南条兵衛七郎殿御書 文永元年一二月一三日 四三歳

別名『慰労書』

第一章 病を慰労されて仏法の重要性を示す

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 御所労の由承り候はまことにてや候らん。世間の定なき事は病なき人も(とど)まりがたき事に候へば、まして病あらん人は申すにおよばず。但心あらん人は後世をこそ思ひさだむべきにて候へ。又後世を思ひ定めん事は私にはかな()ひがたく候。一切衆生の本師にてまします釈尊の教こそ本にはなり候べけれ。
 
 御病気であるとお聞きしたが事実であろうか。世の中の無常であることは、病気でない人も死をまぬかれることはできないのであるから、まして病気の人は申すまでもない。ゆえに心ある人は後世のことを考え定めておくべきである。その後世を考え定めることは、自分の力では不可能である。一切衆生の本師であられる釈尊の教えこそ根本となることができるのである。

 

第二章 宗教の五網のうち「教」を明かす

 しかるに仏の教へ又まちまちなり。人の心の不定なるゆへか。しかれども釈尊の説教五十年にはすぎず。さき四十余年の間の法門に、華厳経には「心仏及衆生、是三無差別」と。阿含経には「苦・空・無常・無我」と。大集経には「染浄融通(ぜんじょうゆうずう)」と。大品経には「混同無二」と。双観経・観経・阿弥陀経等には「往生極楽」と。此等の説教は皆正法・像法・末法の一切衆生をすく()はんがためにこそ()かれはんべり候ひけめ。
   それなのに、仏の教えはまちまちである。それは人の心がさまざまであるからだろうか。しかしながら、釈尊の説教は五十年である。前の四十余年の間の法門には、華厳経には「心、仏及び衆生、是の三つは差別が無い」と説かれ、阿含経には「苦・空・無常・無我」と説き、大集経には「染浄融通」と説き、大品般若経には「混同無二」と説き、無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経等には「往生極楽」と説いている。これらの説教は皆正法・像法・末法の一切衆生を救うために説かれたのであろう。
 而れども仏いかんがをぼしけん、無量義経に「方便力を以て四十余年には未だ真実を顕はさず」と()かれて、先四十余年の往生極楽等の一切経は、親の先判のごとく()ひかえされて「無量無辺不可思議阿僧祇劫(あそうぎこう)を過ぐるとも(つい)に無上菩提を成ずることを得ず」といゐきらせ給ひて、法華経の方便品に重ねて「正直に方便を捨てゝ(ただ)無上道を説く」と()かせ給へり。方便を()てよと()かれてはんべるは、四十余年の念仏等をすてよととかれて候。    しかしながら、仏は何と思われたか、無量義経に「方便の力をもって説いたのである。四十余年の間は、未だ真実を顕していない」と説かれて、親の譲状の先判のように悔い返され、前の四十余年に説いた「往生極楽」等の一切経は「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぎるほどの修行をしても、ついに無上菩提を成ずることはできない」と言いきられて、法華経の方便品に重ねて「正直に方便の教えを捨てて但無上の道を説く」と説かれたのである。方便を捨てよと説かれてあるのは、四十余年の念仏等を捨てよと説かれていることである。
 かうたし()かに()いかえして、実義をさだ()むるには「世尊は法久しくして後(かなら)(まさ)に真実を説くべし」「久しく()の要を黙して(いそ)ひで速やかに説かず」等と定められしかば、多宝仏は大地より()()でさせ給ひて、この事真実なりと証明をくわ()へ、十方の諸仏八方にあつまりて広長舌相(ぜっそう)を大梵天宮につけさせ給ひき。二処三()、二界八番の衆生一人もなくこれを()候ひき。
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  このようにたしかに前の教えを悔い返して真実義を定めるには「世尊は法久くして後要当に真実を説くであろう」といい、「久しい間この要法を黙して、いそいで速やかに説かなかった」等と定められたので、多宝仏は大地から湧き出られて、この事は真実であると証明を加え、十方の諸仏は八方に集まって広長舌相を大梵天宮に付けられた。法華経の二処三会に列なった二界八番の衆生は一人もこれなくこれを見たのである。
 比等の文を()候に仏教を信ぜぬ悪人外道はさておき候ひぬ。仏教の中に入り候ひても爾前・権教・念仏等を厚く信じて十遍・百遍・千遍・一万乃至六万等を一日にはげ()みて、十年二十年のあひだ()にも南無妙法蓮華経と一遍だにも申さぬ人々は先判(せんばん)に付いて()(はん)もち()ゐぬ者にては候まじきか。此等は仏説を信じたりげには、我が身も人も思ひたりげに候へども仏説の如くならば不孝の者なり。    これらの文を見ると、仏教を信じない悪人・外道はともかくとして、仏教を信じながらも法華経以前の権教・念仏等を厚く信じて一日に十遍・百遍.千遍・一万遍・乃至六万遍等の念仏を称えて、十年・二十年の間に一遍も南無妙法蓮華経と唱えない人々は、親の譲状の先判を用いて後判を用いない者ではないか。これらの人は仏説を信じているように自分も思い、人も思っても、仏説のとおりであるなら不孝の者である。
 故に法華経の第二に云はく「今此の三界は皆(これ)我が()なり。其の中の衆生は悉く是吾が子なり。而も今此の処は諸の患難(げんなん)多し。(ただ)我一人のみ()救護(くご)を為す。復教詔(きょうしょう)すと雖も(しか)も信受せず」等云云。此の文の心は釈迦如来は我等衆生には親なり、師なり、主なり。我等衆生のためには阿弥陀仏・薬師仏等は主にてはましま()せども親と師とにはましまさず。ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一仏にかぎ()りたてまつる。    ゆえに法華経の第二巻に「今この三界は皆これ我が所有である。その中の衆生はことごとくこれ吾が子である。しかも今この処はもろもろの患難が多い。ただ我一人のみよく救護をなすのである。しかし、種々に教詔しても信受しないのである」と説かれたのである。
この文の心は、釈迦如来は我ら衆生のためには親であり、師であり、主である、ということである。我ら衆生のためには、阿弥陀仏・薬師仏等は主ではあるけれども、親と師ではない。ひとり三徳を兼ね具えて御恩深き仏は釈迦一仏に限るのである。
 親も親にこそよれ釈尊ほどの親、師も師にこそよれ、主も主にこそよれ、釈尊ほどの師主は()がた()くこそはべれ。この親と師と主との仰せをそむ()かんもの天神(てんじん)地祇(ちぎ)()てられたてまつらざらんや、不孝第一の者なり。故に「復教詔すと雖も而も信受せず」等と説かれたり。たとひ爾前の経につかせ給ひて百千万億(こう)行ぜさせ給ふとも、法華経を一遍も南無妙法蓮華経と申させ給はずば、不孝の人たる故に三世十方の聖衆にもすてられ天神地祇にもあだ()まれ給はんか是一    親も親にこそよれ、釈尊ほどの親はいない。師も師にこそよれ、主も主にこそよれ、釈尊ほどの師主はおられないのである。この親と師と主との仰せに背く者は天神・地祇に捨てられないことがあろうか。不孝第一の者である。
ゆえに「種々に教詔しても信受しないのである」等と説かれたのである。たとえ法華経以前の経について百千万億劫の間修行したとしても、法華経を信じて一遍でも南無妙法蓮華経と唱えることがなかったならば、不孝の人であるゆえに、三世十方の聖衆にも捨てられ、天神・地祇にも怨まれるであろう。是一。

