大白法・平成28年10月1日刊(第942号)より転載 御書解説(202)―背景と大意

開目抄上・下(御書 523・549頁)

 

 一、御述作の由来

 本抄は、文永九(1272)年二月、日蓮大聖人様が御年五十一歳の時、佐渡の塚原で述作された御書です。
 御真蹟は、明治八(1875)年の身延の大火で焼失しましたが、正和六(文保元・1317)年二月二十六日の第二祖日興上人の写本(開目抄要文)が北山本門寺(日蓮宗)に蔵されています。また、江戸時代初期の慶長九(1604)年に御真蹟と対照した写本(御真蹟対校本)が、京都本満寺(日蓮宗)に現存しています。
 本抄は一往、四条金吾頼基殿に与えられた御書ですが、再往は門下全般に与えられたものです。
 題号については、大聖人様御自身による撰題で、『開目抄』の「開目」とは、外典・爾前権教・法華経迹門・脱益法華経本門に執着し、真実の三徳を見ることのできない一切衆生の盲目を開く意です。
 また本抄は、「法本尊開顕の書」である『観心本尊抄』に対して、「人本尊開顕の書」と言われる重要書で、第二祖日興上人は『富士一跡門徒存知事』において、本抄を十大部の一つとして選定されています。
 なお、本宗においては旧来、大聖人様が五重相対を説かれた『開目抄』を「教の重」に配し、末法下種の法体である大漫荼羅御本尊と受持即観心について五重三段の法門を明かされた『観心本尊抄』を「行の重」に配し、さらに末法適時の信心修行の仏果、すなわち当体蓮華を証得する末法の即身成仏を説かれた『当体義抄』を「証の重」に配します。
 これは、御本仏日蓮大聖人様の教法を受持信行することによって、末法の衆生が即身成仏の仏果に至るという、道理・文証・現証の整足を明らかにするものです。
 さて、大聖人様は、文応元(1260)年七月、時の最高権力者・北条時頼に『立正安国論』を提出され、邪法への帰依を止め、正法を立てて国を安んずるよう諌暁されました。これにより幕府は、同年八月二十七日、大聖人様の鎌倉松葉ケ谷の草庵を焼き打ちし、翌弘長元年五月十二日には、大聖人様を伊豆の伊東に配流したのです。大聖人様は弘長三年に赦免されて鎌倉に戻られましたが、翌文永元(1264)年十一月には、安房小松原において東条景信の刀難に値われました。
 文永五年正月、蒙古の牒状が到来し、『立正安国論』の予言が的中したことにより、大聖人様は十一通御書を認めて幕府を諌め、また当時の鎌倉の有力寺院に対して公場対決を迫られました。
 文永八年九月十日、平左衛門尉頼綱は良観等の裏面工作による讒奏を受けて評定を開くと共に、同十二日には数百人の兵士を引き連れ、大聖人様の松葉ケ谷の草庵を襲いました。捕らえられた大聖人様は、表向きは佐渡配流とされながら、実のところは斬首刑に処されることになり、その日の夜半、竜の口の刑場に連れていかれたのです。しかし、不思議な光り物の出現によって難を逃れ、そのまま相模依智の本間六郎左衛門の邸に預かりとなりました。
 その後、同年十月十日に依智を発って十一月一日に佐渡塚原の三昧堂に入られたのです。三昧堂は死人を捨てる所に立つあばら屋で、冬は室内に雪が降り積もる有り様でした。
 翌年一月十六日には越後をはじめ、越中、出羽、奥州、信濃等から念仏や真言の僧ら数百人が集まり、塚原問答が行われましたが、念仏者たちは大聖人様に完膚なきまでに破折され、その場で改宗した者も現われました。
 本抄は、こうした時期、すなわち文永八年十一月より勘考されて、極寒の中、翌年二月に書き終えられています。まさに大聖人様が一切衆生救済のために、大慈大悲の上から執筆された重要書です。

 

