四条金吾殿御返事 文永九年 五一歳

別名『梵音声書』

第一章 国王の力を述べる

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 (それ)(せい)桓公(かんこう)と申せし王、紫をこの()みて()給ひき。()の荘王と言ひし王は女の腰のふと()き事をにくみしかば、一切の遊女腰をほそ()からせんがために餓死しけるものおほ()し。しかれば一人の好む事をば我が心に()はざれども万民随ひしなり。たとへば大風の草木をなび()かし、大海の衆流をひくが如し。風にしたがはざる草木は()れうせざるべしや。小河大海におさまらずば、いずれのところ()おさ()まるべきや。
 
 斉の桓公という王は紫の衣を好んで着た。楚の荘王という王は女の腰の太いことを憎んだので、一切の遊女が自分の腰を細くしようとして、餓死した者が多かった。このように一人の王の好むことに、万民は自分の心には合わなくとも随ったのである。たとえば、大風が草木をなびかせ、大海が多くの流水を引き入れるようなものである。風にしたがわない草木は折れ失せないでいられようか。小河の水は大海に収まるのでなければ、どこに収まるべきであろうか。
 国王と申す事は、先生(せんじょう)に万人にすぐれて大戒を持ち、天地及び諸神ゆるし給ひぬ。其の大戒の功徳をもちて、其の住むべき国土を定む。二人三人等を王とせず。地王・天王・海王・山王等(ことごと)く来たってこの人をまぼ()る。いかにいはんや其の国中の諸民、其の大王を背くべしや。此の王はたとい悪逆を犯すとも、一二三度等には左右(とこう)無く此の大王を罰せず。(ただ)諸天等の()(こころ)に叶はざる者は、一往は天変(てんぺん)地夭(ちよう)等をもちてこれをいさ()む。事過分すれば諸天善神等其の国土を捨離し給ふ。若しは此の大王の戒力つき、()来たりて国土のほろぶる事もあり、又逆罪(さわ)かさ()なれば隣国に破らるゝ事もあり。善悪に付けて国は必ず王に随ふものなるべし。
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   国王といわれることは、前の世で万人よりもすぐれて、大戒を持ったので、天神・地神及び諸神が王となることを許したのである。そして、その大戒の功徳によって住むべき国土を定めたのである。二人・三人等を王とはせず、地王・天王・海王・山王等が、ことごとく来臨してこの人を守るのである。ましてや、その国中の諸民がその大王に背くはずがあるであろうか。
 この王はたとえ悪逆を犯したとしても、一度二度三度ぐらいではどういうことはなく、諸天はこの大王を罰しない。但諸天等の心に叶わない行為に対しては、一往は天変地夭等をもって、これを諌める。だが背反の度が過ぎれば、諸天及び善神等はその国土を捨離する。
 あるいは、この大王、前世に持った戒の功徳力が尽きると、時が来て、国土の滅ぶこともある。また大王の犯す逆罪が多く重なれば隣国に破られることもある。善悪につけて、国は必ず王に随うものなのである。

 