 

第三章 宗教の五網のうち「機」を明かす

 たとい五逆十悪無量の悪をつくれる人も、(こん)だにも利なれば得道なる事これあり、提婆達多・鴦崛(おうくつ)摩羅(まら)等これなり。たとい根鈍なれども罪なければ得道なる事これあり、須利(すり)槃特(はんどく)等是なり。我等衆生は根の鈍なる事すりはんどくにもずぎ()、物のいろ()かたち()をわきまへざる事羊目(ようもく)のごとし。貪瞋(とんじん)()きわめてあつ()く、十悪は日々にをか()し、五逆をばおかさゞれども五逆に似たる罪又日々におかす。
   たとえ五逆罪・十悪・無量の悪をつくっている人でも、機根さえ利であるならば得道することがある。提婆達多・鴦崛摩羅等がこれである。たとえ機根が鈍であっても、罪がなければ得道することもある。須利槃特等がこれである。我等衆生は機根の鈍であることは須利槃特にも過ぎ、物の色、形を判別できないことは羊の目のようである。貪・瞋・癡はきわめて厚く、十悪の罪は日々に犯し、五逆罪は犯さないけれども、五逆罪に似た罪は日々に犯している。
 又十悪五逆にずぎたる謗法は人ごとにこれあり。させる語を以て法華経を謗ずる人はすくなけれども、人ごとに法華経をばもち()ゐず。又もちゐたる様なれども念仏等の様には信心ふか()からず。信心ふかき者も法華経のかたき()をばせめず。いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、
(★323㌻)
一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたき()をだにもせめざれば得道ありがたし。
   また十悪・五逆罪に過ぎたる謗法の罪は人ごとにある。これというほどの語をもって法華経を謗ずる人は少ないけれども、法華経を用いないという罪は人ごとにあり、また用いているようであっても念仏などのようには信心が深くない。信心の深い者でも法華経の敵を責めようとしない。どのような大善をつくり、法華経を千万部読み、書写し、一念三千の観心の道を得た人であっても、法華経の敵を責めなければ得道はできないのである。
 
