曽谷入道殿許御書 文永一二年三月一〇日 五四歳

別名『大田禅門許御書』『構索抄』

第一章 末法適時の要法を選ぶべきを示す

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 夫以れば重病を療治するには良薬を構索し、逆・謗を救助するには要法には如かず。所謂時を論ずれば正・像・末、教を論ずれば小大・偏円・権実・顕密、国を論ずれば中辺の両国、機を論ずれば已逆と未逆と、已謗と未謗と、師を論ずれば凡師と聖師と、二乗と菩薩と、他方と此土と、迹化と本化となり。故に四依の菩薩等、滅後に出現し、仏の付嘱に随って妄りには経法を演説したまはず。

第二章 法華弘通に摂受・折伏あるを示す

 所詮無智の者、未だ大法を謗ぜざるには忽ちに大法を与へざれ。悪人たる上已に実大を謗ずる者には強ひて之を説くべし。法華経第二の巻に、仏、舎利弗に対して云はく「無智の人の中にして此の経を説くこと莫れ」と。又第四の巻に薬王菩薩等の八万の大士に告げたまはく「此の経は是諸仏秘要の蔵なり、分布して妄りに人に授与すべからず」等云云。文の心は無智の者の而も未だ正法を謗らざれば、左右無く此の経を説くこと莫れ。法華経第七の巻不軽品に云はく「乃至遠く四衆を見ても亦復故に往いて」等云云。又云はく「四衆の中に瞋恚を生じ、心不浄なる者有り。悪口罵詈して言はく、是の無智の比丘、何れの所より来たりて」等云云。又云はく「或は杖木・瓦石を以て之を打擲す」等云云。第二・第四の巻の経文と第七の巻の経文と天地水火せり。
 問うて曰く、一経二説、何れの義に就いてか此の経を弘通すべき。答へて云はく、私に会通すべからず。霊山の聴衆たる天台大師並びに妙楽大師等処々に多くの釈有り。先づ一両の文を出ださん。文句の十に云はく「問うて曰く、釈迦は出世して蜘して説かず。今は此何の意ぞ、造次にして説くは何ぞや。答へて曰く、本已に善有るには釈迦小を以て之を将護し、本未だ善有らざるには不軽大を以て之を強毒す」等云云。釈の心は寂滅・鹿野・
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大宝・白鷺等の前四味の小大・権実の諸経・四教・八教の所被の機縁、彼等の過去を尋ね見れば、久遠・大通の時に於て純円の種を下せしも、諸衆、一乗経を謗ぜしかば三・五の塵点を経歴す。然りと雖も下せし所の下種、純熟の故に時至って自づから繋珠を顕はす。但四十余年の間、過去に已に結縁の者も猶謗の義有るべきの故に、且く権小の諸経を演説して根機を練らしむ。

第三章 爾前経の得道も過去の下種によるを明かす

 問うて曰く、華厳の時の別・円の大菩薩、乃至観経等の諸の凡夫の得道は如何。答へて曰く、彼等の衆は時を以て之を論ずれば其の経の得道に似たれども、実を以て之を勘ふるに三・五下種の輩なり。問うて曰く、其の証拠如何。答へて曰く、法華経第五の巻涌出品に云はく「是の諸の衆生は世々より已来、我が化を成就せり。乃至此の諸の衆生は、始め我が身を見、我が所説を聞いて、即ち皆信受して如来の慧に入りにき」等云云。天台釈して云はく「衆生久遠」等云云。妙楽大師の云はく「脱は現に在りと雖も具に本種を騰ぐ」と。又云はく「故に知んぬ、今日の逗会は昔成就するの機に赴く」等云云。経釈顕然の上は私の料簡を待たず。例せば王女と下女と天子の種子を下さゞれば国主と為らざるが如し。
 問うて曰く、大日経等の得道の者は如何。答へて曰く、種々の異義有りと雖も繁きが故に之を載せず。但し所詮は彼々の経々に種・熟・脱を説かざれば還って灰断に同じ、化に始終無きの経なり。而るに真言師等が所談の即身成仏は、譬へば窮人の妄りに帝王と号して自ら誅滅を取るが如し。王莽・趙高の輩は外に求むべからず、今の真言家なり。此等に因って論ぜば、仏の滅後に於て三時有り。正・像二千余年には猶下種の者有り。例せば在世四十余年の如し。機根を知らずんば左右無く実経を与ふべからず。今は既に末法に入って、在世の結縁の者は漸々に衰微して、権実の二機皆悉く尽きぬ。彼の不軽菩薩、末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり。而るに今時の学者、時・機に迷惑して或は小乗を弘通し、或は権大乗を授与し、或は一乗を演説すれども、
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題目の五字を以て下種と為すべきの由来を知らざるか。

