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(★670㌻) 夫以れば末法流布の時、生を此の土に受け此の経を信ぜん人は、如来の在世より猶多怨嫉の難甚だしかるべしと見えて候なり。 |
つらつら考えてみるに、この末法という三大秘法の南無妙法蓮華経を流布する時に、生をこの日本国に受け、この三大秘法を持ち、信心に励んでいく人に対しては、法華経法師品第十に「末法においては、釈迦如来在世にくらべて猶怨嫉が多いであろう」と。多くの大難が競い起こることが予言されている。 |
| 其の故は在世は能化の主は仏なり、弟子又大菩薩・阿羅漢なり。人天・四衆・八部・人非人等なりといへども、調機調養して法華経を聞かしめ給ふ、尚猶多怨嫉なり。 | その理由は、釈尊在世の時は、一切衆生を化導し、救済したのは、釈尊というりっぱな仏であった。しかも弟子たちは大菩薩や小乗教の悟りを得た阿羅漢であった。また人界、天界の人々、四衆、八部、人非人たちであっても、釈尊は、調機調養といって長い間、機根をととのえ、最後には法華経を聞かしめたのである。しかし、それにもかかわらず、猶怨嫉が多かったのである。 | |
| 何に況んや末法今時は教機時刻当来すといへども其の師を尋ぬれば凡師なり。弟子又闘諍堅固・白法隠没・三毒強盛の悪人等なり。故に善師をば遠離し悪師には親近す。 | ましてや末法の今の時は、宗教の五箇からみて、南無妙法蓮華経という教えが打ち立てられ、衆生はそれを求める機根となり、正法流布の時は来てはいるといっても、その法を説く師をみれば、外見は凡師である。そのもとに集った弟子たちもまた、大集経にあるように、闘諍堅固・白法隠没の時代を反映した貧瞋癡の三毒強盛な末法濁悪の衆生なのである。その故に、善師たる日蓮から離れて、諸宗の悪師に親しみ近づくのである。 | |
| 其の上真実の法華経の如説修行の行者の弟子檀那とならんには三類の敵人決定せり。されば此の経を聴聞し始めん日より思ひ定むべし、況滅度後の大難の三類甚だしかるべしと。然るに我が弟子等の中にも兼ねて聴聞せしかども、大小の難来たる時は今始めて驚き肝をけして信心を破りぬ。又兼ねて申さゞりけるか、経文を先として猶多怨嫉況滅度後と朝夕教へし事は是なり。予が或は所を追はれ或は疵を蒙り、或は両度の御勘気を蒙りて遠国に流罪せらるゝを見聞すとも、今始めて驚くべきに非ざるものをや。 | そのうえで、真実の法華経を、仏の説の如く修行していく行者の弟子檀那となる以上は、三類の敵人が出現するのは決定的である。それゆえ「この大法を聞いた日から、覚悟を定めなさい。末法には在世以上に三類の敵人がはなはだしく現われるのである」とかねがねいってきていたのに、わが弟子檀那の中に、そう聞いてはいても、いざ、大小の難が来てみると、今はじめて聞いたかのように驚き肝をつぶして、信心を退転したものがいる。難が起こることはかねていっておいたことではなかったか。つねづね経文の文証を立てて、「况滅度後・况滅度後」と、朝夕に教えてきたのはこうした時のためであった。日蓮が、安房の清澄寺を、また以前住んでいた松葉ヶ谷を追われたり、小松原の法難で疵を受けたり、また幕府のとがめを受けて、伊豆や佐渡の遠国に二度も流罪にあったりしたのを、見たり聞いたりしたとしても、それらは前々からわかっていたことであり、今さらあらためて驚くべきことではないではないか。 |
| 問うて云はく、如説修行の行者は現世安穏なるべし、何が故ぞ三類の強敵盛んなるや。答へて云はく、釈尊は法華経の御為に今度九横の大難に値ひ給ふ。過去の不軽菩薩は法華経の故に杖木瓦石を蒙り、竺の道生は蘇山に流され、法道三蔵は面に火印をあてられ、師子尊者は頭をはねられ、天台大師は南三北七にあだまれ、伝教大師は六宗ににくまれ給へり。 |
問うて言う。仏の説の如く修行する行者は、薬草喩品にあるように「現世安穏」であるはずである。どうして三類の強敵が出てくるのであろうか。 答えて言う。過去の法華経の行者の例を見れば、釈尊は法華経を説いたために「九横の大難」にあわれている。また過去の不軽菩薩は、法華経を説いたために杖木で打たれ、瓦や石を投げつけられた。竺の道生は、正法弘通のために大衆にあだまれて呉の国の蘇山に流され、宋代の法道三蔵は、仏法を護るために国王を諌めて、顔に火印を押された。また、中インドの師子尊者は檀弥羅王に首をはねられ、天台大師は南三北七の諸師にあだまれ、わが国の伝教大師は南都六宗の人々に憎まれた。 |
