上野殿尼御前御返事  文永一一年  五三歳

別名『衣食御書』、『女人某御返事』

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 ()(もく)一貫()び候ひ了んぬ。
 それ、じき()いろ()をまし、ちから()をつけ、いのち()()ぶ。ころも()さむ()さをふせぎ、あつ()をさえ()はぢ()をかくす。人にもの()()する人は、人のいろ()をまし、ちからをそえ、いのちをつぐなり。人のためによる火をともせば人のあかるきのみならず、我が身もあか()し。されば人のいろをませば我がいろまし、人の力をませば我がちからまさり、人のいのちをのぶれば、我がいのちの()ぶなり。法華経は釈迦仏の御いろ、世尊の御ちから、如来の御いのちなり。やまいある人は、法華経を()やう()すれば身のやまいうすれ、いろまさり、ちからつき□□□□□てみればもの()もさわらず、ゆめうつゝわかずしてこそをはすらめ。()ひぬべき人のとぶらはざるも、うらめしく
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こそをはすらめ。女人の御身として、をや()()のわかれにみをすて、かたちをかうる人すくなし。をとこ()のわかれは、ひゞ(日日)よる()よる()つき()づき()とし()どし()かさなれば、いよいよこい()しさまさり、をさ()なき人も()はすなれば、たれ()をたのみてか人ならざらんと、かたがたさこそをはすらるれば、わが()()もまいりて心をもなぐさめたてまつり、又弟子をも一人つかわして御はか()の□□□□□□□一巻の御経をもと存じ候へども、この()()ろしめされて候がごとく、上下ににく()まれて候もの()なり。