大白法・平成27年12月1日刊(第922号)より転載 御書解説(193)―背景と大意
一、御述作の由来
本抄は、文永八(1271)年五月八日蓮大聖人様が御年五十歳の時に、鎌倉にて認められた御消息です。御真蹟は現存しません。
本抄は、かつて四条金吾殿に与えられた御書とされていましたが、本抄の、
「若童生まれさせ給ひし由承り候」
という記述と、同年同月付の『四条金吾女御書』にある、
「懐胎のよし承り候ひ畢んぬ」(御書464頁)
との記述が、時期的に合わないことなどから、対告衆は四条金吾ではなく、それ以外の鎌倉在住の檀越と推定されます。
また、本抄には御述作の年次が記されていませんが、本文の、
「今日は八日にて候」
等の内容から、子供の誕生当日に御返事を書かれていることが判り、文永八年、大聖人様が鎌倉在住の時期に御述作されたものと考えられます。
二、本抄の大意
初めに、子供(女児)が生まれたとのこと、まことに喜ばしい限りであると仰せられ、殊に今日は八日の吉日であり、子供が生まれたことといい、生まれた日付といい、潮が満ちたように、また春の野に満開の花が咲いたように所願が成就し、たいへん喜ばしいので、早速、月満御前と命名されたことを述べられます。
そして、日本国の主である八幡大菩薩は四月八日、また娑婆世界の教主釈尊も四月八日の誕生であり、この女児も月は替わっても、八日に生まれたのであるから、釈尊や八幡大菩薩の生まれ変わりとも言うべきかとその福徳を称賛されます。
さらに、日蓮は凡夫であるからよく知らぬと謙遜されつつ、これは日蓮が差し上げた御秘符の御利益であろうと仰せられ、さぞかし御夫妻もお悦びのことであろうと述べられ、そのお祝いとしてお送りいただいた餅、酒、並びに銭一貫文等々の御供養については、直ちに御本尊様にお供えしたことを仰せです。
また、インド応誕の釈尊が生まれたとき、三十二の不思議があったことが『周書異記』に記されており、それによれば、釈尊は誕生されると、すぐに七歩歩かれ、自ら口を開いて、
「天上天下唯我独尊、三界皆苦我当度之(天上天下にただ我独り尊し。三界は皆苦である。我はまさにこれを救うべし)」
と唱えられた。今の月満御前は、産声に、
「南無妙法蓮華経」
と唱えたのであろうか。これについて、法華経には、
「諸法実相(諸法は実相なり)」
と説かれ、天台大師は、
「声仏事を為す」
と述べていると二文を挙げられます。
そして、日蓮も次のように推するとして、例えば雷の音が耳の不自由な人には聞こえないように、また日月の光が目の不自由な人には見えないように、凡夫の目には見えないであろうが、月満御前に十羅刹女が寄り合って、産湯をなで養われていることは間違いないと仰せられ、実にめでたいことであると述べられています。
最後に、月満御前の守護を懇ろに十羅刹女・天照太神等にも申し上げたから安心するよう告げられ、本抄を結ばれています。
三、拝読のポイント
信心で戴く御秘符
大聖人様は、本抄において、
「日蓮が符を進らせし故なり」
と、符(御秘符)について御教示されています。
同時期の御述作である『四条金吾女房御書』には、
「懐胎のよし承り候ひ畢んぬ。それについては符の事仰せ候。日蓮相承の中より撰み出だして候」(同464頁)
と仰せになっており、当時、懐胎した女性信徒に対して、大聖人様が御自ら撰び出された御文等をもって符を授けられていたことが判ります。
そして、この符に関して同書に、
「能く能く信心あるべく候。たとへば秘薬なりとも、毒を入れぬれば薬の用すくなし。つるぎなれども、わるびれたる人のためには何かせん」(同)
とあるように、御本尊様への信心を根本とし、余事を雑まじえないことが重要であり、これに違えばその妙用を享受することはできないと仰せです。
また、次下の文に、
「就中、夫婦共に法華の持者なり。法華経流布あるべきたねをつぐ所の玉の子出で生まれん。目出度く覚え候ぞ。色心二法をつぐ人なり。争でかをそなはり候べき」(同)
