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(★662㌻) 帷一つ、墨三長、筆五管給び候ひ了んぬ。観心の法門少々之を註し、太田殿・教信御房等に奉る。此の事日蓮当身の大事なり。之を秘して無二の志を見ば之を開拓せらるべきか。此の書は難多く答へ少なし、未聞の事なれば人の耳目之を驚動すべきか。設ひ他見に及ぶとも、三人四人座を並べて之を読むこと勿れ。仏滅後二千二百二十余年、未だ此の書の心有らず、国難を顧みず五五百歳を期して之を演説す。乞ひ願はくば一見を歴来たるの輩、師弟共に霊山浄土に詣でて、三仏の顔貌を拝見したてまつらん。恐々謹言。 文永十年太歳癸酉卯月廿六日 日 蓮 花押 富木殿御返事 |
帷ひとつ、墨を三挺、筆を五管を頂戴しました。 観心の法門を少々これを注して、大田殿や教信御房等の方々に送り奉る。 この事(観心本尊抄)は、日蓮が身に引きあてての大事であり、これを秘して、無二の志があればこれを開いて拝読せよ。この書は論難が多くて答えが少ない。未聞のことであるから恐らく人々は耳目を驚動するであろう。たとえ他人が集まってみるときでも、二人三人と座を並べてこれを読んではならない。 仏滅後二千二百二十余年の今日にいたるまで、いまだこの書の肝心が世に説き出されたことはなかった。いま、日蓮は王難を受け、佐渡へ流されていることも顧みず、五五百歳に当たる末法の始めを期して、この未曽有の法門を演べ説き明かすのである。こい願わくば、一見を歴て来るの輩はかならず堅く信じぬいて師弟ともに霊山浄土に詣でて三仏の顔を拝見し奉ろうではないか。 文永十年太歳癸酉四月二十六日 日 蓮 花押 富木殿御返事 |