、慈覚は自分の釈は深く仏意に通達したと思い、後世に伝えるべしと決意した」というのである。 慈覚大師は日本においては伝教、弘法の両大師の教えを習いきわめ、唐へ渡ってからは、八大徳を始め、南インドの宝月三蔵等に十年の間、最大事の秘法を習いきわめたうえ、二経の疏を作ったのである。しかも重ねて本尊に祈請をなしたところ、智慧の矢が中道の太陽にあたり、正しいことを証明できたと錯覚したのである。歓喜のあまりに仁明天王に奏聞し、宣旨をそえて、天台の座主を真言の官主となし、真言の三部経を鎮護国家の三部といい出して、このような、とんでもない邪義を全国に弘めだしたのである。この邪義・邪法が流行しはじめて今日まで四百余年のあいだ、仏法の大学者は稲や麻のように多く、これを渇仰する輩は竹葦のように多かった。されば桓武天皇や伝教大師によって建立された日本国中の寺塔は、一つ残らず真言の寺となってしまった。公家も武家も一同に真言師を召して師匠とあおぎ、官位を与え、寺をあずけたのである。仏事の仏事としての、木像画像の開眼供養も、八宗とも一同に大日仏眼の印と真言で行うようになってしまった。 |
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亡国のかなしさ亡身のなげかしさに、身命をすてゝ此の事をあらわすべし。国主世を持つべきならば、 (★863㌻) あやしとをもひて、たづぬべきところに、たゞざんげんのことばのみ用ひて、やうやうのあだをなす。 |
亡国の悲しさ、亡身のなげかしさを思えば、身命を捨てて、その邪義邪見を破折していかねばならない。 こうした日蓮大聖人の国を思う御一念に対し、国主たる者が世を持ち国の安泰を願うならば、いったい日蓮大聖人の御真意はどこにあるかと、尋ね求めなければならないはずである。しかるに、邪宗謗法の輩の讒言のことばのみを用いて、幾度か迫害弾圧を加えてきた。 |
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| 而るに法華経守護の梵天・帝釈・日月・四天・地神等は古の謗法をば不思議とはをぼせども、此をしれる人なければ一子の悪事のごとくうちゆるして、いつわりをろかなる時もあり、又すこしつみしらする時もあり。今は謗法を用ひたるだに不思議なるに、まれまれ諫暁する人をかへりてあだをなす。一日二日・一月二月・一年二年ならず数年に及ぶ。彼の不軽菩薩の杖木の難に値ひしにもすぐれ、覚徳比丘の殺害に及びしにもこえたり。 | しかるに、法華経守護の梵天、帝釈、日月、四天、地神等は、昔、日蓮大聖人の御出現以前の謗法をば、不都合と思われたが、これを謗法であるといって責める人もいなかったので、一人しかいない子が悪いことをしても、おおめに見て許しておくように、知らぬふりをして許したこともあったし、また少しは誡めて思い知らせる時もあった。今は日蓮が謗法を責めているのであるから、謗法の徒を用いることさえ不思議であるのに、たまたま諌暁する人に対し、かえって迫害を加える。それも一日二日、一月二月、一年二年だけでなく、数年にわたって弾圧を加えてきた。彼の不軽菩薩が、国中の人から杖木を加えられ迫害を受け、覚徳比丘は破戒の比丘から刀杖をもって攻められたが大聖人の受けた迫害には及ばないのである。 | |
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而る間、梵釈の二王・日月・四天・衆星・地神等やうやうにいかり、度々いさめらるれども、いよいよあだをなすゆへに、天の御計らひとして、隣国の聖人にをほせつけられて此をいましめ、大鬼神を国に入れて人の心をたぼらかし、自界反逆せしむ。吉凶につけて瑞大なれば難多かるべきことわりにて、仏滅後二千二百三十余年が間、いまだいでざる大長星、いまだふらざる大地しん出来せり。 漢土・日本に智慧すぐれ才能いみじき聖人は度々ありしかども、いまだ日蓮ほど法華経のかたうどして、国土に強敵多くまうけたる者なきなり。まづ眼前の事をもって日蓮は閻浮第一の者としるべし。 |
その間、梵天、帝釈の二王、日月、四天、衆星、地神等は、さまざまに怒りをなして、たびたび諌められるのに、いよいよ正法を行ずる日蓮大聖人に迫害を加えるので、天の御はからいとして、隣国の聖人に命令してこの謗法の国を攻め、大鬼神を国内に入れて人の心をたぼらかし、内乱を起こさせた。吉につけ凶につけて、瑞が大きければ難が多いのが道理であって、仏の滅後、二千二百三十余年の間、いまだ出たことのない大きな彗星や、いまだ経験したことのないような大地震が起きた。 中国にも日本にも智慧が勝れ、才能の高い聖人は、たびたびあったけれども、いまだ日蓮ほど法華経の味方となって、国土に多くの強敵をつくった者はない。まずこのような眼前の事実をもって、日蓮は世界第一の者であることを知るべきである。 |
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| 仏法日本にわたて七百余年、一切経は五千七千、宗は八宗十宗、智人は稲麻のごとし、弘通は竹葦ににたり。しかれども仏には阿弥陀仏、諸仏の名号には弥陀の名号ほどひろまりてをはするは候はず。此の名号を弘通する人は、慧心は往生要集をつくる、日本国三分が一は一同の弥陀念仏者。永観は十因と往生講の式をつくる、扶桑三分が二分は一同の念仏者。法然はせんちゃくをつくる、本朝一同の念仏者。而かれば今の弥陀の名号を唱ふる人々は一人が弟子にはあらず。此の念仏と申すは双観経・観経・阿弥陀経の題名なり。権大乗経の題目の広宣流布するは、実大乗経の題目の流布せんずる序にあらずや。心あらん人は此をすいしぬべし。権経流布せば実経流布すべし。権経の題目流布せば実経の題目又流布すべし。 |
仏法が日本に渡って七百余年、一切経は五千、七千巻、宗は八宗、十宗もあり、智人は稲麻のごとく多く出て、その弘通の盛んなことは竹葦のようであった。しかれども仏といえば阿弥陀仏であり、仏の名を唱えるとなれば、南無阿弥陀と唱えるばかりである。この弥陀の名号をひろめたのは、比叡山の慧心先徳が『往生要集』を作って阿弥陀をすすめたため、日本の三分の一は念仏者になった。同じく永観が『往生十因』『往生講の式』を作って、日本の三分が二分を念仏者にしてしまった。そして法然は『選択集』を作り、日本一同を念仏者にしてしまった。さすれば、今の念仏を唱える人々は、一人の弟子ではない。この念仏というのは、雙観経、観経、阿弥陀経の題名である。このような権大乗経の題目が広宣流布することは、実大乗たる法華経の題目が流布するための序文になる。権経の題目が流布すれば、実経の題目もまた流布するはずである。 |
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欽明より当帝にいたるまで七百余年、いまだきかず、いまだ見ず、 (★864㌻) 南無妙法蓮華経と唱へよと他人をすゝめ、我と唱へたる智人なし。日出でぬれば星かくる。賢王来たれば愚王ほろぶ。実経流布せば権経のとゞまり、智人南無妙法蓮華経と唱えば愚人の此に随はんこと、影と身と声と響とのごとくならん。日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし。これをもってすいせよ。漢土・月支にも一閻浮提の内にも肩をならぶる者は有るべからず。 |
