止観第五の事  文永六年一二月二二日  四八歳

 

(★420㌻)
 止観第五の事、正月一日辰の時此をよみはじめ候。明年は世間怱々なるべきよし皆人申すあひだ、一向後生のために十五日まで止観を談ぜんとして候が、文あまた候はず候、御計らひ候べきか。白米一斗御志申しつくしがたう候。鎌倉は世間かつして候、僧はあまたをはします、過去の餓鬼道の苦をばつぐのわせ候ひぬるか。
 
 摩訶止観第五の巻のこと、正月一日辰の時より、読み始める。明年は世間が騒々しくなるだろうと、皆人がいうので、一向後世のために(正月)十五日まで止観を談じようと思うが、(止観の)本が少なくてそれもできず、御はからいいただきたい。白米一斗をお送りくださった御志、申し尽し難く思う。鎌倉では世間が飢えに苦しんでいる。僧(弟子)は多くいる。過去の餓鬼道の苦をつぐなったのであろうか。 
 法門の事、日本国に人ごとに信ぜさせんと願して候ひしが、願や成熟せんとし候らん。当時は蒙古の勘文によりて世間やわらぎて候なり、子細ありぬと見へ候。本より信じたる人々はことに悦ぶげに候か。恐々謹言。
 十二月二十二日  日蓮 花押
   法門の事、日本国の人々に信じさせたいと願ってきたが、その願が成就しようとしているのであろうか。今、蒙古の勘文によって、世間(の非難)も和らいでいる。これはわけのあることである思われる。もとから日蓮を信じてきた人々はことに喜んでいるようである。
 十二月二十二日  日蓮 花押
 母尼ごぜんにはことに法華経の御信心のふかくましまし候なる事、悦び候と申させ給び候へ。    母尼御前には、ことに法華経の御信心を深められ、大変喜んでいるとお申し伝えいただきたい。