第四章 真言宗が所依の経に迷うを示す

 殊に真言宗の学者は迷惑を懐いて三部経に依憑し、単に会二・破二の義を宣べて猶三一相対を説かず。即身頓悟の道跡を削り、草木成仏は名をも聞かざるのみ。而るに善無畏・金剛智・不空等の僧侶、月氏より漢土に来臨せし時、本国に於て未だ存せざる天台の大法、盛んに此の国に流布せしむるの間、自愛所持の経弘め難きに依り、一行阿闍梨を語らひ得て天台の智慧を盗み取り、大日経等に摂入して天竺より有るの由之を偽る。然るに震旦一国の王臣等、並びに日本国の弘法・慈覚の両大師、之を弁へずして信を加ふ。已下の諸学は言ふに足らず。但漢土・日本の中に伝教大師一人之を推したまへり。然れども未だ分明ならず。所詮善無畏三蔵、閻魔王の責めを蒙って此の過罪を悔ひ、不空三蔵の天竺に還り渡って真言を捨てゝ漢土に来臨し、天台の戒壇を建立して両界の中央の本尊に法華経を置きし等是なり。

第五章 諸宗の祖の天台帰伏を明かす

 問うて曰く、今時の真言宗の学者等、何ぞ此の義を存せざるや。答へて曰く、眉は近けれども見えず、自らの禍を知らずとは是の謂か。嘉祥大師は三論宗を捨てゝ天台の弟子と為る。今の末学等之を知らず。法蔵・澄観は華厳宗を置いて智者に帰す。彼の宗の学者之を存せず。玄奘三蔵・慈恩大師は五性の邪義を廃し一乗の法に移る。法相の学者堅く之を諍ふ。問うて曰く、其の証如何。答へて曰く、或は心を移して身を移さず、或は身を移して心を移さず。或は身心共に移し、或は身心共に移さず。其の証文は別紙に之を出だすべし。此の消息の詮に非ざれば之を出ださず。

第六章 正法千年の弘教を明かす

 仏の滅後に三時有り。所謂正法一千年の前の五百年には迦葉・阿難・商那和修・末田地・脇比丘等、一向に小乗の薬を以て衆生の軽病を対治す。四阿含経・十誦・八十誦等の諸律と相続解脱経等の三蔵とを弘通し、後には律宗・倶舍宗・成実宗と号する是なり。後の五百年には馬鳴菩薩・竜樹菩薩・提婆菩薩・無箸菩薩・天親菩薩等の諸の大論師、初めには諸の小聖の弘めし所の小乗経之を通達し、
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後には一々に彼の義を破失し了って諸の大乗経を弘通す。是又中薬を以て衆生の中病を対治す。所謂華厳経・般若・大日経・深密経等、三論宗・法相宗・真言陀羅尼・禅法等なり。
 問うて曰く、迦葉・阿難等の諸の小聖、何ぞ大乗経を弘めざるや。答へて曰く、一には自身堪へざるが故に。二には所被の機無きが故に。三には仏より譲り与へざるが故に。四には時来たらざるが故なり。問うて曰く、竜樹・天親等何ぞ一乗経を弘めざるや。答へて曰く、四つの義有り。先の如し。

第七章 真言宗の密教伝来の妄語を破す

 問うて曰く、諸の真言師の云はく「仏の滅後八百年に相当たって、竜猛菩薩月氏に出現して、釈尊の顕教たる華厳・法華等を馬鳴菩薩等に相伝し、大日密教をば自ら南天の鉄塔を開拓し、面り大日如来と金剛菩・とに対して之を口決す。竜猛菩薩に二人の弟子有り。提婆菩薩には釈迦の顕教を伝へ、竜智菩薩には大日の密教を授く。竜智菩薩は阿羅苑に隠居して人に伝へず。其の間に提婆菩薩の伝ふる所の顕教は先づ漢土に渡る。其の後数年を経歴して竜智菩薩の伝ふる所の秘密の教をば、善無畏・金剛智・不空、漢土に渡す」等云云。此の義如何。答へて曰く、一切の真言師是くの如し。又天台・華厳等の諸家も一同に之を信ず。抑竜猛已前には月氏国の中には大日の三部経無しと云ふか。釈迦よりの外に大日如来世に出現して三部の経を説くと云ふか。顕を提婆に伝へ、密を竜智に授くる証文、何れの経論に出でたるぞ。此の大妄語は提婆の欺誑罪にも過ぎ、瞿伽利の狂言にも超ゆ。漢土・日本の王位の尽き、両朝の僧侶の謗法と為るの由来、専ら斯に在らざるや。然れば則ち彼の震旦既に北蕃の為に破られ、此の日域も亦西戎の為に侵されんと欲す。此等は且く之を置く。

