春之祝御書  文永一二年一月  五四歳

 

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 春のいわ()いわすでに事()り候ひぬ。さては故なんでうどの(南条殿)ひさ()しき事には候はざりしかども、よろづ事にふれて、なつかしき心ありしかば、をろ()かならずをもひしに、よわひ(寿)盛んなりしにはか()なかりし事、わかれかな()しかりしかば、わざとかまくら(鎌倉)よりうちくだかり、御はか()をば見候ひぬ。それよりのちはする(駿)()びん(便)にはとをもひしに、このたびくだ()しには人にしの()びてこれ()ヘきたりしかば、にしやま(西山)の入道殿にもしられ候はざりし上は力をよばずとを()りて候ひしが、心にかゝりて候。その心をとげ()んがために此の御房は正月の内につか()わして、御はかにて自我偈一巻よま()せんとをもひてまいらせ候。御との(殿)ゝ御かた()()もなしなんどなげ()きて候へば、とのをとゞ()めをかれける事よろこび入って候。故殿は木のもと、くさむ()らのかげ()かよ()う人もなし、仏法をも聴聞せんず、いかにつれづれ(徒然)なるらん、をもひやり候へばなんだ()とゞ()まらず。との(殿)ゝ法華経の行者うち()して御はかに()かわせ給はんには、いかにうれ()しかるらん、いかにうれしかるらん。