祈禱抄 文永九年 五一歳

 

第一章 真の祈りは法華経によるを明かす

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本朝沙門 日蓮 撰

 問うて云はく、()(ごん)宗・法相(ほっそう)宗・三論宗・小乗の三宗・真言宗・天台宗の祈りをなさんにいづれかしるし()あるべきや。答へて云はく、仏説なればいづれも一往は祈りとなるべし。但法華経をもていのらむ祈りは必ず祈りとなるべし
 

本朝沙門 日蓮 撰

 問うて云う。華厳宗・法相宗・三論宗の小乗の三宗、真言宗・天台宗によって祈るのに、いずれか霊験があるであろうか。
 答えて云う。仏説であって、いずれも一往は祈りとなるが、ただ法華経をもってする祈りは必ず祈りとなるのである。

 

第二章 二乗の法華行者守護の理由を明かす

 問うて云はく、其の所以(ゆえん)()(かん)。答へて云はく、二乗は大地()(じん)劫を経て先四味の経を行ずとも成仏すべからず。法華経は(しゅ)()の間此を聞いて仏になれり。若し(しか)らば舎利弗・()(しょう)等の千二百・万二千、総じて一切の二乗界の仏は、必ず法華経の行者の祈りをかな()ふべし。又行者の苦にもかわるべし。故に(しん)()(ほん)に云はく「世尊は大恩まします。希有(けう)の事を以て憐愍(れんみん)教化して我等を利益したまふ。無量億劫にも誰か()く報ずる者あらん。手足をもって供給し、()(ちょう)もって礼敬し、一切をもって供養すとも皆報ずることを(あた)はず。若しは以て頂戴し、両肩に荷負(かふ)して恒沙劫(ごうじゃこう)に於て心を尽くして()(ぎょう)し、又美膳・無量の宝衣及び諸の臥具(がぐ)種々の湯薬(とうやく)を以てし、牛頭(ごず)栴檀(せんだん)及び諸の珍宝を以て(とう)(みょう)()て宝衣を地に()き、()くの如き等の事(もっ)()供養すること恒沙劫に於てすとも亦報ずること能はじ」等云云。此の経文は、四大声聞が譬喩品を聴聞して仏になるべき由を心得て、仏と法華経との恩の報じがたき事を説けり。されば二乗の御為には此の経を行ずる者をば、父母よりも愛子よりも両眼よりも身命よりも大事にこそおぼしめすらめ。舎利弗・目連等の諸大声聞は一代聖教いづれも讃歎(さんだん)せん行者を、すておぼす事は有るべからずとは思へども、爾前の諸経はすこしうらみおぼす事も有るらん。「仏法の中に於て(すで)に敗種の如し」なんど、したゝかにいまし()められ給ひし故なり。今の()(こう)如来・(みょう)(そう)如来・()(みょう)如来なんどならせ給ひたる事は
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おもはざる外の幸ひなり。例せば崑崙(こんろん)山のくづれて宝の山に入りたる心地してこそおはしぬらめ。されば(りょう)()の文に云はく「無上の宝珠求めざるに(おの)づから得たり」等云云。
   問うて云う。その理由は何か。
 答えて云う。二乗は大地微塵劫の間、法華経以前の四味の修行をしたけれども、成仏できなかった。法華経では須臾の間、これを聞いて仏になった。
 もしそうであれば、舎利弗や迦葉等の千二百人、一万二千人、総じて一切の二乗界で仏になった人は、必ず法華経の行者の祈りをかなえさせてくれるであろう。また行者の苦しみにも代わってくれるであろう。
 ゆえに信解品には「世尊には大恩がある。希有のことをもって、我らを憐愍し教化して、利益された。無量億劫をもって供養して報ずることはできない。もしは、仏の御足を給仕して、頭を低くして礼し敬い、一切をもって供養しても報ずることはできない。もしは御足を頂戴し、両肩に荷負って、恒沙劫の間、心を尽して恭敬し、また美膳や無量の宝衣、及び諸々の臥具や種々の湯薬を供養し、また牛頭栴檀及び諸々の珍宝をもって塔廟を建て、宝衣を地に布く等、このようなことをして供養すること恒沙劫にわたっても、また報ずることはできない」と説かれている。
 この経文は、四大声聞が譬喩品を聴聞して、仏になれる道理を心得て、仏と法華経の恩がいかに報じがたいかを説いたものである。
 したがって二乗にとっては、この経を行ずる者は、父母よりも、愛子よりも、両眼よりも、身命よりも大事であるとおもうであろう。
 舎利弗や目連等の諸大声聞は、一代聖教いずれを讃歎する行者をも、見捨てることはあるはずがないとは思うけれども、爾前の諸経は、少しは怨みに思うであろう「仏法の中に於いて、已に敗種の如し」などと強く戒められたからである。
 今の華光如来・名相如来・普明如来などになることができたのは、思いのほかの幸いである。例えば、崑崙山が崩れて宝の山に入ったような心地がしたであろう。
 そのゆえに、領解の文に「無上の宝珠、求めざるに自から得たり」と説かれているのである。

 されば一切の二乗界、法華経の行者をまぼ()り給はん事は疑ひあるべからず。あやしの畜生なんども恩をば報ずる事に候ぞかし。かりと申す鳥あり、必ず母の死なんとする時孝をなす。(きつね)は塚を跡にせず。畜生すら(なお)()くの如し。(いわ)んや人類をや。されば王寿(おうじゅ)と云ひし者道を行きしに、()えつかれたりしに、(みち)(ほとり)に梅の樹あり、其の実多し、寿とりて食して()へやみぬ。我此の梅の実を食して気力をます。其の恩を報ぜずんばあるべからずと申して、衣をぬぎて梅に()けて()りぬ。王尹(おういん)と云ひし者は道を行くに水に渇しぬ。河をすぐるに水を飲んで銭を河に入れて是を水の(あたい)とす。竜は必ず袈裟(けさ)を懸けたる僧を守る。仏より袈裟を()びて竜宮城の愛子に懸けさせて、(こん)()(ちょう)の難をまぬ()かるゝ故なり。金翅鳥は必ず父母孝養(こういよう)の者を守る。竜は(しゅ)()(せん)を動かして金翅鳥の愛子を食す。金翅鳥は仏の教によて父母の孝養をなす者、僧のとるさん()()を須弥の頂にをきて竜の難をまぬかるゝ故なり。天は必ず戒を持ち善を修する者を守る。人間界に戒を持たず善を修する者なければ、人間界の人死して多く(しゅ)()(どう)に生ず。修羅多勢なれば、をごりをなして必ず天ををかす。人間界に戒を持ち善を修するの者多ければ、人死して必ず天に生ず。天多ければ修羅をそれをなして天ををかさず。故に戒を持ち善を修する者をば天必ず之を守る。何に況んや二乗は六凡より戒徳も勝れ智慧賢き人々なり。いかでか我が成仏を遂げたらん法華経を行ぜん人をば捨つべきや。    そうであれば、一切の二乗界の衆生が法華経の行者を守られることは疑いないことである。
 卑しき畜生であっても、恩を報ずるものである。かりという鳥は、母が死のうとするときはかならず孝行をする。狐は死ぬときには塚に足を向けない。
 畜生でさえこのようである。まして人間はいうまでもないことである。したがって王寿という者は、道を行くとき飢え疲れて、路辺に梅の樹があり、実が多かったので、これを採って食べて飢えを癒した。自分は、この梅の実を食べて気力を増したので、その恩を報じなければならないといって、衣をぬいで梅の木に懸けて去ったという。
 王尹という者は、道を行くときに渇いたので、河を渡るときに水を飲んで、銭を河に入れて、これを水の直としたという。
 竜は必ず袈裟を懸けた僧を守る。仏から袈裟を戴いて、竜宮城の愛子に懸けさせて、金翅鳥に食われる難を免れたからである。
 金翅鳥は必ず父母孝養の者を守る。竜は須弥山を動かして金翅鳥の愛子を食べるので、金翅鳥は仏の教えによって、父母の孝養のために僧に供養した時、僧が取り分ける生飯を須弥山の頂に置いて、竜の難を免れたからである。
 天は必ず戒を持ち善事を行う者を守る。人間界に戒を持たず善事を行う者がいなければ、人間界の人死んで多く修羅道に生まれる。修羅が多勢であれば、慢心を起して必ず天を犯す。
 人間界に戒を持ち善事を行う者が多ければ、人は死んで必ず天に生まれる。天人が多ければ修羅は恐れをなして天を犯さない。ゆえに、戒を持ち善事を行う者を天は必ず守るのである。
 まして二乗は六道の凡夫よりも戒徳も勝れ、智慧も賢い人々である。どうして、自らが成仏を遂げた法華経を行ずる人を捨てることがあろうか。

