四条金吾殿御返事 文永九年五月二日 五一歳

別名『煩悩即菩提書』

第一章 文底仏法を展開する

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 日蓮が諸難について御とぶら()ひ、今にはじめざる志ありがたく候。法華経の行者としてかゝる大難にあひ候は、くやしくおもひ候はず。いかほど生をうけ死にあひ候とも、是ほどの果報の生死は候はじ。又三悪四趣にこそ候ひつらめ。今は生死切断し仏果をうべき身となればよろこばしく候。

 天台・伝教等は迹門の理の一念三千の法門を弘め給ふすら、なお怨嫉(おんしつ)の難にあひ給ひぬ。日本にして伝教より義真・円澄・慈覚等相伝して弘め給ふ。第十八代の座主(ざす)慈慧(じえ)大師なり、御弟子あまたり。其の中に檀那・慧心・僧賀・禅瑜(ぜんゆ)等と申して四人まします。法門又二に分かれたり。檀那(だんな)僧正(そうじょう)は教を伝ふ。慧心(えしん)僧都(そうず)は観をまなぶ。されば教と観とは日月のごとし。教はあさく、観はふかし。されば檀那の法門はひろくしてあさし、慧心の法門はせば()くしてふか()し。今日蓮が弘通する法門はせば()きやうなれどもはなはだふか()し。其の故は彼の天台伝教等の所弘(しょぐ)の法よりは一重立ち入りたる故なり。本門寿量品の三大事とは是なり。南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行すればせばきが如し。されども三世の諸仏の師範、十方薩埵(さった)の導師、一切衆生皆成仏道の指南にてましますなればふかきなり。

第二章 諸仏の智慧の実体を明かす

 経に云はく「諸仏(しょぶつ)智慧(ちえ)甚深(じんじん)無量(むりょう)」云云。此の経文に諸仏とは十方三世の一切の諸仏、真言宗の大日如来、浄土宗の阿弥陀、乃至諸宗諸経の仏菩薩、過去未来現在の総諸仏、現在の釈迦如来等を諸仏と説き挙げて、次に智慧といへり。此の智慧とはなにものぞ、諸法実相十如果成の法体なり。其の法体とは又なにものぞ、南無妙法蓮華経是なり。釈に云はく「実相の深理本有(ほんぬ)の妙法蓮華経」と云へり。其の諸法実相と云ふも、釈迦多宝の二仏となら()うなり。
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諸法をば多宝に約し、実相をば釈迦に約す。是又境智の二法なり。多宝は境なり、釈迦は智なり。境智而二(にに)にしてしかも境智不二(ふに)の内証なり。此等はゆゝしき大事の法門なり。煩脳即(ぼんのうそく)菩提(ぼだい)・生死即涅槃と云ふもこれなり。まさしく男女交会のとき南無妙法蓮華経ととなふるところを、煩脳即菩提・生死即涅槃と云ふなり。生死の当体不生不滅とさとるより(ほか)に生死即涅槃はなきなり。普賢(ぶげん)経に云はく「煩脳を断ぜず五欲を離れず、諸根を(きよ)むることを得て諸罪を滅除(めつじょ)す」と。止観に云はく「無明塵労(じんろう)は即ち是菩提、生死は即ち涅槃なり」と。寿量品に云はく「(つね)に自ら是の念を()す、何を以てか衆生をして無上道に入り、(すみ)やかに仏身を成就することを得せしめん」と。方便品に云はく「世間の相常住なり」等は此の意なるべし。()くの如く法体と云ふも全く余には非ず、ただ南無妙法蓮華経の事なり。

第三章 夫人の信心を称える

 かゝるいみじく()うとき法華経を、過去にてひざ()のしたに()きたてまつり、或はあな()づりくちひそみ、或は信じ奉らず、或は法華経の法門をならうて一人をも教化し、法命をつぐ人を、悪心をもてとによせかくによせおこづきわらひ、或は後生のつとめなれども、先づ今生かなひがたければしばらくさしおけなんどと、無量にいひうとめ謗ぜしによて、今生に日蓮種々の大難にあうなり。諸経の頂上たる御経をひきくをき奉る故によりて、現世に又人にさげられ用ひられざるなり。譬喩(ひゆ)品に「人にしたしみつくとも、人(こころ)にいれて不便(ふびん)とおもふべからず」と説きたり。

第四章 同生同名の二神を述べる

 然るに貴辺法華経の行者となり、結句(けっく)大難にもあひ、日蓮をもたすけ給ふ事、法師品の文に「遣化(けんげ)四衆・比丘・比丘尼・優婆(うば)(そく)優婆夷(うばい)」と説き給ふ。此の中の優婆塞とは貴辺の事にあらずんばたれ()をか()ゝむ。すでに法を聞いて信受して(さか)らはざればなり。不思議なり、不思議なり。

 ()(しか)らば日蓮法華経の法師なる事疑ひなきか。「則如来使」にも()たるらん「行如来事」をも行ずるになりなん。
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多宝塔中にして二仏並坐(びょうざ)の時、上行菩薩に譲り給ひし題目の五字を日蓮(ほぼ)ひろめ申すなり。此即ち上行菩薩の御使ひか。貴辺又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ。是(あに)流通にあらずや。法華経の信心をとをし給へ。火をきるにやす()みぬれば火をえず。強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人、乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ。あしき名さえ流す、況んやよき名をや。何に況んや法華経ゆへの名をや。女房にも此の(よし)を云ひふくめて、日月両眼さう()つばさ()調(ととの)ひ給へ。日月あらば冥途(めいど)あるべきや、両眼あらば三仏の顔貎(げんみょう)拝見疑ひなし。さうのつばさあらば寂光の宝刹へ飛ばん事須臾(しゅゆ)刹那なるべし。(くわ)しくは又々申すべく候。恐惶謹言

  五月二日    日蓮 花押
 四条金吾殿御返事