 たとへば朝につか()ふる人の十年二十年の奉公あれども、君の敵を()りながら(そう)しもせず、私にもあだ()まずば、奉公皆()せて(かえ)ってとが()に行なはれんが如し、当世の人々は謗法の者と()ろしめすべし是二。    たとえば、朝廷に仕える人が十年・二十年と奉公しても、主君の敵を知りながら奏上もせず、個人としても怨まなければ、永年の奉公はみな消えて、かえって罪に問われるようなものである。当世の人々は謗法の者と知っておくべきである。是二。

 

第四章 宗教の五網のうち「時」を明かす

 仏入滅の次の日より千年をば正法と申す、持戒の人多く又得道の人これあり。正法千年の後は像法千年なり、破戒者は多く得道すくなし。像法千年の後は末法万年、持戒もなし破戒もなし、無戒者のみ国に充満せん。而も(じょく)()と申してみだ()れたる世なり。(しょう)()と申して()める世には直縄(じきじょう)()がれる木をけづ()らするがやうに非を()て是を用ふるなり。正像より()(じゃく)やうやう()できたりて末法になり候へば五濁さか()りにすぎて、大風の大波を()こしてきし()()つのみならず又波と波とをうつなり。見濁(けんじょく)と申すは正像やうやう()ぎぬれば、わづかの邪法の一つをつた()へて無量の正法をやぶ()り、世間の罪にて悪道に()つるものよりも仏法を以て悪道に堕つるもの多しと()へはんべり。
   仏の入滅の次の日から千年を正法といって、持戒の人が多く、得道した人もあった。正法千年の後は像法千年である。破戒の者が多く、得道した人は少なかった。像法千年の後は末法万年である。持戒もなく、破戒もく、無戒の者のみ国に充満するであろう。しかも濁世といって乱れた世である。清世といって澄んだ世には、墨繩が曲がった木を削り取らせるように、非を捨て是を用いるのである正法・像法から五濁が次第に出てきたのである。末法になると五濁が盛んとなって、大風の大波を起こして岸を打つだけでなく、また波と波ととが打ち合うのである。見濁というのは正法・像法が次第に過ぎると、わずかの邪法の一つを伝えて無量の正法を破り、世間の罪によって悪道に堕ちるものよりも、仏法によって悪道に堕ちるものが多いと見える。
 しかるに当世は正像二千年すぎて末法に入りて二百余年なり。見濁さかりにして悪よりも善根にて多く悪道に堕つべき時刻なり。悪は愚癡
(ぐち)
の人も悪としればしたが()はぬ辺もあり、火を水を以て()すが如し。
   しかるに当世は、正法・像法の二千年が過ぎて末法に入って二百余年であり、見濁が盛んであって、悪よりも善根によって多く悪道に堕ちる時期である。悪い事は愚かな人も悪い事と知れば随わないこともある。これは火を水をもって消すようなものである。
 善は但善と思ふほどに小善に付いて大悪の起こる事をしらず、所以に伝教・慈覚等の聖跡(しょうせき)あり。すた()あば()るれども念仏堂にあらずと()ゐて()()きて、そのかたわ()らにあた()らしく念仏堂をつくり、彼の寄進の田畠をとりて念仏堂に()す。此等は像法決疑経の文の如くならば功徳すくなしと見へはんべり。此等をもち()()るべし。善なれども大善をやぶ()る小善は悪道に堕つるなるべし。    善い事はただ善い事と思うのであるから、小善について大悪の起こることを知らない。ゆえに伝教大師・慈覚大師等の聖跡があって、それがすたれ荒れていっても、念仏堂ではないといって、捨て置いて、その傍らに新しく念仏堂を作り、もとの聖跡に寄進されていた田畠を取って念仏堂に寄進する。これらは像法決疑経の文によれば功徳は少ないと見える。これらのことから、善い事であっても大善を破るような小善は悪道に堕ちることを知るべきである。
 今の世は末法のはじ()めなり、小乗経の機・権大乗経の機みな()せはてゝ実大乗経の機のみあり。小船には大石をのせ()ず。悪人愚者は大石のごとし。小乗経並びに権大乗経念仏等は小船なり。大悪瘡(あくそう)(とう)()等は病大なれば小治およ()ばず。末代(じょく)()の我等には念仏等はたとへば冬田を作れるが如し。時が()はざるなり是三。
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   今の世は末法の初めである。小乗経で救われる機根の者・権大乗経で救われる機根の者は皆消えて、ただ実大乗経で救われる機根の者のみである。小船には大石をのせることはできない。悪人・愚者は大石のようなものである。小乗経ならびに権大乗経・念仏等は小船である。大悪瘡の湯治等は病が大きいゆえ、小さな療治では治らない。末代濁世の我等には、念仏等はたとへば冬に田を作るようなものである。時が合わないのである。是三。