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此等の仏・菩薩・大聖等は法華経の行者として而も大難にあひ給へり。此等の人々を如説修行の人と云はずんば、いづくにか如説修行の人を尋ねん。然るに今の世は闘諍堅固・白法隠没なる上、悪国・悪王・悪臣・悪民のみ有りて正法を背きて邪法・邪師を崇重すれば、国土に悪鬼乱れ入りて三災七難盛んに起これり。 (★671㌻) かゝる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生まれけるこそ時の不祥なれども、法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起こし、忍辱の鎧を著て妙教の剣をひっさげ、一部八巻の肝心妙法五字のはたを指し上げて、未顕真実の弓をはり、正直捨権の箭をはげて、大白牛車に打ち乗って権門をかっぱと破り、かしこへをしかけこゝへをしよせ、念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の敵人をせむるに、或はにげ、或はひきしりぞき、或は生け取りにせられし者は我が弟子となる。域はせめ返し、せめをとしすれども、敵は多勢なり、法王の一人は無勢なり、今に至るまで軍やむ事なし。 |
これらの仏菩薩、大聖等は法華経の行者としてこのような大難にあわれたのである。これらの人々を、如説修行の行者といわなければ、いったいどこに如説修行の行者をたずねたらよいのであろうか。 しかも今末法というこの時代は、闘諍の絶え間ない時代であり、釈尊の教えの力もなくなったうえに、世はすべて悪国・悪王・悪民だけになって、皆、正法に背き、邪法・邪師を崇び重んじているために、国土には悪魔・鬼神が乱入して、三災七難が盛んに起こっている。 このような悪世末法の時に、日蓮は仏意仏勅を受けて日本国に生まれてきたのであるから、たいへんな時に生まれてきたのである。だが法王釈尊の命令に背くわけにはいかないので、一身を経文に任せて、あえて権教と実教との戦いを起こし、どんな難にも耐えても、一切衆生を救うという忍辱の鎧を着て、南無妙法蓮華経の利剣を提げ、法華経一部八巻の肝心たる妙法蓮華経の旗をかかげ、末顕真実の弓を張り、正直捨権の矢をつがえて、大白牛車に打ち乗って、権門をかっぱと破り、あちらへ押しかけこちらに押しよせ、念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の謗法の敵人をせめ立てたところ、ある者は逃げ、ある者は引き退き、あるいは日蓮に生け取られた者は、わが弟子となった。このように何度もせめ返したり、せめ落としたりはしたが、権教の敵は多勢である。法王の一人は無勢であるから、今にいたるまで戦いはやむことがない。 |
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| 法華折伏破権門理の金言なれば、終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし、天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独りはむ昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず、代はぎのうの世となりて、今生には不祥の災難を払ひて長生の術を得、人法共に不老不死の理顕はれん時を各々御らんぜよ、現世安穏の証文疑ひ有るべからざる者なり。 | しかし法華経は折伏であって、どこまでも権教の理を破折していくという金言であるから、最後には権教権門を信じている者を、一人も残さず折伏して、法王の家人となし、天下万民、すべての人々が一仏乗に帰して三大秘法の南無妙法蓮華経が独り繁昌する時になり、またすべての人々が一同に南無妙法蓮華経と唱えていくならば、吹く風は穏やかに枝をならすことなく、降る雨も壊を砕かないで、しかも世は義農の世のような理想社会となり、今生には不祥の災難を払い、人々は長生きできる方法を得る。人も法も共に、不老不死であるという道理が実現するその時を、みんなが見てご覧なさい。その時こそ「現世安穏」という証文が事実となって現われることに、いささかの疑いもないのである。 |