と、夫婦共に御本尊様を持って信心に励んでいるのであるから、広宣流布のための種を継ぐ、立派な子供が誕生すると御教示です。
十羅刹女の守護
また、大聖人様は、
「定んで十羅刹女は寄り合ひて、うぶ水をなで養ひ給ふらん」
「念頃に十羅刹女・天照太神等にも申して候」
と、十羅刹女等の守護について仰せです。
『法華経陀羅尼品第二十六』には、
「爾の時に羅刹女等有り。一を藍婆と名づけ、二を毗藍婆と名づけ、三を曲歯と名づけ、四を華歯と名づけ、五を黒歯と名づけ、六を多髪と名づけ、七を無厭足と名づけ、八を持瓔珞と名づけ、九を皐諦と名づけ、十を奪一切衆生精気と名づく。是の十羅刹女、鬼子母、并びに其の子、及び眷属と倶に仏所に詣で、声を同じうして仏に白して言さく、世尊、我等亦、法華経を読誦し、受持せん者を擁護して、其の衰患を除かんと欲す。若し、法師の短を伺い求むる者有りとも、便を得ざらしめん」(法華経578頁)
と説かれており、悪鬼とされた鬼子母神とその娘の十羅刹女は、仏道に帰依して善鬼となり、悪鬼魔神から、末法の法華経の行者を必ず守護することを誓っています。
大聖人様は『経王殿御返事』に、
「鬼子母神・十羅刹女、法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり。(中略)十羅刹女の中にも皐諦女の守護ふかゝるべきなり」(御書685頁)
と仰せられ、十羅刹女の中でも、皐諦女の守護の深いことを明かされています。
皐諦女については『御義口伝』に、
「皐諦女は本地は文殊菩薩なり。山海までも法華経の行者を守護すべしと云ふ経文なり。九悪一善とて皐諦女をば一善と定めたり」(同1791頁)
と述べられており、十羅刹女の中でも、「九悪一善」の一善が皐諦女であると教示されています。
なお、『産湯相承事』には、
「我が釈尊法華経を説き顕はしたまひしより已来十羅刹女と号したてまつる。十羅刹女と天照太神と釈尊と日蓮とは一体異名にして、本地垂迹の利益広大なり。日神と月神とを合して文字を訓ずれば十なり。十羅刹女と申すは、諸神を一体に束ね合はせたる深義なり」(同1709頁)
と、十羅刹女と天照太神と釈尊と日蓮大聖人とは一体であり、名が異なるのみであると、本地垂迹の上からその意義を明かされ、御本尊様に具する十羅刹女等の利益の広大なることが明かされています。
四、結 び
大聖人様は前掲の『経王殿御返事』に、
「但し御信心によるべし。つるぎなんども、すゝまざる人のためには用ふる事なし。法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用ふる事なれ。鬼にかなぼうたるべし」(685頁)
と仰せですが、本抄に教示されている月満御前の誕生の功徳も、十羅刹女をはじめとする諸天善神の守護も、すべては信心が根本であることを忘れてはなりません。
我々は、御本尊様を信じ、勤行・唱題・折伏という自行化他の信行に励むことによって、自他共に成仏の大功徳を得て、平和な仏国土を築くことができるのです。
御法主日如上人猊下は、
「今日の混沌たる世情を見る時、末法濁悪の様相そのままに、人心は撹乱し、ために残酷で無慚な事件や事故が相次ぎ、政治も経済も、教育も外交も混沌として問題を山積し、解決の出口が見えないまま、混迷を極めているのが現状であります。この時に当たり、私達は一人ひとりが『立正安国論』の精神をもって、力の及ぶ限り、世のため、人のため、真の仏国土実現のため、進んで妙法広布へ挺身し、正義を顕揚して、もって得難き青春をこの上なき価値あるものとされますよう心から念じ、本日の挨拶といたします」(大白法914号)
と御指南されています。
平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の大佳節における八十万人体勢構築の御命題達成に向けた出陣の年でもある本年、各支部の誓願を見事に完遂し、有終の美を飾りましょう。