仏法が日本に初めて伝わった欽明天皇より、当帝にいたるまで七百余年の間に、いまだ南無妙法蓮華経と唱えよと、他人にすすめ、みずからも唱えた智人はない。そのような智人は聞いたことも見たこともない。 太陽が出れば星は隠れる。賢王が来れば愚王は滅ぶ。これと同じで、実経が流布すれば権経は廃れ、智人が南無妙法蓮華経と唱えれば、愚人がこれに随うであろうことは、影と身が相応じ、声と響きが相応ずるようなものである。日蓮は日本第一の法華経の行者であることは、あえて疑いないところである。これをもって推察せよ。中国にもインドにも、全世界の中にも日蓮大聖人と肩を並べるものはありえないのである。 |
| 問うて云はく、正嘉の大地しん文永の大慧星はいかなる事によって出来せるや。答へて云はく、天台云はく「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云。問うて云はく、心いかん。答へて云はく、上行菩薩の大地より出現し給ひたりしをば、弥勒菩薩・文殊師利菩薩・観世音菩薩・薬王菩薩等の四十一品の無明を断ぜし人々も、元品の無明を断ぜざれば愚人といわれて、寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんずるゆへに、此の菩薩を召し出だされたるとはしらざりしという事なり。 |
問うていわく、正嘉元年八月の大地震と、文永元年七月の大彗星とは、なぜ起きたのか。答えていわく、天台は「智人は将来の起きるべきことを知り、蛇はみずから蛇のことを知っている」と。 問うていわく、それは何を意味するのか。答えていわく、法華経湧出品第十五のときに、上行菩薩が大地より出現なされたのを見て、弥勒菩薩、文殊師利菩薩、観世音菩薩、薬王菩薩等の爾前迹門では四十一品の無明を断じ最高位の菩薩たちであったが、元品の無明をまだ断じていなかったので、愚人といわれ、寿量品の南無妙法蓮華経を末法に流布せしめるために、上行菩薩がここへ出現したということを知らなかったという。ゆえに末法の大百法広宣流布は、容易なことではわからないのである。 |
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| 問うて云はく、日本・漢土・月支の中に此の事を知る人あるべしや。答へて云はく、見思を断尽し、四十一品の無明を尽くせる大菩薩だにも此の事をしらせ給はず、いかにいわうや一毫の惑をも断ぜぬ者どもの此の事を知るべきか。問うて云はく、智人なくばいかでか此を対治すべき。例せば病の所起を知らぬ人の、病人を治すれば人必ず死す。此の災ひの根源を知らぬ人々がいのりをなさば、国まさに亡びん事疑ひなきか。あらあさましやあさましや。答へて云はく、蛇は七日が内の大雨をしり、烏は年中の吉凶をしる。此則ち大竜の所従、又久学のゆへか。日蓮は凡夫なり。此の事をしるべからずといえども、汝等にほゞこれをさとさん。 |
問うていわく、日本、中国、インドの中にこのことを知っている人があるか。答えていわく、見惑・思惑を断じ尽くし、四十一品の無明を立ち切った大菩薩さえも、このことをご存知なかったといった。いかにいわんや、少しの惑をも断じていないわれら凡夫が、このことを知りえようか。 問うていわく、知らないものばかりでは、ますます不幸になる。智人がいなければ、このような大災難を対治することはできない。たとえば、病の起こる原因を知らない人が、その病気をなおそうとしても、必ず病人は死んでしまう。この大災難の根源を知らない人々が、祈りをなしたならば、国はまさに亡びるであろうことは疑いない。まことにあさましい限りである。 答えていわく、蛇は七日が内の大雨を知り、烏はその年の吉凶を知るという。なぜそれができるかといえば、蛇は大竜の家来であり、鳥は久しい間にわたって世間に起きるべきことを学んできた結果によるのであろう。日蓮は凡夫であるから、そのことを知る由もないが、汝等に、ほぼこのことを教えさとそう。 |
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| 彼の周の平王の時、禿にして裸なる者出現せしを、辛有といゐし者うらなって云はく、百年が内に世ほろびん。同じき幽王の時、山川くづれ、大地ふるひき。白陽と云ふ者勘へていはく、十二年の内に大王事に値はせ給ふべし。今の大地震・大長星等は国主日蓮をにくみて、亡国の法たる禅宗と念仏者と真言師をかたうどせらるれば、天いからせ給ひていださせ給ふところの災難なり。 | 彼の周の平王の時に、頭を禿にして裸になっている者を見て、辛有という人がそれを占っていうには「百年の内に世がほろびるであろう」と。同じく周の幽王の時に、山や川が崩れる大地震があった。白陽という者が考えていうには「十二年の内に大王は大事件に遭うであろう」と。これらの例はみなそのとおりになった。さて今の大地震と、大彗星は、国王が日蓮をにくみ、亡国の邪法たる禅宗と念仏者と真言宗の味方をするので、天が怒られて起こされたところの災難なのである。 |
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問うて云はく、なにをもってか此を信ぜん。 (★865㌻) |
問うていわく、天変地夭がおこるのは、国主が邪法の味方となり、正法の行者たる日蓮を迫害するゆえであるというが、何をもってこれを信ずることができようか。 | |
| 答へて云はく、最勝王経に云はく「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に星宿及び風雨皆時を以て行なはれず」等云云。此の経文のごときんば、此の国に悪人のあるを王臣此を帰依すという事疑ひなし。又此の国に智人あり。国主此をにくみて、あだすという事も又疑ひなし。又云はく「三十三天の衆咸忿怒の心を生じ、変怪流星墮ち、二つの日倶時に出でて、他方の怨賊来たりて国人喪乱に遭はん」等云云。すでに此の国に天変あり地夭あり。他国より此をせむ。三十三天の御いかり有ること又疑ひなきか。 | 答えていわく、最勝王経には「悪人を愛敬し、善人を罰すると、星宿や風雨が順調にならなくなる」とある。この経文のとおりであれば、この日本の国に悪人がおり、王臣がその悪人に帰依していることは疑いない。またこの国に智人があり、国主がこれを憎み迫害を加えていることも、疑いのない事実である。なぜなら、天変地夭が盛んだからである。また同じく最勝王経には「三十三天の衆が、みな怒っているから、怪しい流星がおちたり、二つの太陽が同時に出たり、他国の怨賊が攻めきたって国中の人が戦乱の巷にさまようであろう」とある。すでに日本の国には、天変もあり地夭もある。また他国よりより蒙古が攻めきたっている。三十三天の怒っていることも、疑いない事実である。 | |
