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(★641㌻) 御札の旨委細承り候ひ畢んぬ。兼ねては又末法に入りて法華経を持ち候者は、三類の強敵を蒙り候はん事は、面拝の時大概申し候ひ畢んぬ。仏の金言にて候上は不審を致すべからず候か。然らば則ち日蓮も此の法華経を信じ奉り候ひて後は、或は頭に疵を蒙り、或は打たれ、或は追はれ、或は頚の座に臨み、或は流罪せられ候ひし程に、結句は此の島まで遠流せられ候ひぬ。 |
御手紙の趣旨は詳しく承った。まえまえから申し上げたが、末法に入って法華経を持つ者は三類の強敵の迫害を受けるということは、お会いしたときにおおむね申し上げた。仏の金言である以上は不審をいたすべきではなかろうか。それゆえ、すなわち日蓮もこの法華経を信奉して後は、頭に傷を受けたり、打たれたり、追放されたり、斬首の刑にあったり、流罪されたりして、結句はこの佐渡の島まで流されたのである。 |
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何なる重罪の者も現在計りこそ罪科せられ候へ、日蓮は三世の大難に値ひ候ひぬと存じ候。其の故は現在の大難は今の如し。過去の難は当世の諸人等が申す如くば、如来在世の善星・倶伽利等の大悪人が、重罪の余習を失せずして如来の滅後に生まれて是くの如く仏法に敵をなすと申し候是なり。 次に未来の難を申し候はゞ、当世の諸人の部類等謗じ候はん様は、此の日蓮房は存生の時は種々の大難にあひ、死門に趣くの時は自身を自ら食して死ぬる上は、定めて大阿鼻地獄に堕在して無辺の苦を受くるらんと申し候はんずるなり。古より已来世間・出世の罪科の人、貴賤・上下・持戒毀戒・凡聖に付けて多く候へども、但其れは現在計りにてこそ候に、日蓮は現在は申すに及ばず、過去未来に至るまで三世の大難を蒙り候はん事は、只偏に法華経の故にて候なり。日蓮が三世の大難を以て法華経の三世の御利益を覚し食され候へ。過去久遠劫より已来未来永劫まで、妙法蓮華経の三世の御利益尽くべからず候なり。日蓮が法華経の方人を少分仕り候だにも加様の大難に遇ひ候。まして釈尊の世々番々の法華経の御方人を思ひ遣りまいらせ候に、道理申す計りなくこそ候へ。されば勧持品の説相は暫時も廃せず、殊更貴く覚え候。 |
どんな重罪の者でも現在だけ罪に処せられるものであるのに、日蓮は三世にわたる大難に値ったように思われる。 そのゆえは、現在の大難は今のとおりである。過去世の難は当世の人々がいうところによれば、釈尊在世における善星や倶伽利等の大悪人が重罪の残りの惑を滅失しないで、釈尊滅後に生まれてこのように仏法に敵対しているのだというのが、これである。 次に未来世の難をいえば、当世の人々の輩が誹謗するには、この日蓮房は存在中は種々の大難にあい、死に臨むときは自身を自ら食し、死んだならば、必ず大阿鼻地獄に堕ちて際限のない苦を受けるであろうということである。 昔から今に至るまで、世間また出世間の罪を受けた人は貴賎・上下・持戒と毀戒・凡聖にわたって多くいるけれども、ただ、それは現在だけであったのに、日蓮は現在はいうまでもなく過去・未来に至るまでの三世の大難を受けている。これは、ただ偏に法華経のゆえである。日蓮の三世にわたる大難をもって法華経の三世にわたる御利益をお考えなされるがよい。 過去久遠の昔から未来永劫にわたって妙法蓮華経の三世の御利益は尽くすことができないのである。日蓮が法華経の味方を少ししただけでも、このような大難にあっている。まして釈尊が出世のたびに法華経の味方人をされてきたことを考えると、道理をもって言い尽くせないくらいである。そうであれば、法華経勧持品第十三で説かれている内容は少しも廃れておらず、とくにとくに貴く覚え候。思われる。 |
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一、御山篭りの御志の事。凡そ末法折伏の行に背くと雖も病者にて御座候上、天下の災・国土の難強盛に候はん時、 (★642㌻) 我が身につみ知り候はざらんより外は、いかに申し候とも国主信ぜられまじく候へば日蓮尚篭居の志候。まして御分の御事はさこそ候はんずらめ。仮使山谷に篭居候とも、御病も平癒して便宜も吉く候はゞ身命を捨て弘通せしめ給ふべし。 |
