教機時国抄   弘長二年二月一〇日   四一歳

 

第一章 教を明かす

(★269㌻)
 一に教とは、釈迦如来所説の一切の経律論五千四十八巻四百八十帙。天竺に流布すること一千年、仏の滅後一千一十五年に当たって震旦国に仏経渡る。後漢の孝明皇帝永平十年丁卯より唐の玄宗皇帝開元十八年庚午に至る六百六十四歳の間に一切経渡り畢んぬ。
 
 第一に教とは、釈迦如来が説かれた一切の経・律・論は五千四十八巻・四百八十帙である。これがインドに流布すること一千年を経て釈尊の滅後一千一十五年にあたる年に中国に仏経が渡った。後漢の孝明皇帝の永平十年丁卯から唐の玄宗皇帝の開元十八年庚午に至るまでの六百六十四年の間に、一切経は渡り終わった。
(★270㌻)
 此の一切の経律論の中に小乗・大乗・権経・実経・顕教・密教あり。此等を弁ふべし。此の名目は論師人師よりも出でず、仏説より起こる。十方世界の一切衆生一人も無く之を用ふべし。之を用ひざる者は外道と知るべきなり。阿含経を小乗と説く事は方等・般若・法華・涅槃等の諸大乗経より出でたり。法華経には「一向に小乗を説きて法華経を説かざれば仏慳貪に堕すべし」と説き給ふ。涅槃経には「一向に小乗経を用ひて仏を無常なりと云はん人は舌口中に爛るべし」云云。
 
 この一切の経・律・論の中に、小乗・大乗・権経・実経・顕経・密経がある。これらをわきまえ知らなければならない。この名称は論師・人師から出たものではなく、仏説から起こったものである。したがって十方世界の一切衆生は一人ものこらずこれを用いるべきである。これを用いない者は外道の者と知るべきである。阿含経を小乗と説くことは方等・般若・法華・涅槃などの諸大乗経から出たのである。法華経には「ただ小乗経だけを説いで法華経を説かなければ仏は慳貪の罪に堕ちるであろう」と説かれている。また、涅槃経には「ただ小乗経だけを用いて、仏を無常であるという人は、舌が口の中で爛れるであろう」と説かれている。

 

第二章 機を明かす

 二に機とは、仏教を弘むる人は必ず機根を知るべし。舎利弗尊者は金師に不浄観を教へ、浣衣の者には数息観を教ふる間、九十日を経て所化の弟子仏法を一分も覚らずして、還って邪見を起こし一闡提と成り畢んぬ。仏は金師に数息観を教へ、浣衣の者に不浄観を教へたまふ。故に須臾の間に覚ることを得たり。智慧第一の舎利弗すら尚機を知らず。何に況んや末代の凡師機を知り難し。但し機を知らざる凡師は所化の弟子に一向に法華経を教ふべし。    第二に機とは、仏教を弘むる人は必ず機根を知るべきである。舎利弗尊者は金師に不浄観を教え、浣衣の者には数息観を教えたところ、九十日を経て所化の弟子は仏法を少しも覚らないで、かえって邪見を起こし一闡提となてしまった。仏は金師に数息観を教え、浣衣の者に不浄観を教えられたので、たちまちのうちに彼等は覚ることができた。智慧第一の舎利弗でさえなお衆生の機根を知らない。ましてや末代の凡師においては機根を知りがたい。ただし機根を知らない凡師は、所化の弟子にひたすら法華経だけを教えるべきである。
 問うて云はく、無智の人の中にして此の経を説くこと莫れとの文は如何。答へて云はく、機を知るは智人の説法する事なり。又謗法の者に向かっては一向に法華経を説くべし。毒鼓の縁と成さんが為なり。例せば不軽菩薩の如し。亦智者と成るべき機と知らば必ず先づ小乗を教へ、次に権大乗を教へ、後に実大乗を教ふべし。愚者と知らば必ず先づ実大乗を教ふべし。信謗共に下種と為ればなり。    問うて云う。それでは法華経譬喩品の「無智の人の中において、この法華経を説いてはならない」との文はどうなのか。
 答えて言う。機を知るとは智人が説法する場合である。しかし、謗法の者に向かってはひたすら法華経を説くべきである。それは毒鼓の縁を結ぶためである。たとえば不軽菩薩のようなものである。また智者となるべき機根と知るならば、かならず先に小乗を教え、つぎに権大乗を教え、最後に実大乗を教えるべきである。しかし機根が愚かな者であると知るならば、かならず先に実大乗を教えるべきである。信ずるにしても謗ずるにしても、ともに下種となるからである。