| 仁王経に云はく「諸の悪比丘多く名利を求め国王・太子・王子の前に於て自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別へずして此の語を信聴し」等云云。又云はく「日月度を失ひ、時節反逆し、或は赤日出で、或は黒日出で、二三四五の日出で、或は日蝕して光無く、或は日輪一重二重四五重輪現ぜん」等云云。文の心は悪比丘等国に充満して、国王・太子・王子等をたぼらかして、破仏法・破国の因縁をとかば、其の国の王等此の人にたぼらかされてをぼすやう、此の法こそ持仏法の因縁・持国の因縁とをもひ、此の言ををさめて行なふならば日月に変あり、大風と大雨と大火等出来し、次には内賊と申して親類より大兵乱をこり、我がかたうどしぬべき者をば皆打ち失ひて、後には他国にせめられて、或は自殺し、或はいけどりにせられ、或は降人となるべし。是偏に仏法をほろぼし、国をほろぼす故なり。 |
仁王経には「もろもろの悪比丘が、多くの名誉や利益を求め、国王、太子、王子の前において、みずから仏法を破失する因縁や、国を破る因縁を説く。その王がこれをわきまえないで、悪比丘を信じ、その語を聞いている」とある。またいわく「日月が度を失って不規則になり、時節が反逆になったり、あるいは赤い日、黒い日、あるいは二三四五の日が出たりする。あるいは日が蝕して光がなく、あるいは太陽が一重二重に出たり四五重輪出たりする」とある。 これらの経文の心は、悪比丘が国に充満して、国王・太子・王子等をたぼらかして破仏法・破国の因縁を説くと、その国の王はこの悪人にたぼらかされて思うのは、この法こそ持仏法の因縁であり、持国の因縁であろうと。そうしてこの悪人のことばを用い、行うならば、日月に変があり、大風と大雨と大火が起こり、次には内賊といって親しい中から内乱がおこり、自分の味方や兄弟などをみな打ち殺してしまい、のちには他国に攻められて、あるいは自殺し、あるいは生け捕りにされ、あるいは降人として敵にとられるであろう。これはひとえに、仏法を亡ぼし国を亡ぼすゆえである。 |
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| 守護経に云はく「彼の釈迦牟尼如来の所有の教法は一切の天魔・外道・悪人・五通の神仙皆乃至少分をも破壊せず。而るに此の名相の諸の悪沙門皆悉く毀滅して余り有ること無からしむ。須弥山を仮使三千界の中の草木を尽くして薪と為し、長時に焚焼すとも一毫も損すること無し、若し劫火起こりて火内より生じ、須臾も焼滅せんには灰燼をも余すこと無きが如し」等云云。 | 守護経にいわく「彼の釈迦牟尼如来のたもつところの教法は、一切の天魔、外道、悪人、五神通をえた神仙等のごとき、仏法外の敵はこれを少しも破壊することができない。しかし、名ばかり出家し僧の姿をした悪人が、ことごとく仏法を破り滅して、何も残らぬようにするであろう。須弥山を、たとえ三千世界の中の草木を全部あつめて薪として焼いたところで、須弥山は焼けも崩れもしない。もし劫火がおき、この地球の破滅するときがきたなら、内より生じた火によって、たちまち焼滅し、その灰さえ残らないであろう」と。 | |
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蓮華面経に云はく「仏阿難に告げたまはく、譬へば師子の命終せんに若しは空若しは地若しは水若しは陸の所有の衆生敢へて師子の身の宍を食らはず。唯師子自ら諸の虫を生じて自ら師子の宍を食らふが如し。阿難、我が之の仏法は余の能く壊るに非ず。 (★866㌻) 是我が法の中の諸の悪比丘我が三大阿僧祇劫に積行し勤苦し集むる所の仏法を破らん」等云云。 |
蓮華面経にいわく「仏が阿難に告げていうには、たとえば師子が死んだ時に、もしは空、もしは地、もしは水、もしは陸地にすんでいるいかなる動物もあえて師子の肉を食べようとしない。ただ師子がみずからの死体のなかにもろもろの虫が発生して、この虫が師子を食うのである。阿難よ。仏法もまたこのとおりであって、外部から仏法を破ることはできないが、仏法中の悪比丘が、仏が三大阿僧祇劫にもわたって行を積み、勤苦して集めたところ仏法を破るであろう」と。 | |
| 経文の心は過去の迦葉仏、釈迦如来の末法の事を訖哩枳王にかたらせ給ひ、釈迦如来の仏法をばいかなるものかうしなうべき。大族王の五天の堂舍を焼き払ひ、十六大国の僧尼を殺せし、漢土の武宗皇帝の九国の寺塔四千六百余所を消滅せしめ、僧尼二十六万五百人を還俗せし等のごとくなる悪人等は釈迦の仏法をば失ふべからず。三衣を身にまとひ、一鉢を頚にかけ、八万法蔵を胸にうかべ、十二部経を口にずうせん僧侶が彼の仏法を失うべし。譬へば須弥山は金の山なり。三千大千世界の草木をもって四天六欲に充満してつみこめて、一年二年百千万億年が間やくとも、一分も損ずべからず。而るを劫火をこらん時須弥の根より豆計りの火いでて須弥山をやくのみならず、三千大千世界をやき失うべし。 |
この経文の心を、まず守護経の意から述べるならば、過去の迦葉仏は現在の釈迦如来の末法のことを訖哩枳王に説かれたところによれば、釈迦如来の仏法をいかなるものが滅するかといえば、それは外部の敵でない、かの大族王は全インドの寺院を焼き払い、十六大国の僧尼を殺したり、また中国の武宗皇帝は九国の寺塔四千六百余所を消滅させ、僧尼二十六万五百人を還俗させた。しかし。このような悪人は、釈尊の仏法を滅失することはできない。三衣を身にまとい、一鉢を頚にかけ、八万法蔵を胸にうかべ、十二部経を口に誦す僧侶たちが、仏法を破り仏法を失うであろう。 たとえば須弥山は金の山である。三千大千世界の草木を、欲界の初天たる四王天より第六の化他自在天にいたるまで、充満して積みこめて、一年二年、百千万億年の間焼いても、一分も焼け損ずることはないのである。しかるに、世界が滅亡する壊劫がきて劫火がおきる時には、須弥山のふもとから豆つぶばかりの火が出て、須弥山を焼きつくすのみならず、三千大千世界をも焼き失うのである。 |
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| 若し仏記のごとくならば十宗・八宗・内典の僧等が仏教の須弥山をば焼き払うべきにや。小乗の倶舍・成実・律僧等が大乗をそねむ胸の瞋恚は炎なり。真言の善無畏等・禅宗の三階等・浄土宗の善導等は仏教の師子の肉より出来せる蝗虫の比丘なり。伝教大師は三論・法相・華厳等の日本の碩徳等を六虫とかゝせ給へり。日蓮は真言・禅宗・浄土等の元祖を三虫となづく。又天台宗の慈覚・安然・慧心等は法華経・伝教大師の師子の身の中の三虫なり。 | もし仏の予言のごとくならば、日本国内において、十宗、八宗といわれる仏教の内の僧たちが、仏教の須弥山を焼き払うのである。小乗の宗たる倶舎、成実、律の僧たちが大乗を嫉む胸の怒りは炎である。真言の善無畏、それに禅宗の三階等や、浄土宗の善導等は、仏教の師子の肉から発生した蝗虫のような坊主である。伝教大師は顕戒論で、三論、法相、華厳等の日本の名僧高僧等を六匹の虫と書かれたのである。日蓮は真言、禅宗、浄土等の元祖を三匹の虫と名づける。また天台宗の慈覚、安然、慧心は、天台宗でありながら邪宗に転落したので、法華経、伝教大師の師子の身の中の三虫である。 | |
