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(★777㌻) 夫以れば重病を療治するには良薬を構索し、逆・謗を救助するには要法には如かず。所謂時を論ずれば正・像・末、教を論ずれば小大・偏円・権実・顕密、国を論ずれば中辺の両国、機を論ずれば已逆と未逆と、已謗と未謗と、師を論ずれば凡師と聖師と、二乗と菩薩と、他方と此土と、迹化と本化となり。故に四依の菩薩等、滅後に出現し、仏の付嘱に随って妄りには経法を演説したまはず。 |
つらつら思うに、重病を療治するには良薬を求め、五逆や誹謗正法の衆生を救済するには肝要の妙法五字を与えるほかない。 いわゆる、時を論ずれば、正法時・像法時・末法時という相違があり、教を論ずれば、小乗と大乗・偏教と円教・権教と実教・顕教と密教の相違があり、国を論ずれば中国と辺国の両国があり、機根を論ずれば已逆と未逆、已謗と未謗の相違があり、師を論ずれば凡師と聖師、声聞・縁覚の二乗と菩薩と、他方の菩薩と此土の菩薩、迹化の菩薩と本化の菩薩とがある。ゆえに、四依の菩薩等は釈尊の滅後に出現して仏の付嘱に従って法を弘めたのであり、みだりに経法を説くことはなかった。 |
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所詮無智の者、未だ大法を謗ぜざるには忽ちに大法を与へざれ。悪人たる上已に実大を謗ずる者には強ひて之を説くべし。法華経第二の巻に、仏、舎利弗に対して云はく「無智の人の中にして此の経を説くこと莫れ」と。又第四の巻に薬王菩薩等の八万の大士に告げたまはく「此の経は是諸仏秘要の蔵なり、分布して妄りに人に授与すべからず」等云云。文の心は無智の者の而も未だ正法を謗らざれば、左右無く此の経を説くこと莫れ。法華経第七の巻不軽品に云はく「乃至遠く四衆を見ても亦復故に往いて」等云云。又云はく「四衆の中に瞋恚を生じ、心不浄なる者有り。悪口罵詈して言はく、是の無智の比丘、何れの所より来たりて」等云云。又云はく「或は杖木・瓦石を以て之を打擲す」等云云。第二・第四の巻の経文と第七の巻の経文と天地水火せり。 |
所詮、仏法に無智であって、まだ正法である法華経を謗っていない者には、直ちに法華経を説いてはならない。悪人であるうえ、すでに実大乗を誹謗している者には、強いて法華経を説くべきである。 法華経も第二の巻譬喩品第三に釈尊は舎利弗に対して「無智の人の中にして、此の経を説くこと莫れ」と説き、また、第四の巻の法師品第十は薬王菩薩等の八万の菩薩に告げて「此の経は是れ、諸仏秘要の蔵なり。分布して、妄りに人に授与すべからず」と説いている。この経文の心は無智の人で、しかも正法である法華経をいまだ誹謗していない人には、やたらと法華経を説いてはならないということである。 法華経第七の巻常不軽菩薩品第二十に「乃至遠く四衆を見ても、亦復故に往いて」等と説き、また「四衆の中に、瞋恚を生じ、心不浄なる者有り、悪口罵詈して言わく、是の無智の比丘、何れの所より来って」等と説き、また「或は杖木、瓦石を以って、之を打擲す」等と説かれている。この法華経の第二・第四の巻の経文と、第七の巻の経文と天地水火の相違がある。 |
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問うて曰く、一経二説、何れの義に就いてか此の経を弘通すべき。答へて云はく、私に会通すべからず。霊山の聴衆たる天台大師並びに妙楽大師等処々に多くの釈有り。先づ一両の文を出ださん。文句の十に云はく「問うて曰く、釈迦は出世して蜘して説かず。今は此何の意ぞ、造次にして説くは何ぞや。答へて曰く、本已に善有るには釈迦小を以て之を将護し、本未だ善有らざるには不軽大を以て之を強毒す」等云云。釈の心は寂滅・鹿野・ (★778㌻) 大宝・白鷺等の前四味の小大・権実の諸経・四教・八教の所被の機縁、彼等の過去を尋ね見れば、久遠・大通の時に於て純円の種を下せしも、諸衆、一乗経を謗ぜしかば三・五の塵点を経歴す。然りと雖も下せし所の下種、純熟の故に時至って自づから繋珠を顕はす。但四十余年の間、過去に已に結縁の者も猶謗の義有るべきの故に、且く権小の諸経を演説して根機を練らしむ。 |
問うて言う。一経に二説があるわけだが、どちらの義によって法華経を弘通すべきなのか。 答えて言う。私の解釈によってはならない。霊鷲山の聴衆である天台大師並びに妙楽大師等が処々に多くの釈を残している。ここでまず一・二を出そう。 天台大師は法華文句の巻十に「問うて曰く釈迦は出世して踟チュウして説かず、常不軽はひとたび見て造次して言うは何ぞや、答えて曰く本已に善有るには釈迦は小を以って之を将護し、本未だ善有らざるには、不軽は大を以って之を強毒す」と述べている。 この釈の心は、寂滅道場の華厳経・鹿野苑の阿含経・大宝坊の方等経・白鷺池の般若経等の前四味の小乗・大乗・権教・実教の諸経・四教八教を聞いた衆生は、彼らの過去世を尋ねてみると、久遠大通の時において純円の法華経の種を下されながら、一乗経の法華経を誹謗したため、三千塵点劫・五百塵点劫という長い間地獄を経たが、その時に下された種が時至っておのずから熟して、我が身の衣の裏に繋がった宝珠を顕してきたのである。ただし、法華経以前の四十余年の間は、過去世に結縁のあった衆生であっても法華経を謗るおそれがあるので、しばらく権教や小乗教を説いて根機を調熟したのである。 |
| 問うて曰く、華厳の時の別・円の大菩薩、乃至観経等の諸の凡夫の得道は如何。答へて曰く、彼等の衆は時を以て之を論ずれば其の経の得道に似たれども、実を以て之を勘ふるに三・五下種の輩なり。問うて曰く、其の証拠如何。答へて曰く、法華経第五の巻涌出品に云はく「是の諸の衆生は世々より已来、我が化を成就せり。乃至此の諸の衆生は、始め我が身を見、我が所説を聞いて、即ち皆信受して如来の慧に入りにき」等云云。天台釈して云はく「衆生久遠」等云云。妙楽大師の云はく「脱は現に在りと雖も具に本種を騰ぐ」と。又云はく「故に知んぬ、今日の逗会は昔成就するの機に赴く」等云云。経釈顕然の上は私の料簡を待たず。例せば王女と下女と天子の種子を下さゞれば国主と為らざるが如し。 |
問うて言う。華厳経の会座の時、別円の菩薩が得道したことや、あるいは観無量寿経等の凡夫の得道はどうであったろうか。 答えて言う。彼らの成仏は時をもって論ずるならばその経によって得道したようにみえるけれども、実をもってこれを考えれば三千塵点劫・五百塵点劫の時に法華経に結縁した衆生なのである。 問うて言う。その証拠はどこにあるのか。 答えて言う。法華経の第五の巻の従地涌出品第十五に「是の諸の衆生は、世世より已来、常に我が化を受けたり、乃至此の諸の衆生は、始め我が身を見、我が所説を聞いて、即ち皆、信受して如来の慧に入りにき」等と説かれている。この文を天台大師は釈して法華文句に「衆生久遠」と述べている。妙楽大師は法華文句記に「脱は現に在りと雖も具に本種を騰ぐ」と述べ、また法華文句記に「故に知んぬ今日の逗会は昔成熟するの機に赴く」等と釈している。 経釈に明らかなうえは、私の解釈を待つこともない。例えば、王女であっても、また下女であっても、国王の子を孕まなければ、その子が国主となることはできないようなものである。 |
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問うて曰く、大日経等の得道の者は如何。答へて曰く、種々の異義有りと雖も繁きが故に之を載せず。但し所詮は彼々の経々に種・熟・脱を説かざれば還って灰断に同じ、化に始終無きの経なり。而るに真言師等が所談の即身成仏は、譬へば窮人の妄りに帝王と号して自ら誅滅を取るが如し。王莽・趙高の輩は外に求むべからず、今の真言家なり。此等に因って論ぜば、仏の滅後に於て三時有り。正・像二千余年には猶下種の者有り。例せば在世四十余年の如し。機根を知らずんば左右無く実経を与ふべからず。今は既に末法に入って、在世の結縁の者は漸々に衰微して、権実の二機皆悉く尽きぬ。彼の不軽菩薩、末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり。而るに今時の学者、時・機に迷惑して或は小乗を弘通し、或は権大乗を授与し、或は一乗を演説すれども、 (★779㌻) 題目の五字を以て下種と為すべきの由来を知らざるか。 |