 

第三章 仏が法華行者を守る理由を明かす

 又一切の菩薩並びに凡夫は仏にならんがために、四十余年の経々を無量劫が間行ぜしかども仏に成る事なかりき。而るを法華経を行じて仏と成りて、今十方世界におはします。仏々の三十二相八十種好をそなへさせ給ひて九界の衆生にあをがれて、月を星の回れるがごとく、須弥山を八山の回るが如く、日輪を四州の衆生の仰ぐが如く、
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輪王を万民の仰ぐが如く、仰がれさせ給ふは法華経の恩徳にあらずや。
  また、一切の菩薩ならびに凡夫は、仏になるために、四十余年の経々を無量劫が間、修行したけれども、仏になることはできなかった。
 ところが、法華経を修行して仏に成って、今十方世界におられる仏は、仏の三十二相・八十種好を具えられ、九界の衆生から、月を星が回るように、須弥山を八山の回るように、日輪を四州の衆生が仰ぐように、輪王を万民が仰ぐように、仰がれることは、法華経の恩徳ではないか。
 されば仏は法華経に誡めて云はく「復舎利を安んずることを須ひざれ」と。涅槃経に云はく「諸仏の師とする所は所謂法なり。是の故に如来恭敬供養す」等云云。法華経には我が舎利を法華経に並ぶべからず。涅槃経には諸仏は法華経を恭敬供養すべしと説かせ給へり。   したがって、仏は法華経に誡めて「また舎利を安置することは必要ない」と説かれ、涅槃経には「諸仏の師とする所は法である。このゆえに如来は恭敬し供養する」と説かれている。法華経には我が舎利を法華経と並べてはならないとし、涅槃経には諸仏は法華経を恭敬し供養すべきであると説かれたのである。
 仏此の法華経をさとりて仏に成り、しかも人に説き聞かせ給はずば仏種をたゝせ給ふ失あり。此の故に釈迦如来は此の娑婆世界に出でて説かんとせさせ給ひしを、元品の無明と申す第六天の魔王が一切衆生の身に入りて、仏をあだみて説かせまいらせじとせしなり。所謂波瑠璃王の五百人の釈子を殺し、鴦掘魔羅が仏を追ひ、提婆が大石を放ち、旃遮婆羅門女が鉢を腹にふせて仏の御子と云ひし、婆羅門城には仏を入れ奉る者は五百両の金をひきゝ。されば道にはうばらをたて、井には糞を入れ、門にはさかむぎをひけり、食には毒を入れし、皆是仏をにくむ故に。華色比丘尼を殺し、目連は竹杖外道に殺され、迦留陀夷は馬糞に埋れし、皆仏をあだみし故なり。而れども仏さまざまの難をまぬかれて御年七十二歳、仏法を説き始められて四十二年と申せしに、中天竺王舎城の丑寅、耆闍崛山と申す山にして、法華経を説き始められて八年まで説かせ給ひて、東天竺倶尸那城、跋提河の辺にして御年八十と申せし、二月十五日の夜半に御涅槃に入らせ給ひき。而りといへども御悟りをば法華経と説きをかせ給へば、此の経の文字は即釈迦如来の御魂なり。一々の文字は仏の御魂なれば、此の経を行ぜん人をば釈迦如来我が御眼の如くまぼり給ふべし。人の身に影のそへるがごとくそはせ給ふらん。いかでか祈りとならせ給はざるべき。
   仏はこの法華経を覚って仏になられたのであるから、人に説き聞かせなかったならば、仏種を断つ失となる。このゆえに、釈迦如来はこの娑婆世界に出生してこの法華経を説こうとされたのであるが、そこへ元品の無明という第六天の摩王が、一切衆生の身に入って、仏を怨嫉して説かせまいとしたのである。
 いわゆる波瑠璃王の五百人の釈迦族を殺し、鴦崛摩羅が仏を追いかけて指を切ろうとし、提婆が大石を落して仏を傷つけ、旃遮婆羅門女が鉢を腹に入れて仏の御子を身ごもったといつたり、婆羅門城の王が城内に仏を入れた者は五百両の罰金を取るといったので、道には棘を立て、井戸には糞を入れ、門には逆茂木を引き、食物には毒を入れたのも、皆これ仏を憎んだからである。華色比丘尼が殺され、目連は竹杖外道に殺され、迦留陀夷は馬糞に埋められたのも、皆仏を怨んだからである。しかしながら、仏はさまざまな難を免れて、御年七十二歳の御時、すなわち仏法を説き始められてから四十二年という時に、中天竺の王舎城の丑寅にあたる耆闍崛山という山において、法華経を説き始められ、八年の間説かれて、東天竺の倶尸那城の跋提河の辺において、御年八十の二月十五日の夜半に御涅槃に入られたのである。
 しかしながら、御悟りは法華経と説き置かれので、この法華経の文字は即釈迦如来の御魂である。一々の文字は、仏の御魂であるから、この経を修行する人を釈迦如来は、我が御眼のように守られるであろうし、人の身に影が添うように付き添っているであろう。どうして祈りのかなわないことがあろう。

 

第四章 菩薩・諸天の守護必定なるを明かす

 一切の菩薩は又始め華厳経より四十余年の間、仏にならんと願ひ給ひしかどもかなはずして、法華経の方便品の略開三顕一の時「仏を求むる諸の菩薩、大数八万有り。又諸の万億国の転輪聖王の至れる、合掌して敬心を以て具足の道を聞かんと欲す」と願ひしが、広開三顕一を聞いて「菩薩是の法を聞いて疑網皆已に断ちぬ」と説かせ給ひぬ。    一切の菩薩は、また初め華厳経から四十余年の間、仏になろうと願っていたけれども、かなわず、法華経の方便品の略開三顕一が説かれた時、「仏を求める諸の菩薩が大数八万人いた。また諸の万億国の転輪聖王が集まり、合掌して敬う心をもって『具足の道をお聞きしたい』」と願ったところ、広開三顕一の説法を聞いて「菩薩達は『疑網は皆すでに断たれた』」と説かれたのである。
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 其の後自界他方の菩薩雲の如く集まり、星の如く列なり給ひき。宝塔品の時、十方の諸仏各々無辺の菩薩を具足して集まり給ひき。文殊は海より無量の菩薩を具足し、又八十万億那由他の諸菩薩、又過八恒河沙の菩薩、地涌千界の菩薩、分別功徳品の六百八十万億那由他恒河沙の菩薩、又千倍の菩薩、復一世界の微塵数の菩薩、復三千大千世界の微塵数の菩薩、復二千中国土の微塵数の菩薩、復小千国土の微塵数の菩薩、復四四天下の微塵数の菩薩、三四天下・二四天下・一四天下の微塵数の菩薩、復八世界微塵数の衆生、薬王品の八万四千の菩薩、妙音品の八万四千の菩薩、又四万二千の天子、普門品の八万四千、陀羅尼品の六万八千人、妙荘厳王品の八万四千人、勧発品の恒河沙等の菩薩、三千大千世界微塵数等の菩薩、此等の菩薩を委しく数へば、十方世界の微塵の如し。十方世界の草木の如し。十方世界の星の如し。十方世界の雨の如し。此等は皆法華経にして仏にならせ給ひて、此の三千大千世界の地上・地下・虚空の中にまします。迦葉尊者は鶏足山にあり、文殊師利は清涼山にあり、地蔵菩薩は迦羅陀山にあり、観音は補陀落山にあり。弥勒菩薩は兜率天に、難陀等の無量の竜王・阿修羅王は海底海畔にあり。帝釈は・利天に、梵王は有頂天に、摩醯修羅は第六の他化天に、四天王は須弥の腰に、日月衆星は我等が眼に見えて頂上を照らし給ふ。江神・河神・山神等も皆法華経の会上の諸尊なり。
 