| 此等の大謗法の根源をたゞす日蓮にあだをなせば、天神もをしみ、地祇もいからせ給ひて、災夭も大いに起こるなり。されば心うべし。一閻浮提第一の大事を申すゆへに最第一の瑞相此にをこれり。あわれなるかなや、なげかしきかなや、日本国の人皆無間大城に墮ちむ事よ。悦ばしきかなや、楽しきかなや、不肖の身として今度心田に仏種をうえたる。 | これらの大謗法の根源を糺明する日蓮に、迫害を加え怨嫉をいだくことにより、天神も光をおしまれ、地の神も怒られて、災夭も大いにおこるのである。されば心得なさい。一閻浮提第一の大事を申すゆへに、最第一の瑞相がここにおきたのである。あわれなるかな、なげかわしいかな、日本国の人はみな無間大城におちるのである。悦ばしいかな、楽しいかな、不肖の身として、このたび心田に仏種をうえ、この世の即身成仏を、われわれは許されたのである。 |
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いまにしもみよ。大蒙古国数万艘の兵船をうかべて日本国をせめば、上一人より下万民にいたるまで一切の仏寺・一切の神寺をばなげすてゝ、各々声をつるべて南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へ、掌を合はせてたすけ給へ日蓮の御房、日蓮の御房とさけび候はんずるにや。例せば月支の大族王は幻日王に掌をあわせ、日本の宗盛は影時をうやまう、大慢のものは敵に随ふという、このことわりなり。 (★867㌻) |
いまに見るがよい。大蒙古国が数万艘の兵船をうかべて、日本へ攻めてくるならば、上一人より下万民にいたるまで、いっさいの仏寺やいっさいの神社をば投げ捨てて、おのおの声を合わせて南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱えて。手を合わせて「たすけたまえ、日蓮の御房、日蓮の御房」と叫ぶようになるであろう。たとえばインドの大族王は暴逆の君主で隣国の幻日王を攻めたが、かえって幻日王に捕えられて、幻日王に手を合わせるようになった。日本の源平の戦いに、平宗盛は一族が滅亡し、自分は捕えられて鎌倉へ引き出され、梶原景時を敬ったようなものである。このように、力もなくて大傲慢をきわめるものは、逆に敵に従わなければならなくなるというのが道理である。 | |
| 彼の軽毀大慢の比丘等は始めには杖木をとゝのへて不軽菩薩を打ちしかども、後には掌をあわせて失をくゆ。提婆達多は釈尊の御身に血をいだししかども、臨終の時には南無と唱へたりき。仏とだに申したりしかば地獄には墮つべからざりしを、業ふかくして但南無とのみとなへて仏とはいわず。今日本国の高僧等も南無日蓮聖人ととなえんとすとも、南無計りにてやあらんずらん。ふびんふびん。 |
不軽菩薩を軽んじ迫害を加えた大慢の比丘たちは、初めには杖や木を用意して不軽菩薩を打ったが、後には、彼に手を合わせて、その誤りを悔い改めた。提婆達多は釈尊に迫害を加え、御身から血を出すほどの危害を加えながらも、大地が破れて死ぬとき「南無」と唱えた。「南無仏」とまでいえば、その功徳で地獄にはおちないですんだのに、謗法の罪業が深く、ただ「南無」とだけ唱えて、「仏」とまでいう暇がなくて死んでしまった。今、日本国の高僧たちも、提婆と同じく「南無日蓮聖人」と唱えようとしても、南無だけで終わるのではなかろうか。かわいそうなものである。 |
| 外典に云はく、未萠をしるを聖人という。内典に云はく、三世を知るを聖人という。余に三度のかうみゃうあり。一つには去にし文応元年太歳庚申七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏したてまつりし時、宿谷の入道に向かって云はく、禅宗と念仏宗とを失ひ給ふべしと申させ給へ。此の事を御用ひなきならば、此の一門より事をこりて他国にせめられさせ給ふべし。 |
外典にいわく、「将来に起きるべきことを知るのを聖人という」と。内典に云く「過去、現在、未来の三世を知るを聖人という」と。 日蓮には三度の大功績がある。一には、去る文応元年七月十六日に「立正安国論」を最明寺入道時頼にたてまつって、そのとき仲介をした宿谷の入道に「禅宗と念仏宗は邪宗教だから捨てなさいと、執権時頼に忠告しなさい。この日蓮の意見を用いないならば、北条の一門から内乱がおき、ついには他国から攻められるであろう」といったことである。 |
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| 二つには去にし文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向かって云はく、日蓮は日本国の棟梁なり。予を失ふは日本国の柱橦を倒すなり。只今に自界反逆難とてどしうちして、他国侵逼難とて此の国の人々他国に打ち殺さるゝのみならず、多くいけどりにせらるべし。建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて、彼等が頚をゆひのはまにて切らずば、日本国必ずほろぶべしと申し候ひ了んぬ。 | 二には、去る文永八年九月十二日の夕刻、平左衛門尉に向って「日蓮は日本国の棟梁である。日蓮を失うということは日本国の柱を倒すことになる。ただいまに自界反逆難とて、一家の同士打ちが始まり、他国侵逼難といって、この国の人々が他国から攻められ、打ち殺されるのみならず、多く生け捕りにされるであろう。建長寺、寿福寺、極楽寺、大仏、長楽寺などの一切の念仏者や禅僧などの寺院を焼き払って、彼らの首を由比の浜で斬って、日本国の謗法の根を絶たなければ、日本の国は亡びるであろう」といったことである。 | |
| 第三には去年文永十一年四月八日左衛門尉に語って云はく、王地に生まれたれば身をば随へられたてまつるやうなりとも、心をば随へられたてまつるべからず。念仏の無間獄、禅の天魔の所為なる事は疑ひなし。殊に真言宗が此の国土の大なるわざわひにては候なり。大蒙古を調伏せん事真言師には仰せ付けらるべからず。若し大事を真言師調伏するならば、いよいよいそいで此の国ほろぶべしと申せしかば、頼綱問ふて云はく、いつごろかよせ候べき。予言はく、経文にはいつとはみへ候はねども、天の御気色いかりすくなからず、きうに見へて候。よも今年はすごし候はじと語りたりき。 |
