大白法・平成15年12月1日刊(第634号より転載)御書解説(117)―背景と大意
本抄は、文永十二(1275)年二月十六日、大聖人様が五十四歳の御時、新尼御前より海苔の御供養と御本尊授与の願い出があり、それに対する返書として、身延において
本抄を賜った新尼御前は、大聖人様の故郷である安房国
次に、本抄において問題とされる大尼御前は、『清澄寺大衆中』に記された
「日蓮が父母等に恩を
とあるように、大聖人様や御両親が、何らかの形で大尼御前の恩恵を
また、大尼御前にとっても大聖人様は重恩の人でした。東条郷の地頭である東条
こうしたこともあり、大尼御前は大聖人様に帰依するようになったのですが、
大尼御前は、肝心なときに法華経を捨てた身でありながら、大聖人様が佐渡配流を
本抄は、大尼御前に対する御本尊授与の問題をはじめ、御本尊に関する深義を中心として御指南あそばされています。
はじめに、新尼と大尼から届けられた海苔の御供養に対する感謝の意と望郷の念が述べられます。草庵を結んだ身延の山が、故郷である安房国東条郷とは全く異なった環境であり、海苔を見たことで、忘れていた故郷と御両親のことが思い出され、涙を抑えることができないと述べられます。
次に、大尼御前が御本尊授与を望んでいることについて、その対応に困惑していることを述べられます。また、大聖人様が顕された御本尊は、インド・中国・日本のどこにおいても、未だ顕されたことのない
さらに、この御本尊が法華経『神力品』において釈尊より上行菩薩に付嘱された法体であること、そして正法を弘通していくには大難が競い起こることを御指南されています。
次いで、大尼御前の信心が、
「いつわり
というものであって、大聖人様が佐渡に流されたときには法華経を捨ててしまったことを述べられています。こうした大尼御前に御本尊を授与すれば、大聖人様御自身が「
続いて、新尼御前には、佐渡配流のときも、また現在においても信心に変わりがないので御本尊を授与したが、これから先の新尼御前の信心が最後まで変わらないかどうかには大きな不安もあると仰せです。
最後に、重恩を受けた大尼御前に御本尊を授与しないということはたいへん心苦しい思いであるが、法華経に違背したからには当然の道理であることを強調し、本抄を結ばれています。
一つ目は、不退の信心ということです。大尼御前は、大聖人様に帰依しながらも竜の口法難、佐渡配流のときには法華経を捨ててしまいます。そのため、その後御本尊授与を願い出ても大聖人様は授与されませんでした。
大聖人様は、大尼御前が竜の口法難に際し退転してしまったことについて、
「日蓮先より
と仰せです。大尼御前は、大聖人様より法華経が難信難解であると常々聞かされていながらも、世間の恐ろしさに負け退転していったのです。
また本抄では、
「
と仰せのように、竜の口法難の際に、大尼御前だけではなく多くの人々が退転し、世間からの風当たりが弱まってきてから退転したことを後悔するという人も多かったのです。
『開目抄』に、
「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし」(御書572頁)
とお示しのように、どのような理由があるにせよ、退転することは地獄の業となることをしっかり肚に入れ、不退の信心を貫くことが大切です。
二つ目は、大聖人様が顕された御本尊は、付嘱の法体であるということです。まず大聖人様は、
「其の中に此の本尊は
と、大聖人様が顕された御本尊が、仏教流伝の国々において未だ顕れざる未曽有の御本尊であることを説かれています。
さらには、
「
と仰せになり、大聖人様が顕された御本尊は、釈尊より上行菩薩に付嘱された、いわゆる
そして、この上行菩薩については、
「日蓮上行菩薩にはあらねども、ほゞ兼ねてこれをしれるは、彼の菩薩の御計らひかと存じて此の二十余年が間此を申す」
と述べられ、御自身が上行菩薩であることは明言されていませんが、本抄の行間からは、御自身こそ上行菩薩であるとの意志がはっきり拝せられます。
ここで留意すべきことは、付嘱の法と表現されることから、釈尊を主、大聖人様を従と捉えてしまい、釈尊がもともと所持していた法が、そのまま御本尊として顕されたかのように考えてしまうことです。
たしかに、文上の筋目としては釈尊から上行菩薩としての大聖人様に譲られた形を取られていますが、大聖人様を
すなわち、大聖人様の
いずれにせよ、宗祖所顕の御本尊が、前代には全く顕されていない未曽有の御本尊であることを深く拝し、御本尊を受持していくことが大切なのです。
三つ目は、本抄において折伏の心構えが教示されていることです。
本抄では、法華経の
「如来の現在すら、
「一切世間に
の文を引かれ、この法門を弘通するには、
大聖人様の御生涯そのものが、三類の強敵による諸難に立ち向かい、正法を弘通されたのですから、私たちが広宣流布に邁進する中においても同じ心構えが必要なのです。難を
本抄の、
「諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の
との仰せは、大聖人様の御出現によって顕された三大秘法の御本尊が、末法の衆生を救う唯一の法であることを教示されていると拝せられます。
したがって、正法を信受できた私たちは、広宣流布に向かって邁進する以外に世界の平和と幸福はあり得ないことを固く信じ、御法主上人猊下の御命題である「『立正安国論』正義顕揚七百五十年」の地涌倍増に向け、一層精進しようではありませんか。