経王御前御書 文永九年  五一歳

 

-635- 
 種々(くさぐさ)御送り物()び候ひ(おわ)んぬ。法華経第八妙荘(みょうしょう)厳王品(ごんのうほん)と申すには、妙荘厳王と浄徳夫人と申す(きさき)は浄蔵・浄眼と申す太子に導かれ給ふと説かれて候。経王御前を(もう)けさせ給ひて候へば、現世には跡をつぐべき孝子なり。後生には又導かれて仏にならせ給ふべし。今の代は濁世(じょくせ)と申して乱れて候世なり。其の上眼前に世の中乱れて見え候へば、(みな)人今生には弓箭(きゅうせん)の難に値って修羅道(しゅらどう)におち、後生には悪道疑ひなし。(しか)るに法華経を信ずる人々こそ仏には成るべしと見え候へ。御覧ある様にかゝる事出来すべしと見えて候。故に昼夜に人に申し聞かせ候ひしを、用ひらるゝ事こそなくとも、(とが)に行なはるゝ事は()はれ無き事なれども、(いにしえ)も今も人の損ぜんとては()(こと)を用ひぬ習ひなれば、(つい)には用ひられず世の中(ほろ)びんとするなり。是(ひとえ)に法華経釈迦仏の御使ひを責むる故に、梵天・
-636-
帝釈・日月・四天等の()めを(こうむ)りて候なり。

 又世は亡び候とも、日本国は南無妙法蓮華経とは人ごとに唱へ候はんずるにて候ぞ。如何(いか)に申さじと思ふとも、(そし)らん人には(いよいよ)申し聞かすべし。命生きて御坐(おわ)さば御覧有るべし。又如何に唱ふとも日蓮に(あだ)をなせし人々は、()づ必ず無間(むけん)地獄に堕ちて無量劫の後に日蓮の弟子と成って成仏すべし。恐々謹言。

日蓮 花押

 経王御前