別当御房御返事  文永一一年四~五月頃  五三歳

 

(★728㌻)
 聖密房のふみにくはしくかきて候。よりあいてきかせ給ひ候へ。なに事も二間清澄の事をば聖密房に申しあわせさせ給ふべく候か。世間のりをしりたる物に候へばかう申すに候。これへの別当なんどの事はゆめゆめをもはず候。いくらほどの事に候べき。但なばかりにてこそ候はめ。又わせいつをの事をそれ入って候。
(★729㌻)
いくほどなき事に御心ぐるしく候らんとかへりてなげき入って候へども、我が恩をばしりたりけりと、しらせまいらせんために候。大名を計るものは小恥にはぢずと申して、南無妙法蓮華経の七字を日本国にひろめ、震旦・高麗までも及ぶべきよしの大願をはらみて、其の願の満たすべきしるしにや、大蒙古国の牒状しきりにありて、此の国の人ごとの大いなる歎きとみへ候。日蓮又先よりこの事をかんがへたり。閻浮第一の高名なり。先よりにくみぬるゆへに、まゝこのかうみゃうのやうにせん心とは用ひ候はねども、終に身のなげき極まり候時は、辺執のものどもゝ一定とかへぬとみへて候。これほどの大事をはらみて候ものゝ、少事をあながちに申し候べきか。但し東条は日蓮心ざす事は生処なり。日本国よりも大切にをもひ候。例せば漢王の沛郡ををもくをぼしめしゝがごとし。かれ生処なるゆへなり。聖智が跡の主となるをもってしろしめせ。日本国の山寺の主ともなるべし。日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。天のあたへ給ふべきことわりなるべし。
 
 聖密房の手紙に詳しく書いておいたから、寄り合って聴聞されるがよい。二間寺、清澄寺のことは、なにごとも聖密房にお話しされるがよい。妙密房が世間の道理をよくわきまえている者だから、このようにいうのである。
 私に対する心配りのことなど夢にも思ってはいない。どれほどの手当になるか、ただ名ばかりのことでよいだろう。
 また(わせいつを=意味不明)のことは、恐れ入っている。

 わずかのことについてご迷惑であろうとかえって嘆いているが、日蓮が恩を知っていたことをお知らせするためである。
 大いなる名声を計るものは小さな恥にとらわれないといって、南無妙法蓮華経の七字を日本国に弘め、中国・朝鮮にまでも弘めようとする大願を懐いているが、その願いを満たすべき前兆であろうか。大蒙古国からの国書がたびたびあって、日本の国のすべての人の大きな歎きになっているとみえる。日蓮は以前からこの他国侵逼難があると考えていた。予言の的中は閻浮第一の高名である。
 しかし、これまで人々は日蓮を憎んでいるので、継子の功名のように心から用いることはないが、ついに身の嘆きが極まった時には、邪義に執着している人々も必ず悔い改めると思われる。これほどの大事を懐いている者が、二間・清澄寺のような小さな問題のことを強くいうのであろうか。
 ただし、いま日蓮が心に願うことは生まれた土地のことである。日本の国よりも大切に思っている。たとえば漢の高祖劉邦が沛郡を重くみられたようなものである。それは沛郡が高祖の生地だからである。
 聖人智人の跡は、将来中心となるのが通例であり、このことによって知られるがよい。清澄寺が日本国の寺々の主ともなるであろう。
 日蓮は閻浮第一の法華経の行者である。それは天が与えてくれた理なのである。
 米一斗六升・あはの米二升・やき米はふくろへ、それのみならず人々の御心ざし申しつくしがたく候。これはいたみをもひ候。これより後は心ぐるしくをぼしめすべからず候。よく人々にしめすべからず候。よく人々にもつたへさせ給ひ候へ。恐々謹言。
   乃時
 別当御房御返事
   米一斗六升・粟二升・焼き米は袋でいただき、そればかりでなく、人々の御志は申し尽くしがたい。心に痛み入る思いである。これから後は、心苦しく思ってはならない。人々にお話ししないように、また人々にくれぐれもよろしくお伝えください。
   乃時
 別当御房御返事