問うて言う。それでは大日経等の得道の者はどうであろうか。 答えて言う。これにはさまざまな義があるが繁雑になるのでこれを述べない。しかし、所詮それらの経々には種熟脱を説かないので、結局、灰身滅智と同じであり、化導に始終のない経である。 そうであるのに、真言師等がいう即身成仏などは、例えば貧しい者が妄りに自分を帝王と名乗って、自ら滅亡していくようなものである。中国の王莽とか趙高のような輩をほかに求めずとも、今の真言家がそうである。 これらによって論ずるならば、釈尊滅後に正法時・像法時・末法時の三時がある。そのうち正法時・像法時の二千余年にはまだ、過去に下種されていた者がある。例えば、釈尊在世四十余年のようなものである。その衆生の根機を知らずにむやみに実経である法華経を与えてはならないのである。 今は既に末法に入って、釈尊在世に結縁した者は次第に少なくなり、権教と実教で成仏する機根の人は皆尽きてしまった。今こそ、かの不軽菩薩が末法に出現して、毒鼓を打つべき時なのである。しかるに、今の学者は時と機根に迷って、あるいは小乗を弘通し、あるいは権大乗を授与し、あるいは一乗を説法するけれども、題目の五字をもって一切衆生を下種とすべき由来を知らないのである。 |
| 殊に真言宗の学者は迷惑を懐いて三部経に依憑し、単に会二・破二の義を宣べて猶三一相対を説かず。即身頓悟の道跡を削り、草木成仏は名をも聞かざるのみ。而るに善無畏・金剛智・不空等の僧侶、月氏より漢土に来臨せし時、本国に於て未だ存せざる天台の大法、盛んに此の国に流布せしむるの間、自愛所持の経弘め難きに依り、一行阿闍梨を語らひ得て天台の智慧を盗み取り、大日経等に摂入して天竺より有るの由之を偽る。然るに震旦一国の王臣等、並びに日本国の弘法・慈覚の両大師、之を弁へずして信を加ふ。已下の諸学は言ふに足らず。但漢土・日本の中に伝教大師一人之を推したまへり。然れども未だ分明ならず。所詮善無畏三蔵、閻魔王の責めを蒙って此の過罪を悔ひ、不空三蔵の天竺に還り渡って真言を捨てゝ漢土に来臨し、天台の戒壇を建立して両界の中央の本尊に法華経を置きし等是なり。 |
とりわけ真言宗の学者は迷って真言の三部経に依拠して、会二破二の義を述べているだけである。彼らは三一相対さえ説かず、即身成仏の頓悟を開かせる道を削り草木成仏はその名すら聞かない。 そうであるのに、善無畏・金剛智・不空等の僧がインドから中国に来た時、インドになかった天台の大法が中国で盛んに流布していて、インドから所持してきた自愛の経は弘めがたいので、一行阿闍梨を欺いて天台の法門の智慧を盗み取り、大日経等に取り入れ、これはインドにもともとあった法門だと偽ったのである。 しかるに中国一国の王臣等並びに日本国の弘法、慈覚の二人の大師はこのことを弁えずに信じきってしまったのである。それ以下の人々はいうまでもない。 ただ中国と日本の中で伝教大師一人が、このことを弁えられたが、それでもまだ分明ではなかった。 結局、善無畏三蔵は地獄で閻魔王の責めをこうむり、法華経誹謗の罪を悔い、不空三蔵は中国からインドに帰って真言を捨て、再び中国に渡って天台の戒壇を建立し、胎蔵・金剛の両曼荼羅の中央に法華経を置いたのである。 |
| 問うて曰く、今時の真言宗の学者等、何ぞ此の義を存せざるや。答へて曰く、眉は近けれども見えず、自らの禍を知らずとは是の謂か。嘉祥大師は三論宗を捨てゝ天台の弟子と為る。今の末学等之を知らず。法蔵・澄観は華厳宗を置いて智者に帰す。彼の宗の学者之を存せず。玄奘三蔵・慈恩大師は五性の邪義を廃し一乗の法に移る。法相の学者堅く之を諍ふ。 |
問うて言う。今の真言宗等の学者はどうしてこの義を知らないのであろうか。 答えて言う。眉は近いけれども見えない。自らの禍を知らないのはこのためであろうか。 嘉祥大師は三論宗を捨てて天台大師の弟子となったが、今の三論宗の学者はこのことを知らない。法蔵・澄観は華厳宗を差し置いて、天台智者に帰依したのであるが、かの宗の学者はこのことを知らない。玄奘三蔵・慈恩大師は五性各別の邪義を廃して、法華一乗の法に移ったのであるが、法相の学者は堅く自義に執着して諍論している。 |
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| 問うて曰く、其の証如何。答へて曰く、或は心を移して身を移さず、或は身を移して心を移さず。或は身心共に移し、或は身心共に移さず。其の証文は別紙に之を出だすべし。此の消息の詮に非ざれば之を出ださず。 |
問うて言う。その証拠はどこにあるのであろうか。 答えて言う。これらの人々はあるいは心を移して身を移さず、あるいは身を移して心を移さず、あるいは身心ともに移し、あるいは身心ともに移さず等、さまざまである。その証拠となる文証は別紙に認めよう。この消息の要ではないのでこれを省略する。 |
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仏の滅後に三時有り。所謂正法一千年の前の五百年には迦葉・阿難・商那和修・末田地・脇比丘等、一向に小乗の薬を以て衆生の軽病を対治す。四阿含経・十誦・八十誦等の諸律と相続解脱経等の三蔵とを弘通し、後には律宗・倶舍宗・成実宗と号する是なり。後の五百年には馬鳴菩薩・竜樹菩薩・提婆菩薩・無箸菩薩・天親菩薩等の諸の大論師、初めには諸の小聖の弘めし所の小乗経之を通達し、 (★780㌻) 後には一々に彼の義を破失し了って諸の大乗経を弘通す。是又中薬を以て衆生の中病を対治す。所謂華厳経・般若・大日経・深密経等、三論宗・法相宗・真言陀羅尼・禅法等なり。 |
如来滅後に三時がある。初めがいわゆる正法千年である。正法時代の前半の五百年間には迦葉・阿難・商那和修・末田地・脇比丘等が小乗の薬で衆生の軽病を治した。いわゆる増一・長・中・雑の四阿含経・十誦・八十誦等の諸律と相続解脱経等の三蔵を弘通した。後に律宗・倶舎宗・成実宗と名乗ったのはこれである。また後半の五百年間には馬鳴菩薩・竜樹菩薩・提婆菩薩・無著菩薩・天親菩薩等の諸の大論師が、初めには諸の小乗の聖人の弘めた小乗経を学び究め、後には一々にそれらの義を破失して諸の大乗経を弘通したのである。すなわち、中薬をもって衆生の中病を治したのである。いわゆる華厳経・般若経・大日経・深密経等・三輪宗・法相宗・真言陀羅尼・禅法等となったのである。 | |
| 問うて曰く、迦葉・阿難等の諸の小聖、何ぞ大乗経を弘めざるや。答へて曰く、一には自身堪へざるが故に。二には所被の機無きが故に。三には仏より譲り与へざるが故に。四には時来たらざるが故なり。問うて曰く、竜樹・天親等何ぞ一乗経を弘めざるや。答へて曰く、四つの義有り。先の如し。 |
問うて言う。迦葉・阿難等の小乗の聖人はどうして大乗経を弘めなかったのであろうか。 答えて言う。それには一には自分が堪えるとができないゆえであり、二には衆生が大乗を受け入れる機根でないゆえで、三には仏から譲り与えられなかったゆえであり、四には時が来ていなかったゆえである。 問うて言う。竜樹・天親はどうして一乗経である法華経を弘めなかったのであろうか。 答えて言う。それも先に挙げた四つの義によるのである。 |
| 問うて曰く、諸の真言師の云はく「仏の滅後八百年に相当たって、竜猛菩薩月氏に出現して、釈尊の顕教たる華厳・法華等を馬鳴菩薩等に相伝し、大日密教をば自ら南天の鉄塔を開拓し、面り大日如来と金剛菩・とに対して之を口決す。竜猛菩薩に二人の弟子有り。提婆菩薩には釈迦の顕教を伝へ、竜智菩薩には大日の密教を授く。竜智菩薩は阿羅苑に隠居して人に伝へず。其の間に提婆菩薩の伝ふる所の顕教は先づ漢土に渡る。其の後数年を経歴して竜智菩薩の伝ふる所の秘密の教をば、善無畏・金剛智・不空、漢土に渡す」等云云。此の義如何。答へて曰く、一切の真言師是くの如し。又天台・華厳等の諸家も一同に之を信ず。抑竜猛已前には月氏国の中には大日の三部経無しと云ふか。釈迦よりの外に大日如来世に出現して三部の経を説くと云ふか。顕を提婆に伝へ、密を竜智に授くる証文、何れの経論に出でたるぞ。此の大妄語は提婆の欺誑罪にも過ぎ、瞿伽利の狂言にも超ゆ。漢土・日本の王位の尽き、両朝の僧侶の謗法と為るの由来、専ら斯に在らざるや。然れば則ち彼の震旦既に北蕃の為に破られ、此の日域も亦西戎の為に侵されんと欲す。此等は且く之を置く。 |