第二章 仏法流布の次第を述べる

 世間此くの如し、仏法も又(しか)なり。仏陀すでに仏法を王法に付し給ふ。しかればたとい聖人・賢人なる智者なれども、王にしたがはざれば仏法流布せず。或は後には流布すれども始めには必ず大難来たる。迦弐志加(かにしか)王は仏の滅後四百余年の王なり。(けん)陀羅(だら)国を(たなごころ)のうちににぎ()れり。五百の阿羅(あら)(かん)を帰依して()沙論(しゃろん)二百巻をつくらしむ。国中(すべ)て小乗なり、其の国に大乗弘めがたかりき。発舎(ほっしゃ)密多羅(みたら)王は五天竺を随へて、仏法を失ひ、衆僧の頚をきる。誰の智者も叶はず。    以上に述べたことは世間の法についてであるが、仏法についてもまた同じである。仏陀は既に仏法を王法に付嘱した。したがって、たとえ聖人・賢人である智者であっても、王に従わなければ仏法は流布しない。あるいは後には流布するといっても、始めには必ず大難が来るのである。迦弐志加王は仏の滅後四百余年に現われた王である。健陀羅国を掌中に握り、五百の阿羅漢を集め養って婆沙論二百巻をつくらせた。しかし、国中は総て小乗教で、その国に大乗教は弘めがたかった。また、発舎密多羅王は五天竺を随えて仏法を破失し、仏法の僧たちの頚を斬った。どの智者も王の権勢には叶わなかった。
 太宗は賢王なり。玄奘(げんじょう)三蔵を師として法相宗を持ち給ひき。誰の臣下かそむきし。此の法相宗は大乗なれども五性(ごしょう)各別(かくべつ)と申して、仏教中のおほ()きなるわざは()いと見えたり。なお外道の邪法にもすぎたる悪法なり。月支(がっし)震旦(しんだん)・日本三国共にゆるさず。終に日本国にして伝教大師の御手にかゝりて此の邪法止め(おわ)んぬ。大なるわざはひなれども太宗これを信仰し給ひしかば、誰の人かこれをそむ()きし。    唐の太宗は賢王である。玄奘三蔵を師として、法相宗を持たれた。臣下の誰もこれに背くことはできなかった。この法相宗は大乗教であったが、五性各別といって、仏になれる者と、成れない者とが定まっているとたてるので、これは仏教を内から乱す大きな禍いであった。外道の邪法にもなおすぎる悪法であった。インド・中国・日本の三国共に許さない邪義である。そしてついに、日本国で伝教大師の手によって、この邪法は打ち破られたのである。これはどの大きな禍いであったが、太宗がこれを信仰されたので、誰もこれに背くものはなかったのである。
 真言宗と申すは大日経・金剛頂経・蘇悉地(そしっじ)経による。これを大日の三部と号す。玄宗(げんそう)皇帝の御時、(ぜん)無畏(むい)三蔵・金剛智三蔵天竺より()ち来たれり。玄宗これを尊重し給ふ事、天台・華厳等にもこえたり。法相・三論にも勝れて(おぼ)()すが故に、漢土(かんど)(すべ)て大日経は法華経に勝るとおもひ、日本国当世にいたるまで天台宗は真言宗に劣るなりとおもふ。彼の宗を学する東寺天台の高僧等慢過慢をおこす。但し大日経と法華経とこれをならべて偏党を捨てこれを見れば、大日経は蛍火の如く、法華経は明月の如く、真言宗は衆星の如く、天台宗は日輪の如し。偏執の者の云はく、汝未だ真言宗の深義を習ひきは()めずして彼の無尽の(とが)を申す。但し真言宗漢土に渡りて六百余年、日本に弘まりて四百余年、此の間の人師の難答あらあらこれをしれり。伝教大師一人此の法門の根源をわきまへ給ふ。しかるに当世日本国第一の(とが)是なり。勝を以て劣と思ひ劣を以て勝と思ふの故に、大蒙古国を調伏(じょうぶく)する時、還って襲はれんと欲する是なり。    真言宗というのは大日経・金剛頂経・蘇悉地経を依経としている。これを大日の三部経と名づける。唐の玄宗皇帝の時代に、善無畏三蔵・金剛智三蔵が天竺から持ってきたのである。玄宗皇帝がこれを尊重すること、天台宗や華厳宗等に越えていた。また法相宗や三論宗よりも勝れていると思われたので、このため漢土では全ての人が大日経は法華経より勝ると思い、日本国でも、当世にいたるまで、天台宗は真言宗に劣るものと思っている。この真言宗を学ぶ東寺・天台の高僧等は慢・過慢をおこしている。但し大日経と法華経とを並べて偏見を捨ててこれを見れば、大日経は螢火のようで、法華経は明月のようであり、また、真言宗は衆星のようなものであり、それに対し天台宗は太陽のようなものである。偏執の者は「お前は、まだ真言宗の深義を習いきわめもしないで、真言宗を限りなく悪くいう」という。だが真言宗が漢土に渡ってから六百余年、日本に広まってから四百余年になるが、この間の人師の論難応答を自分はだいたい知っている。そのなかで伝教大師ただ一人が、この真言の法門の根源をわきまえられたのである。しかるに今の世の日本国第一の謗法の罪科は真言宗である。勝れた法華経をもって劣れると思い、劣れる真言の法をもって勝れると考えているがゆえに、真言宗を用いて大蒙古国を調伏するときに還つて敵を払いのけるどころか、襲われそうになっているのはこのためである。
 華厳宗と申すは法蔵法師が所立の宗なり。則天皇后の御帰依ありしによりて諸宗肩をなら()べがたかりき。
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しかれば王の威勢によりて宗の勝劣はありけり。法に依って勝劣はなき様なり。たとい深義を得たる論師人師なりといふとも、王法には勝ちがたきゆへに、たまたま勝たんとせし仁は大難にあへり。所謂(いわゆる)師子尊者は(だん)弥羅(みら)王のために頚を刎ねらる、提婆(だいば)菩薩は外道のために殺害せらる。(じく)の道生は蘇山に流され、法道三蔵は(かお)火印(かなやき)()されて江南に放たれたり。
   華厳宗というのは、法蔵法師が立てた宗派である。則天皇后の御帰依があったために勢力を得て、諸宗は肩をならべがたいものとなった。こうした例によってみると、王の威勢によって宗教の勝劣があるのであって、法に依って勝劣はないかのようである。
 たとえ仏法の深い義を悟った論師・人師であっても、王法には勝ちがたいゆえに、たまたま王法に勝とうとした人は大難にあったのである。おわゆる、師子尊者は檀弥羅王に頸を刎ねられ、提婆菩薩は外道のために殺害された。竺の道生は蘇山に流され、法道三蔵は顔に火印を押されて江南に追放されたのである。

