大白法・平成6年6月1日刊(第410号より転載)御書解説(015)―背景と大意

国府尼御前御書(739頁)

別名『千日尼御前御返事』

 一、御述作の由来

 本抄は、大聖人様が身延に御入山になられた直後の、文永十一年六月十六日に御認めになられた御書と推定され、御真蹟七紙が現存しています。

 従来は建治元年の書とされていましたが、建治元年には、四月十二日に御著述の『こう入道殿御返事』(御書 795頁)があります。もし当抄が建治元年の書であれば、国府入道は四月に登山して、同じ年の六月に再び登山されたことになり、当時の佐渡から身延への交通の状況等から考え、あまりにもその期間が短かすぎることになります。

 また当抄中には、身延へ御入山されて間もない頃の御著述と拝される点もあるところから、文永十一年の御書と推定されるのです。

対告衆

 国府入道殿と、国府尼御前へ与えられた御書はわずかに二編のみで、夫妻の事蹟を知る手がかりは、ほとんど残っていません。

しかし、二編の御書からは、阿仏房夫妻と親しい佐渡の国府の住人で、御配流中の大聖人様への外護を尽くした方であることが判ります。また、夫の入道殿は身延山へも両度、はるばる参詣されたことが判明しており、夫妻の純真かつ強盛な信心が察せられます。

背景

 文永八年五月の頃から全国的に続いた旱魃により、人々は困窮していました。幕府は窮状打開のため、良観に雨乞いの修法を命じましたが、まったく効験なく、大聖人様はこの機会に、良観等を厳しく破折されたのです。しかるにこれを逆恨みした良観は、権力者やその女房に取り入り、諸大寺と結託して、陰湿な謀略を企てました。結果、鎌倉における大聖人様、及び門下への迫害は熾烈を極めたのです。その様子を『破良観等御書』に、

今の念仏者等が(中略)弟子等数十人をろうに申し入るるのみならず、かまくら内に火をつけて、日蓮が弟子の所為なりとふれまわして、一人もなく失はんとせしが如し」(御書1074頁)

と述べられています。

 文永八年九月十二日、幕府は遂に大聖人様を捕らえ、竜の口にて斬首しようとしましたが、邪計を果たせず、佐渡への配流を決定しました。

 佐渡における御生活が筆舌に尽くせぬ厳しいものであられたことは、『法蓮抄』の、

北国の習ひなれば冬は殊に風はげしく、雪ふかし。衣薄く、食ともし。(中略)草堂の、上は雨もり壁は風もたまらぬ(中略)現身に餓鬼道を経、寒地獄に墜ちぬ」(御書821頁)

との仰せからも拝されます。更に、流人の御立場において、諸宗を激しく破折される大聖人様に対し、佐渡の住民は、鎌倉以上に敵意と憎悪を懐き、怨嫉迫害したのです。

 そのような厳しい情況の中、国府入道夫妻は大聖人様に真心のお給仕をされました。それは本抄中の、

しかるに尼ごぜん並びに入道殿は彼の国に有る時は人めををそれて夜中に食ををくり、或時は国のせめをもはゞからず、身にもかわらんとせし人々なり

との、入道夫妻の至心の外護を感謝された御言葉からも知ることができます。

 二、本抄の大意

 はじめに千日尼からの御供養を届けられたことに対する御礼を述べられ、千日尼と国府尼とは同心の方々であるから、この手紙を二人して人に読んで貰いなさいとお述べです。

 ついで、国府尼御前からの単衣の御供養に対する御礼を述べられ、釈迦仏を一劫の間供養する功徳よりも、また十号具足の如来を供養し奉るよりも、末代悪世に法華経の行者を供養する功徳が優れると断言されています。

 次に、人王始まって以来、日蓮ほど日本国中の人々から憎まれた者はいないと述べられ、種々の法難、故事を挙げられて、大聖人様の受けられた法難が、それらに勝る大難であることを示されます。また、それ等は御自身の身に咎がある故に起こったものではなく、ひとえに日本国を救おうという一心により起こった大難であると述べられます。

 そして厳しい環境の中で、尼御前と入道殿が、監視の目をくぐって夜中に食べ物を御供養され、また、大聖人様を身をもって護ろうとされたことを感謝され、法敵が多く、寒さと飢えに責められた佐渡の地ではあったが、赦免となり鎌倉へ帰る時は、剃りたる髪を後ろへ引かれる思いであったことを述懐されています。