 

第三章 時を明かす

 三に時とは、仏教を弘めん人は必ず時を知るべし。譬へば農人の秋冬田作るに種と地と人の功労とは違はざれども一分も益無く還って損す、一段を作る者は少損なり、一町二町等の者は大損なり、春夏耕作すれば上中下に随って皆分々に益有るが如し。仏法も亦復是くの如し。時を知らずして法を弘むれば益無き上還って悪道に堕するなり。仏出世し給ふて必ず法華経を説かんと欲するに、縦ひ機有れども時無きが故に四十余年此の経を説きたまはず。故に経に云はく・「説時未だ至らざるが故なり」等云云。仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少なし。
(★271㌻)
正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少なし。像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少なく無戒の者は多なし。正法には破戒無戒を捨てゝ持戒の者を供養すべし。像法には無戒を捨てゝ破戒の者を供養すべし。末法には無戒の者を供養すること仏の如くすべし。但し法華経を謗ぜん者をば、正像末の三時に亘りて、持戒の者をも無戒の者をも破戒の者をも共に供養すべからず。供養せば必ず国に三災七難起こり必ず無間大城に堕すべきなり。法華経の行者の権経を謗ずるは、主君・親・師の所従・子息・弟子等を罰するが如し。権経の行者の法華経を謗ずるは、所従・子息・弟子等の主君・親・師を罰するが如し。又当世は末法に入って二百一十余年なり。権経念仏等の時か、法華経の時か、能く能く時刻を勘ふべきなり。
   第三に時とは、仏教を弘めようとする人は、かならず時を知るべきである。
 譬えば、農人が秋や冬に田を作れば、種と地と人の労作業に変わりがなくても、少しも利益がなく、かえって損することになる。一反を作る者は少損であり、一町・二町を作る者は大損である。しかし、春や夏に耕作すれば、上中下にしたがって、皆、それぞれに応じた収益があるようなものである。
 仏法も、また、これと同様である。時を知らないで法を弘めるならば、利無がないばかりか、かえって悪道に堕ちることになる。仏はこの世に出現されて、かならず法華経を説こうとされたが、たとい機はあっても時がきていなかったので、四十余年の間には、法華経を説かれなかった。ゆえに法華経方便品第二には「説く時が未だ至らなかった故である」等といわれている。
 仏の滅後のつぎの日から始まる正法一千年間は、持戒の者が多く破戒の者が少ない。正法一千年のつぎの日から始まる像法一千年間は、破戒の者が多く無戒の者が少ない。像法一千年のつぎの日から始まる末法一万年間は、破戒の者は少なく無戒の者が多い。正法には、破戒・無戒の者を捨てて持戒の者を供養すべきである。像法には、無戒の者を捨てて破戒の者を供養すべきである。末法には無戒の者を供養すること、仏を供養するようにすべきである。
 ただし、法華経を謗る者に対しては、正法・像法・末法の三時にわたって、持戒の者をも無戒の者をも破戒の者をも、ともに供養すべきではない。もし供養するならば、かならず国に三災七難が起こり、供養した者もかならず無間大城に堕ちることになる。法華経の行者が権経を謗ずるのは、主君が所従を、親が子息を、師が弟子を処罰するようなものである。だが、権経の行者が法華経を謗ずるのは所従が師匠を、子息が親を、弟子が師を処罰するようなものである。
 また今の世は、末法に入って二百一十余年になる。権経・念仏等の時か、法華経の時かをよくよく考えるべきである。

 

第四章 国を明かす

 四に国とは、仏教は必ず国に依って之を弘むべし。国には寒国・熱国・貧国・富国・中国・辺国・大国・小国、一向偸盗国・一向殺生国・一向不孝国等之有り。又一向小乗の国・一向大乗の国・大小兼学の国も之有り。而るに日本国は一向に小乗の国か、一向に大乗の国か、大小兼学の国か、能く能く之を勘ふべし。    第四に国とは、仏教はかならずその国に応じた法を弘むべきである。国には寒い国と熱い国、貧しい国と富める国、世界の中央にある国と辺境の国、大国と小国、盗賊ばかりの国、殺生者ばかりの国、不孝者ばかりの国等がある。また小乗だけの国、大乗だけの国、大乗と小乗を兼ね学ぶ国もある。それでは日本国は小乗だけの国なのか、大乗だけの国なのか、それとも大乗と小乗とを兼ね学ぶ国なのか、この点をよくよく勘えるべきである。