 

第三章 留難の所以を明示す

 而るに日蓮は法華経の行者にもあらず、僧侶の数にも入らず。然而(しかして)世の人に随って阿弥陀仏の名号を持ちしほどに、阿弥陀仏の化身とひゞかせ給ふ善導(ぜんどう)和尚の云はく「十即十生百即百生乃至千中無一」と。勢至菩薩の化身と()をがれ給ふ法然上人、此の釈を料簡(りょうけん)して云はく「末代に念仏の外の法華経等を(まじ)ふる念仏においては千中無一、一向に念仏せば十即十生」云云。日本国の有智・無智仰いで此の義を信じて今に五十余年、一人も疑ひを加へず。    しかし、日蓮は法華経の行者でもなく、また僧侶の数にも入らない。そして、世間の人にしたがって阿弥陀仏の名号を持っていたところが、阿弥陀仏の化身と評判されている善導和尚がいうには「阿弥陀経により十人が十人、百人が百人、極楽浄土へ往生する。ところが法華経により成仏する者は千人の中で一人もいない」と、勢至菩薩の化身と仰がれている法然上人が、この釈を選択集で料簡していうには「末代に念仏の外の法華経等を雑うる念仏においては千人中一人も成仏しない。一向に阿弥陀仏を念ずれば十人が十人、往生する」と、日本国中の有智・無智の人々は、仰いでこの義を信じて、今に五十余年間、だれ一人、疑いを加えない。
 唯日蓮の諸人にかはる所は、阿弥陀仏の本願には「唯五逆罪と誹謗正法とを除く」とちかひ、法華経には「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ず、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と説かれたり。此善導・法然謗法の者なれば、たのむところの阿弥陀仏にすてられをはんぬ。余仏余経においては我と(なげう)ちぬる上は救ひ給ふべきに及ばず。法華経の文の如きは無間地獄疑ひなしと云云。而るを日本国はをしなべて彼等が弟子たるあひだ、此の大難まぬがれがたし。無尽の秘計をめぐらして日蓮をあだむ是なり。    ただ日蓮が諸人とかたるところは、阿弥陀仏の本願には「ただ五逆と正法を誹謗した者は除く」と誓い、法華経譬喩品には「若し、人が信じないでこの法華経を毀謗するならば、それは、一切世間の仏種を断ってしまうことになる。その人は命終して阿鼻獄に堕ちるであろう」と説かれている。これによれば善導・法然は謗法の者なので恃みにするところの阿弥陀仏に捨てられてしまっている。そのほかの余仏・余経においては自分から拠ったのであるから、もちろん、それらの余仏・余経が救おうと思っても、及ばないのである。しかも、法華経譬喩品によれば無間地獄は疑いないと説かれている。このように言って日蓮は念仏を責めたのである。ところが日本国の人はすべて、彼ら念仏宗の弟子であるから、このようにいう日蓮が大難を受けるのはまぬかれがたいところである。彼らが無尽の秘計をめぐらして日蓮を怨む根本原因はこれである。
 前々の諸難はさておき候ひぬ。去る九月十二日御勘気をかふりて、其の夜のうちに頚をはね()らるべきにて候ひしが、いかなる事にやよりけん、彼の夜は()びて此の国に来たりていま()まで候に、世間にもすてられ、仏法にも捨てられ、天にも()ぶらはれず、二途にかけたるすてものなり。    先々の諸難はさておく、去年九月十二日に御勘気を蒙って、その夜のうちに頭を刎ねるはずであったが、いったい、いかなることによったのであろうか、その夜は延びてこの佐渡の国に来て今になるが、世間にも捨てられ、仏法にも捨てられ、天にも訪われない。世間・仏法の二途にかけて捨てられた者である。

