呵責謗法滅罪抄 文永十年 五二歳

 

第一章 訶責謗法の意義を説く

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 御(ふみ)(くわ)しく承り候。法華経の御ゆへに已前に伊豆国に流され候ひしも、かう申せば()らぬ口と人はおぼすべけれども、心ばかりは悦び入って候ひき。無始より已来(このかた)、法華経の御ゆへに(まこと)にても虚事(そらごと)にても(とが)に当たるならば、(いか)でかかゝるつたなき凡夫とは生まれ候べき。一端はわびしき様なれども、法華経の御為なればうれしと思ひ候ひしに、少し先生(せんじょう)の罪は消えぬらんと思ひしかども、無始より已来の十悪・四重・六重・八重・十重・五無間・誹謗正法・一闡提(いっせんだい)の種々の重罪、大山より高く、大海より深くこそ候らめ。五逆罪と申すは一逆を造る、(なお)一劫無間の果を感ず。
 
 お手紙、委しく承りました。法華経ゆへに已前、伊豆の国に流されたのも、このようにいえばへらぬ口をたたくと人は思うであろうけれども、心のなかでは悦びにひたっていたのである。
 無始から今に至るまで、法華経の信仰のために、真実にして虚事にしても、罪を被ったことがあるならば、どうしてこのような拙い凡夫として生まれてくることがあろうか。したがって、流罪の身は、一端はわびしいようであるが、法華経のための受難であるから、嬉しいと思い、少しでも先生の罪が消えるであろうと思った。しかし無始から今に至るまでの十悪、四重、六重、八重、十重、五無間、誹謗正法、一闡提の種々の重罪は、大山よりも高く、大海よりも深いのであろう。五逆罪というのはそのうちの一逆罪を造る罪だけでも、なお一劫の間に無間の苦果を感ずる重罪である。
 一劫と申すは人寿八万歳より百年に一を減じ、是くの如く乃至十歳に成りぬ。又十歳より百年に一を加ふれば、次第に増して八万歳になるを一劫と申す。親を殺す者此程の無間地獄に墮ちて、(ひま)もなく大苦を受くるなり。法華経誹謗の者は心には思はざれども、色にも(ねた)み、(たわむ)れにも(そし)る程ならば、経にて無けれども、法華経に名を寄せたる人を(かろ)しめぬれば、上の一劫を重ねて()数劫(しゅこう)、無間地獄に堕ち候と見えて候。不軽(ふきょう)菩薩を()り打ちし人は始めこそさありしかども、後には信伏随従して不軽菩薩を仰ぎ尊ぶ事、諸天の帝釈(たいしゃく)を敬ひ、我等が日月を(おそ)るゝが如くせしかども、始め(そし)りし大重罪消えかねて、千劫大阿鼻(あび)地獄に入って、二百億劫三宝に捨てられ奉りたりき。    一劫というのは、人寿八万歳から百年ごとに一歳を減じ、このように減じていき十歳になる。また、十歳から百年ごとに一歳を加えていくと、次第に増して八万歳になる。その間を一劫という。親を殺す者は、これほど長い期間、無間地獄に堕ちて一瞬のやすみもなく大苦を受けるのである。
 法華経を誹謗する者は、心には思っていなくても、顔、形に嫉みの色をあらわしたり、戯れにも訾ることがあれば、また経を嫉み訾るのではなくとも、法華経に名を寄た人を軽蔑するならば、いま述べた一劫を重ねて無数劫の間、無間地獄に堕ちると経文には説かれている。
 不軽菩薩を罵り打った人は、始めこそそのように罵ったけれども、後には信伏随従して不軽菩薩を仰ぎ尊ぶこと、まさに諸天の帝釈を敬い、われらが太陽や月を畏敬するようなものであった。しかし、始めに訾った大重罪は消えきれず、千劫の間、大阿鼻地獄に入って、二百億劫の間、仏・法・僧の三宝に見捨てられたのである。
 五逆と謗法とを病に対すれば、五逆は霍乱(かくらん)の如くして急に事を切る。謗法は白癩病の如し、始めは(ゆる)やかに後漸々(ぜんぜん)に大事なり。謗法の者は多くは無間地獄に生じ、少しは六道に生を受く。人間に生ずる時は貧窮(びんぐ)下賤(げせん)等、白癩病等と見えたり。
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   五逆罪と謗法とを病に喩えるならば、五逆罪は霍乱のような病気で、急にその報いを得る。謗法は白癩病のようなもので、始は緩かに、後に次第次第に大事にいたってくる。謗法の者は、多くは無間地獄に生じ、少しは六道に生まれる。人間に生まれる時は貧窮であったり、下賎であったりする。また白癩病にあったりすると経文に説かれている。
  白癩病等と見えたり。日蓮は法華経の明鏡を()て自身に引き向かへたるに(すべ)てくもりなし。過去の謗法の我が身にある事疑ひなし。此の罪を今生に消さずば未来に(いか)でか地獄の苦をば(まぬか)るべき。    日蓮は、法華経の明鏡を自分自身に引き向かえてみると、全て曇りなく映しだされる。過去の謗法が我が身にあることは疑いない。この罪を今生で消さなければ、どうして未来に地獄の苦しみをまぬかれることができようか。
 過去遠々(おんのん)の重罪をば(いか)にしてか皆集めて今生に消滅して未来の大苦を免れんと(かんが)へしに、当世時に当たって謗法の人々国々に充満せり。其の上国主既に第一の誹謗の人たり。此の時此の重罪を消さずば(いつ)の時をか()すべき。日蓮が小身を日本国に打ち(おお)ふてのゝしらば、無量無辺の邪法の四衆等、無量無辺の口を以て一時に(そし)るべし。    過去遠々の重罪をいかにして全て集めて今生で消滅して、未来に受ける大苦をまぬかれようと勘えたところ、今の世は、末法という時にあたって謗法の人々が国に充満している。そのうえ国主はすでに第一の法華誹謗の人である。このような時にこの重罪を消さなければいつの時を期待できるであろうか。日蓮が小身をもって日本国に打ち覆うように、声高く謗法を呵責したならば、無量無辺の邪法の四衆等が無量無辺の口で一時に訾るであろう。
 ()の時に国主は謗法の僧等が方人(かとうど)として日蓮を(あだ)み、或は(くび)()ね、或は流罪に行なふべし。度々かゝる事出来せば無量劫の重罪一生の内に消えなんと(くわだ)てたる大術少しも(たが)ふ事なく、かゝる身となれば所願も満足なるべし。    その時に、国主は謗法の僧等の味方として、日蓮を怨み、あるいは頚を刎ねようとしたり、あるいは流罪にするであろう。そして、たびたびこのようなことが起きるならば、日蓮は無量劫の間積み重ねた重罪も、一生の内に消えるであろうと、くわだてた大術が少しも違うことなく、このような流罪の身となったので、その所願も満足するであろう。