 

第五章 宗教の五網のうち「国」を明かす

 国を()るべし、国に随って人の心()(じょう)なり。たとへ()江南(こうなん)(たちばな)淮北(わいほく)うつ()されてからたち(枳殻)となる。心なき草木すらとこ()ろによる、まして心あらんもの何ぞ所によらざらん。されば玄奘(げんじょう)三蔵(さんぞう)西域(さいいき)と申す文に天竺(てんじく)の国々を多く(しる)したるに、国の習ひとして不孝なる国もあり、孝の心ある国もあり。(しん)()のさかんなる国もあり、愚癡の多き国もあり。一向に小乗を用ふべき国あり、二向大乗を用ふる国あり。大小兼学すべき国もあり等と見へ(はべ)り。又一向に殺生の国、一向に偸盗(ちゅうとう)の国、又穀の多き国、(あわ)等の多き国不定なり。
   国を知らなければならない。国に随って人の心も異なるのである。たとへば揚子江南岸の橘を淮河の北岸に移せば(からたち)となる。心なき草木すら所によって異なるのである。まして心あるものが、どうして所によって異ならないことがあろう。されば玄奘三蔵の大唐西域記にインドの国々のことを多く記しているが、国の慣習として不孝な国もあり、孝心の厚い国もあり、瞋恚の心の盛んな国もあり、愚かさの多い国もあり、もっぱら小乗経を用いる国もあり、もっぱら大乗経を用いる国もあり、大乗経・小乗経を兼学する国もあるようである。またもっぱら殺生の国、もっぱら盗みの国、また穀の多い国、粟等の多い国など、さまざまである。
 (そもそも)日本国はいかなる教を習ひて生死を離るべき国ぞと(かんが)へたるに、法華経に云はく「如来の滅後に於て(えん)()(だい)の内に広く流布せしめ断絶せざらしむ」等云云。此の文の心は法華経は南閻浮提の人のための()(えん)の経なり。()(ろく)菩薩の云はく「東方に小国有り唯大機のみ有り」等云云。此の論の文の如きは閻浮提の内にも東の国に大乗経の機あるか。肇公(じょうこう)の記に云はく「()の典は東北の諸国に有縁なり」等云云。法華経は東北の国に縁ありと()ゝれたり。安然(あんねん)()(じょう)云はく「我が日本国皆大乗を信ず」等云云。慧心の一乗要決に云はく「日本一州円機純一」等云云。    そもそも日本国はどういう教えを習って生死を離れるべき国であるかと考えるに、法華経に「如来の滅後において、この経を閻浮提のうちに広く流布せしめ断絶させてはならない」と説かれている。この文の心は、法華経は南閻浮提の人のための有縁の経であるということである。弥勒菩薩は「東方に小国があり、ただ大乗経の機根の者だけがいる」と述べている。この論の文によると、閻浮提のなかでも東の小国に大乗経の機根のものがいるということである。肇公の法華翻経後記には「この法華経は東北の小国に縁がある」と。法華経は東北の国に縁があると書かれている。安然和尚は「我が日本国は皆大乗経を信じている」と述べ、慧心僧都の一乗要決には「日本全国は純粋に法華円教の機根である」と記されている。
 釈迦如来・弥勤菩薩・(しゅ)()耶蘇摩(やそま)三蔵・羅什三蔵・僧肇(そうじょう)(ほっ)()・安然和尚・慧心の先徳等の心ならば日本国は(もっぱ)らに法華経の機なり。一句一偈なりとも行ぜば必ず得道なるべし。有縁の法なる故なり。たとへばくろがね()()(しゃく)()うが如し。方諸(ほうしょ)の水をまねくににたり。念仏等の余善は無縁の国なり。磁石のかね()()わず方諸の水をまね()かざるが如し。故に安然の釈に云はく「()し実乗に非ずんば恐らくは自他を(あざむ)かん」等云云。此の釈の心は日本国の人に法華経にてなき法をさづ()くるもの、我が身をもあざむ()き人をもあざむく者と見えたり。されば法は必ず国をかゞ()みて弘むべし。彼の国に()かりし法なれば必ず此の国によかるべしとは思ふべからず是四。    釈迦如来・弥勒菩薩・須梨耶蘇摩三蔵・羅什三蔵・僧肇法師・安然和尚・慧心僧都の先徳等の考えによれば、日本国は純粋に法華経の機根の国である。一句・一偈であっても行じたならば必ず得道するであろう。それは有縁の法であるからである。たとへば鉄を磁石が吸いつけるようなものであり、方諸が水を招くのに似ている。
 念仏等の余善とは無縁の国である。磁石が金属を吸いつけず、方諸が水を招かないようなものである。ゆえに安然和尚の釈には「もし法華の実乗でなければ、おそらくは自他を欺くことになるであろう」とある。この釈の心は、日本国の人に法華経でない法を授ける者は、我が身をあざむき、人をあざむく者である、ということである。されば法は必ず国を考えて弘めるべきである。かの国に適した法であれば、必ずこの国にも適すると思ってはならない、是四。