第八章 像法時代の中国の弘教を明かす

 像法に入って一千年、月氏の仏法、漢土に渡来するの間、前四百年には南北の諸師、異義蘭菊にして東西の仏法未だ定まらず。四百年の後、五百年の前、其の中間一百年の間に南岳・天台等漢土に出現して、粗法華の実義を弘宣したまふ。然るに円慧・円定に於ては、国師たりと雖も円頓の戒場未だ建立せず、
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故に国を挙げて戒師と仰がず。六百年の已後、法相宗西天より来たれり。太宗皇帝、之を用ゆる故に天台法華宗に帰依するの人漸く薄し。茲に就いて隙を得、則天皇后の御宇に、先に破られし華厳亦起こって天台宗に勝れたるの由、之を称す。太宗より第八代玄宗皇帝の御宇に、真言始めて月氏より来たれり。所謂開元四年には善無畏三蔵の大日経・蘇悉地経、開元八年には金剛智・不空の両三蔵の金剛頂経。此くの如く三経を天竺より漢土に持ち来たり、天台の釈を見聞して、智発して釈を作って大日経と法華経とを一経と為し、其の上、印・真言を加へて密教と号し之に勝るの由をいひ、結句は権経を以て実経を下す。漢土の学者、此の事を知らず。

第九章 像法末の伝教大師の弘教を明かす

 像法の末八百年に相当たって、伝教大師、和国に託生して華厳宗等の六宗の邪義を糾明するのみに非ず。加之南岳・天台も未だ弘めたまはざる円頓の戒壇を叡山に建立す。日本一州の学者一人も残らず大師の門弟と為る。但天台と真言との勝劣に於ては誑惑と知って而も分明ならず。所詮末法に贈りたまふか。此等は傍論たるの故に且く之を置く。吾が師伝教大師、三国に未だ弘まらざるの円頓の大戒壇を叡山に建立したまふ。此偏に上薬を持用して衆生の重病を治せんと為る是なり。

第十章 末法濁悪の相を示す

 今末法に入って二百二十余年、五濁強盛にして三災頻りに起こり、衆・見の二濁国中に充満し、逆・謗の二輩四海に散在す。専ら一闡提の輩を仰いで棟梁と恃怙み、謗法の者を尊重して国師と為す。孔丘の孝経之を提げて父母の頭を打ち、釈尊の法華経を口に誦しながら教主に違背す。不孝の国は此の国なり。勝母の閭は他境に求めじ、故に青天眼を瞋らして此の国を睨み、黄地は憤りを含んで大地を震ふ。去ぬる正嘉元年の大地動、文永元年の大彗星、此等の災夭は仏滅後二千二百二十余年の間、月氏・漢土・日本の内に未だ出現せざる所の大難なり。彼の弗舍蜜多羅王の五天の寺塔を焼失し、漢土の会昌天子の九国の僧尼を還俗せしめしに超過すること百千の倍、大謗法の輩国中に充満し一天に弥るに依って起こる所の夭災なり。
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大般涅槃経に云はく「末法に入って不孝・謗法の者は大地微塵の如し」取意。法滅尽経に「法滅尽の時は狗犬の僧尼恒河の沙の如し」等云云取意。