 

第二章 金吾夫妻の信心を称賛する

 然れども凡夫なれば(やや)もすれば悔ゆる心有りぬべし。日蓮だにも是くの如く(はべ)るに、前後も(わきま)へざる女人なんどの、各仏法を見()どかせ給はぬが、何程(いかほど)か日蓮に付いてくや()しとおぼすらんと心苦しかりしに、案に相違して日蓮よりも強盛の御志どもありと聞こへ候は(ひとえ)只事(ただごと)にあらず、教主釈尊の(おのおの)の御心に入り替はらせ給ふかと思へば感涙押さへ難し。妙楽大師の釈に云はく記七「故に知んぬ、末代一時も聞くことを得、聞き()はって信を生ずる事宿種(しゅくしゅ)なるべし」等云云。又云はく弘二「(うん)像末に在りて此の真文を()宿(むかし)妙因を()ゑたるに非ざれば実に値ひ難しと為す」等云云。    しかしながら凡夫であるので、ややもすれば後悔する心もあった。日蓮でさえも、このようであるのに、物事の前後の分別もつきかねる女の人などの、あなた方、仏法を理解していない方が、どれほどか日蓮に付き従ったことを後悔しているかと思うと、実に心苦しかったのである。しかし案に相違して強盛の信心であると聞きましたが、これは全くただごとではない。教主釈尊があなた方の心に入り替わられたのではないか、と思えて感涙押えがたいほどである。
 妙楽大師の法華文句記の七に「末代において一時でも正法を聞くことができ、聞き已つて信を生こすことは、過去世において、法華経の下種であった故であると知ることができる」といっている。また弘決の二にも「像法の末に生まれて、法華経の真文をみることができた。宿世に妙因を殖えたのでなかれば、実に妙法は値いがたいのである」と述べている。

 

第三章 本化の付嘱を説く

 妙法蓮華経の五字をば四十余年此を祕し給ふのみにあらず、迹門十四品に(なお)是を(おさ)へさせ給ひ、寿量品にして本果本因の蓮華の二字を説き顕はし給ふ。
 此の五字をば仏、文殊(もんじゅ)普賢(ふげん)弥勒(みろく)・薬王等にも付嘱せさせ給はず、地涌の上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩等を寂光の大地より召し出だして此を付嘱し給ふ。
   釈迦仏は妙法蓮華経の五字を、四十余年の間、秘密にされたばかりでなく、迹門十四品に至っても、なお妙法五字を抑えて説かれず、法華経本文寿量品にして初めて本因・本果の蓮華の二字を説き顕わされたのである。この五字を、釈迦仏は文殊・普賢・弥勒・薬王等にも付嘱されなかった。地涌の上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩等を寂光の大地より召し出して、妙法を付嘱されたのである。
 儀式たゞ事ならず、宝浄世界の多宝如来、大地より七宝の塔に乗じて涌現せさせ給ふ。三千大千世界の外に四百万億那由他の国土を浄め、高さ五百由旬の宝樹を尽一箭道(じんいっせんどう)に殖ゑ並べて、宝樹一本の(もと)に五由旬の師子の座を敷き並べ、
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十方分身(ふんじん)の仏(ことごと)く来たり坐し給ふ
又釈迦如来は垢衣(くえ)を脱いで宝塔を開き多宝如如来に並び給ふ。譬へば青天に日月の並べるが如し。帝釈と頂生王との善法堂に(いま)すが如し。此の界の文殊等、他方の観音等、十方の虚空に雲集(うんじゅう)せる事、星の虚空(こくう)に充満するが如し
   この儀式は普通の儀式ではなく、宝浄世界の多宝如来が大地から七宝の塔に乗って涌現されたのである。
 三千大千世界の他に四百万億那由佗の国土を浄め、高さ五百由旬の宝樹をことごとく一箭道(矢を放って届く距離)に殖え並べて、その宝樹一本の下に五由旬の師子の座を敷き並べ、そこへ十方分身の諸仏がことごとく来て坐られたのである。