 

第四章 仏の使いについて述べる

 而るを(いか)なる御志にてこれまで御使ひをつかはし、御身には一期の大事たる悲母の御追善第三年の御供養を送りつかはされたる事、両三日はうつゝともおぼへず。彼の法勝寺の修行が、()はを()が島にてとしごろ(年来)つかひける(わらべ)にあひたりし心地なり。
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   このように世間にも仏法にも捨てられた身であるのに、いかなるお志で、ここまで使いを遣わされ、あなたにとっては一生の大事である悲母の御追善第三年の御供養を送り遣わされたのであろうか。この二、三日は、現実とも思えずに過ごした。彼の法勝寺の僧・俊寛が硫黄島に流されて、久しい以前から使っていた童子にあったと同じ心地である。
  胡国の(えびす)陽公と()ひしもの、漢土(かんど)にいけどられて北より南へ出でけるに、飛びちがひける(かり)を見てなげ()きけも、これにはしかじとおぼへたり。
   胡国の夷・陽公という者が漢土に生けどられて、北から南に行った時に、そこに飛び舞っていた雁を見て、胡国から来たのであろうと思い嘆いたのも、これには及ばないと思うのである。
 但し法華経に云はく「若し善男子善女人、我が滅度の後に能く(ひそ)かに一人の為にも法華経の乃至一句を説かん。当に知るべし是の人は則ち如来の使ひ如来の所遣(しょけん)として如来の事を行ずるなり」等云云。法華経の一字一句も唱へ、又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使ひなり。然れば日蓮(いや)しき身なれども教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来たれり。此を一言もそし()らん人々は罪無間を開き、一字一句も供養せん人は無数の仏を供養するにも()ぎぎたりと見えたり。    ただし法華経法師品には「若し善男子善女人が、我が滅度ののちに、能く竊かに一人の為にも法華経の乃至一句を説くならば、当に知りなさい。この人はすなわち如来の使いであり、如来の所遣として如来の事を行ずるのである」と。法華経を一字一句でも唱え、また、人にも語り申す者は教主釈尊の御使いである。この経の如くならば、日蓮は賎しい身であるけれども教主釈尊の勅宣を頂戴してこの日本国に生まれてきた。この日蓮を一言でも誹る人々は罪を無間に開き、一字一句でも供養した人は無数の仏を供養することよりもすぎると説かれている。

 