 その後、この国や他方の菩薩が雲のように集まり、星のように列なったのである。宝塔品の時には、十方の諸仏が各々無辺の菩薩を引き連れて集まった。
 文殊は海から無量の菩薩を引き連れ、また八十万億那由佗の諸菩薩・また八恒河沙に過ぎた菩薩・地涌千界の菩薩・分別功徳品の六百八十万億那由佗恒河沙の菩薩・また千倍の菩薩・また一世界を微塵したほどの数の菩薩・また三千大千世界を微塵にしたほどの数の菩薩・また二千の中国土を微塵にしたほどの数の菩薩・また小千国土を微塵にしたほどの数の菩薩・また四四天下を微塵にしたほどの数の菩薩・三四天下・二四天下・一四天下を微塵にしたほどの数の菩薩・また八世界を微塵にしたほどの数の衆生・薬王品の八万四千の菩薩・妙音品の八万四千の菩薩・また四万二千の天子・普門品の八万四千人・陀羅尼品の六万八千人・妙荘厳王品の八万四千人・勧発品の恒河沙の菩薩や三千大千世界を微塵にしたほどの数の菩薩、これらの菩薩をくわしく数えるならば、十方世界を微塵にしたほどになり、十方世界の草木のようであり、十方世界の星のようであり、十方世界の雨のようである。
 これらは、皆法華経によって仏になられて、この三千大千世界の地上・地下・虚空の中におられる。迦葉尊者はケイ足山におり・文殊師利は清凉山におり・地蔵菩薩は伽羅陀山におり、・観音は補陀落山におり・弥勒菩薩は兜率天に・難陀等の無量の竜王や阿修羅王は海底海畔におり・帝釈はトウ利天に・梵王は有頂天に・魔醯修羅は第六の佗化天に・四天王は須弥の腰におり・日月や衆星は我等の眼に見えて頂上を照らしている。江神・河神・山神等も皆法華経の会座の諸尊である。
 仏、法華経をとかせ給ひて年数二千二百余年なり。人間こそ寿も短き故に、仏をも見奉り候人も侍らね。天上は日数は永く寿も長ければ、併ら仏をおがみ法華経を聴聞せる天人かぎり多くおはするなり。人間の五十年は四王天の一日一夜なり。此の一日一夜をはじめとして三十日は一月、十二月は一年にして五百歳なり。されば人間の二千二百余年は四王天の四十四日なり。されば日月並びに毘沙門天王は仏におくれたてまつりて四十四日、いまだ二月にたらず。帝釈・梵天なんどは仏におくれ奉りて一月一時にもすぎず。わずかの間にいかでか仏前の御誓ひ、並びに自身成仏の御経の恩をばわすれて、法華経の行者をば捨てさせ給ふべきなんど思ひつらぬればたのもしき事なり。    仏が法華経を説かれてから二千二百余年である。人間こそ寿命が短いから、仏を見た人もいないが、天上は日数も長いので、仏を拝み法華経を聴聞した天人はかぎりなく多くいるのである。
 人間の五十年は四王天の一日一夜である。この一日一夜をもととして、一ヵ月を三十日、一年を十二月ヵ月として、寿命は五百歳である。したがって、人間の二千二百余年は四王天の四十四日である。 
 日月並びに毘沙門天王は、仏が亡くなられてから四十四日、いまだ二ヵ月にも足らない。帝釈や梵天などの場合は、仏が亡くなられてから一月、一時にも過ぎない。
 これだけわずかの間に、どうして仏前の御誓ならびに自身が成仏した御経の恩を忘れてば忘れて、法華経の行者を捨てられるであろかなどと思い続ければ、たのもしいことである。 
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されば法華経の行者の祈る祈りは、響の音に応ずるがごとし。影の体にそえるがごとし。すめる水に月のうつるがごとし。方諸の水をまねくがごとし。磁石の鉄をすうがごとし。琥珀の塵をとるがごとし。あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし。
 
 したがって、法華経の行者が祈る祈りは、響きが音に応ずるように、影に身体が添うように、澄んだ水が月に映るよう、諸諸が水を招くように、磁石が鉄を吸うように、琥珀が塵を取るように、明らかな鏡が物の色をうかべるようにかなうのである。

 

第五章 竜女の法華経深恩と守護を明かす

 世間の法には我がおもはざる事も、父母・主君・師匠・妻子・をろかならぬ友なんどの申す事は、恥ある者は意にはあはざれども、名利をうしなひ、寿ともなる事も侍るぞかし。何に況んや我が心からおこりぬる事は、父母・主君・師匠なんどの制止を加ふれどもなす事あり。
   世間の法には、自分が思わないことでも父母・主君・師匠・妻子や親しい友などのいうことには、恥を知る者は、意に合わなくても、名利を惜しまず、命をもなげうつこともある。
 まして我が心から出たことは父母・主君・師匠などの制止を加えられても成し遂げるものである。

  さればはんよきと云ひし賢人は我が頚を切りてだにこそ、けいかと申せし人には与へき。季札と申せし人は、約束の剣を徐の君が塚の上に懸けたりき。而るに霊山会上にして即身成仏せし竜女は、小乗経には五障の雲厚く三従のきずな強しと嫌はれ、四十余年の諸大乗経には或は歴劫修行にたへずと捨てられ、或は「初発心の時便ち正覚を成ず」の言も有名無実なりしかば、女人成仏もゆるさゞりしに、設ひ人間天上の女人なりとも成仏の道には望みなかりしに、竜畜下賤の身たるに女人とだに生まれ、年さへいまだたけず、わずかに八歳なりき。かたがた思ひもよらざりしに、文殊の教化によりて海中にして法師・提婆の中間、わづかに宝塔品を説かれし時刻に、仏になりたりし事はありがたき事なり。一代超過の法華経の御力にあらずばいかでかかくは候べき。
されば妙楽は「行は浅く功は深し以て経力を顕はす」とこそ書かせ給へ。竜女は我が仏になれる経なれば仏の御諌めなくとも、いかでか法華経の行者を捨てさせ給ふべき。されば自讃歎仏の偈には「我大乗の教へを闡いて苦の衆生を度脱せん」等とこそ、すゝませさせ給ひしか。竜女の誓ひは其の所従の「口の宣ぶる所に非ず、心の測るに非ず」の一切の竜畜の誓ひなり。娑竭羅竜王は竜畜の身なれども、子を念ふ志深かりしかば、大海第一の宝如意宝珠をもむすめにとらせて、即身成仏の御布施にせさせつれ。此の珠は直三千大千世界にかふる珠なり。
   したがって、范於期という賢人は、自分の頚を切つてケイカという人に与えた。季札という人は、約束の剣を徐の国の君が塚の上に懸けたのである。
 しかるに霊山会上で即身成仏した竜女は、小乗経では五障の雲が厚く、三従のきずなが強いと嫌われ、四十余年の諸大乗経では、あるいは歴劫修行に堪えられないと捨てられ、あるいは初めて発心した時に便ち正覚を成ずるという言も有名無実であるので、女人成仏も許されなかった。たとえ人間や天上の女人であっても成仏の道には望みがないのに、まして竜王の娘で畜生界の下賎の身であるうえに女人とさえ生まれ、年もいまだ幼くわずかに八歳であった。そのようなわけで、成仏など思いもよらなかったのに、文殊の教化によって、海中において、仏が法師品と提婆品の中間にわずかに宝塔品を説かれた時刻に仏になったことは、ありがたいことである。釈尊の一代において、際立って勝れた法華経の御力でなければ、どうしてこのようになるであろう。
 したがって妙楽大師は「行は浅く、功は深し、以って経力を顕す」と書かれたのである。竜女は自分が仏になれた経であるから、仏の諌めがなくても、どうして法華経の行者を捨てられることがあろう。
 したがって、竜女自ら仏を讃歎した偈には「自分は大乗の教を闡いて、苦しむ衆生を救済しよう」と述べられたのである。
 竜女の誓いはその所従の「口の宣ぶる所に非ず、心の測る所に非ず」の一切の竜という畜生の誓いである。娑竭羅竜王は竜という畜生の身ではあるが子を思う志は深かったから、大海第一の宝である如意宝珠を娘に取らせて即身成仏の御布施にせされたのである。この珠は、価値が三千大千世界にも相当する珠である。