三には、去年文永十一年四月八日に、平の左衛門尉に「鎌倉幕府の代に生まれあわせた以上は、身は幕府の命に随えられているようであるが、心まで随っているではない。念仏は無間獄、禅は天魔の所為であることは疑いない。ことに真言宗がこの国土の大なる禍いである。 大蒙古との戦いに、調伏を真言師にやらせたら、いよいよ急いでこの国が滅びるであろう」と申したところ、頼綱は「いつごろ寄せてくるであろうか」と聞いた。 そこで日蓮いわく「経文には何時とは書いていないが、天変地夭のようすからみて、天の怒りがすくなくないように思う。襲来の時が迫っていて、恐らく今年を越すことはあるまい」と答えたのである。 |
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此の三つの大事は日蓮が申したるにはあらず。只偏に釈迦如来の御神我が身に入りかわせ給ひけるにや。我が身ながらも悦び身にあまる。 (★868㌻) 法華経の一念三千と申す大事の法門はこれなり。経に云はく、所謂諸法如是相と申すは何事ぞ。十如是の始めの相如是が第一の大事にて候へば、仏は世にいでさせ給ふ。智人は起をしる蛇はみづから蛇をしるとはこれなり。一あつまりて大海となる。微塵つもりて須弥山となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱え伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。仏になる道は此よりほかに又もとむる事なかれ。 |
この三つの大事は、日蓮が勝手に申したのではない。ただひとえに釈迦如来の御精神が、わが心となってこのような行動をとったのであろう。わが身ながらも喜びが身にあまる思いである。法華経の一念三千と申す大事の法門がこれである。 法華経方便品の「いわゆる諸法の是の如き相」等というのはいかなる意味か。十如是の初めの「相かくの如し」というのが第一の大事であるから、仏は世に出現されるのである。「智人は将来の起こるべきことを知り蛇は自から蛇を知る」というのがこのことである。現在の姿や現象の中から、その本質や将来のことまで察知するのが智人である。多くの流れが集まって大海となる。わずかの塵がつもって須弥山となる。日蓮が法華経を信じ始めたころは、日本の国にとっては一つの渧、一つの微塵のようである。その結果、二人、三人、十人、百千万億人と南無妙法蓮華経と唱え伝えていくならば、やがて妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるであろう。仏になる道はこれよりほかに求めてはならないのである。 |
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問ふて云はく、第二の文永八年九月十二日の御勘気の時は、いかにとして我をそんぜば自他のいくさをこるべしとはしり給ふや。答ふ、大集経五十に云はく「若し復諸の刹利国王諸の非法を作し、世尊の声聞の弟子を悩乱し、若しは以て毀罵し刀杖をもって打斫し、及び衣鉢種々の資具を奪ひ、若しは他の給施に留難を作す者有らば、我等彼をして自然に卒かに他方の怨敵を起こさしめ、及び自界の国土にも亦兵起・飢疫飢饉・非時の風雨・闘諍言訟・譏謗せしめ、又其の王をして久しからずして復当に己が国を忘失すべし」等云云。夫諸経に諸文多しといえども、此の経文は身にあたり、時にのぞんで殊に尊くをぼうるゆへに、これをせんじいだす。此の経文に我等とは、梵王と帝釈と第六天の魔王と日月と四天等の三界の一切の天竜等なり。此等の上主仏前に詣して誓って云はく、仏の滅後、正法・像法・末代の中に、正法を行ぜん者を邪法の比丘等が国主にうったへば、王に近きもの、王に心よせなる者、我がたっとしとをもう者のいうことなれば、理不尽に是非を糾さず、彼の智人をさんざんとはぢにをよばせなんどせば、其の故ともなく其の国ににわかに大兵乱出現し、後には他国にせめらるべし。其の国主もうせ、其の国もほろびなんずととかれて候。いたひとかゆきとはこれなり。予が身には今生にはさせる失なし。但国をたすけんがため、生国の恩をほうぜんと申せしを、御用ひなからんこそ本意にあらざるに、あまさへ召し出だして法華経の第五の巻を懐中せるをとりいだしてさんざんとさいなみ、結句はこうぢをわたしなんどせしかば申したりしなり。日月天に処し給ひながら、 (★869㌻) 日蓮が大難にあうを今度かわらせ給はずば、一には日蓮が法華経の行者ならざるか、忽ちに邪見をあらたむべし。若し日蓮法華経の行者ならば忽ちに国にしるしを見せ給へ。若ししからずば今の日月等は釈迦・多宝・十方の仏をたぶらかし奉る大妄語の人なり。提婆が虚誑罪、倶伽利が大妄語にも百千万億倍すぎさせ給へる大妄語の天なりと声をあげて申せしかば、忽ちに出来せる自界反逆難なり。 されば国土いたくみだれば、我が身はいうにかひなき凡夫なれども、御経を持ちまいらせ候分斉は、当世には日本第一の大人なりと申すなり。 |
問うていわく、第二の諌暁、文永八年九月十二日の御勘気の時は、日蓮を失うと内乱がおき、他国から攻められるとは、どうして知ることができたのか。 答えていわく、大集経にいわく「もしまた、もろもろの刹帝利種の国王が、もろもろの非法をなし、世尊の声聞の弟子を悩乱させ、または悪口をいって馬鹿にし、刀杖をもって打ち、および僧侶の衣鉢や、種々の資具を奪い、もしくは、他の布施供養するものに妨害を加える者があれば、われら梵天・帝釈・日月天等は、自然に、にわかに他国から怨敵をおこさしめ、および自国の内にもまた兵乱がおこり、疫病や飢饉や、時にあらざる風雨や、種々の争いを生じて、またその王をして久しからして、まさに己れの国を失わしめるであろう」と。 それ、諸経に諸文が多いとはいえ、この経文は身にあたり、時に臨んで、ことに尊く思えるゆえに、この文を選び出したのである。この経文に「われら」とは梵王と帝釈と第六天の魔王と日月と四天等の三界の一切の天竜等である。これらの上主たちが、仏前にまいって誓つていうには、仏の滅後、正法、像法、末代の中に正法を行ずる者を、邪法の比丘等が国主に訴えれば、王に近いものや心をよせている側近の者たちは、自分が尊いと思って帰依していた僧たちの訴えであるから、理不尽に、是非を糾さずに、さんざんを用い、正法の行者たる智人をさんざんに迫害する。そうすると、理由もなくその国に、にわかに大兵乱が出現し、後には他国から攻められであろう。その国主も亡び、その国も亡びるであろうと説かれている。 痛し痒しというのはこれであって、「かけば痛し、かかざればかゆし」いま日蓮大聖人の予言が的中するれば大聖人は、未萌を知る聖人であることは証明できるが、一方国が亡びるという大不幸が起こるこちになる。日蓮が身には今生には大した失はない。ただ国をたすけんがため、生まれた国の恩を報ぜんがために申すことを、用いられないことこそまことに不本意である。 その上さらに召し出して、法華経の第五の巻を懐中から取り出して、さんざんに打ちつけ、結局は捕えて鎌倉の町を引き廻したから、次のようにいったのである。大日天も大月天も、天におりながら日蓮が大難にあうのを見て、放っておくということは、一つには日蓮が法華経の行者ではないのか、もし法華経の行者でないなら、たちまちに邪見を改めなければならない。もし日蓮が法華経の行者であるならば、たちまち国にしるしを表すべきである。もしそうしなければ、今の日月天は、釈迦、多宝、十方の仏をたぶらかす大妄語の人である。提婆の虚誑罪、倶伽利の大妄語よりも百千万億倍過ぎた大妄語の天となるではないか、と声を上げて叫んだ結果、たちまちに出現した自界反逆難である。されば国土が大変に乱れ、わが身はいうにかいなき凡夫であっても、三大秘法を持つからには、当世には日本第一の大人であると申すのである。 |