| 問うて云はく、如説修行の行者と申し候は何様に信ずるを申し候べきや。答へて云はく、当世日本国中の諸人一同に如説修行の人と申し候は、諸乗一仏乗と開会しぬれば、何れの法も皆法華経にして勝劣浅深ある事なし。念仏を申すも、真言を持つも、禅を修行するも、総じて一切の諸経並びに仏菩薩の御名を持ちて唱ふるも、皆法華経なりと信ずるが如説修行の人とは云はれ候なり等云云。 |
問うて言う。如説修行の行者というのは、どのように信ずる人をいうのであろうか。 答えて言う。今の世の日本国の人々がみんな如説修行の人といっているのは、爾前に説かれた権教も、皆、一仏乗と開会してしまえば、どの法もすべて法華経であって、もはや勝劣・浅深はない。したがって念仏を称えるのも、真言を持つことも、禅を修行するのも、総じては一切の諸経ならびに仏菩薩の名号を持って唱えることも、すべて法華経を持つことになるのだと信ずるのが如説修行の人であるといっている。 |
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| 予が云はく、然らず。所詮仏法を修行せんには人の言を用ふべからず、只仰いで仏の金言をまぼるべきなり。我等が本師釈迦如来、初成道の始めより法華を説かんと思し食ししかども、衆生の機根未熟なりしかば、先づ権教たる方便を四十余年が間説きて、後に真実たる法華経を説かせ給ひしなり。此の経の序分無量義経にして、権実二教のはうじを指して方便と真実を分け給へり。所謂「以方便力、四十余年、未顕真実」是なり。 | 予がいわく、それはまったく違っている。詮ずるところ、仏法を修行するについては、人の言を用うべきではない。ただ仰いで仏の金言だけを守るべきである。われらが根本の師と仰ぐ釈迦如来は、成道のはじめから衆生を救う最高の法である法華経を説こうと考えておられたが、衆生の機根がまだそこまで熟していなかったので、まず権の教えである方便の経を四十余年間説法して、それから後に真実である法華経を説かれたのである。だからこの法華経の序文である無量義経で、権教と実教の境界を指し示し、法華経以前を方便、以後を真実と立て分けられたのであり。いわゆる無量義経の「方便力をもって四十余年末だ真実を顕わさず」というのがこれである。 | |
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大荘厳等の八万の大士、施権・開権・ (★672㌻) 廃権等のいはれを得意分け給ひて、領解して言はく、法華已前の歴劫修行等の諸経をば「終不得成、無上菩提」と申しきり給ひぬ。然して後、正宗の法華に至って「世尊法久後、要当説真実」と説き給ひしを始めとして「無二亦無三、除仏方便説」「正直捨方便」「乃至不受余経一偈」といましめ給へり。是より已後は「唯有一仏乗」の妙法のみ一切衆生を仏に成す大法にて、法華経より外の諸経は一分の得益もあるまじきを、末代の学者、何れも如来の説教なれば皆得道あるべしと思ひて、或は真言、或は念仏、或は禅宗・三論・法相・倶舎・成実・律等の諸宗諸経を取り取りに信ずるなり。是くの如き人をば「若人不信毀謗此経、即断一切世間仏種、乃至其人命終入阿鼻獄」と定め給へり。此等の明鏡を本として一分もたがえず、唯有一乗法と信ずるを如説修行の人とは仏は定めさせ給へり。 |
