大白法・平成12年12月1日刊(第562号より転載)御書解説(092)―背景と大意

妙法曼陀羅供養事(689頁)

別名『本尊供養抄』

 一、御述作の由来

 本抄は、御執筆の年次や宛名が明記されず、さらに御真蹟が失われたことから、不明な点が多いのですが、一般的には文永十(1273)年、大聖人様が御年五十二歳の時、佐渡の一谷においてお認めになり、阿仏房の女房、千日尼に与えられたとされています。これに倣って『平成新編御書』でも、文永十年説とし、対告衆は千日尼としています。

 大聖人様は、文永八(1271)年十月に佐渡への配流が決まり、同月の二十八日に佐渡へお着きになりました。

 佐渡から内地に遣わされた最初の御書である『富木入道殿御返事』には、

 「二月は寒風頻りに吹いて、霜雪更に降らざる時はあれども、日の光をば見ることなし。八寒を現身に感ず。人の心は禽獣に同じく、主師親を知らず」(御書487頁)

と仰せられ、風雪絶え間なく、八寒地獄を肌身に感じさせるような厳寒の有様と、人心の荒んだ様子が述べられています。

 そのような極寒の地において、

 「天台・伝教は粗(法華経を)釈し給へども、之を弘め残せる一大事の秘法を、此の国に初めて之を弘む。日蓮豈其の人に非ずや」(同・文中カッコ編集部)

と仰せられ、末法の今、三大秘法の大白法を建立し、弘通されるのは、大聖人御自身であることを明示されています。まことに御本仏の民衆救済、大慈大悲の忍難弘教のお振る舞いに、感激の涙が溢れます。

 大聖人様は、文永八年の竜の口の法難において上行菩薩の迹を払い、久遠元初の御本仏の御境界を顕本あそばされました。そして、その後初めて御本尊を認められ、弘安二(1279)年十月十二日、本懐究竟して三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊を御建立あそばされたのです。

 本抄は、大聖人様が御本尊を認められた初期の頃で、千日尼が御本尊に御供養申し上げた、その志を愛でられ、御本尊供養の功徳と、御本尊の力用を御教示され、さらに信心を励まされた御返事であります。別名を『本尊供養抄』とも言います。

 

 二、本抄の大意

 初めに、妙法蓮華経の御本尊を御供養されたことを述べられます。そして、妙法曼陀羅が即身成仏の御本尊であることを示されます。

 次いで、この大曼陀羅の正像未弘の所以を示されます。すなわち、釈尊の教法を薬に比して、爾前迹門の教法は凡薬であり、悪世末法においては、妙法蓮華経のみが一切衆生成仏の仙薬であり、御本尊のみが大良薬であることを示されます。

 さらに、日本国の一切衆生は大謗法者であり、謗法の罪の大なることを示され、その大謗法の病の良薬は妙法五字であることを御教示されます。

 そして、その妙法を末法に弘通する使命を帯びているのは上行菩薩等の地涌の菩薩であると述べられ、御本尊受持の偉大な功徳力と、妙法結縁の大功徳の悦びを示されて、本抄を結ばれています。

 

 三、拝読のポイント

 三大秘法の御本尊を信じ、一心に唱題することが大切

 初めに、本抄の題号である「妙法曼陀羅」について、総本山第二十六世日寛上人は『妙法曼陀羅供養見聞筆記』に、文相と義意の上から御指南されています。

 まず本抄に、

 「此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども、三世諸仏の御師、一切の女人の成仏の印文なり

と仰せのように、三世の諸仏は法華経の肝心である妙法蓮華経の五字を師として仏に成ったのであり、この五字七字の御本尊のみが、衆生成仏の導師であると御教示されています。

 これを日寛上人は、総じては他宗の曼陀羅、別しては真言宗の曼陀羅と簡別(簡び別ける)して、妙法蓮華経の曼陀羅のみが勝れ、功徳があることを示すのだと御指南されています。

 次に、曼陀羅の語に三大秘法の三義を含むことを示されています。

 第一に、輪円具足(本門の本尊)です。日寛上人は、

 「本門の本尊とは、十界の聖衆、中央の妙法蓮華経に帰入す」(日寛上人文段集 732頁)