一、御山籠の御志のことについて、総じて末法の折伏の修行に背くとはいっても、病人であられるうえ、天下の災害や国土の難難がたいへん盛んである時は、我が身にあてて知らなければ、いかに申し上げても国主は信じられないので、日蓮さえ籠っていようと思うこともある。まして、あなたの状況であればそうであろう。たとえ山谷に籠ったとしても、御病気も治って、よい機会があれば身命を捨てて弘通されるがよい。 |
| 一、仰せを蒙りて候末法の行者息災延命の祈祷の事。別紙に一巻註し進らせ候。毎日一返欠如無く読誦せらるべく候。日蓮も信じ始め候ひし日より毎日此等の勘文を誦し候ひて、仏天に祈誓し候によりて、種々の大難に遇ふと雖も法華経の功力、釈尊の金言深重なる故に今まで相違無く候なり。其れに付けても法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥かに後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり。 |
一、御依頼を受けた、末法の行者の息災延命の祈禱について、別紙に一巻、記して送る。毎日一遍、欠けることなく読誦されるように。日蓮も信じ始めた日より毎日これらの勘文を誦して仏や天に祈誓してきたことによって、種々の大難にあったけれども法華経の功力と釈尊の金言が深重であるがゆえに、今まで無事であったのである。 それにつけても法華経の行者は信心において退転なく、身に偽りなく、一切を法華経にその身を任せて金言のとおりに修行するならば、たしかに後生はいうまでもなく、今生においても息災延命で勝れた大果報を得、広宣流布大願をも成就することができよう。 |
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一、御状に十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず等云云。権教を信ぜし大謗法の時の事は何なる持戒の行人と申し候とも、法華経に背く謗法罪の故に正法の破戒の大俗よりも百千万倍劣り候なり。彼の謗法の比丘は持戒なりと雖も無間に堕す。正法の大俗は破戒なりと雖も成仏疑ひ無き故なり。但今の御身は念仏等の権教を捨て正法に帰し給ふ故に誠に持戒の中の清浄の聖人なり。尤も比丘と成りては権宗の人すら尚然るべし。況んや正法の行人をや。仮使権宗の時の妻子なりとも、かゝる大難に遇はん時は、振り捨てゝ正法を弘通すべきの処に、地体よりの聖人尤も吉し尤も吉し。相構へ相構へ向後も夫妻等の寄り来とも遠離して一身に障礙無く、国中の謗法をせめて釈尊の化儀を資け奉るべき者なり。猶々向後は此の一巻の書を誦して仏天に祈誓し御弘通有るべく候。但し此の書は弘通の志有らん人に取りての事なり。此の経の行者なればとて器用に能はざる者には左右無く之を授与すべからず候か。穴賢穴賢。恐々謹言。 (★643㌻) 文永十年癸酉正月二十八日 日蓮花押 最蓮房御返事 |
一、お手紙に、十七歳で出家した後は、妻子をもたず、肉を食べず等とあったことについて、権教を信じていた大謗法のときは、どんな持戒の修行者であっても、法華経に背く謗法の罪のために、正法を持つ破戒の俗人よりも百千万倍劣っているのである。謗法の比丘は持戒であっても無間地獄に墜ち、正法を持った大俗は破戒であっても成仏は疑いないからである。ただいまあなたの身は念仏等の権教を捨てて正法に帰依されたゆえに、まことの持戒のなかの清浄な聖人である。もっとも比丘となったからには権宗の人でさえそうであるべきである。まして正法の修行者はなおさらである。たとえ権宗のときにもった妻子であっても、このような大難にあうときは振り捨てて正法を弘通するべきであるところ、もとよりの聖人であるということは大変に素晴らしいことである。大変に素晴らしいことである。よくよく用心して今後も夫妻等がよってきても遠ざけて身に障りなく、国中の謗法を責めて釈尊の化儀を助けられるべきである。なお今後は、この一巻の書を誦して仏や天に祈誓し、御弘通に励まれるがよい。ただし、この書は弘通の志が有る人にとって意味があるのである。この経の行者であるからといって、器用でない者にはこれを簡単に授与してはならない。あなかしこ、あなかしこ。恐恐謹言。 文永十年癸酉正月二十八日 日蓮花押 最蓮房御返事 |