 また釈迦如来は、垢衣を脱いで宝塔を開き、多宝如来と並ばれたのである。この姿を譬えれば、青天に太陽と月が並んだようなものであり、帝釈天と頂生王とが善法堂にいるようなものである。
 この世界の文殊等、他方の観音等の菩薩が虚空に雲集した姿は、さながら星が空に充満するようであった。
 此の時此の土には華厳経の七処八会、十方世界の台上の盧舎那(るしゃな)(ぶつ)の弟子、法慧・功徳林・金剛幢(こんごうどう)・金剛蔵等の十方刹土(せつど)塵点数(じんでんじゅ)の大菩薩雲集(うんじゅう)せり。
 方等の大宝坊雲集の仏菩薩、般若経の千仏・須菩提(しゅぼだい)・帝釈等、大日経の八葉九尊の四仏・四菩薩、金剛頂経の三十七尊等、涅槃経の倶尸那(くしな)城へ集会(すえ)せさせ給ひし十方法界の仏菩薩をば、文殊・弥勒(みろく)等互ひに見知して御物語(これ)ありしかば、此等の大菩薩は出仕に(こと)()れたりと見え候。
   この時、この娑婆世界には華厳経の七処八会に集まった十方世界の台上の盧舎那仏の弟子たる法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵等の十方刹土の塵点数の大菩薩が雲集した。
 更に、方等経の大宝坊に雲集した仏・菩薩・般若経に集まった千仏・須菩提・帝釈等・大日経の八葉九尊の四仏・四菩薩・金剛頂経の三十七尊等、涅槃経の倶尸那城へ集まられた十方法界の仏・菩薩を文殊や弥勒等の菩薩はたがいに見知って語りあっていたので、これらの大菩薩は出仕にものなれているように見えたのである。
 今此の四菩薩出でさせ給ひて後、釈迦如来には九代の本師、三世の仏の御母にておはする文殊師利菩薩も、一生(いっしょう)補処(ふしょ)とのゝしらせ給ふ弥勒等も、此の菩薩に値ひぬれば物とも見えさせ給はず。譬へば山がつ()月卿(げっけい)に交はり、猿猴(えんこう)が師子の座に(つら)なるが如し。    しかし、今この上行をはじめとする四菩薩が出現された後は、釈迦如来にとっては九代の本師で、三世の諸仏の母であられる文殊師利菩薩も、また一生補処といわれた弥勒等も、この四菩薩に値ったのちではものの数とは見えないほどであった。譬えば山奥のきこりが高貴な月卿等の貴族に交わり、また猿が師子の座に列なったようなものである。
 此の人々を召して妙法蓮華経の五字を付嘱せさせ給ひき。付嘱も只ならず十神力を現じ給ふ。釈迦は広長舌を色界の(いただき)に付け給へば、諸仏も亦復(またまた)是くの如く、四百万億那由他の国土の虚空に諸仏の御舌、赤虹(あかにじ)を百千万億並べたるが如く充満せしかば、おびたゞしかりし事なり。
 是くの如く不思議の十神力を現じて、結要(けっちょう)付嘱と申して法華経の肝心を抜き出だして四菩薩に譲り、我が滅後に十方の衆生に与へよと慇懃(おんごん)に付嘱して、其の後又一つの神力を現じて、文殊等の自界他方の菩薩・二乗・天人・竜神等には一経乃至一代聖教をば付嘱せられしなり。
   釈迦仏はこの人々を召して妙法蓮華経の五字を付嘱されたのである。その付嘱もただごとではなく、仏は十神力を現じられたのである。釈迦仏は広長舌を色界の頂に付けられたので、諸仏もまた同様にされた。四百万億那由佗の国土の空に諸仏の舌がまるで赤い虹を百千万億並べたように充満したので、実におびただしいことであった。
 このような不思議の十神力を仏は現じ、結要付嘱といって法華経の肝心を抜き出して四菩薩に譲り、わが滅後に十方の衆生に与えようと慇懃に付嘱して、そののちまた一つの神力を現じて、文殊等の自界、他方の菩薩・二乗・天人・竜神等には一経および一代聖教をば付嘱されたのである。
 本より影の身に随って候様につかせ給ひたりし迦葉・舎利弗等にも此の五字を譲り給はず。此はさてをきぬ。
 文殊・弥勒等には(いか)でか惜しみ給ふべき。器量なくとも嫌ひ給ふべからず。方々(かたがた)不審なるを、或は他方の菩薩は此の土に縁少なしと嫌ひ、或は此の土の菩薩なれども娑婆世界に結縁の日浅し、或は我が弟子なれども初発心の弟子にあらずと嫌はれさせ給ふ程に、四十余年並びに迹門十四品の間は一人も初発心の御弟子なし。此の四菩薩こそ五百塵点劫(じんでんごう)より已来(このかた)教主釈尊の御弟子として、初発心より
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又他仏につかずして、二門をもふまざる人々なりと見えて候。
   もとより影が身にしたがっているように仕えていた迦葉・舎利弗等にも、この五字を譲られなかった。
 これはさて置こう。文殊・弥勒等に対してはどうして付嘱を惜しまれるのか。たとえ滅後に弘めるべき器量はなくとも嫌うべきではない。等々不審であるのを、仏はあるいは他方の菩薩はこの土に縁が少ないと嫌い、あるいはこの土で菩薩であるが、結縁が浅いと嫌い、あるいははわが弟子弟子ではあるが初発心の弟子ではないと嫌われたので、四十余年ならびに法華経迹門十四品のうちには一人も初発心の弟子がなく、この四菩薩こそ五百塵点劫より以来、教主釈尊の弟子として初発心の時より、また他の仏に仕えずに迹門・本門の二門をふまえなかった人びとであると説かれている。
 天台の云はく「但下方(げほう)発誓(ほっせい)を見る」等云云。又云はく「(これ)我が弟子なり、(まさ)に我が法を弘むべし」等云云。妙楽の云はく「()父の法を弘む」等云云。道暹(どうせん)云はく「法(これ)久成(くじょう)の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云。此の妙法蓮華経の五字をば此の四人に譲られ候。    法華文句の九に「但下方より湧出した本化の菩薩の発誓をみる」等。またいわく「これ我が弟子である。我が法を弘べきである」と。妙楽法華文句記には「子は父の法を弘める」と述べ、道暹は文句の輔正記に「法がこれ久遠実成の法であるから久遠実成の人に付嘱する」と述べている。この妙法蓮華経の五字を仏はこの四菩薩に譲られたのである。