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問ふて云はく、慢煩悩は七慢・九慢・八慢あり。汝が大慢は仏教に明かすところの大慢にも百千万億倍すぐれたり。彼の徳光論師は弥勒菩薩を礼せず、大慢婆羅門は四聖を座とせり。大天は凡夫にして阿羅漢となのる、無垢論師が五天第一といゐし、此等は皆阿鼻に墮ちぬ。無間の罪人なり。汝いかでか一閻浮提第一の智人となのれる、大地獄に墮ちざるべしや。をそろしをそろし。答へて云はく、汝は七慢・九慢・八慢等をばしれりや。大覚世尊は三界第一となのらせ給ふ。一切の外道が云はく、只今天に罰せらるべし。大地われて入りなん。日本国の七寺三百余人が云はく、最澄法師は大天が蘇生か、鉄腹が再誕か等云云。而りといえども天も罰せず、かへて左右を守護し、地もわれず、金剛となりぬ。伝教大師は叡山を立てゝ一切衆生の眼目となる。結句七大寺は落ちて弟子となり、諸国は檀那となる。されば現に勝れたるを勝れたりという事は慢ににて大功徳となりけるか。伝教大師云はく「天台法華宗の諸宗に勝れたるは所依の経に拠るが故に自讃毀他ならず」等云云。法華経第七に云はく「衆山の中に須弥山為れ第一なり。此の法華経も亦復是くの如し。諸経の中に於て最も為れ其の上なり」等云云。此の経文は已説の華厳・般若・大日経等、今説の無量義経、当説の涅槃経等の五千七千、月支・竜宮・四王天・・利天・日月の中の一切経、尽十方界の諸経は土山・黒山・小鉄囲山・大鉄囲山のごとし。日本国にわたらせ給へる法華経は須弥山のごとし。 (★870㌻) 又云はく「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」等云云。此の経文をもって案ずるに、華厳経を持てる普賢菩薩・解脱月菩薩等、竜樹菩薩・馬鳴菩薩・法蔵大師・清涼国師・則天皇后・審祥大徳・良弁僧正・聖武天皇、深密・般若経を持てる勝義生菩薩・須菩提尊者・嘉祥大師・玄奘三蔵・太宗・高宗・観勒・道昭・孝徳天王、真言宗の大日経を持てる金剛薩・・竜猛菩薩・竜智菩薩・印生王、善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵・玄宗・代宗・恵果・弘法大師・慈覚大師、涅槃経を持ちし迦葉童子菩薩・五十二類・曇無懺三蔵・光宅寺法雲・南三北七の十師等よりも、末代悪世の凡夫の一戒も持たず、一闡提のごとくに人には思はれたれども、経文のごとく已今当にすぐれて法華経より外は仏になる道なしと強盛に信じて、而も一分の解なからん人々は、彼等の大聖には百千万億倍のまさりなりと申す経文なり。彼の人々は或は彼の経々に且く人を入れて法華経へうつさんがためなる人もあり、或は彼の経に著をなして法華経へ入らぬ人もあり、或は彼の経々に留逗まるのみならず、彼の経々を深く執するゆへに法華経を彼の経に劣るという人もあり。されば今法華経の行者は心うべし。譬へば一切の川流江河の諸水の中に海為れ第一なるが如く、法華経を持つ者も亦復是くの如し。又衆星の中に月天子最も為れ第一なるが如く、法華経を持つ者も亦復是くの如し等と御心えあるべし。当世日本国の智人等は衆星のごとし、日蓮は満月のごとし。 |
問うていわく、慢煩悩は七慢・九慢・八慢もあるといわれるが、汝の大慢は仏教に明すところの大慢よりも百千万億倍も勝れている。彼の徳光論師というのは、弥勒菩薩を礼拝しなかったし、大慢婆羅門は外道の三身と釈迦の四人を四本の柱として、その上にすわったという。また大天は凡夫でありながら阿羅漢と名のった。無垢論師は自らインド第一といった。これら大慢をおこしたものはみな、阿鼻地獄に堕ち無間の罪人となった。汝は何故一閻浮提第一の智人となのるのか。地獄に堕ちないわけがない。じつに恐ろしいことである。 答えていわく、汝は七慢・九慢・八慢等を知っているのか。釈尊は自ら三界第一と名のられた。これに対していっさいの外道は、ただいま天に罰せられるであろう。大地が割れて入るであろうなどといい合った。日本国においては、奈良の七寺の三百余人がいうには「最澄法師はインドの大天の生まれかわりか、鉄腹婆羅門が再誕したのか」等といわれた。しかし天も罰することなく、かえって左右を守護し、地も割れて地獄へおちることなくて、堅いことは金剛のごとしであった。伝教大師は比叡山を立てて、一切の衆生の眼目となった。結局のところ、伝教を非難した奈良七大寺は伝教大師に降伏して、その弟子となり、諸国の人々はみな檀那となったのである。されば事実勝れている人が、自分は勝れているということは、慢に似てじつは大功徳となるのである。 伝教大師は秀句にいわく「天台法華宗が諸宗より勝れているということは、依りどころとする法華経が勝れているからである。ゆえにいくら自宗をほめたたえ、他宗を破折しても。自讃毀他とはならない。自讃毀他とは、よくもないのに自分のことばかりほめたたえ、人のことは、よいことがあっても、けなすことである。」といっている。また法華経の第七薬王品第二十一にいわく「多くの山の中では須弥山が第一である。この法華経も同じで、多くの経典の中において、もっともその上にあるのである」と。この経文は、已説(すでに説いたところ)の華厳、般若、大日経等や、今説の無量義経、当説の涅槃経等の五千、七千、インド、竜宮、四王天、忉利天、日月の中の一切経、およびそのほか十方世界のあらゆる経々は土山、黒山、小鉄囲山、大鉄囲山のようなものである。日本へ渡りわれわれが持つところの法華経は、須弥山のごとく、諸経の中の大王であるとの意である。 また同品に「よく是の経典を受持するものも、またこのとおりであって、一切衆生の中においてまた第一である」と。この経文から考えてみると、華厳経を持っている人といえば、普賢菩薩、解脱月菩薩や、竜樹菩薩、馬鳴菩薩、法蔵大師、清涼国師、則天皇后、審祥大徳、良弁僧正、聖武天皇等である。また深密・般若経を持っいる人といえば、勝義生菩薩、須菩提尊者、嘉祥大師、玄奘三蔵、太宗、高宗、観勒、道昭、孝徳天皇等である。真言宗の大日経を持っている人といえば、金剛薩タ、竜猛菩薩、竜智菩薩、印生王、善無畏三蔵、金剛智三蔵、不空三蔵、玄宗、代宗、慧果、弘法大師、慈覚大師等である。涅槃経を持っている人といえば、迦葉童子菩薩、涅槃経の会上に集まった五十二類の衆生、曇無懺三蔵、光宅寺の法雲、南三北七の十師等がある。以上のような大菩薩、名僧、高僧、大王等よりも、末代悪世の凡夫で、一戒も持たず、一闡提のようにおもわれているが、経文どうりに已今当に勝れている法華経より外は仏になる道なしと強盛に信じて、しかも一分の解ない人々の方が、彼の大聖等より百千万億倍も勝れているという経文である。 爾前経の人々は、あるいは、彼の経々にしばらく人を入れて、後に法華経へ移さんがための人もあり、あるいは彼の爾前経に執着して法華経にとどまるのみならず、彼の経々に深く執着するゆえに、法華経を彼の爾前経より劣るという人もある。されば今、法華経の行者は、次のように心得べきである。譬えば「いっさいの川の流れも、江河の諸水の中にあっても、海がこれ第一なるが如く、法華経を持つ者もまたかくの如くであって、諸人の中において第一である」「また多くの星の中に、月天子がもっとも第一であるように、法華経を持つ者もまたまた第一である」と。この経文をよく心得なさい。当世日本国の智人等は、多くの星のようなものであって、日蓮は満月ごとく、もっともこれ第一である。 |