問うて言う。もろもろの真言師は「仏滅後、八百年にあたって、竜猛菩薩がインドに出現して、釈尊の顕経である華厳経・法華経等を馬鳴菩薩から相伝し、大日如来の密経を自ら南インドの鉄塔を開いて、まのあたりに大日如来と金剛薩埵とから口伝したのである。竜猛菩薩に二人の弟子があったが、提婆菩薩には釈迦仏の顕教を伝え、竜智菩薩には大日の密教を授けたのである。竜智菩薩は阿羅苑に隠居して人に伝えず、その間に提婆菩薩に伝えたところの顕教がまず中国に渡ったのである。その後数年を経て、竜智菩薩の伝えたところの秘密の教を善無畏・金剛智・不空・漢土に渡したのである」と言っている。この義はどうであろうか。 答えて言う。一切の真言師も同じことを言っている。また、天台・華厳等の諸家も一同にこれを信じている。 そもそも、竜猛菩薩以前には大日経の三部経はなかったのであろうか。釈迦仏とは別に大日如来が出現して三部の経を説いたというのであろうか。また、顕教を提婆菩薩に伝え、密教を竜智に授けたという文証はどの経論に出ているのか。 この大妄語は提婆達多の欺誑罪にも過ぎ、瞿伽利の誑言にも超えている。 中国・日本の王位が尽き、中国と日本の両朝の僧侶が謗法となったのも、その由来はもっぱらこの邪義によるのである。そのためか、かの中国はすでに北蕃のために滅ぼされ、この日本もまた西戎蒙古国のために侵略されようとしているのである。このことはしばらくおく。 |
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像法に入って一千年、月氏の仏法、漢土に渡来するの間、前四百年には南北の諸師、異義蘭菊にして東西の仏法未だ定まらず。四百年の後、五百年の前、其の中間一百年の間に南岳・天台等漢土に出現して、粗法華の実義を弘宣したまふ。然るに円慧・円定に於ては、国師たりと雖も円頓の戒場未だ建立せず、 (★781㌻) 故に国を挙げて戒師と仰がず。六百年の已後、法相宗西天より来たれり。太宗皇帝、之を用ゆる故に天台法華宗に帰依するの人漸く薄し。茲に就いて隙を得、則天皇后の御宇に、先に破られし華厳亦起こって天台宗に勝れたるの由、之を称す。太宗より第八代玄宗皇帝の御宇に、真言始めて月氏より来たれり。所謂開元四年には善無畏三蔵の大日経・蘇悉地経、開元八年には金剛智・不空の両三蔵の金剛頂経。此くの如く三経を天竺より漢土に持ち来たり、天台の釈を見聞して、智発して釈を作って大日経と法華経とを一経と為し、其の上、印・真言を加へて密教と号し之に勝るの由をいひ、結句は権経を以て実経を下す。漢土の学者、此の事を知らず。 |
さて像法に入つて一千年間、インドの仏法は中国に渡来したが、そのうちはじめの四百年間に、江南・江北の諸師のさまざまな義が乱れ、仏法の正邪が定まらなかった。像法に入って四百年から五百年までの百年間に、南岳大師・天台大師が中国に出現され、ほぼ法華経の実義を弘められたのである。しかし、法華円教の智慧と禅定については、国師であったが、法華円頓の戒壇についてはいまだこれを建立されず、それゆえに一国を挙げて天台大師を戒師と仰ぐことはなかったのである。 六百年以後、法相宗が中国から渡来した。太宗皇帝がこれを信じたので、天台法華宗に帰依する人がだんだん少なくなっていった。この隙をついて則天皇后の治世に、先に天台大師によって破折されていた華厳宗が再び興隆して、天台宗に勝れている、と言い出したのである。太宗皇帝から第八代の玄宗皇帝の治世に真言宗が初めてインドから渡ってきた。いわゆる開元四年に善無畏三蔵が大日経・蘇悉地経を、開元八年には金剛智・不空の二人の三蔵が金剛頂経をもたらした。 こうして彼らは真言三部経をインドから中国にもたらしたのであるが、中国で天台大師の論釈を見て思いつき、大日経は法華経と同じ経であるといい、その上に印と真言を加えて密教と呼び、大日経のほうが法華経より勝れているなどという釈をつくって権経をもって実経を下したのである。だが中国の学者はこのことを知らず信じてしまったのである。 |
| 像法の末八百年に相当たって、伝教大師、和国に託生して華厳宗等の六宗の邪義を糾明するのみに非ず。加之南岳・天台も未だ弘めたまはざる円頓の戒壇を叡山に建立す。日本一州の学者一人も残らず大師の門弟と為る。但天台と真言との勝劣に於ては誑惑と知って而も分明ならず。所詮末法に贈りたまふか。此等は傍論たるの故に且く之を置く。吾が師伝教大師、三国に未だ弘まらざるの円頓の大戒壇を叡山に建立したまふ。此偏に上薬を持用して衆生の重病を治せんと為る是なり。 |
像法時代の末、八百年にあたって、伝教大師が日本国に生まれて、華厳宗等の六宗を糾し明らかにしただけでなく、南岳大師・天台大師もいまだ弘めなかった円頓戒壇を比叡山に建立した。それゆえ、日本一国の学者は一人も残らず伝教大師の弟子となったのである。ただ天台宗と真言宗との勝劣においては真言が人をたぶらかす邪法であることは知っていたが、しかし、そのことは明らかにされなかった。それは、結局、末法の導師にそれを譲られたのであろうか。このことは傍論なのでしばらくおく。 我が師・伝教大師がインド・中国・日本の三国にいまだ弘まらなかった円頓の大戒壇を比叡山に建立されたのは、ひとえに上薬を用いて衆生の重病を治そうとされたためであった。 |
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今末法に入って二百二十余年、五濁強盛にして三災頻りに起こり、衆・見の二濁国中に充満し、逆・謗の二輩四海に散在す。専ら一闡提の輩を仰いで棟梁と恃怙み、謗法の者を尊重して国師と為す。孔丘の孝経之を提げて父母の頭を打ち、釈尊の法華経を口に誦しながら教主に違背す。不孝の国は此の国なり。勝母の閭は他境に求めじ、故に青天眼を瞋らして此の国を睨み、黄地は憤りを含んで大地を震ふ。去ぬる正嘉元年の大地動、文永元年の大彗星、此等の災夭は仏滅後二千二百二十余年の間、月氏・漢土・日本の内に未だ出現せざる所の大難なり。彼の弗舍蜜多羅王の五天の寺塔を焼失し、漢土の会昌天子の九国の僧尼を還俗せしめしに超過すること百千の倍、大謗法の輩国中に充満し一天に弥るに依って起こる所の夭災なり。 (★782㌻) 大般涅槃経に云はく「末法に入って不孝・謗法の者は大地微塵の如し」取意。法滅尽経に「法滅尽の時は狗犬の僧尼恒河の沙の如し」等云云取意。 |
今、末法に入って二百二十余年、五濁が強盛となって三災が頻繁に起こり、衆生濁と見濁の二濁が日本国中に充満し、五逆罪と謗法を犯した二輩が四海に散在している。人々はもっぱら一闡提の輩を仰いで棟梁とたのみ、謗法の者を尊重して国師としている。孔子の孝経を持って父母の頭を打ち、口では釈尊の法華経を読みながら教主の教えに背いているのである。まさに不孝国とはこの日本国のことである。勝母の閭を他に尋ねるに及ばない。ゆえに、天は眼を瞋らしてこの国をにらみ、地は憤りを含んで大地を震わすのである。 正嘉元年の大地震や文永元年の大彗星等の災難は、釈尊滅後二千二百二十余年の間、インド・中国・日本にいまだ出現したことのなかった大難である。かの弗舎密多羅王が全インドの寺塔を焼失し、中国・唐の武宗皇帝が国中の僧尼を還俗させるのに超えること百千倍である。まさに大謗法が国中に充満し、天下にはびこっていることから起こるところの災難なのである。涅槃経には「末法に入って不孝謗法の者大地微塵の如し」(取意)と説かれ、法滅尽経には「法滅の時は狗犬の僧尼、恒河沙の如し」(取意)と説かれている。 |