そこで無量義経にあるように、大荘厳等の八万の菩薩たちが、釈尊の法華経を説く準備として、権教を説き、権教を開いて実経を顕わし、そして権教を廃し実経を立てたことの由来を知って領解の言葉を述べ、「法華経以前の歴劫修行の諸経では、終に無上菩提を成ずることができなかった」と断言されたのである。 しかして後に正宗分である法華経方便品に至って「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたまうべし」と説いたのをはじめ、「二無く亦三無し、仏の方便の説をば除く」「正直に方便を捨て」、譬喩品に「乃至余経の一偈をも受けざれ」と戒められたのである。このように仏が定められた後は、唯有一仏乗の妙法だけが一切衆生を仏にする大法であって、法華経以外の諸経は、少しの功徳もあるはずがないのに、末法の今の学者は、どの経でも仏の説経なのだからすべて成仏できるのだと思って、あるいは真言・あるいは念仏・あるいは禅宗・三論・法相・俱舎・成実・律等の諸宗・諸経を勝手に信仰している。このような人わば、譬喩品で「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん。乃至、其の人命終して、阿鼻獄に入らん」と決定しておられるのである。 このように約束された経文の明鏡を根本として、仏説とすこしも違うことなく、一乗の法が成仏の法であると信じて進むのが、如説修行の行者であると、仏は決定しておられるのである。 |
| されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵来たらん事は疑ひなし。 | そうであるなら、末法である現在、法華経の折伏の修行を、いったい誰が経文どおりに実践しているだろうか。だれでもいい、諸経は無得道であり、堕地獄の根源であり、ただ法華経だけが成仏の教えであると声を大にして主張し貫いて、諸宗の人々を、またその教法を、折伏してみられるがよい。三類の強敵が競い起こってくることは間違いない。 | |
| 本師釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年。今日蓮は二十余年の間権理を破るに其の間の大難数を知らず。仏の九横の大難に及ぶか及ばざるかは知らず、恐らくは天台・伝教も法華経の故に日蓮が如く大難に値ひ給ひし事なし。彼は只悪口怨嫉計りなり。是は両度の御勘気、遠国の流罪、竜口の頚の座、頭の疵等、其の外悪口せられ、弟子等を流罪せられ、篭に入れられ、檀那の所領を取られ、御内を出だされし。是等の大難には竜樹・天台・伝教も争でか及び給ふべき。されば如説修行の法華経の行者には三類の強敵の杖定んで有るべしと知り給へ。 |
われらの本師である釈迦如来は、随時意の法華経を説いた在世八年の間折伏をなされ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年の間折伏なされた。今また日蓮は二十余年の間、権教の邪義を折破してきた。その間に受けた大難は数えることができないくらいである。これは釈尊の九横の大難におよぶかおやばないかは論じられないが、像法時代の天台や伝教でさえも法華経のために日蓮ほどの大難にあっていない。彼らはただ悪口されたり怨嫉されたりしただけである。 日蓮は二度の御勘気をうけ、遠国に流罪され、また竜の口の法難では首の座にすえられ、小松原では頭に疵をうけた。そのほか悪口されたり、弟子等を流罪されたり、牢に入れられたり、また日蓮門下の檀那はその所領をとりあげられて領内から追放されたりしている。こうした大難は竜樹・天台・伝教の難といえどもどうして及ぶはずがあろうか。したがって如説修行の法華経の行者には三類の強敵が必ず競い起こると知って覚悟を決めることである。 |
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されば釈尊御入滅の後二千余年が間に、如説修行の行人は釈尊・天台・伝教の三人はさてをきぬ。末法に入っては日蓮並びに弟子檀那等是なり。我等を如説修行の者といはずば、釈尊・天台・伝教等の三人も如説修行の人なるべからず。提婆・瞿伽利・善星・弘法・慈覚・智証・善導・法然・良観房等は即ち法華経の行者と云はれ候べきか、釈迦如来・天台・伝教・日蓮並びに弟子檀那は念仏・真言・禅・律等の行者なるべきか。法華経は方便権教と云はれ、念仏等の諸経は還って法華経となるべきか。東は西となり、西は東となるとも、大地所持の草木共に飛び上りて天となり、天の日月星宿は共に落ち下りて地となるためしはありと云ふとも、いかでか此の理あるべき。 (★674㌻) |
