春之祝御書  文永一二年一月  五四歳

 

(★758㌻)
 春のいわ()いわすでに事()り候ひぬ。さては故なんでうどの(南条殿)ひさ()しき事には候はざりしかども、よろづ事にふれて、なつかしき心ありしかば、をろ()かならずをもひしに、よわひ(寿)盛んなりしにはか()なかりし事、わかれかな()しかりしかば、わざとかまくら(鎌倉)よりうちくだかり、御はか()をば見候ひぬ。それよりのちはする(駿)()びん(便)にはとをもひしに、このたびくだ()しには人にしの()びてこれ()ヘきたりしかば、にしやま(西山)の入道殿にもしられ候はざりし上は力をよばずとを()りて候ひしが、心にかゝりて候。
 
 新春は言い古されたことながら、めでたい。故南条殿は久しい間の交友ではなかったが種々な事に触れて懐かしい心があったから、大事に思っていたところ、まだ齢が盛んであるのに亡くなってしまったことから、その別れを悲しくおもったので、わざわざ鎌倉から(駿州上野郷まで)うち下って御墓を見させていただいたのである。
 その後は、駿河の国の便があれば(墓参をしょう)と思っていたが、この度、(身延へ)下って来たのは人に忍んでこの地へ来たので、西山の入道殿にも知られていないくらいで、墓参もおよばず通ってきたことが気にかかっていた。
 その心をとげ()んがために此の御房は正月の内につか()わして、御はかにて自我偈一巻よま()せんとをもひてまいらせ候。御との(殿)ゝ御かた()()もなしなんどなげ()きて候へば、とのをとゞ()めをかれける事よろこび入って候。故殿は木のもと、くさむ()らのかげ()かよ()う人もなし、仏法をも聴聞せんず、いかにつれづれ(徒然)なるらん、をもひやり候へばなんだ()とゞ()まらず。との(殿)ゝ法華経の行者うち()して御はかに()かわせ給はんには、いかにうれ()しかるらん、いかにうれしかるらん。
   その心の思いを遂げるために、この日蓮の弟子を正月のうちに遣わして、御墓前で法華経の自我偈一巻を読誦させようかと思って行かせたのである。御殿の御形見もないと嘆いていたが、殿(時光)を止め置かれたことは、よろこばしいことである。
 故殿は今では木のもと、草むらの陰で人が通うこともなく、仏法を聴聞することもない。いかに寂しいことであろう。それを思いやると涙もとまらない。殿が法華経の行者をうち連れて、墓に参られたならば、どんなにうれしいことであろう。うれしいことであろう。