 

第六章 題婆達多の守護すべき理由を明かす

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 提婆達多は師子頬王には孫、釈迦如来には伯父たりし斛飯王の御子、阿難尊者の舎兄なり。善聞長者のむすめの腹なり。転輪聖王の御一門、南閻浮提には賤しからざる人なり。在家にましましゝ時は、夫妻となるべきやすたら女を悉達太子に押し取られ、宿世の敵と思ひしに、出家の後に人天大会の集まりたりし時、仏に汝は癡人、唾を食らへる者とのられし上、名聞利養深かりし人なれば、仏の人にもてなされしをそねみて、我が身には五法を行じて仏より尊げになし、鉄をのして千輻輪につけ、蛍火を集めて白毫となし、六万宝蔵・八万宝蔵を胸に浮かべ、象頭山に戒場を立て多くの仏弟子をさそひとり、爪に毒を塗り仏の御足にぬらむと企て、蓮華比丘尼を打ち殺し、大石を放って仏の御指をあやまちぬ。具に三逆を犯し、結句は五天竺の悪人を集め、仏並びに御弟子檀那等にあだをなす程に、頻婆沙羅王は仏の第一の御檀那なり。一日に五百輌の車を送り、日々に仏並びに御弟子を供養し奉りき。提婆そねむ心深くして阿闍世太子を語らひて、父を終に一尺の釘七つをもてはりつけになし奉りき。終に王舎城の北門の大地破れて阿鼻大城に堕ちにき。三千大千世界の人一人も是を見ざる事なかりき。されば大地微塵劫は過ぐるとも無間大城をば出づべからずとこそ思ひ候に、法華経にして天王如来とならせ給ひけるにこそ不思議に尊けれ。提婆達多、仏になり給はゞ、語らはれし所の無量の悪人、一業所感なれば皆無間地獄の苦ははなれぬらん。是偏に法華経の御徳なり。されば提婆達多並びに所従の無量の眷属は法華経の行者の室宅にこそ住まはせ給ふらめとたのもし。 
   提婆達多は師子頬王にとっては孫であり、釈迦如来の伯父である斛飯王の御子、阿難尊者の舎兄であり、善聞長者の娘のである転輪聖王の御一門で、南閻浮提には尊い身分の人である。
 在家であったときは、夫妻となるべき耶輪多羅女を悉達太子に押し取られて宿世の敵と思っていたが、出家の後には、人間や天人の大衆が集まったときに、仏に、汝は癡人であり唾を食べた者と罵られたうえ、名聞利養の心が深い人であったから、仏が人にもてなされるのを嫉んで、身には五法を行って仏よりも尊くみせかけ、鉄を延ばして千輻輪を付け螢火を集めて白毫とし、六万宝蔵・八万宝蔵を諳んじ、象頭山に戒場を立てて多くの仏弟子を誘い込み、爪に毒を塗って仏の御足に塗りつけようと企て、蓮華比丘尼を打ち殺し、大石を落として仏の御指を傷つけたりした。
 こうしてつぶさに三逆罪を犯し、結局は五天竺の悪人を集めて、仏ならびに御弟子や檀那等に怨をしたのである。
 また一方で頻婆娑羅王は仏の第一の御檀那である。一日に五両の車を送り、日々に仏ならびに御弟子に供養したのである提婆は嫉む心を深くし、阿闍世太子を仲間に引き入れて、ついに父頻婆娑羅王を一尺の釘を七つ使って磔にさせた。
 こうして、ついに王舎城の北門の大地が破れて阿鼻大城に堕ちたのである。三千大千世界の人でこれを見ない人は一人もいなかった。
 こういうことがあったから、大地微塵劫を過ぎても無間大城を出られないとおもっていたのに、法華経において天王如来となることができたことは不思議に尊いことであった。
 提婆達多が仏になったならば、仲間となった無量の悪人は、一業所感であるから、皆無間地獄の苦を離れたであろう。
 これはひとえに法華経の恩徳である。したがって、提婆達多ならびに所従の無量の眷属は、法華経の行者の室宅に住まわれるであろう。たのもしいことである。

     

 

第七章 重ねて菩薩の守護すべき理由を示す

 諸の大地微塵の如くなる諸菩薩は等覚の位までせめて、元品の無明計りもちて侍るが、釈迦如来に値ひ奉りて元品の大石をわらんと思ふに、教主釈尊四十余年が間は「因分は説くべし、果分は説くべからず」と申して、妙覚の功徳を説き顕はし給はず。されば妙覚の位に登る人一人もなかりき。本意なかりし事なり。而るに霊山八年が間に「唯一仏乗を名づけて果分と為す」と説き顕はし給ひしかば、諸の菩薩皆妙覚の位に上りて、釈迦如来と
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悟り等しく須弥山の頂に登りて四方を見しが如く、長夜に日輪の出でたらんが如く、あかなくならせ給ひたりしかば、仏の仰せ無くとも法華経を弘めじ、又行者に替はらじとは、おぼしめすべからず。されば「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」「身命を惜しまず」「当に広く此の経を説くべし」等とこそ誓ひし給ひしか。
   諸の大地を微塵にしたほどの多くの諸菩薩は、等覚の位まで登って、元品の無明だけが残っていたが、釈迦如来に値って元品の無明の大石を破ろうと思ったのに、教主釈尊は四十余年が間は「因分は説く可し、果分は説く可からず」といって、妙覚の功徳を説き顕さなかった。このため、妙覚の位に登る人が一人もいなかったことは、本意ないことであった。
 しかるに、霊山における八年の間に「ただ一仏乗を名づけて果分と為す」と説き顕されたので、諸の菩薩は皆、妙覚の位に登って、釈迦如来と悟りも等しく、須弥山の頂に登って四方を見るように、長夜に日輪の出たように明らかになったので、仏の仰せがなくても、法華経を弘めないとか、また行者に替わらないとは思われるはずがない。
 それゆえに「我身命を愛せず、但、無上の道を惜しむ」「身命を惜しまず」「当に広く此の経を説くべし」等と誓われたのである。
 其の上慈父の釈迦仏、悲母の多宝仏、慈悲の父母等、同じく助証の十方の諸仏、一座に列ならせ給ひて、月と月とを集めたるが如く、日と日とを並べたるが如くましましゝ時「諸の大衆に告ぐ、我が滅度の後誰か能く此の経を護持し読誦せんものなる。今仏前に於て自ら誓言を説け」と三度まで諌めさせ給ひしに、八方四百万億那由他の国土に充満せさせ給ひし諸大菩薩、身を曲げ、低頭合掌し、倶に同時に声をあげて「世尊の勅の如く当に具に奉行したてまつるべし」と三度まで声を惜しまずよばわりしかば、いかでか法華経の行者にはかはらせ給はざるべき。     そのうえ、慈父である釈迦仏、悲母である多宝仏、そして慈悲の父母と同じく助証のための十方の諸仏が一座に列なって、月と月とを集めたように、日と日とを並べたようにいらっしゃるとき「諸の大衆に告げる。我が滅度の後に、だれかよくこの経を護持し、読誦する者がいるか。今我が前において自ら誓いの言を説きなさい」と三度まで諌められたので、八方の四百万億那由佗の国土に充満していた諸大菩薩は、身を曲げ頭を低く垂れて合掌し、ともに同時に声をあげて「世尊の勅命のように、まさに具に奉行いたします」と三度まで声を惜しまずに呼ばわったのであるから、どうして法華経の行者に代わってくれないということがあろう。 
 はんよきと云ひしものけいかに頭を取らせ、きさつと云ひしもの徐の君が塚に刀をかけし、約束を違へじがためなり。此等は震旦辺土のえびすの如くなるものどもだにも、友の約束に命をも亡ぼし、身に代へて思ふ刀をも塚に懸くるぞかし。まして諸大菩薩は本より大悲代受苦の誓ひ深し。仏の御諌めなしともいかでか法華経の行者を捨て給ふべき。其の上我が成仏の経たる上、仏慇懃に諌め給ひしかば、仏前の御誓ひ丁寧なり。行者を助けたまふ事疑ふべからず。    范於期と云うものが荊軻に首を取らせ、李札という者が徐の君が塚に刀を懸けたことは、約束をたがえないためであった。
 これらは中国、辺土の夷のような者でさえも、友との約束には命をも亡ぼし、我が身に代えがたいと思う刀をも塚に懸けたのである。
 まして諸大菩薩は、もとから大慈悲をもって、衆生に代わって苦を受けようという誓いが深く、仏の御諌めがなくても、どうして法華経の行者を捨てられるであろうか。
 そのうえ、自分が成仏できた経であるうえ、仏がねんごろに諌め給いられたので、仏前でねんごろに御誓いを立てられたのであり、行者を助けられることは疑いないことである。