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今親り此の国を見聞するに、人毎に此の二の悪有り。此等の大悪の輩は何なる秘術を以て之を扶救せん。 大覚世尊、仏眼を以て末法を鑑知し、此の逆・謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたまふ。所謂法華経本門の久成の釈尊、宝浄世界の多宝仏、高さ五百由旬、広さ二百五十由旬の大宝塔の中に於て、二仏座を並ぶること宛も日月の如く、十方分身の諸仏は高さ五百由旬の宝樹の下に五百由旬の師子の座を並べて敷き、衆星の如く列坐したまひ、四百万億那由他の大地に三仏、二会に充満したまふの儀式は、華厳寂場の華蔵世界にも勝れ、真言両界の千二百余尊にも超えたり。一切世間の眼なり。此の大会に於て六難九易を挙げて法華経を流通せんと諸の大菩薩を諫暁せしむ。金色世界の文殊師利・兜史多宮の弥勒菩薩・宝浄世界の智積菩薩・補陀落山の観世音菩薩等、頭陀第一の大迦葉・智慧第一の舍利弗等、三千世界を統領する無量の梵天、須弥山の頂に居住する無辺の帝釈、一四天下を照耀せる阿僧祇の日月、十方の仏法を護持せる恒沙の四天王、大地微塵の諸の竜王等、我にも我にも此の経を付嘱せられよと競望せしかども世尊は都て之を許したまはず。爾の時に下方の大地より未見今見の四大菩薩を召し出だす。所謂上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩なり。此の大菩薩に各々六万恒河沙の眷属を具足す。形貌威儀、言を以て宣べ難く、心を以て量るべからず。初成道の法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵等の四菩薩に各々十恒河沙の眷属を具足し、仏会を荘厳せしも、大集経の欲・色二界の中間の大宝坊に於て来臨せし十方の諸大菩薩も、乃至大日経の八葉の中の四大菩薩も、金剛頂経の三十七尊の中の十六菩薩等も、此の四大菩薩に比校すれば、猶帝釈と猿猴と、華山と妙高との如し。弥勒菩薩、衆の疑ひを挙げて云はく、「乃し一人をも識らず」等云云。天台大師云はく「寂場より已降今座より已往十方の大士来会絶えず。限るべからずと雖も我補処の智力を以て悉く見、悉く知る。而も此の衆に於ては一人をも識らず」等云云。 (★783㌻) 妙楽云はく「今見るに皆識らざる所以は、乃至智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云。天台又云はく「雨の猛きを見て竜の大なるを知り、華の盛んなるを見て池の深きを知る」云云。例せば漢王の四将の張良・樊・・陳平・周勃の四人を、商山の四晧・季里枳・角里先生・園公・夏黄公等の四賢に比するが如し。天地雲泥なり。四晧が為体、頭には白雪を頂き、額には四海の波を畳み、眉には半月を移し、腰には多羅枝を張り、恵帝の左右に侍して世を治められたる事、尭・舜の古を移し一天安穏なりし事、神農の昔に異ならず。此の四大菩薩も亦復是くの如し。法華の会に出現し三仏を荘厳す。謗人の慢幢を倒すこと大風の小樹の枝を吹くが如く、衆会の敬心を致すこと諸天の帝釈に従ふが如し。提婆の仏を打ちしも舌を出だし掌を合はせ、瞿伽梨の無実を構へしも地に臥して失を悔ゆ。文殊等の大聖は身を慙ぢて言を出ださず。舍利弗等の小聖は智を失ひ頭を低る。 |
今、まのあたりに、この国を見聞するに、人ごとに五逆と謗法の二罪を犯している。このような大悪人はどのような秘術をもって救済したらよいのであろうか。 大覚世尊は仏眼をもって末法をこの五逆と謗法の二罪を対治されるために一大秘法を留め置かれたのである。いわゆる法華経本門久遠久成の釈尊と宝浄世界の多宝仏が、高さ五百由旬、広さ二百五十由旬の大宝塔の中において並座したことは、ちょうどを日と月のようなものであり、十方分身の諸仏は高さ五百由旬の宝樹の下に五由旬の師子の座を並べ敷き、多くの星のように列座されたのである。四百万億那由佗の大地に釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏の三仏が虚空と霊鷲山の二つの会座に充満された儀式は、華厳経の寂滅道場の華蔵世界にも勝れ、真言の胎蔵・金剛両部の千二百余尊にも超えており、一切世間の眼というべき姿であった。 この大会において六難九易を拳げて法華経を弘通せよと、もろもろ大菩薩に諌暁されたのである。金色世界の文殊師利・兜史多宮の弥勒菩薩・宝浄世界の智積菩薩・補陀落山の観世音菩薩等・頭陀第一の大迦葉・智慧第一の舎利弗等、三千世界を統領する無量の梵天・須弥山の頂に居住する無辺の帝釈・一四天下を照らす阿僧祇の日月・十方の仏法を護持する恒河沙の四天王・大地微塵のもろもろの竜王等が我にも我にもと競ってこの法華経の付嘱を競い願ったが、世尊はすべてこれを許さなかったのである。 その時に下方の大地から今まで見たことがなかった、この会座で初めて見る四大菩薩を召し出されたのである。いわゆる上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩である。これらの大菩薩はそれぞれ六万恒河沙の眷属を連れている。その姿と威儀は言葉には述べがたく、心で推し量ることもできない。釈尊の初成道の華厳経説法の時に出現した法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵等の四菩薩がそれぞれ十恒河沙の眷属を率いて仏会を荘厳したことも、大集経の欲界・色界の中間の大宝坊に来た十方の諸大菩薩ないし大日経の八葉の蓮華の中の四大菩薩も、金剛頂経の三十七尊の中の十六大菩薩等も、この本化の四大菩薩に比べたなら、なお帝釈と猿猴、華山と妙高とのように比較することもできないほどの違いがあった。 この時、弥勒菩薩は会座の大衆の疑いを挙げて「乃し一人をも識らず」等と述べた。天台大師は法華文句で「寂場より已降、今座已往は、十方の大士の来会絶えず、限る可からずと雖も、我は補処の智力を以って悉く見、悉く知る。而も此の衆に於いては一人も識らず」と釈している。また、妙楽大師は「今見るに皆識らざる所以は乃至智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等と、天台大師は「雨の猛きを見て竜の大なることを知り、華の盛なるを見て池の深きを知る」と述べている。例えば漢王の四将である張良・樊カイ・陳平・周勃の四人を、商山の四皓・綺里枳・里先生・東園公・夏黄公等の四賢人に比べるようなものである。そこには天地雲泥の差がある。四皓の姿は頭に白雪をいただき、額には四海の波を畳み、眉には半月を描き、腰には梓の弓を張ったようであり、恵帝の左右に侍して世を治めたさまは、尭舜の昔を今に移し、天下安穏であったことは神農の昔にも異ならなかった。この四大菩薩もまたこのようなものである。法華経の会座に出現し、釈迦仏・多宝仏・十方分身の三仏を荘厳し、謗法の人の慢心を倒すことは、ちょうど大風が小枝を吹き飛ばすように、会座の大衆が尊敬することは、諸天の帝釈に従うようなものであって、その時こそ釈尊に大石を落した提婆達多でさえ舌相を現じて合掌し、虚偽を構えて舎利弗を陥れようとした瞿伽梨も大地に伏してその失を悔い、文殊等の大菩薩も自身を恥じて何も言わず、舎利弗等の小乗の聖者は智を失って頭を垂れるのみであった。 |
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| 爾の時に大覚世尊寿量品を演説し、然して後に十神力を示現して四大菩薩に付嘱したまふ。其の所属の法は何物ぞや。法華経の中にも広を捨てゝ略を取り、略を捨てゝ要を取る。所謂妙法蓮華経の五字、名体宗用教の五重玄なり。例せば九包淵が相馬の法には玄黄を略して駿逸を取り、史陶林が講経の法には細科を捨てゝ元意を取るが如し等なり。 |
その時に大覚世尊は如来寿量品を説法して、その後に如来神力品第二十一に十神力を示現して妙法を四大菩薩に付嘱したのである。 その付嘱した法とはどのようなものであるのか。その法は法華経のなかでも広を捨てて略を取り、略を捨てて要を取るところの、いわゆる妙法蓮華経の五字、すなわち名・体・宗・用・教の五重玄なのである。例えば、九苞淵が馬を鑑定する時に、玄と黄等の色にかかわらず駿馬を選び、史陶林が経書を講義する時に細科を捨てて元意を取るようなものである。 |