第五章 法華経の功徳を示す

 教主釈尊は一代の教主、一切衆生の導師なり。八万法蔵は皆金言、十二部経は皆真実なり。無量億劫より以来(このかた)、持ち給ひし不妄語の所詮は一切経是なり。いづれも疑ふべきにあらず。但し是は総相なり。別してたづぬれば、如来の金口より出来して小乗・大乗・顕・密・権経・実経是あり。今この法華経は、仏「正直捨方便等乃至世尊法久後要当説真実」と説き給ふ事なれば、誰の人か疑ふべきなれども、多宝如来証明(しょうみょう)を加へ、諸仏舌を梵天に付け給ふ。されば此の御経は一部なれども三部なり、一句なれども三句なり。一字なれども三字なり。此の法華経の一字の功徳は、釈迦・多宝・十方の諸仏の御功徳を一字におさめ給ふ。たとへば如意宝珠のごとし。一珠も百珠も同じき事なり。一珠も無量の宝を()らす、百珠も又無尽の宝あり。たとへば百草を()りて一丸乃至百丸となせり。一丸も百丸も共に病を治する事これをなじ。譬へば大海の一渧も衆流を備へ、一海も万流の味をもてるが如し。    教主釈尊は一代の教主であり、一切衆生の導師である。釈尊の説いた八万法蔵は、皆金言であり、十二部経は皆真実である。無量億劫より以来持たれてきた。不妄語戒の所詮が一切経であり、いずれの経といえども疑うべきではない。ただし、これは総じて慨括的にみた場合である。別して検討してみると、釈迦如来の金口より出来した教えにも小乗教・大乗教・顕密二教・権経・実経の別がある。今この法華経は方便品に「正直に方便を捨てて(乃至)世尊は法久しくして後・要ず当に真実を説きたもうべし」と説かれているので、誰も疑うはずはないけれども、多宝如来は証明を加え、諸仏は舌を梵天に付けて証明している。それゆえ、この経は一部であっても三部である。一句であっても三句である。一字であっても三字なである。この法華経の一字は釈迦・多宝・十方の諸仏の功徳が収めてある。たとえば如意宝珠のようなもので、一珠も百珠も同じことである。一珠でも無量の宝を雨すし、百珠でも、また無尽の宝がある。たとえば百草を抹りて一丸乃至百丸とすると、一丸も百丸も共に病気を治することは同じである。たとえば大海の一渧の水にも、あらゆる川の水を含み、一海も万流の味をもっているようなものである。
 妙法蓮華経と申すは総名なり、二十八品と申すは別名なり。月支と申すは天竺(てんじく)の総名なり、別しては五天竺是なり。日本と申すは総名なり、別しては六十六州これあり。如意宝珠と申すは釈迦仏の御舎利なり。竜王にこれを給ひて頂上に頂戴して、帝釈是を持ちて宝をふらす。仏の身骨の如意宝珠となれるは、無量劫来持つ所の大戒、
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身に薫じて骨に()み、一切衆生をたすくる珠となるなり。
   妙法蓮華経というのは総名である。二十八品というのは別名である。月支というのは天竺の総名である。別しては五天竺がある。日本というのは総名である。別しては六十六州がある。
 如意宝珠というのは釈迦仏の舎利である。竜王はこれを給わり頂上に戴き、帝釈天がおれを持って宝をふらせる。仏の身骨が如意宝珠となることは無量劫以来持つところの大戒が、身に薫じて骨に染まって一切衆生を救う珠となるのである。
 たとへば犬の牙の虎の骨に()く、魚の骨の()(いき)に消ゆるが如し。乃至師子の(すじ)を琴の(いと)にかけてこれを()けば、余の一切の獣の筋の絃、皆きらざるにやぶる。仏の説法をば師子吼と申す、乃至法華経は師子吼の第一なり。    たとえば犬の牙が虎の骨にとりつけ、魚の骨が鵜の気に消えるようなものである。また、師子の筋を琴の絃にかけて、他の一切の獣の筋の絃、皆切られてしまう。仏の説法を師子吼という。ないし法華経は師子吼の第一である。