第十一章 末法への付嘱の人法を明かす

今親り此の国を見聞するに、人毎に此の二の悪有り。此等の大悪の輩は何なる秘術を以て之を扶救せん。

 大覚世尊、仏眼を以て末法を鑑知し、此の逆・謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたまふ。所謂法華経本門の久成の釈尊、宝浄世界の多宝仏、高さ五百由旬、広さ二百五十由旬の大宝塔の中に於て、二仏座を並ぶること宛も日月の如く、十方分身の諸仏は高さ五百由旬の宝樹の下に五百由旬の師子の座を並べて敷き、衆星の如く列坐したまひ、四百万億那由他の大地に三仏、二会に充満したまふの儀式は、華厳寂場の華蔵世界にも勝れ、真言両界の千二百余尊にも超えたり。一切世間の眼なり。此の大会に於て六難九易を挙げて法華経を流通せんと諸の大菩薩を諫暁せしむ。金色世界の文殊師利・兜史多宮の弥勒菩薩・宝浄世界の智積菩薩・補陀落山の観世音菩薩等、頭陀第一の大迦葉・智慧第一の舍利弗等、三千世界を統領する無量の梵天、須弥山の頂に居住する無辺の帝釈、一四天下を照耀せる阿僧祇の日月、十方の仏法を護持せる恒沙の四天王、大地微塵の諸の竜王等、我にも我にも此の経を付嘱せられよと競望せしかども世尊は都て之を許したまはず。爾の時に下方の大地より未見今見の四大菩薩を召し出だす。所謂上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩なり。此の大菩薩に各々六万恒河沙の眷属を具足す。形貌威儀、言を以て宣べ難く、心を以て量るべからず。初成道の法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵等の四菩薩に各々十恒河沙の眷属を具足し、仏会を荘厳せしも、大集経の欲・色二界の中間の大宝坊に於て来臨せし十方の諸大菩薩も、乃至大日経の八葉の中の四大菩薩も、金剛頂経の三十七尊の中の十六菩薩等も、此の四大菩薩に比校すれば、猶帝釈と猿猴と、華山と妙高との如し。弥勒菩薩、衆の疑ひを挙げて云はく、「乃し一人をも識らず」等云云。天台大師云はく「寂場より已降今座より已往十方の大士来会絶えず。限るべからずと雖も我補処の智力を以て悉く見、悉く知る。而も此の衆に於ては一人をも識らず」等云云。
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妙楽云はく「今見るに皆識らざる所以は、乃至智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云。天台又云はく「雨の猛きを見て竜の大なるを知り、華の盛んなるを見て池の深きを知る」云云。例せば漢王の四将の張良・樊・・陳平・周勃の四人を、商山の四晧・季里枳・角里先生・園公・夏黄公等の四賢に比するが如し。天地雲泥なり。四晧が為体、頭には白雪を頂き、額には四海の波を畳み、眉には半月を移し、腰には多羅枝を張り、恵帝の左右に侍して世を治められたる事、尭・舜の古を移し一天安穏なりし事、神農の昔に異ならず。此の四大菩薩も亦復是くの如し。法華の会に出現し三仏を荘厳す。謗人の慢幢を倒すこと大風の小樹の枝を吹くが如く、衆会の敬心を致すこと諸天の帝釈に従ふが如し。提婆の仏を打ちしも舌を出だし掌を合はせ、瞿伽梨の無実を構へしも地に臥して失を悔ゆ。文殊等の大聖は身を慙ぢて言を出ださず。舍利弗等の小聖は智を失ひ頭を低る。
 爾の時に大覚世尊寿量品を演説し、然して後に十神力を示現して四大菩薩に付嘱したまふ。其の所属の法は何物ぞや。法華経の中にも広を捨てゝ略を取り、略を捨てゝ要を取る。所謂妙法蓮華経の五字、名体宗用教の五重玄なり。例せば九包淵が相馬の法には玄黄を略して駿逸を取り、史陶林が講経の法には細科を捨てゝ元意を取るが如し等なり。

第十二章 末法に地湧出現の理由を示す

 此の四大菩薩は釈尊成道の始め、寂滅道場の砌にも来たらず、如来入滅の終はり抜提河の辺にも至らず。加之、霊山八年の間に、進んでは迹門の序正の儀式に文殊・弥勒等の発起影向の諸の聖衆にも列ならず、退いては本門流通の座席に観音・妙音等の発誓弘経の大士にも交はらず。但此の一大秘法を持して本処に隠居するの後、仏の滅後、正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず。所詮仏専ら末世の時に限って此等の大士に付嘱せし故なり。法華経の分別功徳品に云はく「悪世末法の時、能く是の経を持つ者」云云。涅槃経に云はく「譬へば七子の父母平等ならざるに非ざれども、然も病者に於て心則ち偏に重きが如し」云云。法華経の薬王品に云はく「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」云云。七子の中に上の六子は且く之を置く。第七の病子は一闡提の人、
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五逆謗法の者、末代悪世の日本国の一切衆生なり。正法一千年の前五百年には一切の声聞、涅槃し了んぬ。後の五百年には他方より来たれる菩薩、大体本土に還り向かひ了んぬ。像法に入っての一千年には、文殊・観音・薬王・弥勒等、南岳・天台と誕生し、傅大士・行基・伝教等と示現して衆生を利益す。
 今末法に入って此等の諸大士も皆本処に隠居しぬ。其の外の閻浮守護の天神・地祇も、或は他方に去り、或は此土に住すれども悪国を守護せず、或は法味を嘗めざれば守護の力無し。例せば法身の大士に非ざれば、三悪道に入られざるが如し。大苦忍び難きが故なり。而るに地涌千界の大菩薩、一には娑婆世界に住すること多塵劫なり。二には釈尊に随って久遠より已来初発心の弟子なり。三には娑婆世界の衆生の最初下種の菩薩なり。是くの如き等の宿縁の方便、諸大菩薩に超過せり。