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此の四大菩薩は釈尊成道の始め、寂滅道場の砌にも来たらず、如来入滅の終はり抜提河の辺にも至らず。加之、霊山八年の間に、進んでは迹門の序正の儀式に文殊・弥勒等の発起影向の諸の聖衆にも列ならず、退いては本門流通の座席に観音・妙音等の発誓弘経の大士にも交はらず。但此の一大秘法を持して本処に隠居するの後、仏の滅後、正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず。所詮仏専ら末世の時に限って此等の大士に付嘱せし故なり。法華経の分別功徳品に云はく「悪世末法の時、能く是の経を持つ者」云云。涅槃経に云はく「譬へば七子の父母平等ならざるに非ざれども、然も病者に於て心則ち偏に重きが如し」云云。法華経の薬王品に云はく「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」云云。七子の中に上の六子は且く之を置く。第七の病子は一闡提の人、 (★784㌻) 五逆謗法の者、末代悪世の日本国の一切衆生なり。正法一千年の前五百年には一切の声聞、涅槃し了んぬ。後の五百年には他方より来たれる菩薩、大体本土に還り向かひ了んぬ。像法に入っての一千年には、文殊・観音・薬王・弥勒等、南岳・天台と誕生し、傅大士・行基・伝教等と示現して衆生を利益す。 |
この四大菩薩は釈尊の成道のはじめである寂滅道場のみぎりにも来ず、如来の入滅の抜提河の辺にも来ず、のみならず霊山八年の間、進んでは迹門の序品、正宗分の儀式に文殊・弥勒等の発起衆・影響衆等にも列ならず、退いては本門流通の座席に観音・妙音等が滅後の弘経を誓う諸菩薩にも交わらなかったのである。ひたすらこの一大秘法を持って本処に隠居したばかりでなく、釈尊滅後正像二千年において、いまだ一度も出現していない。結局、それは仏がもっぱら末法の時に限ってこの法を弘めるように、これらの大菩薩に付嘱したからである。 法華経の分別功徳品第十七に「悪世末法の時、能く是の経を持たん者」と説き、涅槃経に「譬えば七子の父母平等ならざるに非ず、然も病者に於いて心則ち偏に重きが如し」と説き、法華経薬王菩薩本事品第二十三には「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」と説かれている。七子のなかの上の六子はしばらくこれをおく、第七の病子は一闡提の人であり、五逆・謗法の者であり、これは末代悪世の日本国の一切衆生のことなのである。 正法時代千年の間、前半の五百年間に一切の声聞は涅槃してしまった。後半の五百年間に他方から来た菩薩がおおかたその本土に帰っていってしまった。像法時代に入っての千年に、文殊・観音・薬王・弥勒等の菩薩が、南岳大師・天台大師として誕生し、あるいは傅大士・行基菩薩・伝教大師として現われ衆生を利益したのである。 |
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| 今末法に入って此等の諸大士も皆本処に隠居しぬ。其の外の閻浮守護の天神・地祇も、或は他方に去り、或は此土に住すれども悪国を守護せず、或は法味を嘗めざれば守護の力無し。例せば法身の大士に非ざれば、三悪道に入られざるが如し。大苦忍び難きが故なり。而るに地涌千界の大菩薩、一には娑婆世界に住すること多塵劫なり。二には釈尊に随って久遠より已来初発心の弟子なり。三には娑婆世界の衆生の最初下種の菩薩なり。是くの如き等の宿縁の方便、諸大菩薩に超過せり。 |
今、末法に入って、これらの諸菩薩も本処に帰ってしまった。そのほか閻浮提を守護する天神・地祇もあるいは他方に去り、あるいは此の土に住しても悪国を守護せず、あるいは法味を嘗めないので守護する力がないのである。例えば、法身の大士でなければ大苦を忍びがたいので三悪道に入ることができないようなものである。 しかるに、地涌千界の大菩薩は、一には娑婆世界に住することが多塵劫であり、二には釈尊の久遠の初発心以来、釈尊に随従してきた弟子であり、三には釈尊がこの娑婆世界において初めて成仏の種を下した菩薩である。このような、過去世からの因縁の深さは余の諸大菩薩に超過している。 |
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問うて曰く、其の証拠如何。法華第五涌出品に云はく「爾の時に他方の国土より諸の来たれる菩薩摩訶薩の八恒河沙の数に過ぎたる、乃至爾の時に仏、諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまはく、止みね善男子、汝等が此の経を護持せんことを須ひじ」等云云。天台云はく「他方は此の土結縁の事浅し。宣授せんと欲すと雖も必ず巨益無けん」云云。妙楽云はく「尚偏に他方の菩薩に付せず。豈独り身子のみならんや」云云。又天台云はく「告八万大士とは、乃至今の下の文に下方を召すが如く尚本眷属を待つ。験らけし。余は未だ堪へず」云云。経釈の心は迦葉・舍利弗等の一切の声聞、文殊・薬王・観音・弥勒等の迹化・他方の諸大士、末世の弘経に堪へじと云ふなり。経に云はく「我が娑婆世界に、自づから六万恒河沙等の菩薩摩訶薩有り。一々の菩薩に各六万恒河沙の眷属有り。是の諸人等、能く我が滅後に於て、護持し、読誦し、広く此の経を説かん。仏、是を説きたまふ時、娑婆世界の三千大千の国土、地皆震裂して、其の中より無量千万億の菩薩摩訶薩有って同時に涌出せり。乃至是の菩薩衆の中に四導師有り。一をば上行と名づけ、二をば無辺行と名づけ、三をば浄行と名づけ、四をば安立行と名づく。 (★785㌻) 其の衆の中に於て最も為れ上首唱導の師なり」等云云。 |
問うて言う。その証拠はどうか。 答えて言う。法華経巻第五涌出品第十五には「爾の時に他方の国土の、諸の来れる菩薩摩訶薩の、八恒河沙の数に過ぎたるが乃至爾の時に仏、諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまわく、止みね善男子、汝等が此の経を護持せんことを須いじ」と説かれている。天台大師はこれを「他方は此の土結縁の事浅し宣授せんと欲すと雖も必ず巨益無し」と釈し、妙楽大師は「尚、偏に他方の菩薩に付せず豈独り身子のみならんや」と、また「告八万大士とは乃至今の下の文に下方を召すが如く、尚本眷属を待つ験し余は未だ堪えざることを」と釈している。経釈の心は迦葉・舎利弗等の一切の声聞、文殊・薬王・観音・弥勒等の迹化、他方の諸菩薩は末法の世の弘経に堪えられないということである。 法華経に「我が娑婆世界に、自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩有り。一一の菩薩に、各六万恒河沙の眷属有り。是の諸人等能く我が滅後に於いて、護持し、読誦し、広く此の経を説かん。仏、是を説きたもう時、娑婆世界の三千大千の国土、地皆震裂して、其の中より無量千万億の菩薩摩訶薩有って、同時に涌出せり。乃至是の菩薩衆の中に。四たりの導師有り。一を上行と名づけ、二を無辺行と名け、三を浄行と名づけ、四を安立行と名づく、この四菩薩、其の衆中に於いて、最も為上首唱導の師なり」等と説かれている。 |
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| 天台云はく「是我が弟子、応に我が法を弘むべし」云云。妙楽云はく「子、父の法を弘む」云云。道暹云はく「付嘱とは、此の経は唯下方涌出の菩薩に付す。何が故に爾る。法是久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云。此等の大菩薩、末法の衆生を利益したまふこと、猶魚の水に練れ、鳥の天に自在なるが如し。濁悪の衆生、此の大士に遇って仏種を殖うること、例せば水精の月に向かって水を生じ、孔雀の雷の声を聞いて懐妊するが如し。天台云はく「猶百川の海に潮すべきが如し。縁に牽かれて応生するも亦復是くの如し」云云。 |
