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(★724㌻) |
大日経についての善無畏・不空・金剛智等の義は「大日経の理と法華経の理とは同じことである。ただ印と真言とが法華経は劣っている」と立てている。 良諝和尚・広修・維蠲などという人は「大日経は華厳経・法華経・涅槃経等には及ばない。大日経は方等部の経にすぎない」と述べている。 日本の弘法大師は「法華経は華厳経にさえ劣っている。まして大日経には及ぶべくもない」といっている。また「法華経は釈迦如来の説であり、大日経は大日如来の説である。教主がすでに異なっている。また釈迦如来は大日如来の御使いして顕教を説かれた。 これは密教の初門なのである」といっており、あるいは「法華経の肝心である寿量品の仏は顕教のなかでは仏であっても、密教にくらべれば煩悩を具えた生死の苦に縛られている凡夫なのである」と説いている。 |
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日蓮勘へて云はく、大日経は新訳の経、唐の玄宗皇帝の御時、開元四年に天竺の善無畏三蔵もて来たる。法華経は旧訳の経、後秦の御宇に羅什三蔵もて来たる。其の中間三百余年なり。法華経亘りて後、百余年を経て天台智者大師、教門には五時四教を立てゝ、上五百余年の学者の教相をやぶり、観門には一念三千の法門をさとりて、始めて法華経の理を得たり。天台大師已前の三論宗、已後の法相宗には八界を立てゝ十界を論ぜず。 (★725㌻) 一念三千の法門をば立つべきやうなし。華厳宗は天台已前には、南北の諸師華厳経は法華経に勝れたりとは申しけれども、華厳宗の名は候はず。唐の代に高宗の后、則天皇后と申す人の御時、法蔵法師・澄観なんど申す人、華厳宗の名を立てたり。此の宗は教相に五教を立て、観門には十玄六相なんど申す法門なり。をびたゞしきやうにみへたりしかども、澄観は天台をはするやうにて、なを天台の一念三千の法門をかりとりて、我が経の「心如工画師」の文の心とす。これは華厳宗は天台に落ちたりというべきか。又一念三千の法門を盗みとりたりというべきか。澄観は持戒の人、大小の戒を一塵をもやぶらざれども一念三千の法門をばぬすみとれり。よくよく口伝あるべし。真言宗の名は天竺にありやいなや、大なる不審なるべし。但真言経にてありけるを、善無畏等の宗の名を漢土にして付けたりけるか。よくよくしるべし。就中善無畏等、法華経と大日経との勝劣をはんずるに、理同事勝の釈をばつくりて、一念三千の理は法華経・大日経これ同じなんどいへども、印と真言とが法華経には無ければ、事法は大日経に劣れり。事相かけぬれば事理倶密もなしと存ぜり。今日本国及び諸宗の学者等、並びにことに用ふべからざる天台宗、共にこの義をゆるせり。例せば諸宗の人々をばそねめども、一同に弥陀の名をとなへて自宗の本尊をすてたるがごとし。天台宗の人々は一同に真言宗に落ちたる者なり。 |
日蓮が考えるには、大日経は新訳の経であり、中国の玄宗皇帝の御時、開元四年にインドの善無畏三蔵がもってきた。法華経というは旧訳の経であり、後秦の時代に羅什三蔵が伝来したものである。法華経と大日経が伝来した時代の差は三百余年である。 法華経が中国に渡ってから百余年過ぎて天台智者大師が出現され、教門には五時四教の教判を立て、それまでの五百余年の間の学者の教相を破り、観門では一念三千の法を悟られ、はじめて法華経の極理を体得されたのである。 天台大師出現以前の三論宗や、出現以後の法相宗では八界を立てて十界を論じていない。したがって一念三千の法門は立つはずがない。 華厳宗は天台大師の出現以前に南三北七の諸師が「華厳経は法華経に勝れている」といっていたけれども華厳宗の名はなかった。唐の第三代皇帝高宗の后・則天皇后という人の御時に法蔵法師・澄観などという人が華厳宗の名を立てたのである。 