大白法・平成27年6月1日刊(第910号)より転載 御書解説(188)―背景と大意

金吾殿御返事(418頁

別名『大師講御書』

 一、御述作の由来

 本抄は、文永六(1269)年十一月二十八日、大聖人様が御年四十八歳の時に(したた)められた御書です。御真蹟(四紙・末尾一紙欠)は中山法華経寺に蔵されており、また(じゃく)仙房(せんぼう)(にっ)(ちょう)師の写本が北山本門寺に存します。

 本抄には述作年次の記述はありませんが、本文に、

(そもそも)此の法門の事、勘文の有無に依りて弘まるべきか、弘まらざるか。去年方々に申して候ひしかども、いなせ(否応)の返事候はず候。今年十一月の(ころ)、方々へ申して候へば、少々返事あるかたも候

とあり、この「去年方々に申して」が文永五年十月十一日の『十一通御書』に該当(がいとう)し、また「今年十一月の比」が、文永六年九月に蒙古の使節がもたらした二度目の国書(蒙古国牒状(ちょうじょう))について、幕府による評定が行われた時期に当たることから、本抄が文永六年の述作であることが判ります。

 対告衆(たいごうしゅ)については、「御返事」とあるのみで不明ですが、現在は太田金吾(乗明)に宛てられた御書とされています。

 

 二、本抄の大意

 初めに、大師講への御供養の御礼を述べられ、大師講を三、四年前に始めてから、今年が最も盛大であったと述べられます。

 次に、大聖人様の御法門の正当性は『立正安国論』の予言が現実となるか(いな)かによって、正法が流布するかどうかが決まると仰せられます。そして、蒙古襲来が現実味を()びてきたことについて、去年、諸方に諌状(十一通御書)を送ったが、拒絶(きょぜつ)(しょう)(だく)かの返事すら届かないと仰せられ、今年十一月頃に再度諌言したところ、何人かから返事があったと述べられます。

 この頃は、大方の人の心が穏やかとなり、大聖人様の仰せを理解したかのような姿すらある。あるいは幕府への諌状が執権北条時宗の目にも入ったのだろうかと述べられ、これほどの諌言をしたのであるから流罪か死罪は(まぬか)れないと思っていたが、今まで何事もないのは不思議であると仰せられます。

 そして、()国侵逼難(こくしんぴつなん)の予言が的中した以上、()界叛(かいほん)(ぎゃく)(なん)も経文に符号して起こると明かされます。過去の叡山(えいざん)での山門と寺門の抗争よりも、百千万億倍にも過ぎる大災難が起こると思われるが、これにはまことに深い理由が存するとされ、中国や高麗(こうらい)(朝鮮半島の統一王朝)は既に禅・念仏が充満し、守護の善神が去って蒙古に征服(せいふく)された。また、我が国も、この邪法が蔓延(まんえん)して法華経を(ないがし)ろにしたため、本来法華経を護るべき比叡山も安泰ではなく、師檀が乱れてしまった。それ故、十中八九、蒙古が襲来するであろうと述べられます。

 最後に、既に受け難き人身を受け、正法に縁して邪師となることを免れ、法華経の故に伊豆流罪にも処せられたからには、死罪を覚悟の上で方々に強言するのであり、法華経のために命を捨て、名を後代に留めることこそ本望であると仰せられ、本抄を結ばれています。

 

 三、拝読のポイント

 大師講について

 大聖人様は、大師講を通じて法華最勝の正義を御教示されると共に、異体同心の団結と破邪顕正の精神を教えられ、さらに本抄の端書きに、

(げん)()安穏(あんのん)()(しょう)善処(ぜんしょ)()(しょう)(つかまつ)り候

と仰せのように、弟子檀越の現世安穏・後生善処を祈念されたことが拝(はい)されます。

 また大聖人様は、『立正安国論』に、

天台大師の(こう)(とど)めて善導(ぜんどう)の講と為す。()くの(ごと)きの群類()れ誠に尽くし難し。(これ)破仏に非ずや、是破法に非ずや、是破僧に非ずや」(御書247頁)

と仰せのように、天台宗にあって天台大師講を止めて、念仏の善導の講に替える者たちが後を絶たないが、それらの行為は三宝破壊の大謗法であると破折されています。

 人身は受け難し

 大聖人様は本抄において、

人身すでにうけぬ。邪師又まぬかれぬ。法華経のゆへに流罪に及びぬ。今死罪に行なはれぬこそ本意ならず候へ

と、受け難き人身を受け、値い難き法華経に巡り合い、邪師となることを免れたことは何と有り難いことであろう。この法華経を弘めるために破邪顕正の折伏を行じて、流罪・死罪に処せられることは本望であると、その御心を披瀝されています。

 また『崇峻天皇御書』には、

人身は受けがたし、(つめ)の上の土。人身は持ちがたし、草の上の露。百二十まで持ちて名をくた()して死せんよりは、生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ」(御書1173頁)

とも仰せられています。
 なお『開目抄』には、

世間の罪に依って悪道に()つる者は爪上の土、仏法によって悪道に堕つる者は十方の土」(同538頁)

と仰せになり、世間の罪で悪道に堕ちる者は少ないけれども、仏法の罪すなわち謗法罪によって悪道に堕ちる者は非常に多いと仰せられて、謗法を強く誡められています。

 名を後代に留める

 大聖人様は本抄に、

すでに年五十に及びぬ。余命いくばくならず。いたづらに(こう)()にすてん身を、同じくは一乗法華のかたになげて、雪山童子・薬王菩薩の跡を()ひ、(せん)()()(とく)の名を後代に留めて、法華・涅槃経に説き入れられまいらせんと願ふところなり

と、残りの命を法華弘通に捧げ、雪山童子・仙予国王・有徳王が涅槃経に、薬王菩薩が法華経に名を残したように、大聖人様も名を法華経・涅槃経に(つら)ねたいと仰せです。

 また『佐渡御書』には、

雪山童子の身をなげし、(ぎょう)法梵(ぼうぼん)()が身の皮をはぎし、身命に過ぎたる惜しき者のなければ、是を布施として仏法を習へば必ず仏となる」(御書578頁)

と仰せられ、さらに『松野殿御返事』には、

迹門には『(われ)身命を愛せず(ただ)無上道を惜しむ』ととき、本門には『自ら身命を惜しまず』ととき、涅槃経には『身は軽く法は重し、身を(ころ)して法を弘む』と見えたり。本迹両門・涅槃経共に身命を捨てゝ法を弘むべしと見えたり」(同1051頁)

と仰せです。私たちの信行においても、「不自惜身命」「身軽法重・死身弘法」の精神をもって、御本尊に身命を捧げ、折伏に邁進していくことが、最も肝要です。

 

 四、結 び

 御法主日如上人猊下は、

私達はかかる時にこそ『立正安国論』の御聖意に照らして、平穏なる真の仏国土実現を目指し、一人ひとりが妙法の広大なる功徳と確信をもって、破邪顕正の折伏を実践していかなければならない」(大白法895号)

と仰せです。真の仏国土建設のため、破邪顕正の折伏を実践して、平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年における「法華講員八十万人体勢構築」の御命題を成就すべく、いよいよ精進してまいりましょう。