天台大師はこれを「是れ我が弟子なり。応に我が法を弘むべし」と釈し、更に妙楽大師は「子父の法を弘む」と釈し、道暹は「付属とは此の経は唯下方涌出の菩薩に付す、何が故に爾る法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等と釈している。 これらの大菩薩が末法の衆生を利益することは、魚が水に練れ、鳥が天空を自在に飛ぶようなものである。濁悪の末法の衆生が、この菩薩に遇って仏種を殖えることは、例えば水晶が月に向かったときに水を出し、孔雀の雷の音を聞いて懐妊するようなものである。天台大師は「猶百川の海に潮すべきが如し。縁に牽れて応生するも亦復是くの如し」と釈している。 |
| 慧日大聖尊、仏眼を以て兼ねて之を鑑みたまふ。故に諸の大聖を捨棄し、此の四聖を召し出だして要法を伝へ、末法の弘通と定めたまふなり。 | 慧日大聖尊は仏眼をもって、かねてこのことを知っておられたので、もろもろの菩薩を止められ、本化の四大菩薩を召し出して要法を伝え末法の弘通をさだめられたのである。 | |
| 問うて曰く、要法の経文如何。答へて曰く、口伝を以て之を伝へん。釈尊、然後正像二千年の衆生の為に、宝塔より出でて虚空に住立し、右の手を以て文殊・観音・梵・帝・日・月・四天等の頂を摩でて、是くの如く三反して法華経の要よりの外の広略二門、並びに前後一代の一切経を此等の大士に付嘱す。正像二千年の機の為なり。其の後涅槃経の会に至って、重ねて法華経並びに前四味の諸経を説いて、文殊等の諸大菩薩に授与したまふ。此等は捃拾遺嘱なり。 |
問うて言う。その要法の経文とはどのようなものであろうか。 答えて言う。口伝をもってこれを伝えよう。 釈尊は如来神力品第二十一で要法を付嘱してから、嘱累品第二十二出。滅後正像二千年の衆生のために、法華経の儀式の時に宝塔から出て虚空に住し、右の手で文殊・観音・梵帝・日月・四天王等の頂を摩でて繰り返し、法華経の要法とは別に広と略との二門や、法華経の前後の一代の経教をこれらの大菩薩に付嘱されたのである。それは正像二千年の衆生のためである。その後、涅槃経の会座に至り、重ねて法華経と前四味の諸経を説いて、文殊等の諸大菩薩に授与されたのである。これらは捃拾の遺属である。 |
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爰を以て滅後の弘経に於ても、仏の所属に随って弘法の限り有り。然れば則ち迦葉・阿難等は一向に小乗経を弘通して大乗経を申べず。竜樹・無著等は権大乗経を申べて一乗経を弘通せず。設ひ之を申べしかども、纔かに以て之を指示し、或は迹門の一分のみ之を宣べて全く化道の始終を談ぜず。南岳・天台等は観音・薬王等の化身として小大・権実・迹本二門・化道の始終・師弟の遠近等悉く之を宣べ、其の上に已今当の三説を立てゝ一代超過の由を判ぜること、天竺の諸論にも勝れ真丹の衆釈にも過ぎたり。旧訳、新訳の三蔵、宛も此の師には及ばず、顕・密二道の元祖、敢へて敵対に非ず。然りと雖も広略を以て本と為して未だ肝要に能はず。 (★786㌻) 自身に之を存すと雖も敢へて他伝に及ばず。此偏に付嘱を重んぜしが故なり。 伝教大師は仏の滅後一千八百年、像法の末に相当たって日本国に生まれ、小乗・大乗・一乗の諸戒一々に之を分別し、梵網・瓔珞の別受戒を以て小乗の二百五十戒を破失し、又法華・普賢の円頓の大王の戒を以て諸大乗経の臣民の戒を責め下とす。此の大戒は霊山八年を除いて、一閻浮提の内に未だ有らざる所の大戒場を叡山に建立す。然る間八宗共に偏執を倒し、一国を挙げて弟子と為る。観勒の流れの三論・成実、道昭の渡せる法相・倶舎、良弁の伝ふる所の華厳宗、鑑真和尚の渡す所の律宗、弘法大師の門弟等、誰か円頓の大戒を持たざらん。此の義に違背するは逆路の人なり。此の戒を信仰するは伝教大師の門徒なり。「日本一州円機純一、朝野遠近同帰一乗」とは是の謂か。 |
このように、滅後の弘経にも、仏の所嘱にしたがってそれぞれ限界があったのである。それゆえ、迦葉・阿難等は一向に小乗経ばかりを弘めて大乗経を説かなかった。竜樹・無著等は権大乗経を述べて一乗経を弘通しなかった。たとえ、これを述べたと言っても、わずかにこれを指し示し、あるいは迹門の一分のみを述べて、全く化道の始終を論じていない。南岳大師・天台大師等は観音・薬王等の化身として、小乗と大乗・権経と実経・迹門と本門の二門・化道の始終と不始終・師弟の遠近と不遠近等をことごとく述べ、そのうえに已今当の三説を立てて一代超過の理由を判釈したことは、インドの諸論にも勝れ、中国の衆釈にも過ぎている。旧訳・ 新訳の三蔵もこの師には及ばず、顕密二教の元祖も敵対できなかったのである。 しかし、法華経の広略二門を根本としたのであって、いまだ肝要の五字は弘められなかった。自分自身は知っていたけれども、他には伝えなかったのである。これはひとえに、釈尊の付嘱を重んじたからである。 伝教大師は、仏滅後一千八百年の像法時代の末にあたって日本国に生まれて、小乗教と大乗教と一乗教の戒律を一々に分別して、梵網経や瓔珞経の十重禁戒、四十八軽戒の別受戒をもって、小乗の二百五十戒を破り、また法華経と普賢経で立てた法華円頓の大王の戒をもって、諸大乗経の臣民の戒を責め下したのである。この法華円頓の大戒は霊鷲山の八年間を除いて、一閻浮提のうちにいまだなかったところの大戒壇を比叡山に建立したのである。そこで八宗の人々は自分の偏執を改めて日本一国を挙げて伝教大師の弟子となったのである。観勒の流れを汲む三論宗と成実宗、道昭が渡した法相宗と倶舎宗、良弁の伝えた華厳宗、鑒真和尚の渡した律宗、弘法大師の門弟も、だれが円頓の大戒を持たないものがいたであろうか。 この義に違背する者は師敵対の者である。この戒を信ずる人は伝教大師の門弟である。慧心僧都源信の一乗要結の「日本一州・円機純一・朝野遠近・同帰一乗」はこのことを言ったのであろうか。 |
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| 此の外は漢土の三論宗の吉蔵大師並びに一百人、法相宗の慈恩大師、華厳宗の法蔵・澄観・真言宗の善無畏・金剛智・不空・恵果、日本の弘法・慈覚等の三蔵諸師は四依の大士に非ざる暗師なり、愚人なり。経に於ては大小・権実の旨を弁へず、顕・密両道の趣を知らず。論に於ては通申と別申とを糾さず、申と不申とを暁らめず。然りと雖も彼の宗々の末学等、此の諸師を崇敬して之を聖人と号し、之を国師と尊ぶ。今先づ一を挙げんに万を察せよ。 |
このほかは中国の三論宗の吉蔵大師等の百余人、法相宗の慈恩大師、華厳宗の法蔵・澄観、真言宗の善無畏・金剛智・不空・慧果、日本の弘法・慈覚等の三蔵の諸師は四依の菩薩にあらざる暗師であり、愚人である。経においては大乗・小乗、・権教・実経の区別があることも弁えず、顕・密の二道の意義も知らず、論蔵において通申論と別申論の差異のあることを明らかにせず、申と不申との区別を知らない。 そうであるのに、かの宗々の末学等はこのような諸師を崇敬して、聖人と号し国師と尊んでいる。今、まず一例を挙げたのである。万事を推察せよ。 |
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弘法大師の十住心論・秘蔵宝鑰・二教論等に云はく「此くの如き乗々は自乗に名を得れども後に望めば戯論と作す」と。又云はく「無明の辺域」と。又云はく「震旦の人師等、争って醍醐を盗み、各自宗に名づく」等云云。釈の心は法華の大法を華厳と大日経とに対して戯論の法と蔑り、無明の辺域と下し、剰へ震旦一国の諸師を盗人と罵る。此等の謗法・謗人は慈恩・得一の三乗真実・一乗方便の狂言にも超過し、善導・法然の千中無一・捨閉閣抛の過言にも雲泥せるなり。六波羅蜜経をば唐の末に不空三蔵、月氏より之を渡す。 (★787㌻) 後漢より唐の始めに至るまで未だ此の経有らず。南三北七の碩徳、未だ此の経を見ず。三論・天台・法相・華厳の人師、誰人か彼の経の醍醐を盗まんや。又彼の経の中に法華経は醍醐に非ずといふの文、之有りや不や。而るに日本国東寺の門人等、堅く之を信じて種々に僻見を起こし、非より非を増し、暗より暗に入る。不便の次第なり。 |