 

第四章 地湧の菩薩の出現を予告する

 而るに仏の滅後正法一千年・像法一千年・末法に入って二百二十余年が間、月氏・漢土・日本・一閻浮提(いちえんぶだい)の内に、未だ一度も出でさせ給はざるは(いか)なる事にて有るらん。
 正しく譲らせ給はざりし文殊師利菩薩は、仏の滅後四百五十年まで此の土におはして、大乗経を弘めさせ給ひ、其の後も香山・清涼山より度々(たびたび)来たって大僧等と成って法を弘め、薬王菩薩は天台大師となり、観世音は南岳大師と成り、弥勒菩薩は()大士(だいし)となれり。迦葉(かしょう)・阿難等は仏の滅後二十年・四十年法を弘め給ふ。嫡子として譲られさせ給へる人の未だ見えさせ給はず。
   ところが仏の滅後、正法千年、像法千年、末法に入って二百二十余年の間に、インド・中国・日本、さらに一閻浮提の内にいまだ一度も妙法を弘める四菩薩が出現されないのはどういう事であろうか。
 正しくもお譲りにならなかった文殊師利菩薩は、仏の滅後四百五十年までこの娑婆世界におられて大乗経を弘められ、その後も香山・清涼山から度々来て大僧等となって法を弘められた。
 薬王菩薩は天台大師となり、観世音は南岳大師となり、弥勒菩薩は傅大士となった。迦葉・阿難等は仏の滅後二十年・四十年、法を弘められた。だが、嫡子として妙法を譲られた人はいまだに見えられない。
 二千二百余年が間、教主釈尊の絵像・木像を、賢王・聖主は本尊とす。然れども但小乗・大乗・華厳・涅槃・観経・法華経の迹門・普賢経等の仏、真言大日経等の仏、宝塔品の釈迦多宝等をば書けども、いまだ寿量品の釈尊は山寺(さんじ)精舎(しょうじゃ)にましまさず。(いか)なる事とも(はか)りがたし。
 釈迦如来は後五百歳と記し給ひ、正像二千年をば法華経流布の時とは仰せられず。天台大師は「後の五百歳遠く妙道に(うるお)はん」と未来に譲り、伝教大師は「正像(やや)過ぎ()はって末法(はなは)だ近きに有り」等と書き給ひて、像法の末は未だ法華経流布の時ならずと我と時を嫌ひ給ふ。
 されば()はか()るに、地涌千界の大菩薩は釈迦・多宝・十方の諸仏の御譲り御約束を(むな)しく黙止(もだし)て、はてさせ給ふべきか。。
   二千二百余年の間、教主釈尊の絵像、木像を賢王や聖主は本尊とした。しかしながら、但小乗、大乗、華厳経、涅槃経、観経、法華経迹門、普賢経等の仏、真言、大日経等の仏、宝塔品の釈迦・多宝などは書いたけれども、いまだに寿量品の釈尊はどこの山寺や精舎にもおられない。どうした事とも推量しがたい。
 釈迦如来は後の五百歳と記されている。正像二千年を法華経流布の時といわれてはいない。天台大師は文句の一に「後の五百歳遠く妙道に沾うであろう」と未来に妙法流布を譲られた。伝教大師は守護国界章に「正法・像法がほぼ過ぎおわって末法ははなはだ近くにある」等と書かれて、像法の末はいまだ法華経流布の時ではないと、自身から像法の時を嫌われたのである。
 それゆえ推し量ってみると、地涌千界の大菩薩は、釈迦・多宝・十方の諸仏のお譲りと御約束を空しくそのまま捨てておいて、果てさせるつもりなのだろうか。
 外典の賢人すら時を待つ、郭公(ほととぎす)と申す畜鳥(ちくちょう)()月・五月(さつき)に限る。此の大菩薩も末法に出づべしと見えて候。
 いかんと候べきぞ。瑞相と申す事は内典・外典に付いて必ず有るべき事の先に現ずるを云ふなり。蜘蛛かゝ()て喜び事来たり、鳱鵲(かんじゃく)鳴いて客人(まろうど)来たると申して、小事すら(しるし)先に現ず、何に況んや大事をや。されば法華経序品の六瑞は一代超過の大瑞なり。涌出品は又此には似るべくもなき大瑞なり。
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故に天台の云はく「雨の(たけ)きを見ては 竜の大きなる事を知り、(はな)の盛んなるを見ては池の深き事を知る」と書かれて候。妙楽の云はく「智人は起を知り、蛇は自ら蛇を知る」云云。
   外典の賢人でさえ時を待つ。郭公という畜鳥は四月五月に限って鳴く。この大菩薩も末法に出現するとみえるのである。どうしてそのようにいえるのか。
 瑞相というものは内典についても、外典についても必ず後に起こることが先に現れることをいうのである。蜘蛛が巣をかけると喜びごとが起こり、カササギが鳴くと客人が来るといって、小事でさえ験が先に現われる。まして大事においては当然である。
 それゆえ法華経序品の六瑞は釈迦一代に超過した大瑞である。涌出品の大瑞は、またこれには似るべくもない大瑞である。
 ゆえに天台は文句の九に「雨のはげしく降るのを見ては、これを知らせる竜の大きさを知り、華が盛んに咲いているのをみては池の深いことを知る」と書かれている。妙楽大師の法華文句記には「智人は物事の起こりを知り、蛇は自らが蛇であることを知っている」と述べている。
 今日蓮も之を推して智人の一分とならん。去ぬる正嘉元年太歳丁巳(ひのとみ)八月二十三日戌亥(いぬい)の刻の大地震と、文永元年太歳甲子(きのえね)七月四日の大彗星。此等は仏滅後二千二百余年の間未だ出現せざる大瑞なり。此の大菩薩の此の大法を持ちて出現し給ふべき先瑞なるか。尺の池には丈の(なみ)たゝず、()吟ずるに風鳴らず、日本国の政事乱れ万民歎くに依っては此の大瑞現じがたし。誰か知らん、法華経の滅不滅の大瑞なりと。    今日蓮もまた瑞相から未来を推し量って、智人の一分となろう。去る正嘉元年八月二十三日、戌亥の刻に起きた大地震と、文永元年七月四日の大彗星、これらは仏滅後二千二百余年の間にいまだ出現しなかった大瑞相である。
 この地涌の大菩薩が寿量品の大法を持って出現される先瑞であろうか。
一尺の池には一丈の波は立たない。驢馬がいなないても風は鳴らない。日本国の政事が乱れ万民が歎くことはこれほどの大瑞は現じがたい。誰か知ろう。この大瑞こそ法華経の滅不滅の大瑞相であると。