 また更に、千里も離れている身延まで、大事な夫を使いとして訪ねてくださることは、国府尼の姿は見えないけれども、心は身延におられるように思われると述べられています。

 そして、大聖人様を恋しく思われるときは、いつとなく日や月に影を浮かべる身であると述べて、尼御前の心を慰められ、最後に、後生の霊山浄土での再会を約されて、お手紙を結ばれています。

 三、拝読のポイント

 まず大聖人様は本抄において、釈尊を供養するよりも、末代の法華経の行者を供養する功徳が格段に優れていることをお示しです。

 これは、末法においては、衆生が救済されるべき「所弘の法」と、「能弘の人」とが不二の尊体であり、それが法華経の行者の一身の当体にましますことの意義と、更にはその法華経の行者こそが、末法の一切衆生を救済されるところの真実の仏であることを御教示されたものと拝すべきです。

 また更には、信徒の外護供養により、末法における正法僧団の護持興隆が可能となること、そして、その下種仏法の灯燭こそが、末法万年の一切衆生を救済する根本であることから、その功徳の無量であることを御指南せられた御文とも拝されましょう。私たちは、この御指南を拝し、御供養の尊い意義を再度確認すべきです。

 次に本抄には、大聖人様が大難を受けられたのは、日本国の一切衆生を救おうとされた故であるとの大慈悲の御指南があります。もし、邪宗破折や、三度に亘る国諫をあそばされなければ、これらの大難は起こらなかったでしょう。『上野殿御返事』に、

愚者が法華経をよみ、賢者が義を談ずる時は国もさわがず、事もをこらず。聖人出現して仏のごとく法華経を談ぜん時、一国もさわぎ、在世にすぎたる大難をこるべし」(御書1122頁)

と仰せのように、末法に大聖人様が出現されて、仏説の如く猛然と正法を弘通されたことにより、前代未聞の大難が起きたのです。

 翻って、大石寺開創七百年の佳節を刻んだ平成二年以降、御法主日顕上人猊下には、仏法の正義に基づかれ、創価学会の十四誹謗に対し、厳愛の教導をなされました。

 ところが、傲慢不遜な池田創価学会は、反省恭順の態度を取らざるばかりか、大聖人様御在世の良観と同じく、これを逆恨みし、あろうことか、御法主上人猊下、及び宗門僧侶に対し、数年に亘り激烈な非難中傷を続けております。しかし、私たちは本抄を拝して、正法弘通には必ず難のあることを覚悟すべきでありましょう。

 また、大聖人様は、尼御前の恋慕渇仰の思いに対して、

いつとなく日月にかげをうかぶる身なり

と、仰せであります。この御文の深意は、凡智で測ることはできませんが、「日月」の語からは、法華経『神力品』の 

日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」(開結584頁)

の「斯の人」の徳が想起されます。

 すなわち大聖人様は、まさしく日月星辰をも含めて、一身一念を法界に遍せられたところの、久遠本仏の御境界に在されることをお示しになられた御文と拝することができましょう。

 四、結  び

 僧俗一同の六百億遍の唱題の功徳を奉納した新六万塔が建立され、去る四月二十八日、宗旨建立の佳き日に、御法主上人猊下の大導師により開眼法要が盛大に営まれ、大聖人様に御奉告されました。

 いよいよ大法広宣流布の新時代が到来したことがひしひしと実感されます。

 御法主日顕上人猊下は、御霊宝虫払大法会の御書講において、「本門の題目」について御説法あそばされました。その中で、

至心の唱題によって力強い、ゆとりのある包容力と、勇気と慈悲の充満した至高の生命、すなわち成仏の境界が溢れ、謗法罪障による苦悩の衆生に対し、心から哀れに思う大慈悲の念が表れるのであります」(大白法407号)

と甚深の御指南をされています。私たちは、大聖人様の御金言に信伏随従し奉り、そして御法主上人猊下の示された御指南を拝して、地涌の眷属として恥じない信行に住し、唱題によって涌きあがる慈悲の心で、諸難を乗り越えて行きましょう。

 本抄を拝する時、むしろ大難を呼び起こす程の強盛な信心こそが、大聖人様の眷属たる者の信心であることが明らかです。いつ如何なる時も、常に大聖人様の御照覧のもとにあることに歓喜を懐き、精進したいものです。

 地涌六万大結集がいよいよ目前となりました。油断せず、唱題に励み、地涌眷属の大確信をもって魔を下し、折伏弘教に悠々と精進してまいりましょう。