弘法大師の十住心論・秘蔵宝鑰・二教論等に「此くの如くの乗乗、自乗に名を得れども、後に望めば戯論と作る」とあり、また「無明の辺域」、また「震旦の人師等諍つて醍醐を盗んで各自宗に名づく」等と言っている。釈の心は法華経の大法を華厳経と大日経とに対して戯論の法であると軽くみてばかにし、無明の辺域と下し、そのうえに中国一国の諸師を盗人と罵ったのである。 このように正法を謗り、正師を謗るのは、慈恩や得一の「三乗真実・一乗方便」の誑言にも超過し、善導の「千中無一」法然の「捨閉閣抛」の雑言とも雲泥の差である。いったい醍醐という字の書いてある六波羅蜜経は、唐代の末に不空三蔵がインドから持ってきたものである。後漢から唐の初めに至るまで、いまだこの経は中国になかったのである。南三北七の碩徳もこの経を見たことがない。三論宗・天台宗・法相宗・華厳宗の人師のだれが六波羅蜜の醍醐を盗むことがあろうか。またかの経のなかに「法華経は醍醐に非ず」という文はあるのであろうか。そうであるのに日本国の東寺の門人等は堅くこれを信じて、さまざまな間違った考えを起こして、非から更に非を増し、暗きから暗きに入っているのである。まことに哀れなことである。 |
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| 彼の門家の伝法院の本願たる正覚の舎利講式に云はく「尊高なる者は不二摩訶衍の仏、驢牛の三身は車を扶くること能はず。秘奥なる者は両部曼陀羅の教、顕乗の四法の人は履をも取る能はず」云云。三論・天台・法相・華厳等の元祖等を真言の師に相対するに、牛飼ひにも及ばず、力者にも足らずと書ける筆なり。乞ひ願はくば彼の門徒等、心あらん人は之を案ぜよ。大悪口に非ずや、大謗法に非ずや。所詮此等の狂言は、弘法大師の「望後作戯論」の悪口より起こるか。教主釈尊・多宝・十方の諸仏は、法華経を以て已・今・当の諸説に相対して「皆是真実」と定め、然る後世尊は霊山に隠居し、多宝・諸仏は各本土に還りたまひぬ。三仏を除くの外、誰か之を破失せん。 |
かの門家の伝法院の本願である正覚房覚鑁は舎利講式に「尊高なるは不二摩訶衍の仏、露牛の三身は車を扶くること能わず、秘奥なるは両部曼陀羅の教、顕乗の四法の人は履をも取るに堪えず」と言っている。これは三論宗・天台宗・法相宗・華厳宗等の元祖らを真言の師に相対するならば、牛飼いにも及ばず、力者にも足らないと書いているのである。 乞い願わくは、彼の門人等で心ある人はこれを案ずるがよい。大悪口ではないか、大謗法ではないか。所詮、これらの誑言は弘法大師の「後に望めは戯論と作る」の悪口から起こっているのである。教主釈尊・多宝仏・十方の諸仏は法華経をもって已今当の諸説に相対し、法華経を「皆是れ真実なり」と定め、その後、世尊は霊山に隠れ、多宝仏・十方の諸仏はそれぞれ本土に帰られたのである。三仏を除く以外の何者がこの法華経を破ろうというのか。 |
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| 就中、弘法所覧の真言経の中に、三説を悔ひ還すの文、之有りや不や。弘法既に之を出ださず。末学の智、如何せん。而るに弘法大師一人のみ、法華経を華厳・大日の二経に相対して戯論・盗人と為す。所詮釈尊・多宝・十方の諸仏を以て盗人と称するか。末学等、眼を閉じて之を案ぜよ。 |
なかんずく、弘法の見た真言経のなかに法華経を已今当の三説に超過しているといったことを悔いている文証があるであろうか。弘法はこの文証を出してはいない。末学の徒はどうであろうか。 しかるに、弘法大師一人のみが法華経を華厳経・大日経の二経に相対して、「戯論」「盗人」としているのである。これは所詮、釈尊・多宝仏・十方の諸仏を盗人と称していることになる。末学等、眼を閉じてこの当否を案ぜよ。 |
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問うて曰く、昔より已来、未だ會て此くの如き謗言を聞かず。何ぞ上古清代の貴僧に違背して、寧ろ当今濁世の愚侶を帰仰せんや。答へて曰く、汝が所言の如くんば、愚人は定んで理運と思はんか。然れども此等は皆人の偽言に因って如来の金言を知らず。大覚世尊、涅槃経に滅後を警めて言はく「善男子、我が所説に於て若し疑ひを生ずる者は尚受くべからず」云云。然るに仏、尚我が所説と雖も不審有らば之を叙用せざれと。今予を諸師に比べて謗難を加ふ。然りと雖も敢へて私曲を構へず。専ら釈尊の遺誡に順って、諸人の謬釈を糺すなり。 (★788㌻) |
問うて言う。昔よりこのかた、このような弘法大師に対する謗言はいまだかって聞いたことがない。どうして上古清代の貴い僧に違背して、今の濁世の愚侶の言葉を信ずるであろうか。 答えて言う。汝の言うようなことは愚人は道理と思うであろうが、しかし、これらは人師の偽りの言葉を根本としているのであって如来の金言を知らないのである。大覚世尊は涅槃経に滅後を「善男子、我が所説において若し疑いを生ずる者は尚受くべからず」と警告している。仏ですら、自分の説法であっても、不審があるならば用いてはならない、と言っているのである。 今、あなたは私が他宗の諸師に比べて謗難しているが、私は、自分勝手な考えを言っているのではなく、釈尊の遺誡にしたがって人々の誤りを糾すものである。 |
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| 夫、斉の始めより梁の末に至るまで二百余年の間、南北の碩徳・光宅・智誕等の二百余人、涅槃経の「我等を悉く邪見の人と名づく」の文を引いて、法華経を以て邪見の経と定め、一国の僧尼並びに王臣等を迷惑せしむ。陳・隋の比、智者大師、之を糺明せし時、始めて南北の僻見を破り了んぬ。唐の始め太宗の御宇に、基法師、勝鬘経の「若し如来、彼の所欲に随って方便して説くに即ち是大乗にして二乗有ること無し」の文を引いて、一乗方便・三乗真実の義を立つ。此の邪義震旦に流布するのみに非ず。日本の得一、称徳天皇の御時盛んに非義を談ず。爰に伝教大師、悉く彼の邪見を破し了んぬ。後鳥羽院の御代に、源空法然、観無量寿経の「読誦大乗」の一句を以て法華経を摂入し、還って称名念仏に対すれば雑行方便なれば捨閉閣抛せよ等云云。 |
斉の初めから梁の末までの二百余年の間、南三北七の碩徳である光宅寺法雲・智誕等の二百余人は、涅槃経の「我等悉名邪見之人」の文を引いて、法華経を「邪見之経」と定め、一国の僧尼並びに王臣などを迷わせていた。陳隋の時代に天台智者大師がこのことを明らかにされたとき、初めて南三北七の僻見を破ったのである。 唐の初めには太宗皇帝の治世に窺基法師が勝鬘経の「若如来随彼所欲而方便説・即是大乗無有二乗」の文を引いて、一乗方便・ 三乗真実の義を立てた。この邪義は中国に流布しただけでなく、日本の得一が称徳天皇の時代に盛んにこの邪義を弘めた。これを伝教大師がことごとく破折されたのである。 後鳥羽院の時代には源空法然が観無量寿経の「読誦大乗」の一句に法華経を取り入れて「還つて称名念仏に対すれば雑行方便なれば捨閉閣抛せよ」等と言った。 |
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| 然りと雖も、五十余年の間、南都・北京・五畿・七道の諸寺・諸山の衆僧等、此の悪義を破ること能はざりき。予が難破分明たるの間、一国の諸人、忽ちに彼の選択集を捨て了んぬ。「根露るれば枝枯れ、源乾けば流れ竭く」とは蓋し此の謂なるか。加之、唐の半ば、玄宗皇帝の御代に、善無畏・不空等、大日経の住心品の「如実一道心」の一句に法華経を摂入し、返って権経と下す。日本の弘法大師は六波羅蜜経の五蔵の中に、第四の熟蘇味の般若波羅蜜蔵に法華経・涅槃経等を摂入し、第五の陀羅尼蔵に相対して争って醍醐を盗む等云云。此等の禍咎は日本一州の内四百余年、今に未だ之を糺明せし人あらず。予が所存の難勢、遍く一国に満つ。必ず彼の邪義は破られんか。此等は且く之を止む。 |
ところが、五十余年の間、奈良・京都・五畿七道の諸寺・諸山の僧等はこの悪義を打ち破ることができなかった。今、日蓮が難じて破ってその誤りを明らかにしたので、日本国の人々はたちまちに法然の選択集を捨ててしまったのである。「根露るれば枝枯れ、源乾けば流竭く」とは、あるいはこのことを言うのであろうか。 そのうえ唐の中頃、玄宗皇帝の治世に善無畏、不空等が大日経の住心品の「如実一道心」の一句に法華経を取り入れて、かえって権経と下した。日本の弘法大師は六波羅蜜経に説かれている五蔵のなかの第四・熟蘇味にあたる般若波羅蜜蔵に法華経と涅槃経等を取り入れ、第五の陀羅尼蔵に比べて、「争つて醍醐を盗む」等と言ったのである。 これらの罪咎は、日本国内において、四百余年の間、今に至るまで糾明する人はいない。日蓮が難詰していることは広く日本国に満ちて必ずかの邪義を破られるであろう。これらのことはしばらくおく。 |