 

第五章 教法流布の先後を明かす

 五に教法流布の先後とは、未だ仏法渡らざる国には未だ仏法を聴かざる者あり。既に仏法渡れる国には仏法を信ずる者あり。必ず先に弘まる法を知りて後の法を弘むべし。先に小乗権大乗弘まらば後に必ず実大乗を弘むべし。先に実大乗弘まらば後に小乗・権大乗を弘むべからず。瓦礫を捨てゝ金珠を取るべし。金珠を捨てゝ瓦礫を取ること勿れ已上。此の五義を知りて仏法を弘めば日本国の国師とも成るべきか。
   第五に教法流布の先後とは、まだ仏法が渡っていない国には、まだ仏法を聴かない者がいる。すでに仏法の渡った国には仏法を信ずる者がいる。かならずその先にその国に弘まった法を知って、後の法を弘めるきである。
 先に小乗・権大乗が弘まっていたならば、後はかならず実大乗を弘めるべきである。先に実大乗が弘まっていたならば、後に小乗・権大乗を弘めてはならない。瓦礫を捨てて黄金と珠を取るべきである。黄金や珠を捨てて瓦礫を取ってはならない。 以上、この五義を知って仏法を弘めるならば、日本国の国師となるのである。

 

第六章 教を知る

 所以に法華経は一切経の中の第一の経王なりと知るは是教を知る者なり。但し光宅の法雲・道場の慧観等は涅槃経は法華経に勝れたりと。清凉山の澄観、高野の弘法等は華厳経・大日経等は法華経に勝れたりと。嘉祥寺の吉蔵、慈恩寺の基法師等は般若・深密等の二経は法華経に勝れたりといふ。天台山の智者大師只一人のみ一切経の中に法華経を勝れたりと立つるのみに非ず、
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法華経に勝れる経之有りと云はん者を諫暁せよ、止まずんば現世に舌口中に爛れ後生は阿鼻地獄に堕すべし等云云。此等の相違を能く能く之を弁へたる者は教を知れる者なり。
   ゆえに法華経は一切経の中の第一の経王であると知るのが、教を知る者である。ところが光宅寺の法雲・道場寺の慧観等は、涅槃経は法華経より勝れているといっている。清涼山の澄観・高野の弘法等は華厳経・大日経等は法華経よりも勝れているといっている。嘉祥寺の吉蔵・慈恩寺の窺基法師等は、般若・深密等の二経は法華経より勝れているといっている。天台山の智者大師ただ一人だけが、一切経の中で法華経が勝れていると立てただけではなく「法華経よりも勝れた経があるという者を諌暁しなさい。それでもいいやまないならば、現世には舌が口中で爛れ、後生は阿鼻地獄に堕ちるであろう」等といわれたのである。これらの相違をよくよくわきまえた者が教を知っている者である。
 当世の千万の学者等一々之に迷へるか。若し爾らば教を知れる者之少なきか。教を知れる者之無ければ法華経を読む者之無し。法華経を読む者之無ければ国師となる者無きなり。国師となる者無ければ国中の諸人一切経の大小権実顕密の差別に迷ふて、一人に於ても生死を離るゝ者之無く、結句は謗法の者と成り、法に依って阿鼻地獄に堕する者は大地の微塵よりも多く、法に依って生死を離るゝ者は爪上の土よりも少なし。恐るべし恐るべし。    今の世の千万の学者等は、誰もがこれに迷っている。もしそうなれば、教を知っている者は少ないことになる。教を知っている者がいなければ、法華経を読む者もいない。法華経を読む者がいなければ、国師となる者もいない。国師となる者がいなければ、国中の人々は一切経の大乗・小乗・権経・実経・顕経・密経の差別に迷って、一人も生死を離れる者がなく、結局は謗法の者となり、法によって阿鼻地獄に堕ちる者は大地の微塵よりも多く、法によって生死を離れる者は、爪の上の土よりも少ない。まことに恐るべきことである。

 