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問うて云はく、古かくのごとくいえる人ありや。答へて云はく、伝教大師の云はく「当に知るべし、他宗所依の経は未だ最為第一ならず、其の能く経を持つ者も亦未だ第一ならず。天台法華宗は所持の経最為第一なるが故に、能く法華を持つ者も亦衆生の中の第一なり。已に仏説に拠る豈自歎哉」等云云。夫麒麟の尾につけるだにの一日に千里を飛ぶといゐ、輪王に随へる劣夫の須臾に四天下をめぐるというをば、難ずべしや疑ふべしや。豈自歎哉の釈は肝にめひずるか。若し爾らば、法華経を経のごとくに持つ人は、梵王にもすぐれ帝釈にもこえたり。修羅を随へば須弥山をもにないぬべし。竜をせめつかわば大海をもくみほしぬべし。 (★871㌻) |
問うていわく、「当世日本国の智人は衆星、日蓮は満月」とおおせられたが、昔もそのように言った人があるだろうか。 答えていわく、伝教大師は法華秀句に「まさに知るべし、他宗の依りどころとする経は未だ最も第一ではない。したがって能くその経を持つ人も第一ではないのである。天台法華宗においては、持つところの経がもっとも第一であるから、よく法華経を持つ人もまた衆生の中の第一である。このことは、すでに仏説によるのであって、自分勝手にほめたたえているのではない」と。一日に千里を飛ぶ麒麟の尾についた蜱は、一日に千里を走ることになるではないか。転輪聖王に随っている劣夫は、瞬間に世界中をかけめぐるといっても、難じたり疑うものはないであろう。「あに自歎ならんや」といって、自分でほめたたえるのではないという釈を、肝に銘ずることができたか。もししからば、法華経を経のごとく持つ人は、梵天にもすぐれ帝釈にも勝れていることがわかるであろう。修羅に従えば須弥山のような大きい山も、荷い上げることができるし、竜を使えば大海の水をも汲みほすことができるようなものである。 | |
| 伝教大師云はく「讃むる者は福を安明に積み、謗る者は罪を無間に開く」等云云。法華経に云はく「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん。乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」等云云。教主釈尊の金言まことならば、多宝仏の証明たがわずば、十方の諸仏の舌相一定ならば、今日本国の一切衆生無間地獄に墮ちん事疑ふべしや。 | 伝教大師の依憑集にいわく「法華経はもっとも第一なるゆえに、讃める者は福を須弥山のごとく高く積み、謗る者は無間地獄へおちる大罪をつくることになる」と。法華経の譬喩品第三にいわく「法華経を読誦し書持する人を見て、軽んじたり賎めたり、憎んだり嫉んだりして、恨みを持っているような人は、その人は命が終わって阿鼻地獄へおちるであろう」と。教主釈尊の説かれた金言が真実ならば、また多宝仏の証明も違わず、十方の分身の諸仏が法華経の真実を証明した舌相がそのとおりであるならば、いま日本国の一切の衆生が無間地獄におちることは疑いないところである。 | |
| 法華経の八の巻に云はく「若し後の世に於て是の経典を受持し読誦せん者は乃至所願虚しからず、亦現世に於て其の福報を得ん」と。又云はく「若し之を供養し讃歎すること有らん者は当に今世に於て現の果報を得べし」等云云。此の二つの文の中に亦於現世得其福報の八字、当於今世得現果報の八字、已上十六字の文むなしくして日蓮今生に大果報なくば、如来の金言は提婆が虚言に同じく、多宝の証明は倶伽利が妄語に異ならじ。一切衆生も阿鼻地獄に墮つべからず。三世の諸仏もましまさゞるか。されば我が弟子等心みに法華経のごとく身命もをしまず修行して、此の度仏法を心みよ。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。 | 法華経の巻八勧発品にいわく「もし後の世においてこの経典を受持し読誦する者は、諸願が虚しからず、また現世においてその福報を得るであろう」と。またいわく「もし法華経を供養し讃歎する人は、まさに今世において現の果報を得るであろう」と。この二つの文の中に、「亦於現世・得其福報」の八字と「当於今世・得現果報」の八字の以上十六字の文が虚しくて、日蓮が今生に大果報を得なければ、如来の金言は提婆達多の虚つきと同じになり、多宝如来の証明は倶伽利の妄語に異ならない。そうであれば謗法の一切衆生も阿鼻地獄にはおちないし、三世の諸仏もいないことになってしまう。されば我が弟子よ、試みに法華経のとおり身命もおしまず修行して、このたび仏法の真実であるかないかを試してみよ。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。 |
| 抑此の法華経の文に「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」と。涅槃経に云はく「譬へば王使の善能談論して方便に巧みなる、命を他国に奉くるに寧ろ身命を喪ふとも終に王の所説の言教を匿さゞるが如し。智者も亦爾なり。凡夫の中に於て身命を惜しまず、要必ず大乗方等如来の秘蔵一切衆生皆仏性有りと宣説すべし」等云云。 | そもそも、この法華経勧持品第十三の文には「われ身命を惜しまず、ただ無上道を惜しむ」とある。また涅槃経には「たとえば談論にすぐれ交渉にたくみな王の使いが、王の命をうけて他国に行ったときには、むしろ身命をうしなっても必ず王からさずかったことばをかくさずに述べて、王命をはたすように、仏法をひろめる智者も、同じくいまだ信じない凡夫の中で、身命を惜しまずに、如来の秘要の蔵である大乗方等の教え、すなわち一切衆生にみな仏性があるという法門を宣説しなさい」等と説かれている。 | |