と仰せられ、御本尊は妙法五字を中心として、十界の衆生の一界も欠けることなく具足した、真の一念三千の御本尊であると示されています。

 第二に、道場の義(本門の戒壇)です。日寛上人は、

 「この本尊は、既に三世の諸仏の発心得道の場処なるが故に、道場の場とは即ち戒壇の義というなり」(同)

と仰せです。

 第三に、功徳聚(本門の題目)です。日寛上人は、

 「この本門の題目には、十方三世の諸仏の因果の功徳を具足するなり」(同733頁)

と御指南されています。

 本抄では、一往爾前経の説に約して、

 「冥途にはともしびとなり、死出しでの山にては良馬となり

と仰せですが、有り難いことに大聖人様の仏法は即身成仏の仏法です。私たちは、この御本尊を信じて、一心に南無妙法蓮華経と唱え奉るとき、御本尊の光明に照らされ、境智冥合して即身成仏の大果報を得ることができるのです。

 私たちは、大聖人様の、

 「只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり」(御書1539頁)

との大慈大悲の御境界に御報恩感謝してまいると共に、この御慈悲に報いるべく、日々精進することが大切です。

 

 末法は妙法下種の時

 次に、教法の弘まるべき「時」と、衆生の「機」(機根)の問題です。本抄に、 「此の大曼陀羅は仏滅後二千二百二十余年の間、一閻浮提えんぶだいの内には未だひろまらせ給はず」と仰せられ、その後に、 

軽病には凡薬をほどこし、重病には仙薬をあたうべし

と仰せです。それは「応病与薬」と言って、病に応じて医者が薬を与えるように、仏の化導も衆生の機根に応じて説かれてきたのです。

 当時の倶舎・成実等の六宗や、それに浄土・真言等を加えた八宗十宗の教えは、末法においてはすでに効力がなく、また正像二千年の衆生は、その教えによって成仏するのではなくして、久遠の法華経の下種によって成仏したことが明らかです。しかし、末法は本未有善ほんみうぜんの衆生ばかりですから、まず仏種たる南無妙法蓮華経を下種結縁する必要があるのです。ですから、末法今時には、機に応じて法を説くのは間違いであり、時によって法を説くべきであると御教示されているのです。

 また、

日本国一同に一闡提・大謗法の者となる

と仰せのように、末法の衆生の機根は非常に下劣で、

五逆罪を犯した重罪にも過ぎる(趣意)

と仰せであり、さらに謗法の罪は、

則一切世間の仏種を断んぜん」(法華経175頁)

というように、五逆罪よりも重いのです。

 法華経は仏の随自意ずいじいの教えであり、「難信難解」です。また、このような衆生を相手にする折伏行は難事中の難事ですが、大聖人様の忍難弘教を思い、折伏は化他の修行であり報恩行であると確信して、一歩も引かない折伏戦を展開してまいりましょう。

 

 諸天守護を確信し大折伏に奮い立とう

 最後に、妙法を持つ衆生には、上行等の菩薩の守護があると御教示あそばされています。大聖人様は、外用げゆうは上行の再誕であり、その本地ほんちは久遠元初の自受用報身如来ですから、もったいなくも大聖人様御内証の妙用が用はたらき、我々を守護されるということです。つまり妙法受持の我々は、常に「師と倶ともに在る」ということです。大聖人様の大仏法を受持信行さ立ていただく我々法華講員には、必ず諸天善神の守護があることを確信しましょう。

 さらに言えば、我々がこの守護を戴くためには、地涌の菩薩としての自覚に立ち、立ち上がることが大事であるということです。

 

 四、結び

 本年の折伏誓願を絶対に完遂しよう

 「折伏実行の年」の本年は、唱題行を中心として、家庭訪問・寺院参詣・登山啓蒙・奉安堂建設御供養の推進等に取り組み、不惜身命の精神で果敢な折伏戦を展開されたことと思います。もし、未だ本年の誓願を完遂していないところがあったとしたら、残された三十一日間で何としても達成すべく、諸天の守護を信じて、諦めずに全力で闘ってまいろうではありませんか。

 明年は、折伏・育成などすべての誓願目標を完遂して、法華講三十万総登山を名実共に成就すべく「誓願貫徹の年」と銘打たれました。これは明年だけの指針ではなく、平成十四年、さらには未来に向けての誓願です。まず一人立ち上がり、同志を励まし、奮い立たせ、共々に広布の人材として、成長していこうではありませんか。