 

第五章 御本仏の実践を示す

 二千余年の間悪王の万人に(そし)らるゝ、謀叛の者の諸人にあだまるゝ等。日蓮が(とが)もなきに高きにも(ひく)きにも、罵詈(めり)毀辱(きにく)・刀杖瓦礫(がりゃく)等ひまなき事二十余年なり、唯事にはあらず。
 過去の不軽菩薩の()音王仏(おんのうぶつ)の末に多年の間罵詈(めり)せられしに相()たり。而も仏彼の例を引いて云はく「我が滅後の末法にも然るべし」等と記せられて候に、近くは日本、遠くは漢土等にも、法華経の故にかゝる事有りとは(いま)だ聞こえず。人は(にく)んで是を云はず。
   仏滅後二千余年の間、悪王の万人に訾られたり、謀反の者が諸人にあだまれたりした。しかし、日蓮は世間の失もないのに身分の高い人からも、また下い人からも、悪王や謀反人のように罵詈され、毀辱され、刀や杖で打たれ、瓦礫を投げられるなど、迫害のやむひまないこと二十余年である。これはただ事ではない。
 過去の不軽菩薩が威音王仏の末世に、多年の間罵詈されたことに似ている。しかも釈迦仏は不軽の例を引いて、我が滅後の末法にもそうなると記されている。だが、近くは日本、遠くは漢土等にも、法華経のゆえにそのような事があったとはいまだ聞かない。人は日蓮を憎んでこれをいわないのである。
  我と是を云はゞ自讃に似たり、云はずば仏語を(むな)しくなす(とが)あり。身を軽んじて法を重んずるは賢人にて候なれば申す。    自分からこれをいえば自讃に似ている。しかしこれを言わなければ仏語を虚妄にする過がある。身を軽んじて法を重んずるのが賢人であるからいうのである。
 日蓮は彼の不軽菩薩に似たり。国王の父母を殺すも、民が考妣(ちちはは)を害するも、上下異なれども一因なれば無間におつ。日蓮と不軽菩薩とは、位の上下はあれども同業なれば、彼の不軽菩薩成仏し給はゞ日蓮が仏果疑ふべきや。
 彼は二百五十戒の上慢の比丘に(ののし)られたり。日蓮は持戒第一の良観に讒訴(ざんしょ)せられたり。彼は帰依せしかども千(ごう)阿鼻(あび)(ごく)におつ。此は未だ渇仰(かつごう)せず。知らず、()数劫(しゅこう)をや経んずらん、不便(ふびん)なり不便なり。
   日蓮は彼の不軽菩薩に似ている。国王が父母を殺すのも、民が父母を害するのも、身分の上下は異なるけれども同一の業因なので無間地獄に堕ちる。日蓮と不軽菩薩とは名字凡夫と初随喜というように位の上下はあるけれども、同じ業なのだから彼の不軽菩薩が成仏されるならば、日蓮が仏果を受けることを疑えるだろうか。
 彼は二百五十戒を持った上慢の比丘に罵られた。日蓮は持戒第一の良観に讒訴された。彼の比丘衆は帰依したけれども、初めに謗った罪で千劫の間、阿鼻地獄に堕ちた。良観はいまだに日蓮を渇仰しない。その重罪は測り知れない。地獄に堕ちて無数劫を経ることであろう。実に不便なことであり、不便なことである。