第十三章 末法に地湧出現の文証を挙げる

 問うて曰く、其の証拠如何。法華第五涌出品に云はく「爾の時に他方の国土より諸の来たれる菩薩摩訶薩の八恒河沙の数に過ぎたる、乃至爾の時に仏、諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまはく、止みね善男子、汝等が此の経を護持せんことを須ひじ」等云云。天台云はく「他方は此の土結縁の事浅し。宣授せんと欲すと雖も必ず巨益無けん」云云。妙楽云はく「尚偏に他方の菩薩に付せず。豈独り身子のみならんや」云云。又天台云はく「告八万大士とは、乃至今の下の文に下方を召すが如く尚本眷属を待つ。験らけし。余は未だ堪へず」云云。経釈の心は迦葉・舍利弗等の一切の声聞、文殊・薬王・観音・弥勒等の迹化・他方の諸大士、末世の弘経に堪へじと云ふなり。経に云はく「我が娑婆世界に、自づから六万恒河沙等の菩薩摩訶薩有り。一々の菩薩に各六万恒河沙の眷属有り。是の諸人等、能く我が滅後に於て、護持し、読誦し、広く此の経を説かん。仏、是を説きたまふ時、娑婆世界の三千大千の国土、地皆震裂して、其の中より無量千万億の菩薩摩訶薩有って同時に涌出せり。乃至是の菩薩衆の中に四導師有り。一をば上行と名づけ、二をば無辺行と名づけ、三をば浄行と名づけ、四をば安立行と名づく。
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其の衆の中に於て最も為れ上首唱導の師なり」等云云。天台云はく「是我が弟子、応に我が法を弘むべし」云云。妙楽云はく「子、父の法を弘む」云云。道暹云はく「付嘱とは、此の経は唯下方涌出の菩薩に付す。何が故に爾る。法是久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云。此等の大菩薩、末法の衆生を利益したまふこと、猶魚の水に練れ、鳥の天に自在なるが如し。濁悪の衆生、此の大士に遇って仏種を殖うること、例せば水精の月に向かって水を生じ、孔雀の雷の声を聞いて懐妊するが如し。天台云はく「猶百川の海に潮すべきが如し。縁に牽かれて応生するも亦復是くの如し」云云。

第十四章 付嘱の要法を挙げ広・略の付嘱を述ぶ

 慧日大聖尊、仏眼を以て兼ねて之を鑑みたまふ。故に諸の大聖を捨棄し、此の四聖を召し出だして要法を伝へ、末法の弘通と定めたまふなり。
 問うて曰く、要法の経文如何。答へて曰く、口伝を以て之を伝へん。釈尊、然後正像二千年の衆生の為に、宝塔より出でて虚空に住立し、右の手を以て文殊・観音・梵・帝・日・月・四天等の頂を摩でて、是くの如く三反して法華経の要よりの外の広略二門、並びに前後一代の一切経を此等の大士に付嘱す。正像二千年の機の為なり。其の後涅槃経の会に至って、重ねて法華経並びに前四味の諸経を説いて、文殊等の諸大菩薩に授与したまふ。此等は・拾遺嘱なり。

第十五章 付嘱による正像の仏法流布を示す

 爰を以て滅後の弘経に於ても、仏の所属に随って弘法の限り有り。然れば則ち迦葉・阿難等は一向に小乗経を弘通して大乗経を申べず。竜樹・無著等は権大乗経を申べて一乗経を弘通せず。設ひ之を申べしかども、纔かに以て之を指示し、或は迹門の一分のみ之を宣べて全く化道の始終を談ぜず。南岳・天台等は観音・薬王等の化身として小大・権実・迹本二門・化道の始終・師弟の遠近等悉く之を宣べ、其の上に已今当の三説を立てゝ一代超過の由を判ぜること、天竺の諸論にも勝れ真丹の衆釈にも過ぎたり。旧訳、新訳の三蔵、宛も此の師には及ばず、顕・密二道の元祖、敢へて敵対に非ず。然りと雖も広略を以て本と為して未だ肝要に能はず。
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自身に之を存すと雖も敢へて他伝に及ばず。此偏に付嘱を重んぜしが故なり。
 伝教大師は仏の滅後一千八百年、像法の末に相当たって日本国に生まれ、小乗・大乗・一乗の諸戒一々に之を分別し、梵網・瓔珞の別受戒を以て小乗の二百五十戒を破失し、又法華・普賢の円頓の大王の戒を以て諸大乗経の臣民の戒を責め下とす。此の大戒は霊山八年を除いて、一閻浮提の内に未だ有らざる所の大戒場を叡山に建立す。然る間八宗共に偏執を倒し、一国を挙げて弟子と為る。観勒の流れの三論・成実、道昭の渡せる法相・倶舎、良弁の伝ふる所の華厳宗、鑑真和尚の渡す所の律宗、弘法大師の門弟等、誰か円頓の大戒を持たざらん。此の義に違背するは逆路の人なり。此の戒を信仰するは伝教大師の門徒なり。「日本一州円機純一、朝野遠近同帰一乗」とは是の謂か。
 此の外は漢土の三論宗の吉蔵大師並びに一百人、法相宗の慈恩大師、華厳宗の法蔵・澄観・真言宗の善無畏・金剛智・不空・恵果、日本の弘法・慈覚等の三蔵諸師は四依の大士に非ざる暗師なり、愚人なり。経に於ては大小・権実の旨を弁へず、顕・密両道の趣を知らず。論に於ては通申と別申とを糾さず、申と不申とを暁らめず。然りと雖も彼の宗々の末学等、此の諸師を崇敬して之を聖人と号し、之を国師と尊ぶ。今先づ一を挙げんに万を察せよ。