この宗は教相に五教、観門には十玄・六相などと立てている法門である。いかにも深遠な教えのように見えたけれども、澄観は天台を破しているようで、じつはは天台の一念三千の法門を借り用いて、華厳経の「心は工なる画師の如し」の文の心としたのである。これは華厳宗は天台に敗れたというべきか、あるいは一念三千の法門を盗みとったというべきであろうか。澄観は持戒の人であり、大乗・小乗の戒律を一塵ほども破ることはなかったけれども、一念三千の法門を盗み取ったのである。このことをよくよく口伝しなくてはならない。 真言宗の名がインドにあるか否かは大きな疑問である。たんに真言経であったのを、善無畏等が中国に来た時に、宗の名をつけたかどうか、よくよく知らなくてはならない。 とりわけ善無畏等は法華経と大日経との勝劣を判釈するのに、理同事勝の釈をつくって一念三千の理は法華経も大日経も同じであるが、法華経には印と真言とがないので、事法では大日経に劣っており、事相が欠けているので事理倶密の法門もない、としたのである。 今日本国および諸宗の学者等、ならびにそのなかでもとくに用いてはならない天台宗が、ともにこの理同事勝の義を許している。たとえば諸宗の人々が念仏を称える人を嫉みながら、一同に阿弥陀仏の名を称えて、自宗の本尊を捨てているようなものである。天台宗の人々は一同に真言宗になってしまった人々なのである。 |
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日蓮理のゆくところを不審して云はく、善無畏三蔵の法華経と大日経とを理は同じく事は勝れたりと立つるは、天台大師の始めて立て給へる一念三千の理を、今大日経にとり入れて同じと自由に判ずる条ゆるさるべしや。例せば先に人丸が「ほのぼのとあかしのうらのあさぎりに、しまがくれゆくふねをしぞをもう」とよめるを、紀のしくばう・源のしたがうなんどが判じて云はく「此の歌はうたの父うたの母」等云云。今の人我うたよめりと申して「ほのぼのと乃至船をしぞをもう」と一字をもたがへずよみて、我が才は人丸にをとらずと申すをば、人これを用ふべしや。やまがつ・海人なんどは用ふる事もありなん。天台大師の始めて立て給へる一念三千の法門は、 (★726㌻) 仏の父仏の母なるべし。百余年已後の善無畏三蔵がこの法門をぬすみとりて、大日経と法華経とは理同なるべし、理同と申すは一念三千なりとかけるをば、智慧かしこき人は用ふべしや。事勝と申すは印・真言なしなんど申すは天竺の大日経・法華経の勝劣か、漢土の法華経・大日経の勝劣か。不空三蔵の法華経の儀軌には法華経に印・真言をそへて訳せり。仁王経にも羅什の訳には印・真言なし。不空の訳の仁王経には印・真言これあり。此等の天竺の経々には無量の事あれども、月氏・漢土、国をへだてゝとをく、ことごとくもちて来がたければ、経を略するなるべし。 |
日蓮が道理の趣くところを疑っていうには、善無畏三蔵が法華経と大日経とは理は同じであっても、事相は大日経が勝れていると立てるのは、天台大師がはじめて立てられた一念三千の理を大日経に取り入れて、法華経と大日経と同じと勝手に判断することであり、許されるであろうか。 たとえば、昔、柿本人麻呂が「ほのぼのと明石の浦の朝霧に、島かくれゆく船をしぞおもう」と詠んだのを紀淑望や源順などが判定して「この歌は歌の父・歌の母である」と称えた。それを今の世の人が自分は歌を詠んだといって「ほのぼのと明石の浦の朝霧に、島かくれゆく船をしぞおもう」と一字も違えず読んで「私の才能は人麻呂に劣らない」といったとしたら、人々はそのことを用いるだろうか。歌のことなどに無知な樵や魚夫なら用いることもあるだろうが。 天台大師がはじめて立てられた一念三千の法門は、仏の父・仏の母なのである。天台大師が出生してから百年以後に中国に渡ってきた善無畏三蔵が一念三千の法門を盗み取って「大日経と法華経とは理は同じである。