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(★759㌻) 帷一領給び候ひ了んぬ。 夫仏弟子の中に比丘一人はんべり。飢饉の世に、仏の御時事かけて候ひければ、比丘袈裟をうて其のあたいを仏に奉る。仏其の由来を問ひ給ひければ、しかじかとありのまゝに申しけり。仏云はく、袈裟はこれ三世の諸仏解脱の法衣なり、このあたひをば我ほうじがたしと辞退しましまししかば、此の比丘申す、さてこの袈裟あたひをばいかんがせんと申しければ、仏の云はく、汝悲母有りや不や。答へて云はく、有り。仏云はく、此の袈裟をば汝が母に供養すベし。此の比丘、仏に云はく、仏は此の三界の中第一の特尊なり。一切衆生の眼目にてをはす。設ひ十方世界を覆ふ衣なりとも大地にしく袈裟なりとも能く報じ給ふベし。我が母は無智なる事牛のごとし。羊よりもはかなし。いかでか袈裟の信施をほうぜんと云云。仏返詰して云はく、汝が身をば誰が生みしぞや、汝が母これを生む。此の袈裟の恩報じぬベし等云云。 |
帷子一着を受け取りました。 そもそも、仏弟子の中に一人の僧がおられた。飢饉の世に仏がいらした時、物がなくて不自由していたので、僧は袈裟を売ってその代金を仏に差し上げた。仏がその由来を問われたので、かくかくしかじかとありのままに申し上げました。 仏は「袈裟は、三世の諸仏の解脱の法衣である。この代金に報いる力は私にはない」といって辞退されたので、この僧は「この袈裟の代金をいかがいたしましょう」と申し上げたところ、仏は「あなたに悲母はいるかどうか」と尋ねられた。「います」と答えると、仏は「この袈裟の代金をあなたは母に供養するがよい」といわれた。 この僧は、仏に「仏は三界のなかで最も尊い方です。一切衆生の眼目であられます。たとえ、あらゆる世界を覆うような衣であっても、大地に布きみちるような袈裟であっても、よく報じられることでしょう。私の母は無智であることは牛のようであり、羊よりも浅はかです。どうして袈裟の施物に報いることができましょう」といった。仏は返事して「あなたの身をだれが生んだのか。あなたの母親が生んだのである。この袈裟の恩に十分報いられている」といわれた、ということである。 |
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此は又、齢九旬にいたれる悲母の、愛子にこれをまいらせさせ給ひ、而して我と老眼をしぼり、身命を尽くせり。我子の身として此の帷の恩かたしとをぼしてつかわせるか。日蓮又ほうじがたし。しかれども又返すベきにあらず。此の帷をきて日天の御前にして、此の子細を申す上は、定めて釈・梵・諸天しろしめすべし。帷一つなれども十方の諸天此をしり給ふベし。露を大海によせ、土を大地に加ふるがごとし。生々に失せじ、世々にくちざらむかし。恐々謹言。 二月七日 日蓮 花押 |
これはまた歳が九十になっている悲母が愛子(富木殿)に帷子を差し上げられたのである。自ら両眼を無理し、身命を尽くして作られたことであろう。富木殿は子の身としてこの帷子の恩は報じがたいと思ってよこされたのであろうか。日蓮もまた報じがたい。しかしながら、かといって返すべきではあるまい。 この帷子を着て、日天の前でくわしい事情を申し上げれば、きっと釈釈・梵天・諸天善神も知られることであろう。帷子は一つであっても、十方世界のあらゆる諸天善神がこのことを知られるであろう。露を大海に入れ、土を大地に加えるようなものである。生生に失われないし、世世に朽ちないであろう。恐恐謹言。 二月七日 日蓮花押 |