第十六章 真言宗の弘法の謗法を挙げる

 弘法大師の十住心論・秘蔵宝鑰・二教論等に云はく「此くの如き乗々は自乗に名を得れども後に望めば戯論と作す」と。又云はく「無明の辺域」と。又云はく「震旦の人師等、争って醍醐を盗み、各自宗に名づく」等云云。釈の心は法華の大法を華厳と大日経とに対して戯論の法と蔑り、無明の辺域と下し、剰へ震旦一国の諸師を盗人と罵る。此等の謗法・謗人は慈恩・得一の三乗真実・一乗方便の狂言にも超過し、善導・法然の千中無一・捨閉閣抛の過言にも雲泥せるなり。六波羅蜜経をば唐の末に不空三蔵、月氏より之を渡す。
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後漢より唐の始めに至るまで未だ此の経有らず。南三北七の碩徳、未だ此の経を見ず。三論・天台・法相・華厳の人師、誰人か彼の経の醍醐を盗まんや。又彼の経の中に法華経は醍醐に非ずといふの文、之有りや不や。而るに日本国東寺の門人等、堅く之を信じて種々に僻見を起こし、非より非を増し、暗より暗に入る。不便の次第なり。
 彼の門家の伝法院の本願たる正覚の舎利講式に云はく「尊高なる者は不二摩訶衍の仏、驢牛の三身は車を扶くること能はず。秘奥なる者は両部曼陀羅の教、顕乗の四法の人は履をも取る能はず」云云。三論・天台・法相・華厳等の元祖等を真言の師に相対するに、牛飼ひにも及ばず、力者にも足らずと書ける筆なり。乞ひ願はくば彼の門徒等、心あらん人は之を案ぜよ。大悪口に非ずや、大謗法に非ずや。所詮此等の狂言は、弘法大師の「望後作戯論」の悪口より起こるか。教主釈尊・多宝・十方の諸仏は、法華経を以て已・今・当の諸説に相対して「皆是真実」と定め、然る後世尊は霊山に隠居し、多宝・諸仏は各本土に還りたまひぬ。三仏を除くの外、誰か之を破失せん。
 就中、弘法所覧の真言経の中に、三説を悔ひ還すの文、之有りや不や。弘法既に之を出ださず。末学の智、如何せん。而るに弘法大師一人のみ、法華経を華厳・大日の二経に相対して戯論・盗人と為す。所詮釈尊・多宝・十方の諸仏を以て盗人と称するか。末学等、眼を閉じて之を案ぜよ。

第十七章 法華経誹謗を糾した先例を挙げる

 問うて曰く、昔より已来、未だ會て此くの如き謗言を聞かず。何ぞ上古清代の貴僧に違背して、寧ろ当今濁世の愚侶を帰仰せんや。答へて曰く、汝が所言の如くんば、愚人は定んで理運と思はんか。然れども此等は皆人の偽言に因って如来の金言を知らず。大覚世尊、涅槃経に滅後を警めて言はく「善男子、我が所説に於て若し疑ひを生ずる者は尚受くべからず」云云。然るに仏、尚我が所説と雖も不審有らば之を叙用せざれと。今予を諸師に比べて謗難を加ふ。然りと雖も敢へて私曲を構へず。専ら釈尊の遺誡に順って、諸人の謬釈を糺すなり。
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 夫、斉の始めより梁の末に至るまで二百余年の間、南北の碩徳・光宅・智誕等の二百余人、涅槃経の「我等を悉く邪見の人と名づく」の文を引いて、法華経を以て邪見の経と定め、一国の僧尼並びに王臣等を迷惑せしむ。陳・隋の比、智者大師、之を糺明せし時、始めて南北の僻見を破り了んぬ。唐の始め太宗の御宇に、基法師、勝鬘経の「若し如来、彼の所欲に随って方便して説くに即ち是大乗にして二乗有ること無し」の文を引いて、一乗方便・三乗真実の義を立つ。此の邪義震旦に流布するのみに非ず。日本の得一、称徳天皇の御時盛んに非義を談ず。爰に伝教大師、悉く彼の邪見を破し了んぬ。後鳥羽院の御代に、源空法然、観無量寿経の「読誦大乗」の一句を以て法華経を摂入し、還って称名念仏に対すれば雑行方便なれば捨閉閣抛せよ等云云。
 然りと雖も、五十余年の間、南都・北京・五畿・七道の諸寺・諸山の衆僧等、此の悪義を破ること能はざりき。予が難破分明たるの間、一国の諸人、忽ちに彼の選択集を捨て了んぬ。「根露るれば枝枯れ、源乾けば流れ竭く」とは蓋し此の謂なるか。加之、唐の半ば、玄宗皇帝の御代に、善無畏・不空等、大日経の住心品の「如実一道心」の一句に法華経を摂入し、返って権経と下す。日本の弘法大師は六波羅蜜経の五蔵の中に、第四の熟蘇味の般若波羅蜜蔵に法華経・涅槃経等を摂入し、第五の陀羅尼蔵に相対して争って醍醐を盗む等云云。此等の禍咎は日本一州の内四百余年、今に未だ之を糺明せし人あらず。予が所存の難勢、遍く一国に満つ。必ず彼の邪義は破られんか。此等は且く之を止む。