理が同じというのは一念三千である」と書いてあるのを、智慧ある人は用いるだろうか。 また、大日経が事において勝れるというのは法華経には印と真言がないからだというのは、インド語の大日経と法華経の勝劣をいうのか、それとも中国語の法華経・大日経の勝劣なのか。 たとえば不空三蔵の成就妙法蓮華経王瑜伽観智儀軌には法華経に印と真言を添えて訳している。仁王経にも羅什訳には印と真言はなく、不空訳の仁王経には印と真言がある。 これらのインドの経々には無量の事相はあっても、インドと中国は国を隔てて遠く、すべてを持ってくるのは難しいので、漢訳する際に省略したものであろう。 |
| 法華経には印・真言なけれども、二乗作仏・劫国名号・久遠実成と申すきぼの事あり。大日経等には印・真言はあれども、二乗作仏・久遠実成これなし。二乗作仏と印・真言とを並ぶるに天地の勝劣なり。四十余年の経々には二乗は敗種の人と一字二字ならず無量無辺の経々に嫌はれ、法華経にはこれを破して二乗作仏を宣べたり。いづれの経々にか印・真言を嫌ふことばあるや。その言なければ又大日経にも其の名を嫌はず、但印・真言をとけり。印と申すは手の用なり。手仏にならずば、手の印仏になるべしや。真言と申すは口の用なり。口仏にならずば、口の真言仏になるべしや。二乗の三業は法華経に値ひたてまつらずば、無量劫、千二百余尊の印・真言を行ずとも仏になるべからず。勝れたる二乗作仏の事法をばとかずと申して、劣れる印・真言をとける事法をば勝れたりと申すは、理によれば盗人なり、事によれば劣謂勝見の外道なり。此の失によりて閻魔の責めをばかほりし人なり。後にくいかへして、天台大師を仰いで法華にうつりて悪道をば脱れしなり。 |
法華経には印・真言はないけれども、二乗作仏が説かれ、その劫・国・名号が記されており、さらに釈尊の久遠実成というすぐれた点がある。大日経等には印・真言はあっても二乗作仏・久遠実成がない。 二乗作仏と印・真言を比較すれば、天と地ほどの勝劣がある。四十余年の爾前の経々には二乗は敗種の人で成仏できないと、一字二字だけでなく無量無辺の経々に嫌われている。法華経は二乗の永不成仏を破って二乗作仏を説いている。 ところで印と真言をいづれの経々で嫌ったことがあるだろうか。そのことがなければ、大日経もまたその印・真言を嫌わないで説いているのにすぎない。 印というのは手の働きである。手が仏にならなくては手で結ぶ印が仏になるだろうか。真言というのは口の働きである。口が仏にならなければ口で唱える真言が仏になるだろうか。二乗の身・口・意の三業も法華経に値わなければ、無量劫の間、真言密経の本尊である千二百余尊の印と真言を行じたとしても仏になることはできないのである。 勝れている二乗作仏の事法を説かないからといって、劣っている印と真言を説いている事法が勝れているというのは、理についていえば法の盗人であり、事相についていえば劣謂勝見の外道である。この失によって善無畏三蔵は閻魔法王の責めを受けた人なのである。後になって悔いて天台大師を師と仰いで法華経に帰依して悪道をまぬかれたのである。 |
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| 久遠実成なんどは大日経にはをもひもよらず。久遠実成は一切の仏の本地、譬へば大海は久遠実成、魚鳥は千二百余尊なり。久遠実成なくば千二百余尊はうきくさの根なきがごとし、夜の露の日輪の出でざる程なるべし。天台宗の人々この事を弁へずして、真言師にたぼらかされたり。真言師は又自宗の誤りをしらず、いたづらに悪道の邪念をつみをく。 |
久遠実成にいたっては大日経には思いもよらない教えである。久遠実成は一切の仏の本地である。たとえば大海は久遠実成であり、海に住む魚や空を飛ぶ鳥は千二百余尊である。久遠実成がなければ千二百余尊は浮き草の根がないようなものであり、太陽が出る前の夜露のようなものである。 天台宗の人々は、このことを知らないで真言師に誑かされたのである。真言師もまた自宗の誤っていることを知らないで、いたずらに、悪道に堕する邪念を積んでいる。 |
