大白法・平成29年2月1日刊(第950号)より転載 御書解説(205)―背景と大意
本抄は、文永九(一二七二)年五月五日、日蓮大聖人様が御年五十一歳の時に、佐渡の一谷で述作され富木常忍殿に与えられた御書です。御真蹟は、中山法華経寺(日蓮宗)に現存しています。
対告衆の富木常忍は、下総国葛飾郡八幡荘若宮(現在の千葉県市川市)に住し、下総国の守護・千葉氏に仕えた武士であったとされています。
題号の『真言諸宗違目』は、真言等の諸宗と、法華経との相違という意で、後に付されたものです。大聖人様は、本抄述作の約一カ月前、佐渡の塚原三昧堂から一谷入道の屋敷へ移られています。四月十日には『富木殿御返事』を認められ、法華経の行者である大聖人様に諸天の加護が現われない理由を挙げられ、加護の有無にかかわらず、折伏を行じ、そのために斬首されれば本望であると述べられています。
初めに、真言・華厳・法相・三論・禅・浄土等の諸宗の起こりと、その教義の誤りを示され、これらの諸宗の誤りを明らかにする導師は、ただ日蓮大聖人様御一人であることを述べられます。
次に、涅槃経の文と章安大師の『涅槃経疏』の文を引かれ、法然の「捨閉閣拠」、禅宗等の「教外別伝」が仏意に適わないことを指摘され、大聖人様こそが日本国の人のためには賢父・聖親・導師であると主師親の三徳を兼備される御立場であることを明かされます。
さらに涅槃経の文を引かれ、五逆・一闡提人は十方の土のように多く、正法の人は爪上の土のように少ないことを示され、大聖人様こそが、この経文に説かれる正法の人であることを示されます。
次に、法華経『勧持品第十三』、法滅尽経の経文を引かれ、道隆の一党、良観の一党、聖一の一党等、日本国のすべての出家・在家は魔が姿を変えて現われたものであり、仏法を壊乱する者であると述べられ、これに対し、法華経『見宝塔品第十一』の「滅後において法華経を持ち、一人のためにも法を説く」との経文が、大聖人様に当たることを示されます。
さらに法華経『勧持品第十三』『常不軽菩薩品第二十』『薬王菩薩本事品第二十三』に説かれる経文をまとめて挙げられ、大聖人様がいなければ、釈尊・多宝仏・十方分身の諸仏の未来記が大妄語になると示されます。
次に、諸宗の元祖に勝るということは、慢過慢の者ではないかとの問いを設けられ、その答えとして、法華経『薬王菩薩本事品第二十三』、伝教大師の『法華秀句』を引かれ、法華経以外の諸経を行ずる大菩薩は、法華経を行ずる名字即の凡夫より劣ることを明示されます。そして、教によって人の勝劣が定まるのであり、まず経の勝劣を知らなければ、どうして人の高下を論ずることができようかと述べられます。
次に、日蓮が法華経の行者であるならば、どうして諸天が守護しないのかとの問いを設けられ、その答えとして、法華経『勧持品第十三』の「悪鬼入其身」の文、首楞厳経の文を引かれ、阿修羅王が念仏宗や禅宗等の高位の僧の心中に入り、次第に国主や国中の人々の心中に移り入って賢人を亡き者にしようとすることを述べられ、このような大悪は地涌千界の大菩薩・釈迦仏・多宝仏・諸仏の御加護がなければ防げないと明かされます。
そして、日月はこの世界においてすべてを照らす明鏡であり、諸仏は日蓮のことをすべて承知である。それ故、諸天善神が大聖人様を守護することは少しも疑いないのであるが、大聖人様御自身の過去の宿業が尽きていないので難に遭うのであると明かされます。
最後に、大聖人様が竜の口の大難を脱れることができたことをもって証明されるように、必ず諸天の加護があるので、けっして疑ってはならないと、門下に対する戒めの言葉をもって本抄を結ばれています。
なお、追伸には、この書を人々に広く知らせ、けっして恨みを残してはならないと仰せられ、さらに佐渡配流を赦されないことは諸天の計らいであろうから、赦免を嘆願するようなことはしてはならないと仰せられています。
本抄において大聖人様は、
「法然が捨閉閣抛、禅家等が教外別伝、若し仏意に叶はずんば日蓮は日本国の人の為には賢父なり、聖親なり、導師なり」
と述べられて、御自身に主徳・師徳・親徳の三徳を備えられていることを御教示です。