 二、本抄の大意

 本抄上下二巻は、大きく標・釈・結の三つに分けられます。まず末法下種の人本尊を顕わすために、尊敬すべき主師親の三徳を標示し、次に儒教・外道・内典の仏法に説き明かされた三徳を挙げて釈し、最後に大聖人様御自身が主師親の三徳を具備された末法の御本仏であることを明かし結せられます。
 大聖人様は本抄の冒頭、まず第一に、
「夫一切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂、主・師。親これなり」
と、主師親の三徳を標示されます。
 第二に釈として、初めに儒家の三皇・五帝・三王に三徳が具わることを述べられます。続いて、儒家は過去と未来を知らない故に父母・主君・師匠の後世を扶けず不知恩の者であり、真の聖賢ではないと破折されます。
 次に、月氏の外道である二天・三仙に三徳が具わることを述べられ、月氏の外道はその我慢・偏執によって三悪道に堕ちると破折されます。
 次に、内道について、最初に熟脱の教主である大覚世尊の三徳を挙げ、続いてその所説の教法を挙げて、その浅深を判釈されます。
 まず、①内外相対して、一代五十年の説教は外典外道に対すれば大乗、大人の実語であると述べられます。
 次に、②権実相対して、法華経のみが教主釈尊の正言であり、四十余年の諸経は未顕真実であると述べられます。
 次に、③種脱相対して、正像未弘の下種の一念三千は、ただ法華経本門『寿量品』の文底に秘沈されていることを明かされます。
 続いて、一念三千の法門は十界互具によって成り立つが、爾前経にはそれが説かれていないため、諸宗の人師等が自宗に盗み入れて主張していることを示されます。
 次に、法華経の二箇の大事とされる二乗作仏と久遠実成を標示され、その釈として、一に④権迹相対して、まず法華経において記別を与えられた二乗の名前を列記し、法華経が真実の教えであることを述べられます。続いて、爾前の諸経に二乗は永不成仏と説かれていることを各経文を挙げて明示し、法華経迹門における二乗作仏が信じ難いことを述べられます。そして爾前経の説が真実ならば、舎利弗等の二乗は永不成仏の者となると述べられます。
 二に⑤本迹相対して、まず法華経本門に至るまで久遠寿量を秘していたことが最第一の不思議であることを挙げられ、その疑いに答えるために久遠実成を説き明かされたと述べられます。
 そして、一念三千と久遠実成は一代の綱骨、一切経の真髄であると教示され、迹門『方便品』は、一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失のうち一つを脱れたが発迹顕本を説かないので実の一念三千が顕われず、二乗作仏も定まらないこと。本門に至って始成正覚が打ち破られれば、爾前迹門の十界の因果が破られ、本門の十界の因果が説き顕わされて真の十界互具・百界千如・一念三千となることを教示されます。続いて結として、法相宗・華厳宗・真言宗の謬解を挙げ、法華経が難信であることを教示されます。
 次に、大聖人様が末法の法華経の行者であることを明かされます。
 初めに、大聖人様が末法の法華経の行者である理由を挙げられます。そして、大聖人様が正しく法華経に予言された法華経の行者である旨を述べて、末法下種の三徳の深恩を教示されます。
 次に広く疑いを挙げて、大聖人様が正しく法華経の行者であることを釈されます。まず、諸天善神は仏前において法華経の行者を守護すると誓ったが、未だにその験がないのは「我が身が法華経の行者ではないのか」との疑いを挙げられます。そして、この疑いは本抄の肝心であり、一期(いちご)の大事であると仰せられます。
 本抄の下巻に至り、正しく法華経の行者を釈す段において、五箇の鳳詔を引いて諸経の勝劣及び成仏不成仏を明かされます。
 次に、法華経『勧持品第十三』の経文を引いて、三類の強敵を示されますが、その前に、
「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ。此は魂魄佐土の国にいたりて」
と、竜の口の頸の座における発迹顕本を明示されます。
 そして、三類の強敵が現われたことをもって、末法の法華経の行者は、大聖人様以外にいないことを断定されます。
 次に、法華経の行者が諸天の加護なく難に値う理由として、①過去世に法華経誹謗の罪がある故に迫害を蒙る、②一闡提人は順次生に必ず地獄に堕ちる故に、法華経誹謗の重罪を造っても現罰がない、③謗法の世を守護神が捨て去り、諸天が守らない故に正法を行ずる者に験なく、かえって大難に値うと明かされます。
 そして、善につけ悪につけ法華経を捨てることは地獄の業であると仰せられ、
「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」
と、三大誓願を述べられます。
 次に、法華経の行者の値難の利益について述べられ、大聖人様が強盛に国土の謗法を責めて大難に値うのは、過去の重罪が今生の護法によって招き出されたものであると、転重軽受である旨を教示されます。
 そして、
「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然に仏界にいたるべし」
と、不求自得の果報を示されます。
 次に、末法適時の弘経を明かす中、末法に摂受と折伏があるのは、悪国・破法の両国があるからで、日本国の当世は破法の国であることを示されます。そして、時機を知り、摂折の二門を弁えて弘教すべきことを教示されます。
 最後に、本抄全体の結論として、
「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」
と、大聖人様が三徳具備の末法の御本仏であることを仰せられております。