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空海和尚は此の理を弁へざる上、華厳宗のすでにやぶられし邪義を借りとりて、 (★727㌻) 法華経は猶華厳経にをとれりと僻見せり。亀毛の長短、兎角の有無、亀の甲には毛なし、なんぞ長短をあらそい、兎の頭には角なし、なんの有無を論ぜん。理同と申す人いまだ閻魔のせめを脱れず。大日経に劣る、華厳経に猶劣ると申す人謗法を脱るべしや。人はかはれども其の謗法の義同じかるべし。弘法の第一の御弟子かきのもときの僧正紺青鬼となりし、これをもてしるべし。空海、悔ひ改むることなくば悪道疑ふべしともをぼへず。其の流れをうけたる人々又いかん。 |
空海和尚はこの理を弁えないばかりか、すでに破折されている華厳宗の邪義を借りとって、法華経は猶華厳経よりもなお劣るとの僻見を立てたのである。これは亀毛の長短を論じ、兎の角の有無を論ずるようなものである。亀の甲には毛がないのに、なんでその長い短いを争い、兎の頭には角はないのに、なんで角の有無を論ずるのだろうか。 法華経と大日経とは理は同じといった善無畏でさえも閻魔の責をまぬかれなかったのである。大日経より華厳経は劣り、その華厳経よりも法華経はなお劣るという人が、謗法の罪を脱れることができるだろうか。人は変わっても、その謗法の義は同じであろう。弘法の第一の弟子の柿本紀僧正が紺青鬼となったわけも、このことから知るべきである。空海が悔い改めなければ悪道に堕ちることは疑うべくもない。空海の流れをうけた人々もまた同様であろう。 |
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問うて云はく、わ法師一人此の悪言をはく、如何。答へて云はく、日蓮は此の人々を難ずるにはあらず、但不審する計りなり。いかりおぼせば、さでをはしませ。外道の法門は一千年・八百年、五天にはびこりて、輪王より万民かうべをかたぶけたりしかども、九十五種共に仏にやぶられたりき。摂論師が邪義、百余年なりしもやぶれき。南北の三百余年の邪見もやぶれき。日本二百六十余年の六宗の義もやぶれき。其の上此の事は伝教大師の或書の中にやぶられて候を申すなり。日本国は大乗に五宗あり、法相・三論・華厳・真言・天台なり。小乗に三宗あり、倶舎・成実・律宗なり。真言・華厳・三論・法相は大乗よりいでたりといへども、くわしく論ずれば皆小乗なり。宗と申すは戒定慧の三学を備へたる物なり。其の中に定慧はさてをきぬ。戒をもて大小のはうじをうちわかつものなり。東寺の真言・法相・三論・華厳等は戒壇なきゆへに、東大寺に入りて小乗律宗の驢乳臭糞の戒を持つ。戒を用って論ぜば此等の宗は小乗の宗なるべし。比叡山には天台宗・真言宗の二宗、伝教大師習ひつたへ給ひたりしかども、天台円頓の円定・円慧・円戒の戒壇立つべきよし申させ給ひしゆへに、天台宗に対しては真言宗の名あるべからずとをぼして、天台法華宗の止観・真言とあそばして公家へまいらせ給ひき。伝教より慈覚たまはらせ給ひし誓戒の文には、天台法華宗の止観・真言と正しくのせられて、真言宗の名をけづられたり。天台法華宗は仏立宗と申して仏より立てられて候。真言宗の真言は当分の宗、 (★728㌻) 論師・人師始めて宗の名をたてたり。而るを、事を大日如来・弥勒菩薩等によせたるなり。仏御存知の御意は但法華経一宗なるべし。小乗には二宗・十八宗・二十宗侯へども、但所詮の理は無常の一理なり。法相宗は唯心有境なり。大乗宗無量の宗ありとも、所詮は唯心有境とだにいはゞ但一宗なり。三論宗は唯心無境なり。無量の宗ありとも、所詮唯心無境ならば但一宗なり。此は大乗の空有の一分か。華厳宗・真言宗あがらば但中、くだらば大乗の空有なるべし。経文の説相は猶華厳・般若にも及ばず。但しよき人とをぼしき人々の多く信じたるあいだ、下女を王のあいするににたり。大日経等は下女のごとし、理は但中にすぎず。論師・人師は王のごとし、人のあいするによていばうがあるなるべし。上の問答等は当時は世すえになりて、人の智浅く慢心高きゆへに用ふる事はなくとも、聖人・賢人なんども出でたらん時は子細もやあらんずらん。不便にをもひまいらすれば目安に注せり。御ひまにはならはせ給ふべし。 これは大事の法門なり。こくうざう菩薩にまいりて、つねによみ奉らせ給ふべし。 日 蓮 花押 聖密房に之を遣はす |