| 此の大法を弘通せしむるの法には、必ず一代の聖教を安置し、八宗の章疏を習字すべし。然れば則ち予所持の聖教多々之有りき。然りと雖も両度の御勘気、衆度の大難の時、或は一巻二巻散失し、或は一字二字脱落し、或は魚魯の謬・、或は一部二部損朽す。若し黙止して一期を過ぐるの後には、弟子等定んで謬乱出来の基なり。爰を以て愚身老耄已前に之を糾調せんと欲す。而るに風聞の如くんば、貴辺並びに大田金吾殿の越中の御所領の内、並びに近辺の寺々に数多の聖教あり等云云。両人共に大檀那たり、所願を成ぜしめたまへ。涅槃経に云はく「内には弟子有って甚深の義を解り、外には清浄の檀越有って仏法久住せん」云云。天台大師は毛喜等を相語らひ、伝教大師は国道・弘世等を恃怙む云云。 |
この大法を弘通するには必ず一代の聖教を手元に置いて八宗の章釈を習学すべきである。されば日蓮の所持する聖教も多くあったが、二度の御勘気やたびたびの大難によって一巻二巻を散失したり、一字二字を脱落したり、文字を写し間違えたり、一部や二部を破損したのである。 もしこのままにして一生を過ごしたならば、弟子等の間に誤りの生ずる基となるであろう。そこで、日蓮の老いる前にこれを調べ、糾しておきたいと思うのである。 聞くところによれば、貴殿と大田金吾殿の越中の所領内、近在の寺々に多くの聖教があるということである。二人はともに日蓮の大檀那であるから日蓮の願いを満足せしめられたい。涅槃経には「内には智慧の弟子有って甚深の義を解り、外には清浄の檀越有って仏法久住せん」と説かれている。天台大師は毛喜等に語って味方にし、伝教大師は大友国道・和気弘世等をたのまれたのである。 |
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(★791㌻) 仁王経に云はく「千里の内をして七難起こらざらしむ」云云。法華経に云はく「百由旬緒の衰減無からしむ」云云。国主、正法を弘通すれば、必ず此の徳を備ふ。臣民等、此の法を守護せんに、豈家内の大難を払はざらんや。又法華経の第八に云はく「所願虚しからず、亦現世に於て其の福報を得ん」と。又云はく「当に今世に於て現の果報を得べし」云云。又云はく「此の人現世に白癩の病を得ん」と。又云はく「頭破れて七分と作らん」と。又第二の巻に云はく「経を読誦し、書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉して結恨を懐かん。乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」云云。第五の巻に云はく「若し人悪み罵らば、口則ち閉塞せん」云云。伝教大師の云はく「讃ずる者は福を安明に積み、謗ずる者は罪を無間に開く」等云云。安明とは須弥山の名なり、無間とは阿鼻の別名なり。国主持者を誹謗せば位を失ひ、臣民行者を毀呰すれば身を喪す。一国を挙って用ひずんば、定んで自反・他逼出来せしむべきなり。又上品の行者は大の七難、中品の行者は二十九難の内、下品の行者は無量の難の随一なり。又大の七難に於て七人有り。第一は日月の難なり。第一の内に又五の大難有り。所謂日月度を失ひ時節反逆し、或は赤日出で、或は黒日出で、二三四五の日出づ。或は日蝕して光無く、或は日輪一重二三四五重輪現ぜん。又経に云はく「二の月並び出でん」と。今此の国土に有らざるは二の日、二の月等の大難なり。余の難は大体之有り。今此の亀鏡を以て日本国を浮かべ見るに、必ず法華経の大行者有らんか。既に之を謗る者に大罰有り。之を信ずる者何ぞ大福無からん。 |
仁王経には「千里の内をして七難起らざらしむ」と説かれ、法華経陀羅尼品第二十六には「百由旬の内に、諸の衰患無からしめん」と説かれている。国主が正法を弘通すれば必ずこの功徳を備えるのである。臣民がこの法を守護して、どうして家内の大難をはらわないことがあろうか。 また法華経の第八の巻普賢菩薩勧初品第二十八に「所願虚しからじ。亦現世に於いて、其の福報を得ん」と、また同じ普賢菩薩勧初品第二十八に「当に今世に於いて現の果報を得べし」と、また同じ普賢菩薩勧初品第二十八に「此の人は現世に白癩の病いを得ん」と、また陀羅尼品に「頭破れて七分と作ること」とまた第二の巻譬喩品第三に「経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賎憎嫉して、結恨を懐かん(乃至)其の人命終して阿鼻獄に入らん」と、また第五の巻安楽行品第十四に「若し人悪み罵らば口則ち閉塞せん」と説かれている。 また、伝教大師は依慿集で「讃する者は福を安明に積み謗ずる者は罪を無間に開く」等と言っている。ここにゆう安明とは須弥山のことである。「無間」とは阿鼻地獄の別名である。国主が正法の持者を誹謗するならばその位を失い、臣民が法華経の行者を毀呰するならば身を滅ぼすであろう。一国がこぞって法華経の行者を用いなければ、必ず自界叛逆難・他国侵逼難が起こるであろう。 また上品の行者を謗る者には大の七難・中品の行者を謗れば二十九難のうちの一つ、下品の行者を謗った場合は無量の難のうちの一つがおきてくるであろう。大の七難が起きるのは七人の行者がいるのである。その七難の第一は日月失度難である。第一の難のなかにまた五つの難がある。仁王経に「日月度を失し時節反逆し、或は赤日出で、或は黒日出で、二三四五の日出づ、或は日蝕して光無く、或は日輪一重二三四五重輪現ぜん」と説かれているとおりである。また経に「二の月並び出でん」と説かれている。 今、この国土に起きていないものは二の日・二の月等の大難である。それ以外の難はだいたい出現している。今、この亀鏡に日本国の姿を浮かべて見るのに、必ず法華経の大行者が出現しているであろう。すでに、法華経の行者を謗る者に大罰があるのである。どうして信ずる者に大福がないことがあろうか。 |
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今両人微力を励まし、予が願ひに力を副へ、仏の金言を試みよ。経文の如く之を行ぜんに微無くんば、釈尊正直の経文、多宝証明の誠言、十方分身の諸仏の舌相、有言無実と為らんか。提婆の大妄語に過ぎ、瞿伽利の大狂言に超へたらん。日月地に落ち、大地反覆し、天を仰いで声を発し、地に臥して胸を押さふ。殷の湯王の玉体を薪に積み、戒日大王の竜顔を火に入れしも、今此の時に当たるか。若し此の書を見聞して宿習有らば、 (★792㌻) 其の心を発得すべし。使者に此の書を持たしめ、早々北国に差し遣はし、金吾殿の返報を取りて速々是非を聞かしめよ。此の願ひ若し成ぜば、崑崙山の玉鮮やかに求めずして蔵に収まり、大海の宝珠招かざるに掌に在らんのみ。恐惶謹言。 下春十日 日 蓮 花押 曽谷入道殿 大田金吾殿 |
今、二人が互いに両励まし、日蓮の願いに力をそえて仏の金言を試みられよ。 経文のごとくい修行して徴がなければ、釈尊の「正直捨方便」の文も、多宝仏が「皆是れ真実なり」と証明の誠言も、十方分身の諸仏が舌を梵天に付けた証明も、ただ言葉があって実がないことになるであろう。それは、提婆達多の大妄語にも過ぎ、瞿伽利の大誑言にも超えたものとなろう。日月は地に落ちて大地は覆るようなものであり。天を仰いで声を発し、地に臥しては胸を押さえる思いである。 今、日本国は、例えば、殷の湯王が身体を薪に積んで雨を祈り、戒日王が顔を火に入れて、火災の消えることを祈った時のようなものである。 もし、この書を見聞して、宿習があるならば、必ずその心を発しなさい。 使いの者にこの書を持たせて早々に北国に差し遣わし、大田金吾殿の返事を聞いて、速やかに是非をしらせていただきたい。この願いがもし成就するならば、崑崙山の鮮やかな珠が求めずして我が蔵に収まり、大海の宝珠が招かずして我が掌中にすることができるようなものである。恐惶謹言。 下春十日 日蓮花押 曾谷入道殿 大田金吾殿 |