阿仏房御書 文永一二年三月一三日 五四歳

 

第一章 供養への謝意を述べる

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 御文(おんふみ)委しく披見いたし候ひ畢んぬ。(そもそも)宝塔の御供養の物、銭一貫文・白米・しな()じな()をく()り物、たしかにうけとり候ひ畢んぬ。此の(おもむ)き御本尊法華経にもねんごろに申し上げ候。御心やすくおぼしめし候へ。
 
 お手紙をくわしく拝見いたしました。さて、宝塔への御供養の品として、銭一貫文と白米、それに種々のおくり物を、確かに受け取りました。あなたのこの志を、御本尊・法華経に丁重に申し上げました。御安心ください。

 

第二章 宝塔の意義を明かす

 一、御文に云はく「多宝如来()(げん)の宝塔何事を表はし給ふや」云云。此の法門ゆゝしき大事なり。宝塔をことわるに、天台大師文句の八に釈し給ひし時、証前・起後の二重の宝塔あり。証前は迹門、起後は本門なり。或は又閉塔は迹門、開塔は本門、是即ち境智の二法なり。しげ()きゆへにこれを()く。
   あなたのお手紙に「多宝如来ならびに地から涌現した宝塔は何を表しているのでしょうか」という質問がありました。この法門は非常に重要である。この宝塔の意義を解釈するのに、天台大師が法華文句の巻八に釈せられているのには証前起後の二重の宝塔がある。証前は迹門、起後は本門である。あるいはまた閉塔は迹門、開塔は本門である。これは即ち境智の二法をあらわしている。これらは煩雑になるので、ここではこれ以上はふれないでおく。

 

第三章 宝塔の本義を明示する

 所詮(しょせん)三周の声聞法華経に来たりて己心の宝塔を見ると云ふ事なり。(いま)日蓮が弟子(だん)()又々かくのごとし。末法に()って法華経を持つ男女(なんにょ)のすがたより(ほか)には宝塔なきなり。()(しか)れば()(せん)上下をえらばず、南無妙法蓮華経ととなふるものは、我が身宝塔にして、我が身(また)多宝如来なり。妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり、宝塔又南無妙法蓮華経なり。
   宝塔品の意味は、所詮、三周の声聞が法華経に来て己心の宝塔を覚知ということである。今、日蓮の弟子檀那もまた同様である。末法に入って法華経を持つ男女の姿よりほかには宝塔はないのである。そうであるならば、貴賎上下をえらばず南無妙法蓮華経と唱える者は、そのままわが身が宝塔であり、わが身がまた多宝如来である。妙法蓮華経よりほかに宝塔はないのである。法華経の題目は宝塔であり、宝塔はまた南無妙法蓮華経である。
(★793㌻)
 (いま)阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり。此の五大は題目の五字なり。然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、(これ)より外の才覚()(やく)なり。(もん)(しん)(かい)(じょう)(しん)(しゃ)(ざん)七宝(しっぽう)を以てかざりたる宝塔なり。多宝如来の宝塔を供養し給ふかとおもへば、さにては候はず、我が身を供養し給ふ。我が身又三身即一の本覚(ほんがく)の如来なり。かく信じ給ひて南無妙法蓮華経と唱へ給へ。こゝさながら宝塔の住処なり。経に云はく「法華経を説くこと有らん処は、我が此の宝塔其の前に涌現す」とはこれなり。
 
 今、阿仏上人の一身は、地・水・火・風・空の五大である。この五大は題目の五字である。それゆえに阿仏房はそのまま宝塔であり、宝塔はそのまま阿仏房である。こう信解するよりほかの才覚は無益である。聞・信・戒・定・進・捨・慚という七つの宝をもって飾った宝塔である。あなたは多宝如来の宝塔を供養しておられるのかと思えばそうではない。我が身を供養しておられるのである。わが身また三身即一身の本覚の如来なのである。このように信じて南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。このところがそのまま宝塔の住処である。法華経見宝塔品第十一に「法華経を説く処には、わがこの宝塔がその前に涌現する」と説かれているのはこのことである。

 

第四章 信心の姿勢を教える

 あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづ()る事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり。    あまりにもありがたいことなので、御本尊を書き顕して差し上げます。わが子でなければ譲ってはならない。信心強盛な者でなければ見せてはならない。日蓮の出世の本懐とはこの宝塔の本尊をいうのである。
 阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし。浄行菩薩はうまれかわり給ひてや日蓮を御()ぶらひ給ふか。不思議なり不思議なり。此の御志をば日蓮はしらず上行菩薩の御出現の力にまか()たてま()つり候ぞ。別の故はあるべからず、あるべからず。宝塔をば夫婦ひそかにをがませ給へ。委しくは又々申すべく候。恐々謹言。
  三月十三日    日蓮 花押
 阿仏房上人所へ
   阿仏房、あなたはまさしく北国の導師ともいうべきであろう。浄行菩薩が生まれ変わって日蓮を訪ねられたのであろうか。まことに不思議なことである。あなたの厚いお志の由来を日蓮は知らないが、上行菩薩のご出現の力にお任せするのである。別の理由があるわけでないであろう。宝塔を夫婦ひそかに拝みなさい。くわしいことはまた申し上げよう。恐恐謹言。
  三月十三日    日蓮花押
 阿仏房上人所へ