第七章 機を知る

 日本国の一切衆生は桓武皇帝より已来四百余年一向に法華経の機なり。例せば霊山八箇年の純円の機なるが如し。 天台大師・聖徳太子・鑑真和尚・根本大師・安然和尚・慧心等の記に之有り 是機を知れる者なり。而るに当世の学者の云はく、日本国は一向に称名念仏の機なり等云云。例せば舎利弗の機に迷ふて所化の衆を一闡提と成せしが如し。    日本国の一切衆生は桓武天皇以来四百余年、一向に法華経の機根である。たとえば霊鷲山で八箇年の説法を聞いた衆生が、純円の機根であったのと同じである。このことは天台大師・聖徳太子・鑒真和尚・根本大師・安然和尚・慧心僧都等の文書に記されているこれが機を知るというのである。ところが今の世の学者がいうには「日本国は一向に称名念仏の機根である」と。たとえば舎利弗が機根に迷い、所化の衆生を一闡提としてしまったようなものである。

 

第八章 時を知る

 日本国の当世は如来の滅後二千二百一十余年、後五百歳に当たって妙法蓮華経広宣流布の時刻なり。是時を知るなり。而るに日本国の当世の学者或は法華経を抛ちて一向に称名念仏を行じ、或は小乗の戒律を教へて叡山の大僧を蔑み、或は教外を立てゝ法華の正法を軽しむ。此等は時に迷へる者か。例せば勝意比丘が喜根菩薩を謗じ、徳光論師が弥勒菩薩を蔑りて阿鼻の大苦を招きしが如し。    日本国の今の世は、如来の滅後二千二百一十余年、後五百歳に当っており、妙法蓮華経の広宣流布する時刻である。これを時を知るという。ところが日本国の今の世の学者は、あるいは法華経を抛って一向に称名念仏を行じ、あるいは小乗の戒律を教えて、比叡山の大僧をあなどり、あるいは教外別伝の法門を立てて法華の正法を軽んじている。これらは時に迷っている者である。たとえば勝意比丘が喜根菩薩を謗り、徳光論師が弥勒菩薩をあなどって阿鼻地獄の大苦を招いたようなものである。

 

第九章 国を知る

 日本国は一向に法華経の国なり。例せば舎衛国の一向に大乗なりしが如きなり。又天竺には一向に小乗の国、一向に大乗の国、大小兼学の国も之有り。日本国は一向に大乗の国なり。大乗の中にも法華経の国たるべきなり。 瑜伽論・肇公記・聖徳太子・伝教大師・安然等の記に之有り 是国を知れる者なり。而るに当世の学者日本国の衆生に一向に小乗の戒律を授け、一向に念仏者等と成すは、譬へば宝器に穢食を入れたるが如し等と云云。 宝器の譬は伝教大師の守護章に在り。    日本国は一向に法華経に縁のある国である。たとえば舎衛国が一向に大乗の国であったようなものである。またインドには小乗だけの国、大乗だけの国、大乗と小乗を兼ね学ぶ国もある。日本国は大乗だけの国であり、大乗の中でも法華経の国であるというべきである。瑜伽論.肇公の記.聖徳太子.伝教大師.安然等に記してある。以上のことを知る者が国を知る者である。
 ところが今の世の学者が日本国の衆生に向かって小乗だけの戒律を授けたり、念仏者等だけにしているのは「たとえば宝の器に穢い食物を入れたようなものである」とある。この法器の譬えは伝教大師の守護国界抄にある。

 