問うて言う。なぜ日蓮法師一人だけがこの悪言を吐いているのか。 答えて言う。日蓮は善無畏や弘法等の人々を非難するのではない。ただ疑問のところを挙げているのである。それを怒るなら、そうされるがよい。インドの外道の法門は八百年あるいは千年の間、インド全体に広まり、上は天輪聖王から下は万民まで帰依したけれども、九十五種の外道はすべて釈尊に破られてしまった。中国では摂論師が邪義が陳・隋代の百余年のあいだ流布したが、玄奘が出るに及んで破られた。南三北七の邪見も三百余年栄えたが、天台大師の出現によって破られたのである。日本においては、仏教伝来から二百六十余年栄えた南都六宗の義も、伝教大師によって破られた。そのうえ、このことは伝教大師が或書の中で破られていることをいっているのである。 日本国には大乗は五宗ある。法相・三論・華厳・真言・天台宗である。小乗に三宗ある。倶舎・成実・律宗である。真言・華厳・三論・法相宗は大乗から出たといっても、詳しく論ずるなら、みな小乗の宗である。 宗というのは、戒・定・慧の三学を備えているものである。三学のなかで定と慧はひとまずおく、戒をもって大乗・小乗の境を明らかにするものなのである。 東寺の真言・法相・三論・華厳等は戒壇堂がないので、東大寺の戒壇によって小乗律宗の驢乳・臭糞の戒を受けている。したがって戒を論ずるならば、これらの宗は小乗の宗となるであろう。 比叡山延暦寺には天台宗・真言宗の二宗を伝教大師が習い伝えられたけれども、天台円頓の円定・円慧・円戒の戒壇を建立すべきことを主張されたため、天台宗に対しては真言宗の名はあってはならないと思われて、天台法華宗の止観業・遮那業と書かれて朝廷に上表されたのである。伝教大師から慈覚が賜った誓戒の文には天台法華宗の止観・真言と正しく載せられて、真言宗の名は削られている。 天台法華宗は仏立宗といい、釈尊の時から立てられたものである。真言宗の真言は凡夫の立てた宗で、論師・人師がはじめて宗の名をつけたのである。それなのに事を大日如来・弥勒菩薩等によせているのである。釈尊が御存知の御意にかなうのは、ただ法華経による一宗だけなのである。 小乗には二宗・十八宗・二十宗とあるけれども、その究極の理は無常の一理である。 法相宗の究極の理は唯心有境である。大乗宗に無量の宗があっても、所詮は唯心有境というならば、ただ法相宗の宗となる。三論宗は唯心無境である。大乗宗に無量の宗があっても、所詮が唯心無境であるならば、但三論宗一宗となる。これは大乗の空有の一分であろうか。 華厳宗・真言宗は与えていえば但中であり、奪っていえば大乗の空有なのである。経文に説かれた内容はなお大日経は華厳経・般若経にも及ばない。ただ立派と思われる人々が多く信じているのは、下女を王が愛しているように似ている。大日経等は下女のようのものである。その所詮の理は但中の理にすぎない。論師・人師は王のようなものである。人々が敬愛するので威望があるのである。 以上の問答等は、現在は世も末となって人の智慧が浅く慢心が高いゆえに用いられることはなくても、聖人・賢人などが出現した時には事の子細も明らかになるであろう。あなたを不便と思うので目安として書き注したのである。時間があるときに学んでいきなさい。 これは大事の法門である。虚空蔵菩薩に詣でて、つねに読まれるがよい。 日 蓮 花押 聖密房にこれを書き送る |