 

第八章 行者の祈りの叶うを示し信を勧む

 仏は人天の主、一切衆生の父母なり。而も開導の師なり。父母なれども(いや)しき父母は主君の義をかねず。主君なれども父母ならざれば、おそろしき辺もあり。父母・主君なれども、師匠なる事はなし。諸仏は又世尊にてましませば、主君にてはましませども、娑婆世界に出でさせ給はざれば師匠にあらず。又「其の中の衆生は(ことごと)く是()が子なり」とも名乗らせ給はず。釈迦仏(ひとり)り主師親の三義をかね給へり。しかれども四十余年の間は提婆達多を()り給ひ、諸の声聞をそしり、菩薩の果分の法門を()しみ給ひしかば、仏なれどもよりよりは天魔()(じゅん)ばしの
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我等をなやますかの疑ひ、 人にはいはざれども心の中には思ひしなり。此の心は四十余年より法華経の始まるまで()せず。而るを霊山八年の間に宝塔虚空に現じ、二仏日月の如く並び、諸仏大地に列なり大山をあつめたるがごとく、地涌千界の菩薩が虚空に星の如く列なり給ひて、諸仏の果分の功徳を吐き給ひしかば、宝蔵をかたぶけて貧人にあたうるがごとく、崑崙(こんろん)山のくづれたるに()たりき。諸人此の玉をのみ(ひろ)ふが如く此の八箇年が間、珍しく貴き事心髄(しんずい)にもとをりしかば、諸菩薩身命も惜しまず言をはぐくまず、誓ひをなせし程に、嘱累(ぞくるい)品にして釈迦如来宝塔を出でさせ給ひて、とびら()を押したて給ひしかば、諸仏は国々へ返り給ひき。諸の菩薩等も諸仏に随ひ奉りて返らせ給ひぬ。
   仏は人間や天人の主君であり、一切衆生の父母であり、しかも開導の師匠である。父母であっても、賎しい父母は主君の義を兼ねていない。主君であっても、父母でなければ、恐ろしい思いもする。父母や主君であっても、師匠であることはない。
 諸仏はまた世尊であるから、主君ではあるけれども、娑婆世界に出ることはないので、師匠ではない。また「其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり」とも名乗られていない。釈迦仏独りが主師親の三義を兼ねておられる。
 しかしながら、四十余年の間は、提婆達多を罵り、諸の声聞をそしり、菩薩の果分の法門を惜しまれたので、仏であっても、ときどきは天魔や破旬等のように我等をなやますのではないかと疑い、人には言わなかったけれども、心のなかでは思っていた。

 この疑心は、四十余年前から法華経の説法が始まるまで失われなかった。しかしながら、霊山の八年の間に宝塔が虚空に現われ、釈迦・多宝の二仏が日月のように並び、諸仏が大地に列なって大山を集めたようになり、地涌千界の菩薩が虚空に星のように列なって、諸仏の果分の功徳を説かれたので、宝蔵を開いて貧人に与えたように、崑崙山が崩れたのと似ていた。
 諸人はこの玉だけを拾うように、この八ヵ年の間は、珍しく貴いこと心髄に通ったので、諸菩薩は身命を惜しまず、言葉も明らかにして誓いを立てたから、嘱累品において釈迦如来は宝塔を出でられて扉を閉められてので、諸仏はそれぞれの国々へ帰られ、諸の菩薩等も諸仏に随って帰られたのである。

 やうやく心ぼそくなりし程に「(きゃく)()三月当に(はつ)()(はん)すべし」と唱へさせ給ひし事こそ心ぼそく耳をどろかしかりしかば、二乗人天等ことごとく法華経を聴聞して仏の恩徳心肝にそみて、身命をも法華経の御ために投げて、仏に見せまいらせんと思ひしに、仏の仰せの如く若し涅槃せさせ給はゞ、いかにあさましからんと胸さはぎしてありし程に、仏の御年満八十と申せし二月十五日の(とら)()の時、東天竺(しゃ)(えい)倶尸那(くしな)跋提(ばつだい)河の(ほとり)にして仏御入滅なるべき由の御(こえ)、上は有頂、横には三千大千界までひゞきたりしこそ、目もくれ心もきえはてぬれ。五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散(ぞくさん)国等の衆生、一人も衣食を調へず、上下をきらはず、牛馬・(ろう)()(ちょう)(じゅ)蚊虻(もんもう)等の五十二類の一類の数大地()(じん)をもつくしぬべし。(いわ)んや五十二類をや。此の類(みな)華香衣食をそなへて最後の供養とあてがひき。一切衆生の宝の橋()れなんとす、一切衆生の眼ぬけなんとす、一切衆生の父母・主君・師匠死なんとす、なんど申すこえひゞきしかば、身の毛のいよ立つのみならず涙を流す。なんだ()を流すのみならず、頭をたゝき胸ををさへ(こえ)も惜しまず叫びしかば、血の涙・血のあせ・倶尸那(くしな)城に大雨よりもしげくふり、大河よりも多く流れたりき。是(ひとえ)に法華経にして仏になりしかば、仏の恩の報じがたき故なり。
   だんだん心細くなられたところに、仏が「さって後、三月あって、当に般涅槃すべし」と仰せられたことは、心細く、また驚かした。諸菩薩・二乗・人天等はことごとく法華経を聴聞して、仏の恩徳を心肝に染めて、身命をも法華経の御ために投げ捨て、仏に見せまいと思っていたのに、仏の仰せのように、もし涅槃されたならば、どれほど嘆かわしいことかと胸騒ぎしていた。そうしているうちに、仏の御年が満八十という二月十五日の寅卯の時、東インド舎衛国の倶尸那城の跌提河の辺において、仏が御入滅になるという御音が、上は有頂天まで、横には三千大千界まで響き渡ったので、目の前も暗くなり、心も消え果ててしまった。
 全インド・十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散国等の衆生は一人も衣食を調える暇もなく、身分の上下の隔てもなく、牛馬・狼狗・鵰鷲・蟁蝱等の五十二類もことごとく集まり、その一類の数も大地を微塵にしたほどであり、まして五十二類においては数えられないほどであった。
 これらの類が皆、華や香や衣食を供えて最後の供養にあてたのであった。一切衆生の宝の橋折れようとし、一切衆生の眼が抜け落ちようとし、一切衆生の父母・主君・師匠が死なれようとするなどという声が響いたので、身の毛がよだつだけでなく、涙を流すだけでなく、頭をたたき、胸を抑え、声も惜しまず叫んだので、血の涙・血の汗が倶尸那城に大雨よりも繁く降り、大河よりも多く流れたのであった。これひとえに、法華経において仏になったので、仏の恩は報じきれないからであった。
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 かゝるなげきの庭にても、法華経の敵をば舌をきるべきよし、座につら()なりし人々のゝし()(はべ)りき。()(しょう)童子菩薩は法華経の敵の国には霜雹(そうはく)となるべしと誓ひ給ひき。()の時仏は(ふしど)よりをきてよろこばせ給ひて、善哉善哉と()め給ひき。諸菩薩は仏の御心を(すい)して法華経の敵をうたんと申さば、しばらくも、()き給ひなんと思ひて一々の誓ひは()せしなり。されば諸菩薩・諸天人等は法華経の敵の出来せよかし、仏前の御誓ひはたして、釈迦尊並びに多宝仏・諸仏如来にも、げに仏前にして誓ひしが如く、法華経の御ためには名をも身命をも惜しまざりけりと思はれまいらせんとこそおぼすらめ。
 