 

第六章 「仏法流布の前後」を明かす

 又仏法流布の国においても前後を(かんが)ふべし。仏法を弘むる習ひ、必ずさきに弘まりける法の様を知るべきなり。例せば病人に薬をあた()ふるにはさきに服したりける薬を知るべし。薬と薬とがゆき合ひてあらそ()ひをなし、人をそん()ずる事あり。
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   また仏法の流布している国においても、その前後を考えなければならない。仏法を弘める習いとして。必ず先に弘まっている法の有りようを知るべきである。たとえば病人に薬を与えるには、先に服した薬のことを知らなければならないようなものである。そうでないと薬と薬とが作用しあって、人の命を損ずることになるのである。
 仏法と仏法とがゆき合ひてあらそひをなして、人を損ずる事のあるなり。さきに()(どう)の法弘まれる国ならば仏法をもちてこれをやぶ()るべし。仏の印度にいでて外道をやぶり、まとうか(摩謄迦)ぢくほうらん(竺法蘭)震旦(しんだん)に来て道士を()め、上宮(じょうぐう)(たい)()和国に生まれて(もり)()をき()しが如し。    それと同様に、仏法と仏法とがかち合って争いとなり人を損ずることになるのである。先に外道の法が弘まっている国ならば、仏法をもつてこれを破らなければならない。仏がインドに出られて外道を破り、摩謄迦・竺法蘭が中国に来て道士を責め、上宮太子が日本国に生まれて物部守屋を滅ぼしたようなものである。
 仏教においても、小乗の弘まれる国をば大乗経をもちてやぶるべし。無著菩薩の世親の小乗をやぶりしが如し。権大乗の弘まれる国をば実大乗をもちてこれをやぶるべし。天台智者大師の南三・北七をやぶりしが如し。而るに日本国は天台・真言の二宗のひろまりて今に四百余歳、比丘・比丘尼・うばそく・うばひの四衆皆法華経の機と定りぬ。善人悪人・有智無智、皆五十展転の功徳をそなふ。たとへば崑崙山に石なく、蓬莱山に毒のなきが如し。    仏教においても、小乗経の弘まっている国は大乗経をもって破らなければならない。無著菩薩が世親の小乗を破ったようなものである。権大乗経の弘まっている国は実大乗経をもつてこれを破らなければならない。天台智者大師が南三・北七の十師を破ったようなものである。しかるに日本国は、天台宗・真言宗の二宗が弘まって今に四百余年、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆は皆法華経の機根と定まった。善人・悪人・有智の者・無智の者も皆法華経に説かれる五十展転の功徳を備えている。たとへば崑崙山に石がなく、蓬莱山に毒がないようなものである。
 而るを此の五十余年に法然といふ大謗法の者いできたりて、一切衆生をすかして、珠に似たる石をのべて珠を投げさせ石をとらせたるなり。止観の五に云はく「瓦礫を貴んで明珠なりとす」と申すは是なり。一切衆生石をにぎりて珠とおもふ。念仏を申して法華経をすてたる是なり。此の事をば申せば還ってはらをたち、法華経の行者をのりて、ことに無間の業をますなり是五。    しかるにこの五十余年に、法然という大謗法の者が現れて、一切衆生をだまして、珠に似ている石をもって、珠を投げ出させて石を取らせたのである。摩訶止観の巻五に「瓦礫を貴んで明珠だといっている」とはこのことである。一切衆生は石を握って珠と思っている。念仏を称えて法華経を捨てるのがそれである。この事をいうと、世間の人はかえって腹を立て、法華経の行者を罵って、ことさらに無間地獄に堕ちる業を増しているのである。是五。

