金吾殿御返事 文永六年一一月二八日 四八歳

別名『大師講御書』

第一章 大師講への供養を謝す

(★418㌻)
 (だい)()(こう)()(もく)五連()び候ひ(おわ)んぬ。此の大師講三・四年に始めて候が、今年は第一にて候ひつるに候。
 
 大師講に際して、鵝目五連、御供養として確かに頂戴した。この大師講は、三・四年前から始めたものであるが、今年はそのなかでも、第一の盛大さである。

 

第二章 十一通御書に続く再度の諌暁

 (そもそも)此の法門の事、勘文の有無に依りて弘まるべきか、弘まらざるか。去年方々に申して候ひしかども、いな()()の返事候はず候。今年十一月の(ころ)、方々へ申して候へば、少々返事あるかたも候。をほ()かた()人の心もやわらぎて、さもやとをぼしたりげに候。又上の()ざん()にも入りて候やらむ。   そもそも、この法門のことは、諌暁の書での予言が現実になるか、現実にならないかによって、弘まるか、それともひろまらないかが決まる。昨年十一通の書状で、何人かの人に申し上げたが、拒絶とも承諾とも、いずれとも返事がない。
 今年の十一月ごろに、何人かの人々に申したところ、少々、返事をくださる人もいる。ほとんど、人の心も穏やかになって、そのとおりかもしれない、と思われたかのようである。また、執権殿の目にも入ったのかもしれない。

 

第三章 諌暁の反応なきを訝る

 これほどの僻事(ひがごと)申して候へば、流死の二罪の内は一定と存ぜしが、いまゝでなにと申す事も候はぬは不思議とをぼ()へ候。いたれる道理にて候やらむ。又()(かい)(ほん)(ぎゃく)(なん)の経文も()ふべきにて候やらむ。山門なんどもいにしえにも百千万億倍すぎて動揺とうけ給はり候。
(★419㌻)
それならず子細ども候やらん。震旦(しんだん)高麗(こうらい)すでに禅門・念仏になりて、守護の善神の去るかの間、彼の蒙古に(したが)ひ候ひぬ。我が朝又此の邪法弘まりて、天台法華宗を忽諸(こっしょ)のゆへに山門安穏ならず、師檀違叛の国と成り候ひぬれば、十が八・九はいかんがとみへ候。
   これほどの、道理に合わないことを申し上げているのだから、流罪か死罪か、その二罪のうちにはいずれかには必ず処えられることは決まっている。と思っていたが、今まで何ということもないのは、不思議であると思う。日蓮の主張が最上・究竟の法理であるのではないだろうか。
 また、他国侵逼難が起こるとの予言が的中したのであるから、自界叛逆難が起きるとの経文も符号するであろう。比叡山・延暦寺なども、過去の山門と寺門派の抗争の時の動揺よりも百千万億倍過ぎた動揺である、とうけたまわっている。
 それどころではない、深い理由などがあるのではないだろうか。震旦や高麗はすでに禅門・念仏になって守護する善神が去ってしまったので、かの蒙古に征服され従えさせられてしまった。
 わが日本もまたこの邪法がひろまって天台法華宗を軽んじたり、なおざりにしている故に、山門も安穏でなくなった。出家の師に対し檀那がそむく国となっているのであるから、十のうち八・九はどうであろうかとみえる。

 

第四章 弘教のために死罪を覚悟する

 人身すでにうけぬ。邪師又まぬかれぬ。法華経のゆへに流罪に及びぬ。今死罪に行なはれぬこそ本意ならず候へ。あわれさる事の出来し候へかしとこそはげみ候ひて、方々に強言(ごうげん)をかきて挙げ()き候なり。すでに年五十に及びぬ。余命いくばくならず。
 いたずらに(こう)()にすてん身を、同じくは一乗法華のかたになげて、雪山童子・薬王菩薩の跡を()ひ、(せん)()()(とく)の名を後代に留めて、法華・涅槃経に説き入れられまいらせんと願ふところなり。南無妙法蓮華経。
  十一月二十八日    日蓮花押
 御返事
   すでにうけがたい人身をうけることができた。邪師もまた免れた。法華経の故に流罪に及んだ。今、死罪に行われないことこそ不本意である。ああ、そのようなことが起これと、法華経の弘通に励んでいる方々に語調の強い言葉を書いてさしあげておいたのである。すでに年も五十近くになった。残された寿命もいくばくもない。いたずらに広野に捨てる身であるならば、同じくは一仏乗を説く法華経の方に投げて雪山童子や薬王菩薩の跡を追い、仙予国王や有徳王がその名を後の時代にとどめたように、日蓮もその名を後の時代にとどめて、末法の法華経・涅槃経に説き入れていただこうと願うところである。南無妙法蓮華経。
  十一月二十八日    日蓮花押
  御返事

 

第五章 止観の五を読まれる

 止観の五、正月一日よりよみ候ひて、(げん)()安穏(あんのん)()(しょう)善処(ぜんしょ)()(しょう)仕り候。便(べん)()に給ふべく候。本末は失せて候ひしかども、これにすり(修理)させて候。多く本入るべきに申し候。    摩訶止観を、明年の初め、元旦から読みはじめて「現世安穏にして後に善処に生じ」との福徳があるようにと、祈り請わさせていただこうと思う。
 お便りのついでにお送りいただいた本末は、破損しているけれども、こちらで修理させて使っている。本が多く入用であるので、お願い申し上げる。