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(★418㌻) |
大師講に際して、鵝目五連、御供養として確かに頂戴した。この大師講は、三・四年前から始めたものであるが、今年はそのなかでも、第一の盛大さである。 |
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そもそも、この法門のことは、諌暁の書での予言が現実になるか、現実にならないかによって、弘まるか、それともひろまらないかが決まる。昨年十一通の書状で、何人かの人に申し上げたが、拒絶とも承諾とも、いずれとも返事がない。 今年の十一月ごろに、何人かの人々に申したところ、少々、返事をくださる人もいる。ほとんど、人の心も穏やかになって、そのとおりかもしれない、と思われたかのようである。また、執権殿の目にも入ったのかもしれない。 |
| これほどの (★419㌻) それならず子細ども候やらん。 |
これほどの、道理に合わないことを申し上げているのだから、流罪か死罪か、その二罪のうちにはいずれかには必ず処えられることは決まっている。と思っていたが、今まで何ということもないのは、不思議であると思う。日蓮の主張が最上・究竟の法理であるのではないだろうか。 また、他国侵逼難が起こるとの予言が的中したのであるから、自界叛逆難が起きるとの経文も符号するであろう。比叡山・延暦寺なども、過去の山門と寺門派の抗争の時の動揺よりも百千万億倍過ぎた動揺である、とうけたまわっている。 それどころではない、深い理由などがあるのではないだろうか。震旦や高麗はすでに禅門・念仏になって守護する善神が去ってしまったので、かの蒙古に征服され従えさせられてしまった。 わが日本もまたこの邪法がひろまって天台法華宗を軽んじたり、なおざりにしている故に、山門も安穏でなくなった。出家の師に対し檀那がそむく国となっているのであるから、十のうち八・九はどうであろうかとみえる。 |
| 人身すでにうけぬ。邪師又まぬかれぬ。法華経のゆへに流罪に及びぬ。今死罪に行なはれぬこそ本意ならず候へ。あわれさる事の出来し候へかしとこそはげみ候ひて、方々に いたずらに 十一月二十八日 日蓮花押 御返事 |
すでにうけがたい人身をうけることができた。邪師もまた免れた。法華経の故に流罪に及んだ。今、死罪に行われないことこそ不本意である。ああ、そのようなことが起これと、法華経の弘通に励んでいる方々に語調の強い言葉を書いてさしあげておいたのである。すでに年も五十近くになった。残された寿命もいくばくもない。いたずらに広野に捨てる身であるならば、同じくは一仏乗を説く法華経の方に投げて雪山童子や薬王菩薩の跡を追い、仙予国王や有徳王がその名を後の時代にとどめたように、日蓮もその名を後の時代にとどめて、末法の法華経・涅槃経に説き入れていただこうと願うところである。南無妙法蓮華経。 十一月二十八日 日蓮花押 御返事 |
| 止観の五、正月一日よりよみ候ひて、 |
摩訶止観を、明年の初め、元旦から読みはじめて「現世安穏にして後に善処に生じ」との福徳があるようにと、祈り請わさせていただこうと思う。 お便りのついでにお送りいただいた本末は、破損しているけれども、こちらで修理させて使っている。本が多く入用であるので、お願い申し上げる。 |