これは『開目抄』の、
「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」(御書 五七七㌻)
との御教示と同意であり、大聖人様が末法の一切衆生救済のために、主師親三徳兼備の御本仏であることを御自ら明示されたものです。
また、本抄において大聖人様は、
「此の国すでに三逆罪を犯す」
と、当時の日本国が五逆罪のうち、三逆罪を既に犯していると述べられています。
五逆罪とは、殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧の五つを言い、無間地獄に堕ちる原因とされます。釈尊在世には、提婆達多が五逆罪のうち殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧の三逆罪を犯したことにより、無間地獄に堕ちたと言われています。
大聖人様が仰せの三逆罪もこれに当たります。
また、『主君耳入此法門免与同罪事』には、
「国主日蓮が申す事を(中略)用ひざる上かへりて彼がかたうどとなり、一国こぞりて日蓮をかへりてせむ。上一人より下万民にいたるまで、皆五逆に過ぎたる謗法の人となりぬ」(同 七四四㌻)
とあり、国主をはじめ日本国の人々が大聖人様の仰せを用いず、かえって大聖人様を迫害したことから、日本国の上下万民を五逆罪に勝る謗法の人と仰せです。
さらに『妙法比丘尼御返事』に、
「今日本国すでに大謗法の国となりて他国にやぶらるべしと見えたり。此を知りながら申さずば縦ひ現在は安穏なりとも後生には無間大城に堕つべし」(同 一二六三㌻)
と、謗法を見ながら知りながら破折しなければ、一国謗法の罪により、同様に無間地獄へと堕ちると仰せで、これを免るには、謗法与同を恐れ、破邪顕正の折伏を行ずるしかないのです。
私たちが毎朝の勤行において、東天に向かって読経し法味を捧げるのは、『平左衛門尉頼綱への御状』に、
「一乗妙法蓮華経は諸仏正覚の極理、諸天善神の威食なり」(同 三七三㌻)
と仰せのように、諸天善神が妙法の法味を食することにより威光を増すからです。
法華経『安楽行品第十四』に、
「諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護し」(法華経 三九六㌻)
と説かれているように、諸天善神は法華経の行者を守護することを誓っています。
故に御本尊様を信じて、折伏弘通に邁進するところに必ず諸天善神の御加護があることを忘れてはなりません。
凡眼凡智をもって短絡的に一つの出来事や現象をとらえて議論したり、一時的な感情で物事を判断したりせず、唱題を根本にそれが諸天の計らいによるものかどうかを慎重に見極め、不信謗法を犯すことなく、信行に励むことが肝要です。
私たちは、いざという時に仏天の御加護が必ずあることを疑ってはなりません。また御加護を願うならば、ふだんの信仰姿勢が大切です。
御法主日如上人猊下は『経王殿御返事』の、
「南無妙法蓮華経は師子吼の如し。いかなる病さはりをなすべきや。鬼子母神・十羅刹女、法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり。(中略)但し御信心によるべし」(御書 六八五㌻)
の御文について、
「諸天善神の守護ということを、よく言いますけれども、やはり諸天善神が守護せられるには、この最後の御一文のように、『但し御信心によるべし』なのです。(中略)朝、起きて、まず御本尊様にしっかりとお題目を唱える。そして、諸行事にも参加する。そうやって、信心活動を一つひとつやっていくなかに、本当に我々の功徳が累なっていくと思うのです」(大白法 九一六号)
と、朝夕の勤行・唱題と折伏、そして御報恩御講等の寺院行事への参詣、総本山への登山などを積極的に行ずることです。
今一度、自らの信心を省みて、広宣流布のため、近くは平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の御命題達成のため、勤行・唱題を根本に折伏・育成に精進してまいりましょう。