 

第六章 御本仏の内証を明かす

 疑って云はく、正嘉の大地震等の事は、去ぬる文応元年太歳庚申(かのえさる)七月十六日宿屋の入道に付けて、故最明寺入道殿へ奉る所の勘文立正安国論には、法然が選択に付いて日本国の仏法を失ふ故に、天地(いか)りをなし、自界叛逆(ほんぎゃく)難と他国侵逼(しんぴつ)難起こるべしと(かんが)へたり。此には法華経の流布すべき(ずい)なりと申す。先後の相違之有るか如何。此には法華経の流布すべき瑞なりと申す。先後の相違之有るか如何。    疑っていわく、正嘉の大地震等のことについては、去る文応元年七月十六日に宿屋入道に託して、故最明寺入道殿へ奉じたところの勘文、すなわち立正安国論には、法然の選択集に委せて、日本の国が仏法を失うゆえに天神地神は瞋りをなし、自界叛逆難と他国侵遍難が必ず起こることを論じている。しかし、ここでは正嘉の大地震等を法華経の流布する瑞相といっている。安国論と今と相違があるかどうか。
 答へて云はく、汝()く之を問へり。法華経の第四に云はく「(しか)も此の経は如来現在にすら(なお)怨嫉(おんしつ)多し、(いわ)んや滅度の後をや」
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等云云。同第七に況滅度後を重ねて説いて云はく「我が滅度の後、後五百歳の中に閻浮提(えんぶだい)に広宣流布せん」等云云。仏滅後の多怨(たおん)は後五百歳に妙法蓮華経の流布せん時と見えて候。次下(つぎしも)に又云はく「悪魔・魔民・諸天・竜・夜又・()(はん)()」等云云。
   答えていわく、あなたは能くこのことを質問した。法華経の巻第四・法師品に「しかもこの法華経は釈迦如来の現在でさえなお怨嫉が多い。ましてし滅度の後はなおさらである」等と説かれ、同経巻第七薬王品に「まして滅度の後はなおさらである」の意味を重ねて説いて「わが滅度の後、後の五百歳のうちに閻浮提に広宣流布するであろう」等と述べられている。
 これによれば仏滅後の多怨は後の五百歳である末法に妙法蓮華経が流布する時とみえる。その文の次下に「悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等がつけいって、さまざまな災いをなすであろう」等ともある。
 行満座主(ざす)伝教大師を見て云はく「聖語()ちず今此の人に遇へり。我披閲する所の法門日本国の阿闍梨に授与す」等云云。今も又是くの如し。末法の始めに妙法蓮華経の五字を流布して日本国の一切衆生が仏の下種を懐妊すべき時なり。
 例せば下女が王種を懐妊すれば諸女(いか)りをなすが如し。下賤の者に王頂の珠を授与せんに大難来たらざるべしや。一切世間多怨難信の経文是なり。
   行満座主は伝教大師を見て「聖語は朽ちない。今この人に遇うことができた。私は披閲する所の法門を日本国の阿闍梨に授与する」と語っている。今もまた全く同様である。末法の初めに妙法蓮華経の五字を流布して日本国の一切衆生が仏の下種を懐妊すべき時である。
 例えば下女が王お種を懐妊すれば、他の多くの女はねたんで瞋りをなすようなものである。下賎の者に王の頂の明珠を授与すれば大難が来ないはずはない。法華経安楽行品の「一切世間に怨多くして信じがたい」の経文はこれである。
 涅槃経に云はく「聖人に難を致せば他国より其の国を襲ふ」云云。仁王経も亦復是くの如し。
 日蓮をせめて(いよいよ)天地四方より大災雨の如くふり泉の如くわき浪の如く寄せ来たるべし。国の大蝗虫(おおいなむし)たる諸僧等・近臣(きんしん)等が日蓮を讒訴(ざんそ)する(いよいよ)盛んならば、大難(ますます)来たるべし。
 帝釈を射る修羅は()(かえ)って己が眼にたち、阿那婆(あなば)達多(だった)(りゅう)を犯さんとする金翅(こんじ)鳥は自ら火を出だして自身をやく。法華経を持つ行者は帝釈・阿那婆達多竜に劣るべきや。
   涅槃経には「聖人に難を加えれば、他国からその国を襲う」と説かれている。仁王経もまた同様である。
 日蓮を責めるならば、いよいよ天地・四方から大災害が雨のように降り、泉のように湧き、浪のように寄せてくるであろう。国の大蝗虫である諸僧、近臣等が日蓮を讒訴することがいよいよ盛んになるならば、大難はますます来るであろう。