 このような嘆きのなかにあって、法華経の敵は舌を切るべきである。一座に列なるべきではないなどと大声で言い立てたのであった。
 迦葉童子菩薩は法華経の敵の国には霜や雹となるであろうと誓ったのである。そのときに仏は臥より起きて喜ばれて「善哉善哉」とほめられたのである。諸菩薩は仏の御心を推し量って、法華経の敵を討とうと言えば少しでも生き長らえられるであろうと思って、一人一人誓いを立てたのである。
 それゆえ、諸菩薩・諸天人等は、法華経の敵よ出で来たれ、仏前の御誓を果たして、釈尊ならびに多宝仏・諸仏・如来に実に仏前において誓ったように、法華経の御ためには名をも身命をも惜しまない者と思われようと思っていることであろう。
 いかに申す事はをそ()きやらん。大地はさゝばはづるとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮の()()ぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかな()はぬ事はあるべからず。法華経の行者を諸の菩薩・人天・八部等、二聖・二天・十羅刹等、千に一も来たりてまぼ()り給はぬ事侍らば、上は釈迦諸仏をあなづり奉り、下は九界をたぼらかす(とが)あり。行者は必ず不実なりとも智慧はをろかなりとも身は不浄なりとも戒徳は備へずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給ふべし。袋きたなしとて(こがね)を捨つる事なかれ、()(らん)をにくまば栴檀(せんだん)あるべからず。谷の池を不浄なりと嫌はゞ蓮を取るべからず。行者を嫌ひ給はゞ誓ひを破り給ひなん。正像既に過ぎぬれば持戒は(いち)の中の虎の如し。智者は麟角(りんかく)よりも(なれ)ならん。(つき)()つまでは(ともしび)(たの)むべし。宝珠(ほうじゅ)のなき(ところ)には金銀(こんごん)(たから)なり。(はく)()の恩をば(こく)()(ほう)ずべし。聖僧(せいそう)の恩をば凡僧(ぼんそう)に報ずべし。とくとく()(しょう)をさづけ(たま)へと強盛に申すならば、いかでか(いの)りのかな()はざるべき。    しかるに、どうして祈りの効きめがあらわれるのが遅いのであろうか。
 たとえ、大地をさして外れることがあっても、空をつなぎとめる者がいたとしても、潮の満ち干きしないことがあっても、太陽が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りがかなわないことはけっしてない。法華経の行者を諸々の菩薩や人天、八部衆等、二聖や二天、十羅刹女等が千に一つも来て守らないことがあるならば、上は釈尊や諸仏を侮り、下は九界の衆生をだます罪となる。行者は不実であろうとも、智慧がなく愚かであろうとも、戒徳は備えていなくても、南無妙法蓮華経と唱えれば、必ず守護されるのである。
 袋が汚いからと、中の黄金を捨ててはならない。伊蘭の臭いを厭うて栴檀の香りは得られない。谷の池を汚いと嫌っては蓮を取ることはできない。行者を嫌い守護されなければ、仏前での誓いを破られることになるだろう。正法・像法時代を既に過ぎているから、持戒の僧は市中に虎を求めるようなもので、また智者を求めることは麒麟の角をもとめるより困難である。月を待つまでは灯がたよりである。宝珠のないところには金や銀も宝である。白烏の恩をば黒烏に報じた例もあるから、聖僧の恩を凡僧に報ずべきである。
 速やかに利益を授けたまえと強盛に申し上げるなら、どうして祈りがかなわないことがあろうか。

第九章 天台・真言による祈禱の悪現証示す

 問うて云はく、上にかゝせ給ふ道理文証を拝見するに、まことに日月の天におはしますならば、大地に草木の()ふるならば、昼夜の国土にあるならば、大地だにも反覆せずば、大海のしほ()だにも()()るならば、法華経を信ぜん人現世のいのり後生の善処は疑ひなかるべし。然りと雖も此の二十余年が間の天台・真言等の名匠、
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多く大事のいのりをなすに、はかばかしくいみじきいのり()ありともみえず。尚外典の者どもよりも、つた()なきやうにうちおぼへて見ゆるなり。恐らくは経文のそらごとなるか、行者のをこ()なひのおろかなるか、時機のかなはざるかとうたがはれて後生もいかんとをぼう。
   問うて云う。上に書かれた道理・文証を拝見するに、本当に日月天が天におられるならば、また大地に草木が生えるならば、国土に昼夜があるならば、大地が転覆しないならば、また大海の潮が満ち干るならば、法華経を信ずる人の現世の祈りは必ず成就し、後生善処は疑いないことである。ところが、この二十余年の間、天台・真言等の名僧学匠達が、多く大事の祈禱をなすのに、顕著な験があるとも思えず、かえって外典を持つ者より拙いように思われるが、これは一体、法華経の経文が虚妄であるためか、行者の修行が不実であるためか、また時機が相応しないためであるかと疑われ、これらのことから推して後生の大事もどうかと疑われてくる。

