問注得意抄 文永六年五月九日 四八歳

別名『与三子書』

 

第一章 問注の実現を喜ばれる

(★417㌻)
 今日召し合はせ御問注の(よし)承り候。各々御所念の如くならば、三千年に一度花さき(このみ)なる()(どん)()に値へるの身か。西王(せいおう)()(その)の桃九千年に三度之を得るは東方朔(とうほうさく)が心か。一期の幸ひ何事か之に()かん。御成敗の甲乙は(しばら)く之を置く。(さき)立ちて欝念(うつねん)を開発せんか。
 
 今日召し合わせて訴訟の対決のことをたまわりました。各々が思われるとおりなら、三千年に一度花が咲き実がなる優曇華に会った身のようです。西王母の園の桃は九千年に三度実るのですが、これを得た東方朔の心のようです。一生のうちでこれほどの幸せはまたとないだろう。御成敗の甲乙はしばらく置き、先立ってわだかまりを開発すべきでしょう。

第二章 問注に際する心構えを教示される

 但し兼日(けんじつ)御存知有りと雖も、駿(しゅん)()にも(むち)うつの理之有り。今日の御出仕公庭に望みての後は設ひ()(いん)たりと雖も、傍輩(ほうばい)に向かひて雑言(ぞうごん)を止めらるべし。両方召し合はせの時、御奉行人、訴陳の状之を読むの(きざ)み、何事に付けても御奉行人御尋ね無からんの外は一言をも出だすべからざるか。設ひ敵人等悪口を吐くと雖も、各々当身の事一・二度までは聞かざるが如くすべし。三度に及ぶの時、(げん)(みょう)を変ぜず、()(ごん)を出ださず、(なん)()を以て申すべし。
 各々は一処の同輩なり。私に於ては全く()(こん)無きの由之を申さるべきか。又御供の雑人等に()く能く禁止を加へ、(けん)()を出だすべからざるか。是くの如きの事書札(しょさつ)に尽くし難し、心を以て()(しん)(しゃく)有るべきか。
   ただし、兼ねてよりご存知のことであろうが、駿馬にも鞭をうつ理由があります。今日の御出仕で公庭に望んだ後は、たとえ知り合いであっても、同僚に向って雑言してはなりません。
 両方の者が呼び出され、御奉行人が訴陳の状を読む時は何事に付けても、御奉行人が尋ねること以外は一言もいうべきではありません。たとえ、敵人等が悪口を吐こうとも、各々の身に当たる事であっても、一、二度までは聞かないようにするべきです。三度目に及ぶ時は顔色を変えず荒い言葉ではなく柔らかい口調でいいなさい。

 「各々は同じところの同輩です。私においては全く遺恨が無い」このようなことを申すべきでしょう。また、お供の雑人等によくよく注意しなさい。喧嘩をしてはいけません。このような事は書状では申し尽くし難い。心をもって汲み取っていただきたい。

第三章 師檀相応して大事なることを教える

 此等の(きょう)(げん)を出だす事恐れを存ずと雖も、仏経と行者と檀那と三事相応して一事を成ぜんが為に愚言を出だす処なり。恐々謹言。
  五月九日    日蓮花押
 三人御中
   差し出がましいことを言うようで恐縮だが、経文と行者と檀那が三事相応して一事を成す為に愚言を出す処である。恐恐謹言。
  五月九日    日蓮花押
 三人御中