大白法・平成29年7月1日刊(第960号)より転載 御書解説(209)―背景と大意
本抄は、文永九(1272)年、大聖人様が五十一歳の時に
本抄は、かつて四条金吾殿に与えられた御書とされていました。しかし、最古の写本である『本満寺
御述作の年次については、本文中に、
「経王御前を
とあって、経王御前の誕生後、間もない時期であることが推察できること、また、文永十年八月十五日の『経王殿御返事』に、
「経王御前の事、二六時中に日月天に祈り申し候。先日の
とあることから、本抄は、文永十年以前の御書であると推定できるなどにより、文永九年に御述作されたものと考えられます。
本抄の冒頭には、種々の御供養に対する感謝の意が述べられます。
次いで、法華経の『
次いで、今、末法の時代は
続けて、これらの経文に説かれる道理を昼夜を分かたず訴えてきたが、それを
そして、念仏や真言の信仰を改めない鎌倉幕府の治世が、たとえ滅びようとも、日本国の人々が三大秘法の南無妙法蓮華経の題目を人ごとに唱え、広宣流布する時が来ると仰せられます。そして、妙法を
最後に、いかに南無妙法蓮華経と唱えても、大聖人に
本抄は、比較的短い御書ですが、経王御前の誕生の報告を受けて、親子の関係(信仰の
本抄に略説されている『法華経妙荘厳王本事品第二十七』には、薬王菩薩・薬上菩薩の過去世の因縁が説かれています。
具体的には、
「浄蔵(後の薬王菩薩)と浄眼(後の薬上菩薩)の二人が、母の浄徳夫人(後の妙音菩薩)と共に、
というものです。天台大師は、この妙荘厳王品に登場する四人の宿世の縁について、
「昔、仏道を求める四人が修行を進めるとき、一人は生活面の役割を受け持ち、他の三人が修行に専念できるようにした。そのために、他の三人は仏道を得たが、残りの一人は得られなかった。しかし、三人の仏道増進を助けたことによって人天の王となる果報を得、他の三人も一人は端正な夫人として、二人は聡明な児として王の家族に生れ、世俗において欲に著して邪見を懐く父王を仏道に導き、過去世の恩に報いた(趣意)」(法華文句記会本 下ー564頁)
と釈されています。
本抄で、妙荘厳王の故事を挙げられた上で、
「現世には跡をつぐべき孝子なり」
と仰せられるのは、世法の上での跡継ぎということも当然ですが、信仰の上での跡継ぎ、法統相続をしっかりとすべきであるとの御教示と拝せられます。
そして、
「後生には又導かれて仏にならせ給ふべし。」
と仰せられるのは、天台の『法華文句記』にあるように、妙荘厳王の家族四人の宿世の縁に
親は子を貴びながらその命を育み、子は親を尊敬しその大恩に報いようと孝養に努めて、親子がそれぞれ互いを成仏へと導いていくのです。
さらには、今生を終えた時、
朝夕の勤行・唱題の実践を基本として、日々、親子・家族の信仰の向上、法統相続の大切さ、追善供養の大切さを心がけていきましょう。
大聖人様は、本抄の後半において、
「世は亡び候とも、日本国は南無妙法蓮華経とは人ごとに唱へ候はんずるにて候ぞ」
と仰せられ、世の中が濁世の様相を呈し滅びゆく状況になろうとも、一切衆生救済の妙法は必ず広宣流布するとの大確信を
そして、妙法が広宣流布していく途上における正法弘通の信行の
「
と仰せられ、順縁・逆縁を選ばず、
『法華初心成仏抄』には、
「仏になる法華経を耳にふれぬれば、
と仰せられ、たとえ正法毀謗の失によって地獄に落ちても、仏に成る法華経を耳に触れるならば、それが種となって必ず成仏の実を結ぶ耳根得道の深意を示されています。重要なのは、たとえ相手が信じなくても、強いて法華経を説く、折伏を行ずるということです。順縁・逆縁を選ばずに勇猛果敢に折伏を実践していきましょう。
御法主日如上人猊下は、
「我々は、信謗共に救済する広大無辺なる御本尊様の絶対の功徳を信じ、一人でも多くの人に強いてこの妙法を説き、折伏を行じていかなければならないことを知るべきであります。さらに、末法
と御指南されています。
相手を選んで、順縁の人ばかりを探していては、大聖人様の御心に背くことになります。また、大聖人様の大慈大悲の御意を拝し、御法主上人猊下の御指南を自らの信心の指針として、難を恐れずに果敢に折伏を実践し、僧俗が広宣流布の一点に心を合わせて師弟相対していかなければ御命題は達成できません。
本宗僧俗においては、今後とも強いて妙法を説く慈悲の折伏を実践してまいりましょう。