 帝釈を射ろうとする修羅は、射た箭が還つて己の眼に刺さり、阿那婆達多竜を火攻めで害そうとした金翅鳥は、自ら火を出して自身を焼いてしまった。法華経を持つ行者は帝釈天や阿那婆達多竜に劣るであろうか。
 章安大師の云はく「仏法を壊乱(えらん)するは仏法の中の怨なり、慈無くして(いつわ)り親しむは即ち是彼が怨なり」等云云。又云はく「彼が為に悪を除くは即ち是彼が親なり」等云云。    章安大師は涅槃経疏に「仏法を壊乱する者は仏法の中の怨である。慈悲がなく詐り親しむのは、相手にとって怨となる」と説き、更に「彼のために悪を除くことは彼の親にあたる行為である」と述べている。
 日本国の一切衆生は法然が捨閉(しゃへい)閣抛(かくほう)と禅宗が教外(きょうげ)別伝(べつでん)との誑言(おうげん)(たぶら)かされて、一人もなく無間(むけん)大城に堕つべしと(かんがえ)へて、国主万民を(はばか)からず、大音声を出だして二十余年が間よばはりつるは、竜逢(りゅうほう)比干(ひかん)の直臣にも劣るべきや。大悲千手観音の一時に無間地獄の衆生を取り出だすに似たるか。
 火の中の数子(すうし)を父母が一時に取り出ださんと思ふに、手少なければ慈悲前後有るに似たり、故に千手・万手・億手ある父母にて(いま)すなり。爾前の経々は一手・二手等に似たり。法華経は「一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」と、無数手の菩薩是なり。日蓮は法華経並びに章安の釈の如くならば、日本国の一切衆生の慈悲の父母なり。
 天高けれども耳()ければ聞かせ給ふらん。地厚けれども眼早ければ御覧あるらん、天地(すで)に知ろし()しぬ。又一切衆生の父母を罵詈(めり)するなり、父母を流罪するなり。
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此の国此の両三年が間の乱政は先代にもきかず、法に過ぎてこそ候へ。
    日本国の一切衆生は法然の捨閉閣抛と禅宗が教外別伝との誑言にだまされて、一人も漏れなく無間大城に堕ちるであろうと勘えて、国主万民をはばかることなく大音声を出して二十余年の間叫んできたのである。この行為は竜逢や比干といった諌臣に劣らないであろう。大慈悲の千手観音が一度に無間地獄の苦しむ衆生を救い出すのに似ているといえようか。
 火中の数人の子は父母が一時に取り出そうと思う時、手が少ないから、全部を一時に連れ出すことはできず、どうしても慈悲に前後があることになってしまう。故に仏法は千手・万手・億手がある父母であらせられる。爾前の経々は一手・二手等の父母に似ている。法華経は方便品に「一切衆生を化導して皆ことごとく入道に入らしむ」とあるように、たとえば無数の手を持つ菩薩である。
 日蓮は法華経ならびに章安の釈のとおりであれば、日本国の一切衆生の慈悲の父母である。
 天は高いけれども耳が早いので聞かれているであろう。地は厚いけれども眼が早いので見ておられるであろう。天も地もすでに知っておられる。また日本国の一切衆生は彼らが父母を罵詈するのであり、父母を流罪しているのである。この国のこの二・三年の間の乱政は、先代にも聞かない法外なことである。

 

第七章 母への孝養を説く

 (そもそも)悲母の孝養の事、仰せ(つか)はされ候。感涙押さへ難し。昔元重(げんじゅう)等の五童は五郡の異姓の他人なり。兄弟の(ちぎ)りをなして互ひに相背かざりしかば、財三千を重ねたり、我等親と云ふ者なしと歎きて、途中に老女を(もう)けて母と(あが)めて、一分も心に(たが)はずして二十四年なり。    そもそも悲母の孝養のことを仰せつかわされましたが、まことに感涙押えがたい。
 昔元重等の五人の童子は、五郡より集まった性を異にする他人だった。しかし兄弟の契りをむすび互いに背かなかったから三千の財を貯えた。さて、われらには親という者がいないと歎いて、あるとき、途で老女を得て母と崇め、一分も母の心に違わずに二十四年を経たのである。
 母(たちま)ちに病に沈んで物いはず。五子天に仰ひで云はく、我等孝養の感無くして母もの云はざる病あり。願くは天(こう)の心を受け給はゞ、此の母に物いはせ給へと申す。其の時に母五子に語って云はく、我は本(これ)太原(たいげん)陽猛(ようもう)と云ふものゝ(むすめ)なり、同郡の(ちょう)文堅(ぶんけん)()す、文堅死にき。我に(ひとり)の児あり、名をば烏遺(うい)と云ひき。彼が七歳の時、乱に値ひて行く処をしらず。汝等五子に養はれて二十四年此の事を語らず。我が子は胸に七星の文あり、右の足の下に黒子(ほくろ)ありと語り(おわ)って死す。    ところが、母は突然病に沈んで物をいわない。五人の童子は天を仰いで「われらに孝養の感がないので母は物をいわない病にかかった。願くは天よ、われらの孝養の心を受けられてこの母に物を言わせ給え」といった。
 そのとき母は五童子に向かって「私はもと大原の陽猛というものの女でした、同郡の張文堅に嫁ぎました。そののち文堅は死にました。我には一人の児があり名を烏遺といいました。彼が七歳の時に戦乱にあい、行方がしれません。あなたがた五人に養われて二十四年の間この事を語りませんでした。わが子には胸に七星の文があり右足の下に黒子がありまあす」と語り終えて死んだ。
 五子(ほうむ)りをなす途中にして国令の行くにあひぬ。彼の人(もの)()する(ふくろ)を落とせり。此の五童が取れるになして(いまし)め置かれたり。令来たって問うて云はく、汝等は(いず)くの者ぞ。五童答へて云はく、上に言へるが如し。()の時に(れい)上よりまろび()りて天に仰ぎ地に泣く。五人の縄をゆるして我が座に引き(のぼ)せて物語して云はく、我は是烏遺(うい)なり。汝等は我が親を養ひけるなり。此の二十四年の間多くの楽しみに値へども、悲母の事をのみ思ひ出でて楽しみも楽しみならず。乃至大王の見参(げんざん)に入れて五県の主と成せりき。他人集って他の親を養ふに是くの如し。何に況んや同父同母の舎弟(おと)妹女(いもうと)等がいういうたるを(かえり)みば、天も(いか)でか御納受なからんや。
   五人の童子は埋葬する途中で国令の行列に行きあった。すると、その国令は物を記した嚢を落した。そこで五人が取ったとして縛りつけた。国令は来て「お前達はどこの者か」と問うた。五童は先にいったようなことを答えた。そのとき、国令は上から転げおりて、天に仰ぎ地に伏して泣いたのである。そして、五人の縄を解いで、自分のいた座に引き上らせて物語るには、「私が烏遺である。あなた方はわが親を養ったのである。わたしはこの二十四年間、多くの楽しみに値ったけれども、母のことのみが思い出されて楽しみも楽しみとならなかった」と。
 その後国令は大王に見参させて、五人を五県の主とさせたのである。他人が集って他人の親を養ってさえこのようなことがある。
 まして、父を同じくし母を同じくする弟妹が優しく尽せば、天もどうしてその考心を受け入れないなとがあろうか。

