一代五時鶏図   建治元年  五四歳

 

第一章 五時のうち爾前四時を図示す

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 三十万偈
  大悲方便論十万偈
  大心論  十万偈
  大無畏論 十万偈
 
竜樹の寿命は三百年といわれている
大智度論は、羅什が訳す。
竜樹の本地は法雲自在王如来である。また観自在王如来ともいう。
大智度論は百論からなり、インドの原本は千巻である。
竜樹の出現は仏滅後六百七十八年である。
 大智度論には、釈尊は十九歳で出家し、三十歳で成道したとある。
竜樹菩薩は付法蔵の第十一、馬鳴菩薩の御弟子で、付法蔵の第十三である。
 └竜猛菩薩ともいう。

 竜樹の著作は三十万巻ともいわれている。内訳は
   大悲方便論  十万巻
   大 心 論  十万巻
   大無 畏論  十万巻、となる。

 

 

第二章 五時のうち爾前四時を図示す

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      華厳三七日・阿含十二年・方等般若三十年・已上四十二年なり。
      法界性論に云はく四十二年
無量義経に云はく「方便力を以ての故に四十余年には未だ真実を顕はさず」
又云はく「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐるとも終に無上菩提を成ずることを得ず。所以は何。菩提の大直道を知らざる故、険径を行くに留難多きが故に」
又云はく「大直道を行けば留難無きが故に」
                 ┌華厳は三週間・阿含十二年間・方等般若合わせて三十年間・合計四十二年である。
               ├法界性論にも四十二年とある。
 無量義経には「方便の力をもっての故に、四十余年には未だ真実を顕わしていない」とある。また「無量無辺不可思議阿僧祇劫を経過しても、ついに無上の悟りを成ずることができない。理由はなぜか、悟りへの大直道を知らず、険逕の道を進むので困難が多いからである」とある。また「悟りへの大直道を行けば困難は無いのである」とある。

 

 

第三章 第五・法華涅槃時を図示す

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「我が所説の経典は無量千万億にして已に説き今説き当に説かん。而も其の中に於て此の法華経は最も為れ難信難解なり」
 記の六に云はく「縦ひ経有って諸経の王と云ふとも已今当説最為第一と云はず。兼但対帯、其の義知んぬべし」玄の三に云はく「舌、口中に爛る」と。籖の三に云はく「已今当の妙此に於て固く迷へり。舌爛れて止まざるは猶華報となす。謗法の罪苦、長劫に流る」
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 又云はく「諫暁すれども止まず」
   
 已  華厳経・大日経・深密経・楞伽経・大品経・般若経等
 今  無量義経
 当  涅槃経等
 
 法華経法師品第十に「私が説いた経典は無量千万億という計り知れないほどになるが、已に説いた経、今説いている経、これから当に説こうとする経はある。しかしその中において、この法華経が最も信じ難く解し難い」とある。法華文句記の六には「たとえ経があって諸経の王とはいっても、已今当説最為第一とはいっていない。兼・但・対・帯の意義を知るべきである」とある。法華玄義の三には「軽慢を止めなければ舌が口の中で爛れる」とある。法華玄義釈籤の三には「已今当の妙について、頑なに迷い誹謗すれば、今世において受ける、舌が爛れて止むことなき報いはまだ華のようなもので、謗法の罪の苦しみは来世の長い劫にわたる」とある。また、同じく法華玄義釈籤には「法華経が究極の法であるのに、華厳・般若経が勝れているといい諌暁しても止めない場合は、舌が爛れる」とある。

 

 