第十八章 要法が末法に出現することを明かす

 迦葉・阿難等、竜樹・天親等、天台・伝教等の諸大聖人、知って而も未だ弘宣せざる所の肝要の秘法は法華経の文に赫々たり。論釈等に載せざること明々たり。生知は自ら知るべし。賢人は明師に値遇して之を信ぜよ。罪根深重の輩は邪推を以て人を軽しめ之を信ぜず。且く耳に停め本意に付かば之を喩さん。大集経の五十一に、大覚世尊、月蔵菩薩に語って云はく「我が滅後に於て五百年の中は解脱堅固、次の五百年は禅定堅固已上一千年。
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次の五百年は読誦多聞堅固、次の五百年は多造塔寺堅固已上二千年。次の五百年は我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」等云云。今末法に入って二百二十余年「於我法中闘諍言訟、白法隠没」の時に相当たれり。法華経の第七薬王品に、教主釈尊、多宝仏と共に宿王華菩薩に語って云はく「我が滅度の後、後五百歳の中に広宣流布して、閻浮提に於て、断絶して悪魔・魔民・諸の天・竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便りを得せしむること無かれ」と。大集経の文を以て之を案ずるに、前四箇度の五百年は仏の記文の如く既に符合せしめ了んぬ。第五の五百歳の一事、豈唐捐ならんや。随って当世の為体、大日本国と大蒙古国と闘諍合戦す。第五の五百に相当たれるか。彼の大集経の文を以て此の法華経の文を推するに「後五百歳中広宣流布、於閻浮提」の鳳詔、豈扶桑国に非ずや。弥勒菩薩の瑜伽論に云はく「東方に小国有り。其の中に唯大乗の種姓のみ有り」云云。慈氏菩薩、仏の滅後九百年に相当たって、無著菩薩の請に赴いて中印度に来下して瑜伽論を演説す。是或は権機に随ひ、或は付嘱に順ひ、或は時に依って権経を弘通す。然りと雖も法華経の涌出品の時、地涌の菩薩を見て近成を疑ふの間、仏、請に赴いて寿量品を演説し、分別功徳品に至って地涌の菩薩を勧奨して云はく「悪世末法の時、能く是の経を持つ者」と。弥勒菩薩、自身の付嘱に非ざれば之を弘めずと雖も、親り霊山会上に於て「悪世末法時」の金言を聴聞せし故に、瑜伽論を説くの時、末法に日本国に於て地涌の菩薩、法華経の肝心を流布せしむべきの由、兼ねて之を示すなり。肇公の翻経の記に云はく「大師須梨耶蘇しゅりやそま、左の手に法華経を持ち、右の手に鳩摩羅什の頂を摩でて授与して云はく、仏日西入って遺耀将に東に及ばんとす。此の経典、東北に縁有り。汝愼んで伝弘せよ」云云。予、此の紀文を拝見して両眼滝の如く、一身悦びを遍くす。「此の経典東北に縁有り」云云。西天の月支国は未申の方東方の日本国は丑寅の方なり。天竺に於て東北に縁有りとは、豈日本国に非ずや。遵式の筆に云はく「始め西より伝ふ、猶月の生ずるが如し。今復東より返る、猶日の昇るが如し」云云。正像二千年には西より東に流る、
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暮月の西空より始むるが如し。末法五百年には東より西に入る、朝日の東天に出づるに似たり。根本大師の記に云はく「代を語れば則ち像の終はり末の初め、地を尋ぬれば唐の東羯の西、人を原ぬれば則ち五濁の生、闘諍の時なり。経に云はく、猶多怨嫉況滅度後きょうと。此の言良に以有るが故に」云云。又云はく「正像悄過ぎ已はって末法太だ近きに有り。法華一乗の機、今正しく是其の時なり。何を以て知ることを得ん、安楽行品に末世法滅の時なり」云云。此の釈は語美しく心隠れたり。読む人之を解し難きか。伝教大師の語は我が時に似て心は末法を示したまふなり。大師出現の時は仏の滅後一千八百余年なり。大集経の文を以て之を勘ふるに、大師存生の時は第四の多造塔寺堅固の時に相当たる、全く第五の闘諍堅固の時に非ず。而るに余処
太有近」の言あり。定んで知んぬ、闘諍堅固の筆は我が時を指すに非ざることを。
 予、倩事の情を案ずるに、大師、薬王菩薩として霊山会上に侍して、仏、上行菩薩出現の時を兼ねて之を記したまふ故に粗之を喩すか。而るに予、地涌の一分には非ざれども、兼ねて此の事を知る。故に地涌の大士に前立ちて粗五字を示す。例せば西王母の先相には青鳥、客人の来たるには鵲の如し。