第十章 教法流布の先後を知る

 日本国には欽明天皇の御宇に仏法百済国より渡り始めしより、桓武天皇に至るまで二百四十余年の間此の国に小乗権大乗のみ弘め、
(★273㌻)
法華経有りと雖も其の義未だ顕はれず。例せば震旦国に法華経渡って三百余年の間、法華経有りと雖も其の義未だ顕はれざりしが如し。桓武天皇の御宇に伝教大師有して、小乗権大乗の義を破して法華経の実義を顕はせしより已来、又異義無く純一に法華経を信ず。設ひ華厳・般若・深密・阿含の大小の六宗を学する者も法華経を以て所詮と為す。況んや天台真言の学者をや。何に況んや在家の無智の者をや。例せば崑崙山に石無く蓬莱山に毒無きが如し。建仁より已来今に五十余年の間、大日・仏陀、禅宗を弘め、法然・隆寛浄土宗を興し、実大乗を破して権宗に付き、一切経を捨てゝ教外を立つ。譬へば珠を捨てゝ石を取り地を離れて空に登るが如し。此は教法流布の先後を知らざる者なり。仏誡めて云はく「悪象に値ふとも悪知識に値はざれ」等云云。
   日本国では欽明天皇の御代に仏法が百済国から初めて渡ってきてから、桓武天皇の御代に至るまでの二百四十余年の間は、この国に小乗や権大乗だけが弘まった。法華経はあったけれども、その実義は、まだ顕れなかった。たとえば中国に法華経が渡って三百余年の間は、法華経はあったけれども、その実義はまだ義われなかったのと同じである。
 桓武天皇の御代に伝教大師が出られて、小乗や権大乗の義を破して法華経の真実義を顕して以来、日本国の衆生は、異義なく純一に法華経を信ずるようになった。たとい華厳・般若・深密・阿含等の大乗や小乗といった南都六宗を学ぶ者であっても、法華経をもって仏教の究極の教えとしていた。まして天台宗や真言宗の学者においては当然のことであり、それ以上に在家の仏法を知らない者においてはなおのことであった。たとえば、崑崙山には宝石のみあって粗石がなく、蓬莱山には仙薬のみあった毒がないのと同じである。
 建仁のころから今に至る五十余年の間に、大日能忍や仏陀が禅宗を弘め、法然や隆寛が浄土宗を興し、実大乗たる法華経を破して権宗につき、一切経を捨てて教外別伝の法門を立てた。たとえば宝珠を捨てて石を取り、地を離れて空に登るのと同じである。これらは教法流布の先後を知らない者である。
 仏は涅槃経でこのことを誡められて「悪象に値っても、悪知識に値ってはならない」等と説かれている。

 

第十一章 死身弘法を説く

 法華経の勧持品に、後五百歳二千余年に当たって法華経の敵人三類有るべしと記し置きたまへり。当世は後五百歳に当たれり。日蓮仏語の実否を勘ふるに三類の敵人之有り。之を隠さば法華経の行者に非ず、之を顕はさば身命定めて喪はんか。法華経第四に云はく・「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し。況んや滅度の後をや」等云云。同第五に云はく・「一切世間怨多くして信じ難し」と。又云はく「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」と。同第六に云はく・「自ら身命を惜まず」云云。涅槃経第九に云はく「譬へば王使の善能談論し、方便に巧みなる、命を他国に奉け寧ろ身命を喪ふとも終に王の所説の言教を匿さゞるが如し。智者も亦爾なり。凡夫の中に於て身命を惜しまずして要必大乗方等を宣説すべし」云云。章安大師釈して云はく「寧ろ身命を喪ふとも教を匿さずとは、身は軽く法は重し、身を死して法を弘めよ」云云。此等の本文を見れば三類の敵人を顕はさずんば法華経の行者に非ず。之を顕はすは法華経の行者なり。而れども必ず身命を喪はんか。例せば獅子尊者・提婆菩薩等の如くならん云云。
 二月十日     日蓮花押
   法華経の勧持品には、後の五百歳、釈尊滅後二千余年にあたって、法華経の敵人が三種類あるであろう、と書き残されている。当世は後五百歳の時にあたっている。日蓮が仏語の実否を勘案してみるに、三類の敵人はたしかにある。この三類の敵人の存在を顕すならばかならず身命を喪うであろう。
 法華経の第四の巻法師品第十に「しかもこの法華経は如来のおられる現在でさえ、なお怨嫉が多い。まして如来滅度の後においてはなおさらである」等と説かれている。同じく法華経第五の安楽行品第十四に「一切世間に怨む者が多く、法華経を信じがたい」と。また勧持品第十三には「我身命を愛せず、但無上の道を惜しむ」と。同じく第六の巻寿量品第十六には「自ら身命を惜しまず」と。涅槃経第九には「譬えば王の使で論議がよくできて方便に巧みな者が、王命をうけて他国に赴き、むしろ身命を喪うことになっても、決して王のいった言葉や教えをかくさないのと同じである。智者もまた同じである。智者は凡夫の中において身命を惜しまず、必ず大乗方等を宣説すべきである」と。章安大師はこの文を釈して「『むしる身命を喪うともこの教を隠さず』とは、身は軽く法は重い。ゆえに身を死して法を弘めよ」といわれている。これらの等と本文を見れば、三類の敵人を顕さなければ法華経の行者ではない。これを顕すのが法華経の行者である。しかしながらそうすればかならず身命を喪うことになろう。たとえば師子尊者や提婆菩薩のようになるであろう。
 二月十日     日蓮花押