 それはさておきぬ。御房は山僧の御弟子とうけ給はる。父の罪は子にかゝり、師の罪は弟子にかゝるとうけ給はる。叡山の僧徒の園城山門の堂塔・仏像・経巻数千万をやきはらはせ給ふが、ことにおそろしく、世間の人々もさわぎうとみあへるはいかに。前にも少々うけ給はり候ひぬれども、今度くわしくきゝひらき候はん。但し不審なることは、かゝる悪僧どもなれば、三宝の御意にもかなはず、天地にもうけられ給はずして、祈りも叶はざるやらんとをぼへ候はいかに。答へて云はく、せんぜんも少々申しぬれども、今度又あらあら申すべし。日本国にをいては此の事大切なり。これを知らざる故に多くの人、口に罪業をつくる。先づ山門はじまりし事は此の国に仏法渡りて二百余年、桓武天皇の御宇に伝教大師立て始め給ひしなり。当時の京都は昔聖徳太子、王の気ありと相し給ひしかども、天台宗の渡らん時を待ち給ひし間、都をたて給はず。又上宮太子の記に云はく「我が滅度二百余年に仏法日本に弘まるべし」云云。伝教大師、延暦年中に叡山を立て給ふ。桓武天皇は平の京都をたて給ひき。太子の記文たがはざる故なり。されば山門と王家とは松と柏とのごとし、蘭と芝とににたり。松かるれば必ず柏かれ、らんしぼめば又しばしぼむ。王法の栄へは山の悦び、王位の衰へは山の歎きと見えしに、既に世関東に移りし事なにとか思し食しけん。    それはさておいて、御房は比叡山で学問を修められたとうかがうが、父の罪は子にかかり、師匠の罪は弟子にかかるというから、比叡山の僧徒が三井寺や山門の堂塔や仏像、経巻等数千万を焼き払ったということは、まことに恐ろしいことで、世間の人々もそのことで騒ぎ、比叡山の僧らを疎むようになったことをどう思うか。前にも少々うかがったが、今度はくわしく聞きたいと思う。
 ただし、自分も不審に思うことは、このような悪僧どもゆえに、仏法僧の三宝の御意にもかなわず天地の神にも受け入れられないから、祈りもかなわないのではないかと思うがどうか。
 答て云う。先にも少々申し上げたことであるが、今度またあらあらを申し上げよう。日本国においてこのことは実に大切なことであり、これを知らないために多くの人が口にいろいろの罪業をつくるのである。
 さて比叡山延暦寺の創立は我が国に仏法が渡来して二百余年、桓武天皇の御代に伝教大師によって初めてなされたのである。当時の京都は、昔、聖徳太子が王者の都するところであると考えられたが、天台宗の渡るのを待って都を立てられなかったのである。
 また聖徳太子の記にも「我が滅後二百余年に、仏法が日本に弘まるであろう」とあるが、伝教大師が延暦年中に比叡山を延暦寺に建立し桓武天皇は平安の都を立てられ、太子の記文が見事に的中したのである。
 それゆえに叡山と朝廷とは、あたかも松と柏、蘭と芝との関係に似て、松が枯れれば柏が枯れ、蘭が凋めば芝も凋む。王法の栄えは比叡山の喜びであり、朝廷の衰えは比叡山の嘆きであるというように、深い関係にあったが、世がすでに関東に移り王法が衰えてしまったことについて、朝廷はなんと思われたことであろう。
 秘法四十一人の行者、承久三年辛巳四月十九日京夷乱れし時、関東調伏の為、隠岐法皇の宣旨に依って始めて行はれし御修法十五壇の秘法    承久三年辛巳四月十九日、京都と関東とに争いが起きた時に隠岐の法皇の宣旨によって秘法を修する四十一人の行者が、関東を調伏する目的で初めて十五壇の秘法を行った。
一字金輪法 天台座主慈円僧正。伴僧十二口。関白殿基通の御沙汰。
(★632㌻)
四天王法 成興寺の宮僧正。伴僧八口。広瀬殿に於て修明門院の御沙汰。
不動明王法 成宝僧正。伴僧八口。花山院禅門の御沙汰。
大威徳法 観厳僧正。伴僧八口。七条院の御沙汰。
転輪聖王法 成賢僧正。伴僧八口。同院の御沙汰。
十壇大威徳法 伴僧六口、覚朝僧正。俊性法印。永信法印。豪円法印。猷円僧都。慈賢僧正。賢乗僧都。仙尊僧都。行遍僧都。実覚法眼。已上十人大旨本坊に於て之を修す。
如意輪法 妙高院僧正。伴僧八口。宜秋門院の御沙汰。
毘沙門法 常住院僧正。三井。伴僧六口。資賃の御沙汰。
御本尊一日之を造らせらる。調伏の行儀は
如法愛染王法 仁和寺御室の行法。五月三日之を始めて紫宸殿に於て二七日之を修せらる。
仏眼法 太政僧正。三七日之を修す。
六字法 快雅僧都
愛染王法 観厳僧正七日之を修す
不動法 勧修寺の僧正。伴僧八口。皆僧綱。
大威徳法 安芸僧正
金剛童子法 同人
 已上十五壇法了んぬ。五月十五日伊賀太郎判官光季京にして討たれ、同十九日鎌倉に聞こえ、同二十一日大勢の軍兵上ると聞こえしかば残る所の法六月八日之を行なひ始めらる。
尊星王法 覚朝僧正
(★633㌻)
太元法 蔵有僧都
五壇法 太政僧正。永信法印。全尊僧都。猷円僧都。行遍僧都。
守護経法 御室之を行なはせる我が朝二度之を行ふ。
 
一字金輪法(天台座主の慈円僧正が伴僧十二人とともに、関白殿基通の御沙汰によって修法した)
四天王法成(成興寺の宮僧正が僧伴八人を従え、広瀬殿で修明門院の御沙汰によって修法した)
不動明王法(成宝僧正が伴僧八人とともに、花山院禅門の御沙汰で修法した)
大威徳法(観厳僧正が伴僧八人とともに、七条院の御沙汰で修法した)
転輪聖王法(成賢僧正が伴僧八人とともに、七条院の御沙汰で修法した)
十壇大威徳法(覚朝僧正・俊性法印・永信法印・豪円法印・猷円僧都・慈賢僧正・賢乗僧都・仙尊僧都・行遍僧都・実覚法眼の十人が、伴僧六人ずつを連れて大慨は本坊でこれを修法した)
如意輪法(妙高院僧正が伴僧八人と、宜秋門院の御沙汰によって修法した)
毘沙門法(三井の常住院僧正が伴僧六人と、資賃の御沙汰によって修法した)
 また一日御本尊を造って調伏の作法を行われた。
それは愛染王法(御室仁和寺の行法で、五月三日に始めて二週間の間、紫宸殿で修法した)
仏眼法(大政僧正が三週間の間、修行した)
六字法(快雅僧都が修行した)
愛染王法(観厳僧正が一週間修行した)
不動法(勧修寺の僧正が僧綱の位にある伴僧八人とともに修行した)
大威徳法(安芸の僧正の修法)
金剛童子法(同人の修法)、

 以上で十五壇のは終わった。
 五月十五日には、伊賀太郎判官光季を京都で討ち取ったが、同十九日にはそのことが鎌倉に知れ、同二十一日、大勢の軍兵が攻め上ると聞こえてきたので、残りの法の修法を六月八日から始められた。

尊星王法(覚朝僧正)
太元法(蔵有僧都)
五壇法(大政僧正.永信法印.全尊僧都.猷円僧都.行遍僧都)
守護経法(御室で修す、我が国二度目の修法である)等である。 
 五月二十一日武蔵守殿海道より上洛し甲斐源氏は山道を上る、式部殿は北陸道を上り給ふ。六月五日大津をかたむる手、甲斐源氏に破られ畢んぬ。同六月十三日十四日宇治橋の合戦、同十四日京方破られ畢んぬ。同十五日に武蔵守殿六条へ入り給ふ。諸人入り畢んぬ。七月十一日に本院は隠岐国へ流され給ひ、中院は阿波国へ流され給ひ、第三院は佐渡国へ流され給ふ。殿上人七人誅殺せられ畢んぬ。
 かゝる大悪法、年を経て漸々に関東に落ち下りて、諸堂の別当供僧となり連々と之を行なふ。本より教法の邪正勝劣をば知ろし食さず。只三宝をばあがむべき事とばかりおぼしめす故に、自然として是を用ひきたれり。関東の国々のみならず、叡山・東寺・園城寺の座主・別当、皆関東の御計らひと成りぬる故に、彼の法の檀那と成り給ひぬるなり。
   五月二十一日武蔵守殿が東海道から上洛し、甲斐源氏の軍勢は東山道から、式部殿は北陸道から攻め上った。六月五日には大津を固めていた京都の兵が甲斐源氏に破られ、同じく六月十三日・十四日の宇治橋の合戦でも京都方が破られ、同十五日には武蔵守殿が六条に討ち入り、諸人も入って、七月十一日に本院は隠岐の国へ流され、中院は阿波の国へ、第三院は佐渡の国へ流された。更に殿上人七人が誅殺された。
 このような大悪法が年を重なるにつれて、次第に関東に流れてきて諸堂の別当、供養僧となり、相次いでこの法が行われるようになった。もとより教法の邪正勝劣などは知らず、ただ三宝を崇めさえすればよいと思って、これらの悪法を用いてきたのである。関東の国々だけではなく比叡山・東寺・薗城寺の座主や別当も皆、関東の支配下となったので、皆この法の檀那となってしまったのである。

 