 

第七章 念仏を捨て法華の信を勧む

 但とのは、このぎを聞こし食して、念仏をすて法華経にならせ給ひてはべりしが、定めてかへりて念仏者にぞならせ給ひてはべるらん。法華経をすてゝ念仏者とならせ給はんは、峰の石の谷へころび、空の雨の地におつるとおぼせ。大阿鼻地獄疑ひなし。大通結縁の者の三千塵点劫をへ、久遠下種の者の五百塵点を経し事、大悪知識にあひて法華経をすてゝ念仏等の権教にうつりし故なり。一家の人々念仏者にてましましげに候ひしかば、さだめて念仏をぞすゝめむと給ひ候らん。我が信じたる事なればそれも道理にては候へども、悪魔の法然が一類にたぼらかされたる人々なりとおぼして、大信心を起こし御用ひあるべからず。大悪魔は貴き僧となり、父母兄弟等につきて人の後世をばさうるなり。いかに申すとも、法華経をすてよとたばかりげに候はんをば御用ひあるべからず候。まづ御きゃうざくあるべし。
   ただ貴殿は、この義を聞かれて、念仏を捨て法華経を持っておられたが、今はきっとかえって念仏者になられておられるだろう。法華経を捨てて念仏者になられたならば、峯の石が谷底へ転げ落ち、空の雨の地に落ちるようなものであると思いなさい。大阿鼻地獄に堕ちることは疑いない。大通智勝仏の時に結縁した者が三千塵点劫の間、久遠の昔に下種された者が五百塵点劫の間、無間地獄等の悪道で過ごしたのは、大悪知識にあって法華経を捨てて念仏等の権教に移ったからである、あなたの一家の人々は念仏者であったようであるから、きっと念仏を勧めていることであろう。自分達が信じたことであるからそれも道理ではあるけれども、悪魔の法然が一類にたぼらかされている人々であると思って、大信心を起こし、用いてはならない。大悪魔は貴き僧となり、父母・兄弟等にとりついて、人の後世を妨げるのである。どのように言っても、法華経を捨てよと欺こうとするのを用いてはならない。まずはご推察されるがよい。

 

第八章 小松原法難の様相を示す

(★326㌻)
 念仏実に往生すべき証文つよ()くば、此の十二年が間、念仏者無間地獄と申すをば、いかなるところ()へ申しいだしても()めずして候べきか。よくよくゆは()き事なり。法然・善導等が()()きて候ほどの法門は日蓮らは十七八の時よりしりて候ひき。このごろの人の申すことこれにすぎず。結句(けっく)は法門はかなわずして、()せてたゝか()いにし候なり。念仏者は数千万、かた()うど()多く候なり。日蓮は唯一人、かたうど一人これなし。いまゝでも()きて候はふかしぎ(不可思議)なり。
   