 

第八章 門下の信心を激励される

 浄蔵・浄眼は法華経を()て邪見の慈父を導き、提婆(だいば)達多(だった)は仏の御敵、四十余年の経々にて捨てられ、臨終()しくして大地()れて無間地獄に行きしかども、法華経にて召し(かえ)して天王如来と記せらる。阿闍世(あじゃせ)王は父を殺せども仏涅槃の時法華経を聞いて阿鼻(あび)の大苦を免れき。    浄蔵と浄眼の二人は法華経をもって邪見の父を導いた。提婆達多は仏の御敵であり、四十余年の経々では見捨てられ、臨終の姿も悪くして大地が破れて、無間地獄に堕ちたけれども、法華経では召し還されて天王如来と記別を授けられた。阿闍世王は父を殺したけれども仏の涅槃の時に、法華経を聞いて阿鼻地獄の大苦をあぬかれたのである。
 例せば此の佐渡国は畜生の如くなり。又法然が弟子充満せり。鎌倉に日蓮を(にく)みしより百千万億倍にて候。
(★718㌻)
一日も寿(いのち)あるべしとも見えねども、各御志ある故に今まで寿を(ささ)へたり。是を以て計るに、法華経をば釈迦・多宝・十方の諸仏・大菩薩、供養恭敬(くぎょう)せさせ給へば、此の仏・菩薩は各々の慈父(ちち)慈母(はは)に日々夜々十二時にこそ告げさせ給はめ。当時(とうじ)主の御おぼえのいみじくおはするも、慈父慈母の加護にや有らん。
   例せばこの佐渡の国は畜生のようなものである。またこの国には法然の弟子が充満している。鎌倉で人々が日蓮を憎んだよりも百千万億倍も憎んでいる。

 よって、一日でも寿があるとも思えないが、あなた方の志のゆえに、今まで寿を支えてきたのである。
 このことをもって推し計ると、法華経を釈迦・多宝・十方の諸仏・大菩薩が供養恭敬されているので、この仏や菩薩達は、あなた方の父母に日々、夜々、十二時に、法華経の行者・日蓮があなた方の子によく助けられていますと告げられることであろう。現在、あなたが主君の寵愛を受けているのも慈父・悲母の加護によるのであろう。
 兄弟も兄弟とおぼすべからず、只子とおぼせ。子なりとも梟鳥(きょうちょう)と申す鳥は母を食らふ。破鏡(はけい)と申す獣の父を食らはんとうかゞふ。わが子四郎は父母を養ふ子なれども()しくばなにかせん。他人なれどもかた()らひぬれば命にも替はるぞかし。舎弟(おと)等を子とせられたらば今生の方人(かとうど)、人目申す計りなし。妹等を(むすめ)と念はゞなどか孝養せられざるべき。是へ流されしには一人も()ふ人もあらじとこそおぼせしかども、同行七八人よりは少なからず。上下のくわても各の御計らひなくばいかゞせん。是(ひとえ)に法華経の文字の各の御身に入り替はらせ給ひて御助けあるとこそ覚ゆれ。
 何なる世の乱れにも、各々をば法華経・十羅刹(じゅうらせつ)助け給へと、湿()れる木より火を出だし、(かわ)ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり。事(しげ)ければとゞめ候。
  日蓮  花押
   兄弟も兄弟と思われるな。ただわが子であると思いなさい。ただ子であっても梟鳥という鳥は母を食べる。破鏡という獣は父を食べようとそのすきをうかがう、わが子・四郎は父母を養う子であるが悪ければどうしようもない。他人であっても心から語り合えば命にも替わるのである。舎弟等をわが子とされたならば今生の味方となり、まして傍の目によいのはいうまでもない。妹達を娘と思えば、どうして孝養されないであろうか。
 日蓮が佐渡へ流された時は一人も訪ねてくる人はないと思っていたが、同行する者は七・八人を下らない。上下の資糧もあなたがたのお計いがなければどうにもならない。これはひとえに法華経の文字があなた方の身に入り替って日蓮を助けているのだと思う。
 どのような世の乱れにも、あなた方を法華経・十羅刹よ助け給へと、湿っている木より火を出し、乾いた土より水をだすように強盛に祈っている。事が繁多となるので止めて置きます。
   日蓮花押