第十章 真言の邪教たる理由を明かす

 問うて云はく、真言の教を強ちに邪教と云ふ心如何。答へて云はく、弘法大師云はく、第一大日経・第二華厳経・第三法華経と、能く能く此の次第を案ずべし。仏は何なる経にか此の三部の経の勝劣を説き判じ給へるや。若し第一大日経・第二華厳経・第三法華経と説き給へる経あるならば尤も然るべし。其の義なくんば甚だ以て依用し難し。法華経に云はく「薬王今汝に告ぐ、我が所説の諸経而も此の経の中に於て法華最も第一なり」云云。仏正しく諸経を挙げて其の中に於て法華第一と説き給ふ。仏の説法と弘法大師の筆とは水火の相違なり。尋ね究むべき事なり。此の筆を数百年が間、凡僧・高僧是を学し、貴賤・上下是を信じて、大日経は一切経の中に第一とあがめける事、仏意に叶はず。心あらん人は能く能く思ひ定むべきなり。若し仏意に相叶はぬ筆ならば、
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信ずとも豈成仏すべきや。又是を以て国土を祈らんに、当に不祥を起こさざるべきや。又云はく「震旦の人師等諍って醍醐を盗む」云云。文の意は天台大師等真言教の醍醐を盗みて法華経の醍醐と名づけ給へる事は、此の筆最第一の勝事なり。法華経を醍醐と名づけ給へる事は、天台大師涅槃経の文を勘へて、一切経の中には法華経を醍醐と名づくと判じ給へり。真言教の天竺より唐土へ渡る事は、天台出世の以後二百余年なり。されば二百余年の後に渡るべき真言の醍醐を盗みて、法華経の醍醐と名づけ給ひけるか。此の事不審なり、不審なり。真言未だ渡らざる以前の二百余年の人々を盗人とかき給へる事証拠何れぞや。弘法大師の筆をや信ずべき、涅槃経に法華経を醍醐と説けるをや信ずべき。若し天台大師盗人ならば、涅槃経の文をば云何がこゝろうべき。さては涅槃経の文真実にして、弘法の筆邪義ならば、邪義の教を信ぜん人々は云何。只弘法大師の筆と仏の説法と勘へ合はせて、正義を信じ侍るべしと申す計りなり。
   問て云う。真言の教えをしいて邪教というのは何ゆえか。
 答えて云う。弘法大師は「第一大日経・第二華厳経・第三法華経」といわれたが、この次第をよくよく考えてみるがよい。仏はいかなる経にこの三部の経の勝劣を説き、判じられているか。もし第一大日経・第二華厳経・第三法華経と説かれている経があれば、その言い分もっともである。その義がないとしたら、それを信用するわけにはいかない。法華経には「薬王よ、今汝に告ぐ。我が所説の諸経中において法華経が最第一である」と、仏はまさしく諸教を挙げてそのなかにおいて法華経が最第一と説かれているのである。このように仏の説法と弘法大師の筆とは、水火の相違である。いずれが真実かを尋ね究めなければならない。
 弘法大師のこの筆を数百年もの間、凡僧も高僧も皆これを学び、貴賎・上下も一様にこれを信じて、大日経は一切経のなかで第一であると崇めてきたことは仏の御本意にかなわないことである。
 心ある人は、このことをよくよく思案すべきである。もし仏の御本意でない筆ならば、信じてもどうして成仏できようか。この法をもって国家を祈ったならきっと不祥事がおきるであろう。
 また弘法は「中国の人師らが争って醍醐を盗んだ」などといっている。文の意は、天台大師等が真言経の醍醐を盗んで法華経の醍醐と名づけたというものであるが、このことが最第一の大事である。
 法華経を醍醐と名づけられたのは、天台大師が涅槃経の文を考えて、一切経のなかでは法華経を醍醐と名づけると判定されたのである。
 真言経がインドから中国へ渡ったのは天台大師が出世されてから二百余年後のことである。してみれば二百余年の後に渡ってくる真言の醍醐を盗んで法華経の醍醐と名づけられたのであろうか。不審なことである。
 真言がまだ渡来していない二百余年も前の人々を盗人だとする証拠はどこにあるのか。弘法大師の筆を信ずるべきか、それとも涅槃経に仏が法華経を醍醐と説かれていることを信ずるべきか。
 もし天台大師が盗人ならば、涅槃経の文をなんと心得るべきか。もし涅槃経の文が真実で、弘法の筆が邪義ならば、邪義の法を信ずる人々はどうであろう。ただ弘法大師の筆と仏の説法と考え合わせて正義を信じられるよう申し上げるしかない。

 疑って云はく、大日経は大日如来の説法なり。若し爾らば釈尊の説法を以て大日如来の教法を打ちたる事、都て道理に相叶はず如何。答へて云はく、大日如来は何なる人を父母として、何なる国に出で、大日経を説き給ひけるやらん。もし父母なくして出世し給ふならば、釈尊入滅以後、慈尊出世以前、五十六億七千万歳が中間に、仏出でて説法すべしと云ふ事何なる経文ぞや。若し証拠なくんば誰の人か信ずべきや。かゝる僻事をのみ構へ申す間、邪教とは申すなり。其の迷謬尽くしがたし。纔か一二を出だすなり。加之並びに禅宗・
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念仏等を是を用ひる。此等の法は皆未顕真実の権教、不成仏の法、無間地獄の業なり。彼の行人又謗法の者なり。争でか御祈祷叶ふべきや。
   疑って云う。大日経は大日如来の説法である。もしそうであれば、釈尊の説法をもって大日如来の教法を打ち破ることは道理に合わないではないか。
 答えて云う。その大日如来はいかなる人を父母として、いかなる国に出現して大日経を説かれたのか。もし父母なくして出世されたというならば、釈尊の入滅以後、慈尊出世以前の五十六億七千万歳の中間に仏が出世して説法するということは、どの経文に出ているのか。もしその証拠がなければ、誰が信じることができようか。このような僻事ばかりを構えるから邪教というのである。
 その甚だ多くまた尽きていないが、今はその一・二を出したにすぎない。真言の邪教のみならず、禅宗・念仏等を用いているが、これらの法はいずれも未顕真実の権教であり、所業である。また彼の行者はいずれも正法を謗ずる人達であり、どうして彼らの祈禱がかなうことがあろうか。

 

第十一章 正法による祈禱を勧め慈覚を破す

 然るに国主と成り給ふ事は、過去に正法を持ち仏に仕ふるに依って、大小の王皆梵王・帝釈・日月・四天等の御計らひとして郡郷を領し給へり。所謂(いわゆる)経に云はく「我今五眼をもって明らかに三世を見るに、一切の国王皆過去世に五百の仏に侍するに由って帝王の主と為ることを得たり」等云云。然るに法華経を(そむ)きて、真言・禅・念仏等の邪師に付いて、諸の善根を修せらるゝとも()へて仏意に叶はず、神慮(しんりょ)にも違する者なり。()く能く案じあるべきなり。    ところで国主となられることは、過去に正法を持ち、仏に仕えた功徳によるのであり、大梵天王・帝釈天王・日天・月天・四天王等の御計らいで大小の王は皆、郡や郷を領有されているのである。
 このことは経に「我、今、五眼をもって明らかに三世を見るのに、一切の国王は皆、過去世に五百の仏に奉侍した功徳によって帝王や国主となることができたのである」と説かれているとおりである。
 それを法華経を背いて真言・禅・念仏等の邪師について多くの善根を積まれたとしても、決して仏意にかなわないし、神慮にも違する。これをよくよく考えなければならない。 
 人間に生を得る事、(すべ)(なれ)なり。(たまたま)生を受けて、法の邪正を極めて未来の成仏を()せざらん事、返す返す本意に非ざる者なり。又慈覚大師御入唐(にっとう)以後、本師伝教大師に背かせ給ひて、叡山に真言を弘めんが為に御祈請ありしに、日を()るに日輪動転すと云ふ夢想を御覧じて、四百余年の間、諸人是を吉夢と思へり。日本国は(こと)()むべき夢なり。(いん)(ちゅう)(おう)、日輪を的にして射るに依って身亡びたり。此の御夢想は(ごん)()の事なりとも能く能く()(ゆい)あるべきか。()って九牛の一毛(いちもう)詮する所(くだん)の如し。     人間に生まれることは極めてまれであるのに、たまたま生を受けながら、法の正邪を極めて未来の成仏を願い求めようとしないのは、かえすがえす不本意の者である。
 また慈覚大師が入唐し帰朝して後、本師伝教大師に背いて、比叡山に真言を弘めようとして祈請されたときに、日輪を射たところ日輪が動転する夢を見たといい、これを四百年の間は皆が吉夢だと思ってきた。しかしこれは日本国ではとくに忌むべき夢である。
 殷の紂王は日輪を的に弓を射て、その身が滅びたのである。このゆえこの夢は、権化のことであるといっても、よくよく思案すべきである。以上は、尋ねによって九牛の一毛だけ記したのである。