ゆえに釈尊の滅後から二千年の間に如説修行の行者は、釈尊・天台・伝教の三人はさておいて、末法に入ってからは日蓮とその門下の弟子檀那がその行者である。 われわれを如説修行の者であるといわなければ、釈尊・天台・伝教等の三人も如説修行の行者ではなくなってしまう。謗法の提婆・瞿伽利・善星・弘法・慈覚・智証・善導・法然・良観房等が法華経の行者といわれ、釈尊・天台・伝教・日蓮とその弟子檀那は逆に念仏・真言・禅・律等の行者ということになってしまうであろう。そして法華経が方便権教の教えであるといわれ、念仏等の多くの経々が、かえって成仏の教えである法華経になるという、逆の関係になるのである。こしたことはたとえ東が西となり西が東となることがあっても、大地がその上に繁茂する草木と共に飛び上がって天となり、天の日月・星宿が共に落ち下って大地となる等のことがあったとしても提婆達多等が法華経の行者となり、爾前経が法華経となるなどということはあろうはずがないのである。 |
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哀れなるかな、今日本国の万人、日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められて大苦に値ふを見て悦び咲ふとも、昨日は人の上、今日は身の上なれば、日蓮並びに弟子檀那共に霜露の命の日影を待つ計りぞかし。只今仏果に叶ひて寂光の本土に居住して自受法楽せむ時、汝等が阿鼻大城の底に沈み大苦に値はん時、我等何計りむざんと思はんずらん。汝等何計りうらやましく思はんずらん。一期過ぎなむ事は程無ければ、いかに強敵重なるとも、ゆめゆめ退する心なかれ、恐るゝ心なかれ。縦ひ頚をばのこぎりにて引き切り、どうをばひしほこを以てつゝき、足にはほだしを打ってきりを以てもむとも、命のかよはんきはゝ南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へて、唱へ死にゝしぬるならば、釈迦・多宝・十方の諸仏、霊山会上にして御契りの約束なれば、須臾の程に飛び来たりて手を取りてかたに引き懸けて霊山へはしり給はゞ、二聖・二天・十羅刹女・受持者をうごの諸天善神は、天蓋を指し幡を上げて我等を守護して慥かに寂光の宝刹へ送り給ふべきなり。あらうれしや、あらうれしや。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。 文永十年癸酉五月 日 日 蓮 花 押 此の書御身を離さず常に御覧有るべく候 |
哀れなことかな、今日本国のあらゆる人々が、日蓮と弟子檀那等が三類の強敵に責められ、大苦にあっている有様を見て、悦こんで嘲笑していようとも、昨日は人の上、今日はわが身の上とは世の常の習いである。いま日蓮ならびに弟子檀那が受けているこの苦しみも、ちょうど霜や露が、朝の太陽にあって消えてしまうように、わずかの間の辛抱ではないか。そしてついに仏果に叶って、寂光の本土に住んで自受法楽する時に、今度は反対に、今まで笑ってきた謗法の者が、阿鼻地獄の底に沈んで大苦にあうのである。そのとき、われわれはその姿をどんなにかわいそうに思うことだろう。また彼らはわれわれをどんなにかうらやましく思うことだろう。 一生は束の間に過ぎてしまう。いかに三類の強敵が重なろうとも、決して退転することなく、恐れる心をもつようなことがあってはならない。迫害を受けて、たとえ頸を鋸で引き切られようとも、胴をひしや鉾でつきさされ、足にほだしを打って、その上に錐でもまれたとしても、命の続いているかぎりは、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と題目を唱えに唱えとおして死んでいくならば、釈迦・多宝・それに十方の諸仏が、霊山会上で約束があったとおりに、ただちに飛んで来て、手を取って肩にかけ、霊山にたちまち連れていって下さるのであり、薬王菩薩と勇勢菩薩の二聖、持国天王と毘沙門天王の二天、それから十羅刹女等が、妙法受持の者をかばい護り、諸天善神は天蓋を指し旗をかかげわれわれを守護して、たしかに常寂光の仏国土に、送りとどけて下さるのである。なんとうれしいことではないか。なんとうれしいことではないか。 文永十年癸酉五月日 日蓮花押 人々御中へ 此の如説修行抄を常に身辺から離さずみられるがよい。 |