主君耳入此法門免与同罪事 文永一一年九月二六日  五三歳

別名『主君抄

第一章 生命の尊厳を説く

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 銭二貫文()び了んぬ。
 有情の第一の財は命にはすぎず。此を奪ふ者は必ず三途(さんず)()つ。然れば輪王は十善の始めには()殺生(せっしょう)、仏の小乗経の始めには五戒、其の始めには不殺生、大乗梵網(ぼんもう)経の十重禁の始めには不殺生、法華経の寿量品は釈迦如来の不殺生戒の功徳に当たって候品ぞかし。されば殺生をなす者は三世の諸仏にすてられ、六欲天(ろくよくてん)も是を守る事なし。此の由は世間の学者も知れり。日蓮もあらあら意得(こころえ)て候。

第二章 尊厳観の具体的原理を示す

但し殺生に子細あり。彼の殺さるゝ者の(とが)に軽重あり。我が父母・主君・我が師匠を殺せる者をかへりて害せば、同じつみ()なれども重罪かへりて軽罪となるべし。此世間の学者知れる処なり。但し法華経の御かたきをば大慈大悲の菩薩も供養すれば、必ず無間地獄に()つ。五逆の罪人も彼を(あだ)とすれば必ず人天に生を受く。仙予(せんよ)国王(こくおう)有徳(うとく)国王は五百無量の法華経のかたき()を打ちて今は釈迦仏となり給ふ。其の御弟子迦葉(かしょう)阿難(あなん)舎利弗(しゃりほつ)目連(もくれん)等の無量の眷属(けんぞく)は、彼の時に先を()け陣をやぶり、或は殺し、或は害し、或は随喜(ずいき)せし人々なり。覚徳(かくとく)比丘(びく)は迦葉仏なり。
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彼の時に此の王々を(すす)めて法華経のかたきをば、父母の宿世の叛逆の者の如くせし大慈大悲の法華経の行者なり。

第三章 実践を喜び用心を促す

 今の世は彼の世に当たれり、国主日蓮が申す事を用ふるならば彼がごとくなるべきに、用ひざる(うえ)かへりて彼がかたうど(方人)となり、一国こぞりて日蓮をかへりてせむ。上一人より下万民にいたるまで、皆五逆に過ぎたる謗法の人となりぬ。されば各々も彼が方ぞかし。心は日蓮に同意なれども身は別なれば、()同罪(どうざい)のがれがたきの御事に候に、主君に此の法門を耳にふれさせ(まい)らせけるこそありがたく候へ。今は御用ひなくもあれ、殿の御(とが)(のが)れ給ひぬ。此より後には口をつゝみておはすべし。又、天も一定殿をば守らせ給ふらん。此よりも申すなり。 

 かまえてかまへて御用心候べし。いよいよにく()む人々ねら()ひ候らん。御さか()もり()夜は一向に止め給へ。只女房と酒うち飲んで、なにの御不足あるべき。他人のひる()の御さかもりおこたる(油断)べからず。酒を離れてねら()ひま()有るべからず。返す返す。恐々謹言。
  九月二十六日    日蓮 花押
 左衛門尉殿御返事