第十九章 聖教の収集を依頼される

 此の大法を弘通せしむるの法には、必ず一代の聖教を安置し、八宗の章疏を習字すべし。然れば則ち予所持の聖教多々之有りき。然りと雖も両度の御勘気、衆度の大難の時、或は一巻二巻散失し、或は一字二字脱落し、或は魚魯の謬・、或は一部二部損朽す。若し黙止して一期を過ぐるの後には、弟子等定んで謬乱出来の基なり。爰を以て愚身老耄已前に之を糾調せんと欲す。而るに風聞の如くんば、貴辺並びに大田金吾殿の越中の御所領の内、並びに近辺の寺々に数多の聖教あり等云云。両人共に大檀那たり、所願を成ぜしめたまへ。涅槃経に云はく「内には弟子有って甚深の義を解り、外には清浄の檀越有って仏法久住せん」云云。天台大師は毛喜等を相語らひ、伝教大師は国道・弘世等を恃怙む云云。

第二十章 正法受持と誹謗の現証を明かす

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 仁王経に云はく「千里の内をして七難起こらざらしむ」云云。法華経に云はく「百由旬緒の衰減無からしむ」云云。国主、正法を弘通すれば、必ず此の徳を備ふ。臣民等、此の法を守護せんに、豈家内の大難を払はざらんや。又法華経の第八に云はく「所願虚しからず、亦現世に於て其の福報を得ん」と。又云はく「当に今世に於て現の果報を得べし」云云。又云はく「此の人現世に白癩の病を得ん」と。又云はく「頭破れて七分と作らん」と。又第二の巻に云はく「経を読誦し、書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉して結恨を懐かん。乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」云云。第五の巻に云はく「若し人悪み罵らば、口則ち閉塞せん」云云。伝教大師の云はく「讃ずる者は福を安明に積み、謗ずる者は罪を無間に開く」等云云。安明とは須弥山の名なり、無間とは阿鼻の別名なり。国主持者を誹謗せば位を失ひ、臣民行者を毀呰すれば身を喪す。一国を挙って用ひずんば、定んで自反・他逼出来せしむべきなり。又上品の行者は大の七難、中品の行者は二十九難の内、下品の行者は無量の難の随一なり。又大の七難に於て七人有り。第一は日月の難なり。第一の内に又五の大難有り。所謂日月度を失ひ時節反逆し、或は赤日出で、或は黒日出で、二三四五の日出づ。或は日蝕して光無く、或は日輪一重二三四五重輪現ぜん。又経に云はく「二の月並び出でん」と。今此の国土に有らざるは二の日、二の月等の大難なり。余の難は大体之有り。今此の亀鏡を以て日本国を浮かべ見るに、必ず法華経の大行者有らんか。既に之を謗る者に大罰有り。之を信ずる者何ぞ大福無からん。

第二十一章 二人の信心を励まして結ぶ

 今両人微力を励まし、予が願ひに力を副へ、仏の金言を試みよ。経文の如く之を行ぜんに微無くんば、釈尊正直の経文、多宝証明の誠言、十方分身の諸仏の舌相、有言無実と為らんか。提婆の大妄語に過ぎ、瞿伽利の大狂言に超へたらん。日月地に落ち、大地反覆し、天を仰いで声を発し、地に臥して胸を押さふ。殷の湯王の玉体を薪に積み、戒日大王の竜顔を火に入れしも、今此の時に当たるか。若し此の書を見聞して宿習有らば、
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其の心を発得すべし。使者に此の書を持たしめ、早々北国に差し遣はし、金吾殿の返報を取りて速々是非を聞かしめよ。此の願ひ若し成ぜば、崑崙山の玉鮮やかに求めずして蔵に収まり、大海の宝珠招かざるに掌に在らんのみ。恐惶謹言。

 下春十日    日蓮 花押

曽谷入道殿

大田金吾殿