 念仏で実に往生するという証文が確かであるならば、この十二年間、念仏者は無間地獄に堕ちると言ったのを、どのようなところへ申し出ても、難詰しないでおられようか。よくよく自信がないのであろう。法然・善導等が書き置いたほどの法門は、日蓮は十七・八歳の時から知っていた。このごろの人の言うこともこれを越えてはいない。結句、法門ではかなわないから、多勢をたのんで力で戦おうとするのである。念仏者は数千万であり、味方は多い。日蓮は一人であり、味方は一人もいない。今まで生きているのは不思議なのである。
 今年も十一月十一日、安房国(あわのくに)東条の松原と申す(おお)()にして、申酉(さるとり)の時、数百人の念仏等に()ちかけられ候ひて、日蓮は唯一人、十人ばかり、ものゝ要に()ふものわづ()かに三四人なり。()()()あめ()のごとし、()たち(太刀)いなづま()のごとし。弟子一人は当座にうちとられ、二人は大事の()にて候。自身も()られ、打たれ、結句にて候ひし程に、いかゞ候ひけん、()()らされていま()ゝで()きてはべり。    今年も十一月十一日、安房の国の東条の松原という大路で、申酉の時、数百人の念仏者等に待ち伏せされた。日蓮は唯一人、十人ばかりの供も、役に立つ者はわずかに三・四人である。射る矢は雨のようであり、打つ太刀は雷のようであった。弟子一人は即座に打ち取られ、二人は深手を負った。日蓮自身も斬られ、打たれ、もはやこれまでという有り様であったが、どうしたことであろうか、打ちもらされて今日まで生きているのである。
 いよいよ法華経こそ信心まさりて候へ。第四の巻に云はく「而も此の経は如来の現在すら(なお)怨嫉(おんしつ)多し(いわ)んや滅度の後をや」と。第五の巻に云はく「一切世間(あだ)多くして信じ難し」等云云。日本国に法華経()み学する人これ多し。人の()ねら()ひ、ぬす()み等にて打ちはらるゝ人は多けれども、法華経の故にあやま()たるゝ人は一人もなし。されば日本国の持経者はいまだ此の経文には()わせ給はず。唯日蓮一人こそ()みはべれ。「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」是なり。されば日蓮は日本第一の法華経の行者なり。     いよいよ法華経の信心を増すばかりである。法華経の第四の巻には「しかもこの経は仏の在世でさえなお怨嫉が多い、ましてや滅度の後においてはなおさらである」とあり、第五の巻には「一切世間に怨嫉が多くて信じがたい」と説かれている。日本国に法華経よみ学ぶ人は多い。人の妻を狙い、盗み等をして、罰せられる人は多いけれども、法華経のために傷をつけられる人は一人もいない。だから日本国の持経者は、いまだこの経文に符合していない。ただ日蓮一人こそ法華経を色読したのである「我身命を愛せず、ただ無上の道を惜しむ」とはこのことである。ゆえに日蓮は日本第一の法華経の行者である。

 

第九章 更に信心を勧めて結ぶ

 もしさき()()ゝせ給はゞ、梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申させ給ふべし。日本第一の法華経の行者日蓮房の弟子なりとなの(名乗)らせ給へ。よもはう()しん()なき事は候はじ。但一度は念仏、一度は法華経とな()へつ、二心ましまし、人の聞にはゞ()かりなんどだにも候はゞ、よも日蓮が弟子と申すとも御用ゐ候はじ。後にうら()みさせ給ふな。但し又法華経は今生のいの()りとも成り候なれば、もしやとして()きさせ給ひ候はゞ、あはれとくとく見参(げんざん)して、みづか()ら申しひらかばや。語はふみ()()くさず、ふみは心をつくしがたく候へばとゞめ候ひぬ。恐恐謹言。
(★327㌻)
 十二月十三日    日蓮 花押
なんでう(南条)の七郎殿
   もし日蓮より先に旅立たれたならば、梵天・帝釈天・四大天王・閻魔大王等に申しあげなさい。日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子であると名乗りなさい。よもや粗略な扱いはされないであろう。
 ただし、一度は念仏・一度は法華経を唱えるというように二心があって、人の風聞を恐れるようなことがもしもあるならば、日蓮の弟子と名乗られても、お用いにはなるまい。あとになって恨んではならない。
 ただし法華経は今生の祈りとなるものであるから、ひょっとして生きのべられることがあれば、一刻も早くお会いして、日蓮からお話したい。
 お話したことは文に尽くせない。文は心を尽くし難いから、ここでとどめます。恐恐謹言。

 十二月十三日    日蓮 花押
南条兵衛七郎殿