 

第六章 梵音声の本義を説く

 仏には三十二相そなはり給ふ。一々の相皆百福荘厳なり。肉髻(にくけい)白毫(びゃくごう)なんど申すは(このみ)の如し。因位の華の功徳等と成りて三十二相を備へ給ふ。乃至無見頂相と申すは、釈迦仏の御身は丈六なり。竹杖(ちくじょう)外道(げどう)は釈尊の御長(みたけ)をはからず、御頂を見奉らんとせしに御頂を見たてまつらず。応持菩薩も御頂を見たてまつらず。大梵天王も御頂を見たてまつらず。これはいかなるゆへ()ぞとたづぬれば、父母・師匠・主君を頂を地につけて恭敬(くぎょう)し奉りしゆへに此の相を感得せり。    仏には三十二相がそなわっている。一つ一つの相は、皆百福によって荘厳されている。肉髻・白毫などという相は、菓のようなもので、因位の華が功徳等となって、このように三十二相をそなえているのである。また、無見頂相というのは釈迦仏の御身は一丈六尺である。竹杖外道は釈尊の身長をはかることができず、御頂を見ようとしたが、見ることはできなかった。応持菩薩も頂を見ることができなかった。大梵天王も頂を見ることができなかった。これはどういう理由かと尋ねてみれば、釈尊が過去に頂きを地につけて父母・師匠・主君を恭敬したゆえにこの相を感得したのである。
 乃至梵音(ぼんのん)(じょう)と申すは仏の第一の相なり。小王・大王・転輪王等此の相を一分備へたるゆへに、此の王の一言に国も破れ国も治まるなり。宣旨と申すは梵音声の一分なり。万民の万言、一王の一言に及ばず。三墳(さんぷん)五典(ごてん)なんど申すは小王の御言なり。此の小国を治め乃至大梵天王三界の衆生を随ふる事、仏の大梵天王帝釈等をしたがへ給ふ事もこの梵音声なり。此等の梵音声一切経と成りて一切衆生を利益す。其の中に法華経は釈迦如来の御志を書き顕はして此の音声を文字と成し給ふ。仏の御心はこの文字に備はれり。たとへば種子と苗と草と稲とはかはれども心はたがはず。    また梵音声というのは仏の第一の相である。小王・大王・転輪王等も皆この相の一分をそなえているがゆえに、この王の一言によって国も、あるいは破れたり、あるいは治まったりするのである。王が下す宣旨というのは梵音声の一分である。万民の万言であっても一王の一言には及ばない。すなわち三墳・五典などというのは小王の言である。日本という小国を治め、また、大梵天王が三界の衆生をしたがえることも、さらに仏が大梵天王・帝釈等をしたがえられることも、この梵音声によるのである。これらの梵音声が一切経となって一切衆生を利益するのである。そのなかでも法華経は釈迦如来の御志を書き顕わして、釈迦如来の音を文字となしたのであり、仏のみ心はこの文字にそなわっている。たとえば種子と苗と草と稲とは、形は変わっているけれども、その生命自体は互いに異ならないのと同じである。
 釈迦仏と法華経の文字とはかは()れども、心は一つなり。然れば法華経の文字を拝見せさせ給ふは、生身の釈迦如来にあひ()まい()らせたりとおぼしめすべし。此の志佐渡国までおくりつかはされたる事すでに釈迦仏()ろし()(おわ)んぬ。実に孝養の詮なり。恐々謹言。 
  文永九年 月 日    日蓮花押
 四条三郎左衛門尉殿御返事
   釈迦仏と法華経の文字とは形は変わっているけれども心は一つである。そうであれば法華経の文字を拝見することは生身の釈迦如来をあおいでいるのだと思いなさい。あなたが志を佐渡の国までつかわされたことは、すでに釈迦仏も知っていらっしゃることである。実に孝養の至りである。恐恐謹言。
   文永九年 月 日    日蓮花押
  四条三郎左衛門尉殿御返事