 

 三、信行のポイント

 五重相対について

 本抄に示される五重相対は、『観心本尊抄』の五重三段と共に、大聖人様独自の教判です。五重相対を本抄に記述された順序に従って示せば、内外相対・権実相対・種脱相対・権迹相対・本迹相対の順ですが、浅深の次第よりすれば、内外・権実(権迹)・本迹・種脱の順となります。
 ①内外相対とは、内道(仏教)と外道(仏教外の一切の教え)との相対です。②権実相対とは、法華以前の四十余年の経々を方便とし、法華経を真実本懐として両者を相対するものです。③権迹相対とは、爾前諸経と法華迹門の相対であり、④本迹相対とは、久遠実成の本門と始成正覚の迹門との相対、⑤種脱相対とは、下種の法華経と脱益の法華経の相対です。
 この五重相対と、『観心本尊抄』に説かれる五重三段は次のように対当しています。
【開目抄】―【観心本尊抄】
 第一 内外相対 ― 一代一経三段
 第二 権実相対 ― 法華経一経三段
 第三 種脱相対 ― 文底下種三段
 第四 権迹相対 ― 迹門熟益三段
 第五 本迹相対 ― 本門脱益三段
 中でも第四の権迹相対は、迹門熟益三段の意により、迹門の二乗作仏と爾前権経の不作仏を明らかにすべく、本抄において示された判釈です。
 また本抄では、浅深の順序では第五である種脱相対が第三に説かれていますが、これは前の権実相対を明かす文に、法華の真実について、釈迦・多宝・十方分身仏の説法と証明を述べる文があり、これら三仏の本意が本門寿量品文底の妙法に存するので、その文を受けて義便の上から述べられたものです。

 末法の法華経の行者について

 本抄において大聖人様は、末法の衆生に対する主師親三徳を示されるに当たり、法華経本門の主師親の釈尊をもって一往の究竟とされています。しかし、再往は本門『寿量品』の文底に秘沈される一念三千の所有者として、末法出現の法華経の行者たる大聖人様御自身を最後究竟の主師親とされているのです。
 これは大聖人様御自身が本尊の当体であること、すなわち人本尊の開顕であり、末法の衆生が即身成仏するための有縁の仏は、熟脱の教主釈尊ではなく、南無妙法蓮華経を下種される日蓮大聖人様であることを明示されたものに他なりません。
 このように、竜の口の発迹顕本によって凡夫日蓮の迹身を払い、久遠元初の御本仏と開顕された大聖人様の末法御出現の意義を正しく拝すことが、本抄を拝読する上でたいへん重要です。

 

 四、結  び

 御法主日如上人猊下は、
「今、日蓮、強盛に国土の謗法を責むれば、此の大難の来たるは過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし」
との『開目抄』の御文を引用され、
「我々が正法広布に身を捧げ、邪義邪宗の謗法を退治し、折伏を行じていけば、必ず魔が蠢動し、大難が起きることは必定であります。しかし、その大難こそ、我々が過去に積んできた様々な罪障を呼び起こし、消滅する絶好の機会の到来を告げているのであります」(大白法 八七七号)
と、私たちが折伏を行じていけば必ず障魔が競い起こるが、その時こそ過去遠々劫よりの謗法罪障を消滅する絶好の機会と捉え、さらなる信心に励むよう御指南されています。
 本宗僧俗は、唯授一人の血脈を御所持あそばされる御法主上人猊下の御指南に信伏随従し、信心修行に邁進していくことが、成仏の上で最も肝要であることを忘れず、さらなる折伏弘通に精進してまいりましょう。