第四章 釈尊の主師親三徳を図示す

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第五章 弥陀等の娑婆無縁なるを明かす

 玄の六に云はく「本、此の仏に従って初めて道心を発こし、亦此の仏に従って不退の地に住す」
 文句の六に云はく「旧は西方の無量寿仏を以て、以て長者を合す。今は之を用ひず。西方は仏別に縁異なり。仏別なる故に隠顕の義成ぜず。縁異なる故に子父の義成ぜず。又此の経の首末に全く此の旨無く。眼を閉ぢて穿鑿す○舍那の著脱は近けれども尚知らず。弥陀は遠きに在り、何んぞ嘗て変換せん」云云。
 記の六に云はく「西方等とは弥陀・釈迦の二仏既に殊なり。豈、弥陀をして珍玩の服を隠さしめ、乃ち釈迦をして弊垢の衣を著せ使めん。然も釈迦は珍服の隠すべき無く、弥陀は唯勝妙の形なるに当たる。況んや宿昔の縁別に化道同じからざるをや。結縁は生の如く成就は養の如し。生養の縁異にして父子成ぜず。珍弊、途を分かち著脱殊に隔たり、経を消する事欠け調就の義乖けり。当部の文に永く斯の旨無し。舍那著脱等とは、舍那の動せずして而も往くに迷へり。弥陀の著弊は諸教に文無し。若し平等意趣を論せば彼此奚んぞ嘗て自ら矜らん。縦ひ他を我が身とするも還って我が化を成ず。我他の像を立つれば乃ち他の縁を助く。人之を見ざれば化縁便ち乱る。故に知んぬ、夫の結縁とは並びに応身に約することを。我昔曽て二万億等と云ふが如し。況んや十六王子の始めより今に至りて機感相成し任運に分解するをや。是の故に彼の弥陀を以て此の変換となすべからず」と。
   法華文句巻六に「法華経信解品第四の長者窮子の譬を訳して、古い書には無量寿仏が長者であると訳しているが、今はこれを用いない。西方の仏は別で縁も異なる。仏が別であるから、長者が父であることを隠したのが釈迦仏で顕したのが阿弥陀仏という義は成り立たない。衆生との縁が異なるために、阿弥陀仏が娑婆世界の衆生と子の父の関係にあるという義も成り立たない。また、この法華経の初めから終りまで、全く、阿弥陀仏が娑婆世界の教主であるという旨は説かれていない。眼を閉ざして深く究明せよ。廬舎那仏は近くで著脱を行ったが、衆生は知らなかった。阿弥陀仏は遠い西方にいる。どうして阿弥陀仏が仏になりかわることがあろうか」とある。
 法華文句記巻六に「『西方の無量寿仏』等とあるのは、阿弥陀仏と釈迦牟尼仏の二仏は既に異なっているからである。阿弥陀仏にその立派な服を隠させて釈迦牟尼仏は隠すべき立派な服はなく、阿弥陀仏だけが見事な勝れて妙なる仏であるということになる。いわんや過去世における結縁も異なり、化導も同じでない。本来、結縁は四護のうちの生のごとくであり。成熟は養のごとくである。その生と養の結縁が異なるので、父と子の関係は成立しない。立派な服と粗略な服の違いは二仏を隔てるものがあり、服を著るか脱ぐかとの違いは殊に隔他理が大きい。法華義記の経文にはこのような解釈は欠点が多く、父が子を育てるという調熟の本義にそむいている。法華経一部の経には、阿弥陀仏がこの土の教主であるという旨は全く説かれていない。法華文句に『廬舎那仏著脱』等とあるのは、廬遮那仏が応身の姿を顕したり隠したりする義であるのが分からず、長者が阿弥陀仏であると迷ったのである。阿弥陀仏が粗末な衣を著て釈迦仏と現れるなどよいうことは諸経に説かれていない。もし仏はいずれも平等である。故に釈迦仏と阿弥陀仏が同じであるというならば、諸仏はどうしてそれぞれの国を誇りにするのであろうか。たとえ他の仏を我が身としても、他仏が我が教化を成就することになる。また自分が他の仏の姿に立って教化すれば、他仏の縁を助けたことになる。衆生はこれを見ないので教化・結縁ということが混乱するのである。すなわち仏が衆生と結縁するのは応身仏の形によってであることを知るべきであり、釈尊が『我は昔、かって二万億の仏のもとで汝を教化した』と言っているのがそれである。ましてや化城喩品に説かれる十六王子が、始めより今にいたるまで機と感が相成じて、自然に十六王子のうち阿弥陀は西方で、釈尊は娑婆世界でと分々に領解させたのである。それ故に彼の阿弥陀仏をもって釈迦牟尼仏と変換してはならない」とある

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 記の九に云はく「初め此の仏菩薩に従って結縁し、還此の仏菩薩に於て成就す」
 玄の六に云はく「仏尚自ら分段に入って仏事を施作す。有縁の者何ぞ来たらざるを得ん。譬へば百川の海に潮すべきが如し。縁に牽かれて応生すること亦復是くの如し」
 又云はく前に之を書す「本此の仏に従って初めて道心を発こし、亦此の仏に従って不退の地に住す」
   法華文句記巻九に「初めこの仏菩薩に従って結縁し、またこの仏菩薩によって成熟する」とある。法華玄義巻六に「仏なお自ら分段に入って仏事を施す。有縁の者がどうして求め来ないことがあろうか。譬えば多くの川が海に流れ込むようなものである。有縁にひかれて仏の世に生まれるのは、またまたこのことである」とある。また法華玄義巻六に「もともとこの仏に従って初めて仏道を求め、またこの仏に従って不退転の境地に住する」とある。

 

 

第六章 諸宗派の本尊を図示す


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第七章 天台宗の本尊を図示し総括する

五百問論に云はく「若し父の寿の遠きを知らざれば復父統の邦に迷ふ。徒に才能と謂ふとも全く人の子に非ず」と。三皇已前は父を知らず、人皆禽獣に同ず。   五百問論に「もし父の寿命の遠いことを知らず、また父の統治する国に迷っていれば、いたずらに才能があっても全く人の子ではない。三皇以前は父を知らず、人は禽獣に同じである」とある。

 

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 華厳宗真言宗の無始無終の三身を立つるは、天台の名目を盗み取りて自らの依経に入れしなり。    華厳宗・真言宗の無始無終を立てているのは、天台宗の呼称を盗み取って自宗の依経に入れたのである。