| いかやうなる事のあるゆへに身命をすつるまでにてあるやらん。委細にうけ給はり候はん。答へて云はく、予が初心の時の存念は、伝教・弘法・慈覚・智証等の勅宣を給ひて漢土にわたりし事の我不愛身命にあたれるか。玄奘三蔵の漢土より月氏に入りしに六生が間身命をほろぼしゝこれ等か。雪山童子の半偈のために身をなげ、薬王菩薩の七万二千歳が間臂をやきし事かなんどをもひしほどに、経文のごときんば此等にはあらず。経文に我不愛身命と申すは、上に三類の敵人をあげて、彼等がのりせめ、刀杖に及んで身命をうばうともとみへたり。 | どのような理由があって、身命まで捨てなければならないであろうか、くわしくうけたまわりたいものである。答えていうには、私が若い初心のころの考えでは、不惜身命といえば、伝教大師や弘法、慈覚、智証などが、天皇から勅命をうけて、大苦難をしのびながら、日本から中国に渡ったことが、我不愛身命の信心にあたるのだろうかと思っていた。また、唐の玄奘三蔵が中国からインドに行くのに、六度も生命をうしなって、七生目にようやくインドに行くことができたことが、我不愛身命にあたるのかもと思った。さらに、雪山童子が半偈の仏説を聞くために、我が身を鬼神に投げたことや、薬王菩薩が日月燈明仏の前で仏に供養するために七万二千歳のあいだ、自分の臂を焼いて灯りとしたことが我不愛身命になるだろうか等と考えたのであるが、法華経や涅槃経などの経文が正しいのであるならば、これらのことが我不愛身命になるのではないのである。それでは、法華経の経文に我不愛身命というのは、いかなることをさすのであろうか。それは、同じ法華経勧持品第十三の前のほうに、三類の敵人をあげて、その三類の敵人が妙法を信ずるものを、悪口したり迫害したり、ついには刀や杖で傷つけ、身命まで奪うであろうと説かれているのが、まさしく、我不愛身命にあたるのである。 | |
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又涅槃経の文に寧喪身命等ととかれて候は、次下の経文に云はく「一闡提有り、羅漢の像を作し空処に住し、方等経典を誹謗す。 (★872㌻) 諸の凡夫人見已はって皆真の阿羅漢、是大菩薩なりと謂はん」等云云。彼の法華経の文に第三の敵人を説いて云はく「或は阿蘭若に納衣にして空閑に在て、乃至世に恭敬せらるゝこと六通の羅漢の如き有らん」等云云。般泥・経に云はく「羅漢に似たる一闡提有って而も悪業を行ず」等云云。此等の経文は、正法の強敵と申すは悪王・悪臣よりも外道・魔王よりも破戒の僧侶よりも、持戒有智の大僧の中に大謗法の人あるべし。されば妙楽大師かひて云はく「第三最も甚し、後々の者は転識り難きを以ての故なり」等云云。 |
また、涅槃経の文に、むしろ身命をうしなおうとも、と説かれてあるのは、その次の経文に「どうしても正法を信ずることができない邪悪な人があり、羅漢の姿をして、静かな山寺等に住み、真の大乗方等経典を誹謗している。多くの凡夫は、その邪悪な人を見て、みな真の阿羅漢であり、大菩薩であろうと誤っていうであろう」と書かれてあることを意味するのである。また、その法華経勧持品第十三の経文に、第三の敵人のなかの第三、僭聖増上慢の姿を説いていうのには「あるいは静かな山寺などに住み、三衣を身につけ、世間の騒がしさから離れていて、また真の仏法を説かないで、しかも世の人々から六神通をえた羅漢のようにうやまわれている」等と。また般泥洹経には「羅漢に似た、正法誹謗の邪悪な人があって、悪業をはたらいている」等と説いている。これらの経文によれば、正法の強敵というのは、悪王や悪臣よりも、外道の魔王よりも、また破戒の僧侶よりも、戒律を固く持ち智者といわれる高僧のなかに、おそろしい大謗法の人がいるのだということになるのである。ゆえに、妙楽大師は法華文句記に、勧持品の三類の強敵を解釈して「三類の強敵のなかでも、第三の僭聖増上慢のものが、最も邪悪である。第一類、第二類よりも、最後の第三類が、聖者らしくよそおっているだけに、なかなか邪見を見破れず、謗法の影響が大きい」といっている。 | |
| 法華経の第五の巻に云はく「此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て最も其の上に在り」等云云。此の経文に最在其上の四字あり。されば此の経文のごときんば、法華経を一切経の頂にありと申すが法華経の行者にてはあるべきか。而るを又国に尊重せらるゝ人々あまたありて、法華経にまさりてをはする経々ましますと申す人にせめあひ候はん時、かの人は王臣等御帰依あり、法華経の行者は貧道なるゆへに、国こぞってこれをいやしみ候はん時、不軽菩薩のごとく、賢愛論師がごとく申しつをらば身命に及ぶべし。此が第一の大事なるべしとみへて候。 | また、法華経の第五の巻の安楽行品第十四には「この法華経は、諸仏如来の秘密とする、宝蔵のようなすぐれた法門である。ゆえに、あらゆる経々のなかで、もっとも上に位するすぐれた経典である」と説かれている。この経文には「最在其上」すなわち、もっとも上にありという四字がある。ゆえに、この経文のとおりであるならば、法華経を一切経の頂にあるという人が、真の法華経の行者というべきではなかろうか。 しかるに、国王に尊重される邪悪な僧がたくさんいて、法華経よりもすぐれている経々があるといって、法華経の行者と法論するときに、かの謗法の僧たちは王臣の帰依があり、法華経の行者は貧道で味方が少ないゆえに、国中の人々がこぞって、法華経の行者をいやしむときに、威音王仏の像法の末に不軽菩薩が出現して二十四字の法華経をもって折伏し、賢愛論師が大慢婆羅門をせめ勝ったように、強く彼らの謗法を破折するならば、かならず身命におよぶ大難がおこるであろう。この身命にかかわる難が、第一の大事である決定されているのである。 | |
| 此の事は今の日蓮が身にあたれり。予が分斉として弘法大師・慈覚大師・善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵なんどを法華経の強敵なり、経文まことならば無間地獄は疑ひなしなんど申すは、裸形にして大火に入るはやすし、須弥山を手にとてなげんはやすし、大石を負ふて大海をわたらんはやすし、日本国にして此の法門を立てんは大事なるべし云云。 | この事は、今の日蓮の身に、明白にあたっているのである。いまの日蓮の分斉として、弘法大師や、慈覚大師や、善無畏三蔵、金剛智三蔵、不空三蔵などをつかまえて、法華経の強敵であるといい、法華経の経文が真実であるならば彼ら真言師は無間地獄におちることは疑いないなどと申すのは、大変なことである。それはあたかも赤裸の身で大火に入ることはやさしい、須弥山を手にとって投げることも、またやさしい。また大石を背負って大海原をわたることも、なおやさしいことであるが、日本国で勇気をもって、この三大秘法の法門を立てることは、難事のなかの難事であり、大事のなかの大事である。 | |
| 霊山浄土の教主釈尊・宝浄世界の多宝仏・十方分身の諸仏・地涌千界の菩薩等、梵釈・日月・四天等、冥に加し顕に助け給はずば、一時一日も安穏なるべしや。 | 霊山浄土の教主釈尊、宝浄世界の多宝仏、十方分身の諸仏、地涌千界の菩薩、梵天、帝釈、日天、月天、四天王など、すなわち寿量文底の最大深秘の大法、十界互具の大御本尊が、必ず冥に顕に守護したまうことは明らかである。もし守護なきときには、一日一時も安穏に三大秘法の大御本尊を弘通することはできないのである。 |